小  説

86-1 雪夏塚〜セツゲツカ 姫崎綾華編_第七話 もう一度約束を(その1)

 まどろみの中で聞いた言葉。
 それは、「さよなら」。


「ん・・・」
 
 目を覚ましてから槙人は自分が眠っていたことに気づいた。

「今、何時だ・・・?」

 時計を探そうと首を回して、初めて気がつく。
 綾華がいなくなっていることに。

「綾華っ!?」

 槙人はベッドから跳ね起きた。
 綾華の服や下着は、ベッドの周囲に散らばっている。つまり、新しく着替えて部屋を出
たという事だ。

「綾華っ!!」

 服を着てから槙人は廊下に出て力いっぱい叫ぶ。返事はない。家の中にいるのなら、ま
た倒れている可能性があった。二階をパッと見回ってから、慌ただしく一階に降りる。名
前を呼びながら各部屋を見るが、綾華はどこにもいなかった。

「・・・外に出たのか!?」

 買い物や散歩の筈はない。この大雪だ。第一あんな体ではいつ危篤になってもおかしく
なのだ。
 そこで、おぼろげに思い出される。
 耳元で囁かれた「さよなら」という言葉を。

「・・・あのバカッ!!」

 上着を着るのも、傘をさすのも面倒で、槙人は外に飛び出した。鍵も閉めず走り出す。
理屈でどこなどと考えなかった。綾華がどこにいるか分かっていた。
 屶岬だ。

 ずっと走り詰めだった性で、体の前面が真っ白になっていた。
 しかし、岬の柵に腰掛けている綾華の頭には、帽子と見間違うほどの雪が積もっていた。
いくら降雪了が多いとはいえ、何時間前からいたのだろうか。

「来たんだね・・・」

 雪を払うこともせず、綾華は笑顔を作る。雪も溶かしてしまいそうな温かな笑顔。
 けれどそれはあまりにも冷たかった。

「ワンパターンなんだよ、お前は」

 槙人は綾華に歩み寄った。そして、槙人同様上着も傘もない綾華の雪を払う。
 あの時のように。

「ほら、帰るぞ」

 理由は後で訊くことにして槙人は綾華の手を取り、棚から降ろさせた。

「・・・ううん」

 だが、綾華は立ち止まったまま、首を横に振った。

「・・・帰らない・・・」
「・・・何言ってんだ、お前」
「・・・もう。・・・いいの・・・」

 すっと、綾華は手を振りほどく。

「・・・バカヤロッ!お前ッ・・・!」

 槙人は声を荒げる。そして、もう一度綾華の手を掴んだ。

「こんなとこにいたら、今度こそ本当に死んじまうぞ!!」

 怒りと心配が混じり合って言葉が出なかったが、頭の中の単語をつなげて槙人は綾華に
怒鳴った。

「いいの・・・それで・・・」


 しかし綾華はそんな槙人の心を無視するように変わらぬ口調で言った。

「何言って・・・」
「もう・・・何かなんだか分からなくなっちゃったから・・・!」

 涙の混じった声で綾華は答える。そして、槙人を真っ直ぐに見つめた。

「お兄ちゃん・・・私のこと、好き?」

 そして、唐突に不可解な質問をする。

「・・・当たり前だろ」
「本当に?」
「ああ」
「・・・嘘」

 綾華は俯いた。その口からこぼれた言葉に槙人は耳を疑った

「嘘な訳あるかっ!俺は本当に・・・!」
「うん、それは分かるの・・・。分かってる。でも・・・」

 一旦綾華は言葉を切る。寒いせいで、口がうまく動かないようだ。自分のためにも、上
着を持ってくれば良かったと、今さらながらに槙人は思った。
 すうっという息を吸う音、そして、言葉が紡ぎ出される。



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