小  説

05-たまにはそんな日も 前編

今日も今日とて、幻想郷は平和である。たまに起こる争いも、どこかのどかなものでしか
ない。
在りし日は日常。出来事こそが普通。
ここ、紅魔館でも、「普通」の「日常」が繰り広げられていた。

「いい加減、本を持ってくのはやめてくださーい!!」
暗い部屋の中で、少女の怒声が響き渡る。その声にあまり威圧感が感じられないのは、お
そらく他の者との年季の差だろう。
背中と、紅いセミロングの髪から生えた黒い翼を羽ばたかせ、少女が弾幕を展開する。紫
の大玉と、青いクナイ。

だが、四方八方縦横無尽に撃ちまくっているにもかかわらず、目標はその間をひょいひょ
いすり抜けてゆく。
またがっている箒は、それほどまでに性能がいいのか。その先に、本を数冊ぶら下げてい
るというのに。

「見送りありがとうな。パチュリーによろしく」
「冗談じゃありません!立ち止まってすぐに返してください!」
「私は座ってるぜ」
「そういう問題じゃないです!」

黒いワンピースに白いエプロン、まるで魔法使いのような帽子をかぶった少女は、少しも
悪びれた様子なく、追っ手に手
さえ振っている。

「これ以上窃盗を重ねないでください!」
「借りてるだけだぜ」
「じゃあ、なおのこと返してください!」
「まあ、そういうわけだから」

相手が部屋を出ようとドアの方に向いたのを、少女は見逃さなかった。
「それと、今までの分も!」
魔法陣を展開し、クナイを乱射する。一瞬にして逃げ場をふさぐ。襲い掛かるクナイの群
れは、魔法使いがドアに手をか
けると同時に突き刺さるスピードがあった。 
それでも、魔法使いは慌てなかった。面倒くさそうにちらっとだけ相手を見やる。

「あんまりしつこいと、嫌われるぜ」 
ため息と同時に、魔法使いは1枚の札を放った。
「!」 
スターダストレヴァリエ。少女が律儀にもその名前を口にした瞬間、魔力の星々がクナイ
を消し去る。ついでにそのまま少女の体もふっ飛ばした。 
じゃあな、という素っ気ない挨拶が、少女が床に叩きつけられる前にわずかに聞こえた。 
聞きたくないセリフだった。
「う……うぅ〜」

本棚からは大量の本が床に散らばり、本棚自身もいくつか壊れ、もうもうと埃が舞う中で、
翼のある少女は起き上がった。
そして、もういない泥棒に向かって拳を振り上げて叫ぶ。
「嫌いで結構ですよ!もう二度と来ないでください!」





「パチュリー様。お薬持ってきましたよ」
「あ、ありがとう」 
先の騒動から数時間後。机に向かっていたパチュリー・ノーレッジは、小悪魔の声に振り
向いた。

「すみません。またいくつか持ってかれてしまいました」 
パチュリーが薬を飲み終えるのを見てから、小悪魔は頭を下げた。

霧雨魔理沙が紅魔館の図書館から本を持ち出すようになったのは、1ヶ月ほど前からのこ
とである。もともと魔法使いで、蒐集癖のある魔理沙の目には、ここにある無数の魔法書は、
まさしく宝の山に見えたことだろう。 

それからというもの魔理沙は、毎度毎度図書館に入り浸っては本を持ち帰っていくのである。 
図書館の主、パチュリーに雇われ司書をやっている小悪魔は、その度にこの侵入者を撃退
しようとするのだが、今まで一度たりとも防衛に成功したことはない。そもそも雇い主の
パチュリーが勝てないのだから、彼女に勝算などあるわけがないのだが。

「いいわよ。いつものことだし」 
もうあきらめているのだろう。パチュリーはため息をついて再び机に向かった。
「ですけど、もうかなりの数持ってかれてるんですよ。かれこれ200冊くらい……」
「そんなに?」
「はい。そりゃ全体の蔵書に比べたら大した量じゃないですけど、質が違いますよ。魔理
沙さん、本当に価値があるのばっかり持っていくんですもん」

はぁーっと、小悪魔は深いため息をついた。
「それは……確かに深刻ね。はやく……ん……っごほっ!う、ぐ……!」
「パ、パチュリー様!」 
急に咳き込んだパチュリーに、慌てて小悪魔は近寄る。持病の喘息だった。
「少し、休まれたほうが……」
「……平気よ、これくらい。それより、早く対人結界作っておかないと。その数を聞いた
らのんびりしてられなくなったわ」
「だからって、それで体壊しちゃ、元も子もありませんよ。今日はもういいですから、お
休みになってください」
 
心配そうに、小悪魔はパチュリーの顔を覗き込む。パチュリーは、しばらく考え込んでか
ら、苦笑した。
「……じゃ、そうするわ。寝たらいい考えも浮かぶかもしれないしね。おやすみ」
「はい、おやすみなさいませ」 

パチュリーを寝室に連れて行き、寝かせた後、小悪魔は図書館に戻ってきた。 
まだ仕事は残っている。本棚は全部直していないし、散らばった本も片付けなければなら
ない。被弾した本もあるのだ。
それも修復しなくてはならない。ついでだから掃除もしておこうと思う。 

小悪魔はもう一度ため息をついた。
「魔理沙さん、もう少し他の人のことを考えて欲しいなあ。特に、私とかパチュリー様と
か……」 
ぶつぶつ文句を言いながら、小悪魔は作業を始めた。

小悪魔が図書館にやってきたのは、10年ほど前である。 
魔術研究の際に、パチュリーが間違って呼び出してしまったのだ。 
だが別に、それで腹を立てたりはしなかった。本好きな彼女にとってそこの光景は、魔理
沙同様宝の山に見えたからだ。 

だから、ここにいたいと思った。悪魔であるにもかかわらず自分からパチュリーに頼んだ
のだ。ここで本を読ませて欲しいと。 
パチュリーの交換条件は、図書館の管理だった。自分も読むばかりで散らかすことが多い
から、司書が欲しかったのだという。 
「偶然」を、小悪魔はありがたく思った。
 
雇い主は小悪魔を相当にこき使った。もともと部屋が汚かったので、随分掃除をさせられた。 
それでも、それは苦ではなかった。10年もいれば、相手のことは少しくらいは分かるよ
うになってくる。小悪魔はパチュリーのことが好きだった。同時に、心から尊敬していた。
100年も魔女をやっていて、どこか達観してしまっているようにも見えるけれど、少女
らしい部分は少しも失っていない。館の主や、そのメイド長と話しているのをたまに見るが、
本当に楽しそうにしている。
 
そしてまた、自分と話すときも。 
義理とか、自分の責務とか、そんなのはどうでもいい。 
今はただ、パチュリーにあまり負担をかけたくなかった。肉体的にも。
「なんとか返してもらわないと。パチュリー様もなんだかんだで怒ってるだろうしなあ……」 
そして、精神的にも。
 
暗く広い図書館の中で、小悪魔はもくもくと作業を続けた。



 
ぱす、と、一冊の本を本棚に戻す。
「……これで……終わり……」 
そのまま、小悪魔はずるずると床にへたり込んだ。
 
作業は、結局真夜中までかかってしまった。図書館には窓も時計もないのだが、故に研究
に没頭しがちなパチュリーの生活を規則的なものにするために、小悪魔は自分用の懐中時計
を持っていた。 

パチュリーは一度起きていたが、修復に集中していた小悪魔はそれには気づかなかった。
「もぉ〜。いい加減にしてよ〜」 泣きそうな声で、小悪魔はここにいない人物に文句を
言った。

「これで明日また来て、直したばかりのもの壊して本持っていって、それでまた夜中まで
修復して……。もぉ〜、悪循環じゃない!」
床に大の字になって叫ぶ。隣の部屋でパチュリーが寝ているので、ボリュームは下げてい
るが。

「向こうが盗んでいくなら、こっちも盗み返そうかな」 
天井を見つめ、憤慨した声で小悪魔はつぶやく。 
そのまま、しばらくじっとしていた。
「盗み……返す」 
自分の言った言葉を反芻してみる。

「そうだ……。こっちからいけばいいじゃない」 
小悪魔は、ゆっくりと起き上がった。「どうせ何言っても魔理沙さんは返すわけないし、
いっそのこと私が取り返しに行ったほうがいいわ。そうだ、そうしよう」 
反動をつけて、小悪魔は立ち上がる。

「昼間は仕事があって出られないし、寝てる間はパチュリー様の発作の心配はない。善は
急げよね。今、行こう」 
一応パチュリーの様子を見てから、小悪魔は紅魔館を飛び出した。
「あれ?パチュリー様のとこの……」 
と、不意に小悪魔は横から声をかけられた。

「あ、美鈴隊長」
空中で立ち止まって、声のほうを振り返る。そこにいたのは、紅魔館の門番、紅美鈴であ
った。警備隊の隊長なので、
食堂などでたまに会う小悪魔は、隊長と呼んでいた。
「珍しいわね、あなたが外に出るなんて。何かあったの?」
「ええ。いい加減、魔理沙さんに本を返してもらおうと思って……」 
苦笑して、小悪魔は美鈴に答える。

「今から?」
「今以外に外に出られる時間がないんです」
「そっか。まあ、がんばってね」
「はいっ」 
魔理沙が強いことを言っているのだろう。図書館に入ってくるということは、当然彼女を
打ち倒しているということだからだ。 
小悪魔もそれは十分承知している。魔理沙がただで本を返すわけがない。最悪、返り討ち
にされるだろう。 

それでも、小悪魔は元気に返事をした。内心は不安だが、それをわざわざ門番に伝える必
要はない。
「じゃ、いってきますね」
「気をつけてね」 
身を翻して空へ行く。

が。
なんともタイミングの悪いことに、ちょうどその時小悪魔のお腹が大きく鳴ってしまった
のだ。
ばっちりと、美鈴には聞こえていた。

「…………」
「……えーっと、私、遅番用の夜食弁当持ってるけど……持ってく?」
「……すみません」
消えいりそうな声で、小悪魔は美鈴から弁当を受け取った。夕食も食べずに修復作業をし
ていたツケが、よりにもよってたった今まわってきたのだ。 
顔中が真っ赤になっているのが分かった。 

色んな意味で恥ずかしくて、死にたくなった。
「……それじゃあ、あらためて」
「いってらっしゃい」
「お仕事、がんばってください……」 
弁当を抱え、半泣きで小悪魔は夜空へと飛び立った。

「あー、恥ずかしいー。私のバカー」 
紅魔館からだいぶ離れたところで、小悪魔はつぶやいた。それもこれも魔理沙のせいだ、
ということにしておく。
だが、うじうじしていても仕方ないので、早く魔理沙の家に行こうと、気持ちを切り替え、
さらに上昇する。

「えーっと、魔理沙さんの家は……」 
小悪魔は、空中で動きを止める。フリーズした時間、約5秒。
「魔理沙さんの家って……どこだっけ……?」 
いつも魔理沙のほうから紅魔館に来るので、小悪魔が魔理沙の家を知っているわけがなか
った。それでなくとも、小悪魔はあまり図書館の外に出たことがないのだ。 
色んな意味で情けなくて、死にたくなった。

「もー、私のバカー。少しは考えなさいよー」 
ポカポカと、自分の頭を殴ってみる。だが余計に悪くなりそうなのでやめておいた。 
そこで、小悪魔は思案する。
「どうしよう。出てってすぐに帰るのもバカな話だし、第一美鈴隊長に顔あわせられない
よ。けど、このままじゃ何にもならないし。うーん……」 

しばらく、小悪魔の周りを静寂が支配する。 
星の瞬く三日月の夜。真夜中であっても周りは幾分明るかった。 
そして、この世界には夜しか活動しない者もいる。 
小悪魔の視界に、人影が入った。 
途端、「分からなかったら人に聞く!」という言葉が頭をかすめる。

「そうだ……」 
分からなかったら人に聞けばいい。聞かれても答えられない人はいるけれど、それを繰り
返せばいずれ知っている人に会えるはず。
「あの、すいません!」 
それだけ考えて、小悪魔は目の前を飛んでいる人物に声をかけた。おそらくは妖怪だろう
人物が、振り向いて止まる。

「何?」
「あの、霧雨魔理沙さんという方をご存じないですか?」 
妖怪はなぜか通せんぼをするように両腕を左右に広げ、少し考えるしぐさをした。
「それって、金髪で白黒の人間?」
「そ、そうです!知ってるんですか!?」 
意外にも、1人目で知っている人物に出会ってしまったようだ。その特徴はあなたもじゃ
ないかな、という言葉を飲み込んで、小悪魔は訊き返した。

「まあ、知ってると言えば……」
「あの、それで、魔理沙さんの家をご存じないですか?」
「家?」
「はい」
「家は知らない」 

あっさりと、次の道は閉ざされた。確かに、名前と顔は知っていても、家を知っていると
は限らない。 
小悪魔自身が、その代表のようなものなのだから。
「そうですか……」
「私は知らないけど、紅白の人なら知ってるんじゃない?」 
うつむいた小悪魔に、妖怪の少女はそのように言った。
「紅白?……それって、もしかして博麗霊夢さんのことですか?」 

小悪魔は、パチュリーが魔理沙以前に図書館にやってきた侵入者をそう言っていたのを思
い出した。小悪魔自身も彼女に撃墜された苦い経験があった。 
その名前は、魔理沙がよく口にしていたので、なんとなく顔とは一致していた。

「名前は覚えてないけど、そうだったかも。あっちの神社に住んでるよ」 
左手はそのままに、妖怪の少女は小悪魔の真後ろを指差した。
「そっか……。知り合いか、友達なら知ってるかもしれない」 
指差した方向を見て、小悪魔はつぶやいた。そして、少女のほうに向き直る。
「ありがとうございます!じゃあ、早速行きますね」
「うん。ねえ、ところで……」
「はい?」 

小悪魔が深々と頭を下げたところで、少女はさらに続けた。
「私、今お腹空いてるんだけど……目の前のは取って食べられる人類?」 
意地悪そうに笑って、少女は小悪魔を見つめる。冗談なのか、それとも本当にお腹が空い
ているのか、三日月の夜でこの距離では判別しにくかった。

「えーっと、私は人類じゃないので……。あ、でも」 
苦笑して、やんわりと小悪魔は拒否の意思表示をする。しかし、ふと思い立って、手に持
っていたものを少女に見せる。

「あの、これ、お弁当なんですけど、もし良かったら……」 
先ほど美鈴にもらった弁当を少女に差し出す。
「いいの?」
少し意外だったようで、少女は驚いた顔をした。

「1番有力な情報をくれたので……お礼です」 
自分も相当程度にお腹が空いていたが、1食抜いたくらいならどうということはない。
にっこりと笑って、小悪魔は弁当を手渡した。
「……ありがとっ」 
それにつられたのか、本当に嬉しかったのか、少女も笑い返す。その屈託のない笑顔に、
小悪魔も嬉しく思った。
 
少女と別れ、小悪魔は示されたほうへ飛んだ。湖の岸が近づくにつれ、昔何度か感じた強
力な魔力を認めた。
「博麗……そうか、あの博麗大結界の……」
しばらく飛んでいると、眼下に神社の鳥居、そしてその本殿が見えた。参拝客がいないこ
とで有名にもならない、博麗神社である。
小悪魔は境内に降り立った。 
真夜中なので、人の気配はしない。当然といえば当然だった。神主の博麗霊夢はとっくに
眠っているのだろう。

「はあ……」 
自分のスタンドプレーぶりに、小悪魔は改めてあきれた。こんな時間に、人の家を案内し
て欲しくてたたき起こす者がどこにいるというのだろう。
しかも、数回しか会ったことのない人物に。
 
なんとなく、小悪魔は拝殿に近づいた。見かけは決してきれいではないが、それ故に、こ
の神社の存在が偉大なものに思えてくる。

「…………」 
小悪魔は、ポケットから1枚小銭を取り出した。神社の大まかな参拝法くらいは知ってい
る。それを賽銭箱に放り入れると、両手を合わせた。 
金属と木がぶつかる音がする。あきれるほどに、中には何も入っていないのが分かった。 
悪魔が神頼みなんて、なんか皮肉だな。そんなことを思いながら、小悪魔は目下叶えて欲
しいことを頭に浮かべてみる。

(魔理沙さんが本を返してくれますように。ついでにもう持って行きませんように。図書
館の本や備品を壊しませんように。
あとパチュリー様の病気が治りますように。えーとそれから……)
「……何してんの?あんた」 

とりとめもなく願いを羅列していると、不意に小悪魔は横から声をかけられた。
「ふぇ!?」 
思わず飛び上がってしまいそうに驚く。見ると、そこには寝巻きらしき姿の神主が立って
いた。賽銭の音にでも反応したのだろうか。
「あ……」


「お百度参り?」
「……違います」
「じゃあ丑の刻?」 
寝ぼけているのか、巫女は全く的外れなことを言ってくる。確かに時間的にはぴったりだ
ったが。

「あの、博麗霊夢さんですよね」
「ん、そうだけど?」
「霧雨魔理沙さんの家をご存知でしょうか?」
「魔理沙の家?知ってるけど……あんた、誰?」 
訊かれて、小悪魔は事情を説明した。なにがなんでも魔理沙の家に行って本を取り返した
いことを、特に強調した。 
神主の少女、霊夢は賽銭箱に腰掛けてそれを聞いていた。

「まあ話は分かったけど、今の時間じゃ魔理沙も寝てるんじゃない?」
「だと思いますけど、私今しかフリーの時間がないんです」
「……ま、いっか。ちょうど今日は寝付けなくてヒマだったし。分かった、案内してあげ
るわ」

「本当ですか!?」「ちょっと待っててね。さすがにこの格好で行くのは恥ずかしいから」 
そう言うと霊夢は、着替えるために母屋のほうへと戻った。
「あ、ありがとうございます!」 
その姿が見えなくなる前に、小悪魔はぺこりと頭を下げた。



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