小  説

39-一方その頃 〜東方永夜抄Extra 前編

 本当の満月が幻想郷に戻ってきた。今までの月はまるで張子のおもちゃであったかのよ
うに、今夜の月は強く妖しく輝いている。月本来の力は陽の光に浄化され、幻想郷の幻想
分を再び高めていくだろう。
 そんな幻想郷らしい満月のもとで行われることといえば、月見をおいて他には考えられ
ない。今宵もまた、暇な巫女のところに様々な人妖が集っていた。
 無論、博麗神社だけが月見をするところではない。単に月がよく見えるから萃まってく
るのであり、それがいいと思った連中だけがやってくるのである。別に月見は博麗神社で
しなくともよい。
 つまり、紅魔館の時計台でやってもいいわけだ。
 
「ん〜っ!……いい月ねぇ」

 両腕を突き上げるようにして、紅魔館門番の紅美鈴は大きく伸びをした。本来ならば地
上にある門のところにいなければならないのだが、それを決めているメイド長の十六夜咲
夜が博麗神社に行ってしまっているため、のんびりと月見が出来るところに移動してきた
のだ。いくら満月の日であろうと、紅魔館に襲撃をかけてくるような阿呆はそうそういな
い。部下に任せっきりにしたところで、なんら問題はないのだ。あるとすればこの場面を
咲夜に見られることだが、時を止めて戻ってこない限り接近には必ず気づく。心配は要ら
なかった。

「そうですね。やっぱり、本物はいいですよ」

 さわ、と美鈴の髪が揺れる隣で、図書館の司書である小悪魔がうなずく。本の虫第2号
の小悪魔が図書館の外にいるのは珍しいが、本物の満月ともなれば話は別である。無論第
1号であるパチュリーも誘ったのだが、筋金入りの本の虫は「気が向いたらそのうち」と
言って出てこなかった。ちなみに、この場合の「そのうち」は、「永遠に来ない」という
意味を含んでいる。

「あ、お団子もう1個もらっていい?」
「いいですよ」

 小悪魔と美鈴の間には、皿に盛られた白い団子があった。他にも月見をしているメイド
たちが、気を利かせて持ってきてくれたのだった。日本茶のティーセット一式をお供に、
小悪魔と美鈴は団子をつまみつつ夜空の光に目を向けていた。

「それにしても、今日はまた一段と光がパワフルよねぇ。なんかこう、血が騒ぐって言う
か」

 月を見上げ、美鈴はけたけたと笑う。本物の満月は凶悪な魔力を秘めている。妖怪の持
つ力にはその月の魔力を礎にしたものが多い。故に、月の光をあまり浴びすぎると、体内
の魔力に異変が起きて暴走することもありうるのだ。
 それは、一般的に「発狂」と呼ばれている。
 
「あんまり見ないほうがいいんじゃないですか?隊長、平気ですか?」
「月を見なかったらお月見にならないじゃない。それに、私の気はあまり月の影響は受け
ないもの。あ、お団子もう1個もらっていい?」
「ええ、いいですよ」

 小悪魔が美鈴の顔を覗き込むと、美鈴は怒ったように口を尖らせた。そして団子を1つ
取ると、ひょいと口の中に放り込んだ。
 無論小悪魔も、美鈴の能力は知っている。「気」と魔力は表裏一体だが、だからといっ
て全く同じものでもない。見たところ、美鈴はそれほど月に中てられているようには思え
なかった。

「あなたこそ大丈夫?正真正銘、魔力を使っているんだから」

 頬張った団子をもぐもぐと咀嚼しながら、美鈴は小悪魔に尋ねた。美鈴の言うとおり、
小悪魔の力は魔力を基にしているものである。

「大丈夫ですよ。私、これでも魔族なんですよ?ちゃんと自己管理くらい出来ますって」

 美鈴の問いに、小悪魔はくすくす笑いながら答えた。小悪魔や、吸血鬼のレミリアを含
む魔族は、純粋に月の魔力がその力の根源である。確かに月の光を浴びすぎれば影響は受
けるだろうが、中途半端に力をつけてしまった愚かな人間に比べれば、それは遥かに少な
い。注意していれば何も問題はないのだった。

「ま、そういうものよね。……あ、お団子もう1個もらっていい?」
「いいですよ」

 美鈴はまたひょいと団子を口に放り込んだ。小悪魔も美鈴もここで少しばかり酒があれ
ばいいと思っていたが、名目上は仕事中なので、こうして日本茶で過ごしている。


 それが、2人にとっては中正解であることに気づくのに、時間はかからなかった。


「……あ、お団子もう1個もらっていい?」
「いいですけど……隊長、さっきからそればっかり言ってません?」

 もらっていいかと訊いておきながら、返事を聞く前に団子に手を伸ばしている美鈴。し
かし毎度毎度同じことを言う美鈴に、小悪魔は疑問を感じた。別にいちいち確認しなくと
も、小悪魔は美鈴が食べるのを邪魔するつもりはなかった。

「え?そう?別にいいじゃないそれくらい」
「本当に大丈夫ですか?実は中てられてるんじゃないですかー?」

 美鈴に限ってそんなことはないだろうが、万一ということも考えられる。小悪魔は少し
心配になってきた。

「だーいじょうぶだって!仮に発狂していたとしても、咲夜さんが目の前に現れたら元の
戻れる自信があるわ」

 苦味の混じった笑顔で、美鈴はけらけらと笑う。確かに、咲夜からの「おしおき」を何
かにつけていただいている美鈴ならば、たとえ正気を失っていたとしても元に戻れそうな
気がした。咲夜の存在は、紅魔館に住む者たちにとってそれだけの意味があるのだ。

「咲夜様とレミリアお嬢様は……今頃どうしてるでしょうね?」

 美鈴の自虐的な確信に苦笑し、小悪魔は話題を変えた。ぼんやりと月を眺めつつ呟くよ
うに美鈴に話しかける。
 今日も今日とて、レミリアは退屈だからと博麗神社に出かけていった。そして夕食頃、
それまでの暇そうな表情はどこかに吹き飛んでおり、何かに期待しているような笑みを浮
かべて帰ってきた。
 美鈴が咲夜から聞いたそうだが、今夜は肝試しに行っているらしい。先日の満月隠蔽事
件にて知り合った月人がそう提案したそうだ。退屈しのぎくらいにはなると思っているの
だろう。比較的退屈でないならば、レミリアは割とそういうことに飛びつくことが多いか
らだった。

「満月の夜にお嬢様が肝試ししたって、試せるような輩さえ存在しないのにね」

 小悪魔の隣で美鈴が笑う。
 そう、美鈴の言う通りなのだ。
 本当の満月が戻ってきた幻想郷。その光によって、妖の者たちはより一層強暴になる。
その影響の度合いは、美鈴と小悪魔のように、種族によってかなり異なる。
 そして、満月の影響を最も強く受けるのが、レミリアのような吸血鬼なのである。最も
純粋に月の魔力を用いる種族なのだ。本当の満月の魔力は、レミリアに多大な力を与える
こととなる。無論、レミリアはそれで発狂することなどない。
 つまり、満月となった今。無敵ということなのだ。
 
「そうですよね。満月こそがお嬢様の真骨頂なのに……。ましてこの月じゃ……」


 ――ズズズズズズズ……。


 どこかで、何かが崩れる音がした。それが物理的に何かが壊れているのか、この平穏が
壊れた音なのか、はたまた2人の心が壊れた音なのか、それはよく分からなかった。
 わずかな地響きが体に伝わると同時に、体を這い回るように気味の悪い魔力が漂ってき
た。

「………………」
「………………」

 小悪魔も美鈴も固まっていた。顔は夜空の月に向いており、その表情は先ほどの楽しい
ひと時によって作られた笑顔のまま凍りついていた。手には湯飲み。美鈴のほうは団子に
手を出しているところだった。2人はそのまま、時でも止まったかのように微動だにしな
かった。
 決してどこかの妖怪が紅魔館に襲撃をかけてきたわけではない。そんなことは固まる前
に気づいていた。外から何者かが来れば今頃は絶対に門番の美鈴に通達が来ている。一応
美鈴が時計台で月見をしていることは教えてあるので、まさか報告に時間がかかるわけが
ない。それでなくとも紅魔館のメイドたちの対応は迅速だというのに。そもそもこんな満
月の夜、それだけの力を持った人妖がやってくれば気づかないわけがないのだ。よって何
者かの襲撃というセンは外れる。
 では一体これは何なのか。疑問に思う前に出ている答えに対し、小悪魔と美鈴は凍った
思考で考える。最悪の結果を避けるために必死になってあらゆる可能性を考えようとして
いた。
 だが、2人の望みは儚く散ることとなる。
 
「美鈴様!フランドール様が暴れています!!」
「やっぱりいいいいいいぃぃぃぃ!!!」

 突如時計台に姿を現したメイドが、1番聞きたくなかった事実を報告した。フランドー
ルという名前を聞いた時点で小悪魔と美鈴は頭を抱えて叫んだ。
 ありとあらゆるものを破壊し、まったくもって歯止めの利かない力の持ち主、フランド
ール・スカーレット。彼女もまた、レミリアと同じ吸血鬼だ。凄まじい力を持ってしまっ
ているがために地下室に幽閉されているのだが、それがあろうことかこんな素敵な満月の
夜に出てきてしまったというのだ。
 満月の夜こそが吸血鬼の真骨頂。ならば、それは当然フランドールにも当てはめられる
ことになるのだ。
 一瞬気が遠くなる。持ち直したくもなかった。狸寝入りと罵られてもいいから、今ここ
で倒れて寝てしまいたかった。

「あああああ……。よりにもよってこんな日にいいぃぃ……」

 しかし、やはり立場上倒れるわけにはいかない。顔面蒼白になりながらも美鈴は館内に
向かって歩き出した。小悪魔は慌ててその後を追い、ふらふらの美鈴を支えた。

「た、隊長しっかりしてください!そのままでいったらいろいろ当てられないどころか当
てられるものもなくなるような状態になりますよ!!」

 地鳴りのような音が響く中、小悪魔と美鈴は館の中に入っていく。
 案の定、中では多くのメイドたちが右往左往していた。本来このような事態が起これば
まずメイド長に通達が行くのだが、残念ながらそのメイド長は現在博麗神社にいる。しか
も、お嬢様と一緒にいるとなるとそのような報告をしたところで動いてくれないのだ。レ
ミリアが「めんどくさーい。あなたたちで適当にやってー」とでも言おうものなら、咲夜
はナイフと一緒に何とかしろというありがたいお言葉を飛ばしてくるのである。
 したがって、今のところ対フランドール戦での相手は美鈴かパチュリーということにな
ってしまうのである。
 小悪魔と美鈴が現場に近づくと、大蛇のような凶悪な魔力が渦巻いていた。それと同時
に、思わず耳をふさぎたくなるような甲高い笑い声が聞こえてくる。それだけでよろよろ
と壁に寄りかかって座り込みたくなってしまうが、気合と気合を混ぜ合わせてなんとか踏
みとどまり、2人は広々とした紅魔館ロビーへと立った。

「あっはははははははははははは!!」

 途端、凄まじい爆音が空気を揺らす。何事かと思うと、どうやらフランドールが天井に
向かって妖弾をぶちかましたらしい。穴こそ開かないものの、片づけが大変になるのは明
白だった。

「フ、フランドール様!落ち着いてください!」

 空中で巨大な妖弾を撒き散らすフランドールに向かい、美鈴は本心と共に腹の底から叫
んだ。

「あ、やっほー!」

 そんな言葉が耳に入るはずもなく、フランドールは美鈴の姿を見つけるとにっこりと笑
って手を振った。可愛らしいことこの上ないが、それが悪魔の笑みであることもまた揺る
ぎようのない事実であった。見ていてとても悪寒が走る。

「あ、挨拶をいただけるのは嬉しいですが、今はとにかく部屋に戻ってください!」

 ぞわぞわと背中を走る寒気に耐えつつ、小悪魔が美鈴の後を継ぐ。もちろんフランドー
ルが言うことを聞かないのは承知の上である。

「あっはっはっは!!なんとなく外に出てみたらすっごく気分がよくなっちゃってねー!」

 フランドールがけらけらと笑う。気分がいいなら今すぐに部屋に戻ってもらいたいもの
だが、多分そうもいかないだろう。

「ちょっと体を動かそうと思ったんだけどさー、なんかすごく調子よくてね。思わずパチ
ュリーぶっ飛ばしちゃった」
「ええええぇぇぇ!!?」

 てへ、とフランドールは舌を出して悪戯っぽく笑う。それが冗談でも比喩でもなく、言
葉の通りであることに2人はすぐ気づいた。小悪魔が慌てて辺りを見回すと、壁に寄りか
かるようにしてぐったりと座り込んでいるパチュリーの姿が目に入った。本当にぶっ飛ば
して壁に叩きつけたらしい。

「だ、大丈夫ですかパチュリー様!!」

 小悪魔がパチュリーのそばに飛んでいく。パチュリーは気を失っているようだった。急
いで廊下の影からこちらの様子を哀れみの目で見守っているメイドを呼び寄せ、パチュリ
ーを運んでもらう。

「今度は美鈴が遊んでくれるんだね!さ、やろー!!」
「誰もそんなこと言ってませんー!!」
「禁弾『カタディオプトリック』!!!」
「ぎぃやあああああああ!!」

 大小さまざまな青い妖弾が放たれる。それの密度が通常よりも高いところを見ると、や
はり月の影響を受けているのだろう。ただでさえ強いフランドールが、満月の影響でより
一層強くなっているのだ。

「つまり、満月となった今……!」
「無敵ってことですよ。素敵……!」

 乾きに乾いた2人の笑いが悲しくこだました。
 壁や天井で反射し、妖弾はさらに幅を狭めてゆく。今更何を言ったところでフランドー
ルが止まるはずもないので、2人はそのままなし崩し的に弾幕ごっこに突入する羽目にな
った。周囲のメイドたちは退避させる。絶対に歯が立たないからだ。

「いっくよー!!」

 フランドールに巨大な魔力が集中される。またしても反射弾を放つつもりか。小悪魔と
美鈴はとっさに構えた。直後、大玉を先頭に蒼の妖弾が束になって襲い来る。軌道それ自
体は全て直線的なものだから最初は避けられるが、次の反射によって軌道を変えられた後
が怖いのだ。2人は視線を絶えず動かし、妖弾の行く末を見据える。それは、全くスピー
ドを緩めることなくロビーの壁へぶつかっていった。





 とてつもない轟音と爆風が巻き起こったのは、その数瞬後だった。





「きゃああああ!?」

 何が起きたのか分からず、小悪魔は目をぎゅっとつむった。爆風が小悪魔の小柄な体躯
を吹き飛ばす。床をごろごろと転がり、小悪魔は壁に叩きつけられた。
 一体何が起こったのか。フランドールはどうしたのだろうか。美鈴は大丈夫だろうか。
頭をさすりながら、小悪魔はそんなことを考え、ゆっくりと目を開いた。

「……わ」

 まず視界に入ったのは、ロビーに漂う煙。何かが爆発した際に大量に発生したのだろう。
 次に、その煙の中にある人影。背中から特徴的な翼が生えたシルエットのため、それが
フランドールだと気づいた。
 そして、自分から少し離れたところで美鈴が目を回していた。小悪魔はフランドールに
気づかれないように移動すると、美鈴を揺さぶった。

「隊長。隊長!」
「ぅあー……。お団子ー……」
「いやもうないですから。とりあえず起きてください」

 しばらく美鈴をゆすっていると、ようやく美鈴は目を覚ました。
 
「いたたた……。な、何があったの?」

 壁や床に打ち付けたらしい部分を押さえながら、美鈴は小悪魔に尋ねた。それ以前とし
て一体どんな夢を見ていたのか訊きたかったが、訊いたところで何になるわけでもないの
で小悪魔は黙って後ろを振り向いた。
 煙は、先ほどより晴れてきていた。煙というより、大量の埃だということに気づく。
 
「あ」
「あ」

 そして、小悪魔と美鈴は同時に声をあげた。
 そこには、人一人どころか団体でも通れそうな大穴が開いていた。
 その向こうには夜の闇が広がっており、さらに、大きく妖しい、満月が浮かんでいた。
 フランドールはそれをぼうっと見ていた。
 
「……うふ」

 しかし不意に、フランドールからそんな声が漏れる。後姿からはどんな表情をしている
のか分からない。

「うふふふうふふふふふふふ」
「……フ、フランドール様……?」

 美鈴が恐る恐る声をかける。こんな気味の悪い笑い方をしないでほしかった。とても怖
い。

「うふふふふふはははあははははははは!!」

 と突如、フランドールは狂ったように笑い出した。もともと気が触れているが、今のは
それを100歩先に行くくらいの勢いだった。

「フランドール様!?」

 体をのけぞらせて笑いまくるフランドールに、美鈴が駆け寄る。
 
「フラ……!」
「ちょいやー!!」

 刹那、小悪魔の耳元に人型の何かが叩きつけられる。とっさに受身を取ったらしく、血
が出ることも骨が折れることもなかったが、不意をつかれたこととあまりに攻撃が早かっ
たことで、被害者の美鈴は何が起きたのかも分からないようだった。振り向きざまに放た
れたフランドールのパンチは、どこの誰よりも速かったと思う。

「あはははははははははははははは!!」

 狂ったように笑うフランドール。そのバックには、最凶の吸血姫を祝福するかのように、
銀色の――満月。
 誰の目にも、フランドールが月の影響を受けたのは明白だった。増してこの満月である。
それは、フランドールに強烈な力を与えることとなったのだ。
 気が触れているフランドールを、「発狂」させるほどに。
 
「力が……力があふれてくる……!」

 感動に打ち震えるように、フランドールは自分の手を見る。端から見ていても魔力が増
大しているのはよく分かった。凄まじい力がオーラとなってフランドールを取り巻いていた。

「……ふふ。何か、いても立ってもいられない。この力、思いっきり……解放してみたい」

 狂気の瞳が歪められる。今にも放たんとばかりに魔力が集中される。
 
「ちょうど外にも出られるんだし……。いっくよおおおおお!!」

 一瞬で気絶しそうな魔力塊が作られる。フランドールは自身を回転させて遠心力を生み
出し、それを外へと開いた穴から投げ出した。それは風を切り、空の遠くまで飛んでいっ
た。あとで何か破壊音が聞こえたら、多分それが原因だろう。

「私もいこーっと!!運動うんどー!!」

 夜空にぶん投げられた魔力塊をしばらく見やった後、けたけたと笑いながらフランドー
ルは穴をくぐった。すぐそばであるのに、その笑い声はとても遠く感じる。月を見上げ、
体が折れそうなくらいにのけぞってフランドールは笑う。
 外に出てしまったことを、誰も止めようとはしない。満月の夜、彼女は無敵なのだ。止
められるはずがなかった。
 笑い声が、次第に遠くなっていく。フランドールの「運動」とやらがどれほどの災害に
当たるのか見当もつかなかった。ただ、その笑い声が遠ざかるにつれ、自分は死ななかっ
たという実感が強くなるだけだった。
 助かった、とだけ小悪魔は思っていた。
 しかし、事実と運命はそれとは180度ほど異なった方向を行っていた。

「……隊長?」

 小悪魔が呆然としている横で、美鈴がふらりと立ち上がる。よろよろと危なっかしい足
取りで2、3歩歩くと、美鈴は急に立ち止まった。そして、小悪魔の目の前にしゃがみこ
むと、凄い勢いで小悪魔の両肩を引っつかんだ。

「追いかけるわよ!!」
「は!?」

 埃まみれになった美鈴の顔を、変な汗が流れていく。
 
「いくらなんでもフランドール様を外に出すわけにはいかないわ!どんな大災害が起こる
か分かったもんじゃないし、このままじゃ咲夜さんに知れてさらにとんでもないことが起
こるに決まってるし!!」

 後半のほうが本音であることは容易に想像がついた。美鈴の頭の中では、フランドール
との弾幕ごっこよりも、咲夜によるおしおきのほうが恐ろしいらしかった。客観的に見て
絶対に後者のほうがダメージは少ないはずなのだが、受けている本人にしか分からない精
神的ダメージでもあるのかもしれない。
 とにかく、美鈴は本気でフランドールを追いかけようとしているようだった。正論のよ
うでいて無茶苦茶なことを口走っており、しかも人の話を聞こうとしないあたり、本気な
がらも錯乱状態なのがよく分かる。

「ちょ、ちょっと落ち着いてください隊長」
「フランドール様が外に出たなんて咲夜さんが知ったら想像もつかないようなナイフの嵐
が来るに決まっているわ!咲夜さんが出かけているうちに、何が何でもフランドール様を
下の部屋に連れ戻すのよ!あなたと私で!!」

 フランドールが外に出た時点でばれるに決まっているし、これだけ盛大に開いた穴をた
ったの一晩で修復できるわけがない。メイド全員に口止めするなど不可能なことだし、そ
もそもどこをどうやれば今のフランドールを2人で連れ戻すことが出来るというのだろう
か。
「で、ですから隊長……!」
「さあいくわよ!!この永い夜が終わりを告げてしまう前に!!」
「いやちょっと待ってくださいっていうかやっぱり満月に中てられてるでしょ隊長ー!!!」

 美鈴の目は、マジだった。
 小悪魔の叫びもむなしく、美鈴は小悪魔の手をしっかりと握って穴をくぐった。振りほ
どくことも出来ずに小悪魔は望月の空へと引きずり出される。
 こんな異変は、夜を止めてでも今夜中に解決させる、と美鈴の強い握力が語っていた。
 それが無謀と知りつつも、不運に巻き込まれやすい悲しい性か、小悪魔と美鈴はフラン
ドールを追うこととなったのだった。

 なお、その一部始終を見ていたメイドが、2人のことを「紅毛の不幸チーム」と呼んだ
ことは、誰にも知られていないことである。




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