小  説

14-一方その頃 〜東方妖々夢 第1話

 冬の図書館は寒い。
 壁が厚い上に窓は1枚もないこの部屋は、外気温や日光に影響されることがない。その
ため夏はひんやりしていて非常に気持ちがいい。夏場に図書館の掃除を割り当てられた者
はとても喜び、メイド長の目が1番行き届かない場所だけにくつろぎ放題している。
 しかし、冬になればその人気はそれこそ気温のごとくガタ落ちする。そもそも、図書館
には暖房がない。無限ともいえる蔵書ゆえにその部屋は途方もなく広くなっており、暖房
をつけても暖かくならないからだ。屋内だというのに常時吐く息が白い不思議空間である。
冬場に図書館の掃除を割り当てられた者はとても嫌がり、メイド長の目が1番行き届かな
い場所だけに不満をたらし放題している。しかし仕事中は全員が全員、異様なほど真面目
に掃除していた。単に、動かないと凍死しそうな気がするからだが。
 主パチュリーも、冬は図書館内の書斎には行かず、寝室かその隣の狭い第2書斎を使う。
風邪の季節だが、埃っぽくない部屋にいるおかげで、この時期だけは喘息の調子がよかった。
皮肉なものである。
 司書小悪魔としては1年中寒ければいいと思っているが、主は自室から出られなくなる
から嫌らしい。もちろん小悪魔としても、冬の水拭きだけは勘弁してもらいたい。図書館
の本棚の数がこれほど恨めしいと思えるのは、今だけであった。

 かくも極寒地な図書館だが、紅魔館にはそれ以上の寒冷地獄が存在する。
 外だ。
 紅魔館の番人紅美鈴を始めとする館外警備隊にとって、冬は文字通りの地獄である。意
外にも、冬のほうが仕事が多いのだ。
 その理由が雪かき。ただでさえ寒いのに、幻想郷では毎年多くの雪が降る。紅魔館は頑
強だが、屋根の上に積もり積もった雪はやはり見ていて気持ちよくない。それをかき落と
し、庭の分も集めて湖に捨てるのが警備隊の仕事なのだ。冬眠する妖怪もいるにはいるが、
冬だからといって妖怪の数が減ったりはしない。もともと紅魔館に敵意ある者など来ない
が、寒さゆえ仕事量が少なくなる警備隊への、メイド長による温かい配慮である。余計な
お世話とも言うが。
 雪かきで体が温まるだろうと言えば、必ずしもそうではないと答えが返ってくるだろう。
雪は冷たい。否応なしに四肢を痛めつける。だというのに詰め所にはちっぽけなストーブ
が1つしかなく、毎日争奪戦が展開されている。あぶれた者は霜焼けになりかけることが
多々あった。風邪をひく者も時々現れる。
 雪が降った翌日には布団だるまが上空を舞う不思議世界である。
 美鈴としては、1年中暑ければいいと思っているが、詰め所は冷房もちっぽけなのでど
っちも嫌だった。何度冷暖房の改善を申請しても却下するメイド長が恨めしいと思えるの
は、大体いつものことだった。




 そして5月、春はまだ来ない。




 美鈴と小悪魔がメイド長十六夜咲夜に呼び出されたのは、そんなある日のことだった。
 
「館の中ってあったか〜い」
「ですよねえ。うらやましいですよ、この時期は」

 自分の持ち場とは正反対な暖かさに、紅髪の2人はしみじみと感動していた。咲夜に呼
び出されると大抵ろくなことを言われないので、今のうちに体の芯まで暖をとっておきた
かった。下手に愚痴を言っていようものなら、気がついたときには湖の底に沈められてい
るかもしれない。2人にとって、いや紅魔館のメイドにとって、十六夜咲夜とはそういう
恐ろしさと冷酷さを持った人物であった。

「咲夜さーん、入りますよー」
「失礼します」

 咲夜の部屋の扉をノックし、美鈴が開ける。小悪魔はそれに続いて中に入った。
 
「来たわね」

 咲夜は椅子に座っていた。美鈴と小悪魔に、ベッドに座るよう指示する。
 
「お茶でも飲む?」
「ああ、いえ。お構いなく」
「何の用でしょうか?」

 美鈴がお茶を断り、小悪魔が本題を訊く。
 
「……そうね」

 咲夜はうなずいた。
 
「今、5月よね」
「は?」
「はあ」

 出てきた言葉があまりに当たり前すぎて、2人は間抜けな返答をしてしまった。
 確かに、今は5月である。
 
「なのに外は吹雪……。いくらなんでもおかしいと思わない?どうして、春にならないの
か……」

 窓のほうを見ながら咲夜は言う。
 
「あ……あー、そういうことですか」
「そ、そうですね」

 ようやく2人は咲夜の言葉を理解した。寒くて頭の中枢まで凍っていたのだろうか。
 
「そうですよねぇ。もう5月なのに吹雪って」
「春が遅れることはあっても、ここまで極端なことはなかったですよ。確かにおかしいと
思います」

 美鈴と小悪魔はそれぞれうなずく。
 
「ほんともう寒くって。咲夜さん、いいかげん詰め所の冷暖房見直してくださいよぅ」
「やっぱりそうよね。異常気象の一言で片付けられるようなものじゃない」
「スルー……ですか」

 美鈴が床にのの字を描いていじける。しかし咲夜は、それさえも無視して話を続けた。
 
「少なくとも、自然現象じゃない。人為的なものと考えたほうがいいわ。誰かが幻想郷か
ら春を奪ったか……」
「……あるいは、冬をばらまいたか。パチュリー様もそれはおっしゃってました」

 咲夜の言葉を小悪魔が受ける。
 以前、小悪魔もパチュリーに同じような問いかけをしたことがあった。暦的には春にな
ってなければならないはずが、いまだ大雪続き。不思議ですね、と。
 小悪魔は何気なく訊いたつもりだったが、主のほうは真剣な表情で自分の仮説を展開し
た。『どっかの誰かが幻想郷の春度を一箇所に集めてるんでしょう。でなきゃ冬をばらま
いたか……』。
 小悪魔の言葉に、咲夜はうなずいた。
 
「パチュリー様がおっしゃるなら、間違いはないわね。ありがとう」
「あの……。それで、私たちは何をすれば……」

 結局本題に入っていないことに気づき、小悪魔が再度たずねる。咲夜も今思い出したか
のような表情をした。

「そうそう。それで、いい加減豆炭と珈琲豆が切れそうなのよ。こう雪が続いちゃ洗
濯物も乾かないし、何より春が来ないことそのものが嫌ね。だから……」

 咲夜は殺気のこもった視線で美鈴を立ち上がらせた。そして、一度切った言葉の続きを
つむぐ。
 
「だから、私のほうからうって出るわ。燃料が尽きる前にこの永い冬を終わらせるこ
とにしたの」

 咲夜は窓の外を見た。この白銀の世界にいるであろう黒幕を睨みつけているのか。雪の
淡い照り返しによって、咲夜はよりいっそう凛々しく見えた。

「おぉー。ついに行くんですか咲夜さん。がんばってください。いやほんと」

 大真面目で美鈴が感嘆する。その言葉は4分の1が激励、残り4分の3は懇願で出来て
いるように思えた。

「ありがとう。でも、仮にも私はメイド長だからね。あまり留守にするわけにはいか
ないのよ。一応半日くらいで終わらせようとは思ってるんだけど……」
「犯人の目星はついてるんですか?」
「ううん。だから、もう少しかかるかもしれないわね」

 小悪魔の質問に、咲夜は首を横に振った。
 
「そこであなたたちに、私がいない間メイド長の代理をやってほしいの」
「はあ」
「はい」

 その口調があまりにも自然すぎて、最初は2人ともそれが頼みごとだと認識できなかっ
た。なんとなく生返事をしてから脳がその内容を認識するのに、たっぷり5秒はかかった。

「………………」
「え?」


「ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜!!?」


 紅魔館を、絶叫の二重奏が覆った。







「いやいやいやいや待ってくださいよ咲夜さん!!いくらなんでも唐突過ぎですって!!」
「そりゃそうでしょ。昨日決めたんだもん」

 面白いくらいの狼狽っぷりを見せつける美鈴に、咲夜はしれっと返答をよこす。今まで
の前振りから考えるととてもそうは思えないのだが、咲夜の言葉は何でも本当に聞こえる。
咲夜の冗談に気づけるのは咲夜よりも立場が上の者か、お気楽に日々を過ごす巫女と魔法
使いくらいだった。
 とりあえず、咲夜が春を取り返しにいくというのは本当だろう。となると当然紅魔館で
はメイド長の代理が必要になる。それに抜擢されたのが小悪魔と美鈴だ。咲夜の言葉を反
芻しつつ、独自でもなんでもない考察を加え、ようやく2人は咲夜が冗談を言っているの
ではないことを認識した。ここで第1段階。

「な、なんで私たちなんですか?」

 そして第2段階。訊きたいことが山ほどある。その山を平らにしなくてはならない。美
鈴が質問をした。

「メイド長の代理といっても深く考えなくていいの。掃除とかの統括は副メイド長に
任せるから。あなたたちを選んだのは、私しかやってない仕事をやってほしいから」
(咲夜さんがやらせることだから、きっといつもの仕事の3倍くらい大変なんだろうなあ)

 すこん。

 咲夜が2人に質問に答えて1秒後、美鈴の帽子が後ろの壁にすっ飛んでいった。なんと
なく壁に帽子が掛けてあるようにも見えるが、そこからにょっきりとナイフが生えている
ところからそうでないと否定できる。どちらかといえば画鋲とカレンダーといったところ
か。カレンダーはその反対側にあるのだが。

「……私、何も言ってませんよ?」
「……なんとなく、失礼なことを考えたような気がしてね」

 美鈴と咲夜は互いに引きつった笑みを交わす。しかし美鈴のほうは、冬とは思えないほ
どの汗をかいていた。気持ちとしては3回くらい死んだのだろう。

「……話がそれたわね。それで、私の仕事なんだけど」

 一度大きく息を吐き出し、咲夜は2人を見据えた。
 
「基本的にはお嬢様のお世話ね。食事やお茶、話し相手になる等。詳細は後で教えるけど、
それが出来そうなのはあなたたちしか思いつかなかったのよ」
「そう、なんですか?」

 よく分からないといった風に小悪魔が訊き返す。美鈴もうんうんとうなずいていた。
 
「私がいなくなるということはお嬢様……フランドール様も含めて、その相手がいなくな
るということよ。長くても1日とはいえ、お嬢様に他の使用人と同じ食事をしてもらうわ
けにはいかないわ」

 紅魔館の住人は食堂で食事を取っている。しかしそれはあくまで使用人用。レミリア、
フランドール、咲夜、パチュリーの4人の食事は咲夜が作っている。大衆用の食堂料理よ
りも咲夜が心を込めて作った料理のほうが美味しいのは火を見るよりも明らかだ。小悪魔
と美鈴はごくたまに咲夜の作ったケーキやクッキーをもらっているが、絶対誰にも渡した
くなくなるほど美味しいのだ。
 確かに、仮にも館の当主とその関係者に「味より量」な食事を強制するのは失礼を通り
越している。とても納得のいく説明だ。

「食事のほうは美鈴、あなたに頼むわ」
「私?」

 突然の起用に、面食らった表情で美鈴が自分を指差す。
 
「私、咲夜さんみたいに美味しいのは……」
「謙遜しなくていいわよ。私に中華料理の作り方を教えてくれたのは誰だったかしら?あ
れはお嬢様にも好評なのよ?」

 咲夜はにっこりと美鈴に微笑む。その魅力的な微笑に、美鈴は照れてうつむいてしまった。
 
「さすがに中華ばかりというわけにはいかないから、そのあたりはしっかりと考えてね」
「は、はい……」
「私はその手伝いですか?」

 小悪魔も美鈴の腕は知っている。中華は作れないが、そのサポートくらいなら出来るだ
ろうと思った。
 
「そうね、お願いするわ。けどあなたにはそれ以外に、お嬢様のティータイムのお世話を
してほしいのよ」
「い!?」

 美鈴以上に面食らった顔になる小悪魔。
 それはそうだ。レミリアのティータイムはある意味美鈴以上の難仕事なのだ。
 まず第一に、そこにはレミリアと従者の2人しかいない。それだけで普通は息がつまる。
吸血姫であるレミリアは、ただそこにいるだけで荘厳な雰囲気を場に与えることが出来る。
パチュリーを交えれば幾分リラックスしたものにはなるものの、パチュリーが承諾しなけ
ればそれは成り立たない。
 レミリアと2人きりのお茶会は、美しさと厳かさと華やかさと上品さとこれ以上ないく
らいの優雅さをその空間にたたえている。その上で瀟洒であり、洗練されており、そして
完全であるのだ。その雰囲気を作れるのは永遠に紅い幼き月であり、完全で瀟洒な従者な
のだ。どちらか一方でも欠けることは許されない。主の欲するものを理解し、授けられる
二言三言に完璧な答えを返す。それを、十六夜咲夜の他に誰が出来るというのだろうか。

「……無理です」

 全神経を思考に回し、自分に出来るかどうかを検証して、答えを出すのに時間は要らな
かった。
 絶対に無理。確実すぎる。レミリアが日光に当たったら灰になるくらい確実だ。小悪魔
の目の前にいるのが咲夜であるくらい確実だ。そして、美鈴が1人では魔理沙を止められ
ないくらい無理だ。
 が、しかし。
 小悪魔がそのセリフを言い終わらないうちに、壁からナイフが生えていた。直すのが大
変そうだな、などと思えたのは、それが自分に向けて放たれたものだと認識できなかった
からだった。

「その言葉……死んだくらいじゃ取り消せないわよ?」
「だ……だだだだだってー!」

 がすん。

 2本目。どういうわけかナイフは小悪魔の鼻先をかすめ真横に飛んでいった。一瞬後に
咲夜が空間を捻じ曲げたことを理解する。
 言い訳も許されない。咲夜の完全ぶりは立場にも現れていた。
 
「あなたはお嬢様のお茶会に参加したことないから仕方ないとは思うけどね。けど、パチ
ュリー様にはお茶を出してるんでしょう?あなたの淹れる紅茶は美味しいとパチュリー様
はおっしゃってたわ」
「そ、それは……」

 ただ、親しみのある人だから思いやりを持ってつきあえるだけである。紅魔館のほとん
どのメイドはレミリアに対して畏怖を感じている。小悪魔もそれに該当するのだ。対峙す
る者を魅了する吸血鬼は、魅力的ながらも恐ろしいのだ。パチュリーとはわけが違う。

「とにかく、あなたにはティータイムでのお嬢様の相手をしてもらうわ。お嬢様には話を
通してあるし、そんなに緊張しないでいいわよ。お嬢様も鬼じゃないわ」

 吸血「鬼」だろう。鬼じゃないか。血を吸う鬼じゃないか。その薄い胸に全力で突っ込
みを入れたい。命を賭してでも。
 でもやっぱり命は惜しいのでぐっと耐え、泣きそうな顔で小悪魔は承諾した。
 
「とりあえず基本的なことはそれだけ。あとはフランドール様が出てくるかもしれないか
ら、そのときはパチュリー様と協力してね。1日は我慢してもらって」
「……咲夜様がいないと、戦力的にものすごく不安なんですが」
「頑張ってね。代わりにもならないけど美鈴がいるから」
「ひど……」

 咲夜から言い渡された指令は、普段の大変さの3倍くらいでは済まなさそうだった。2
人はがっくりとうなだれる。

「でも咲夜さん、基本的と言われても、具体的にどうすればいいんですか?咲夜さんの代
理なら、大雑把には出来ないですし……」

 完全で瀟洒な咲夜だが、その影では想像も出来ないほどの苦労と努力をしているに違い
ない。それと同等とまではいかないまでも、代理というからには最低限その役目を全うし
なくてはならないだろう。いずれにしろ2人とも紅魔館内での仕事は受け持ったことがな
い。詳しく訊いても訊き過ぎるということはなかった。

「ええ、それはこれから説明するわ」

 メイドの統括は副メイド長に任せたと言ってはいたが、レミリアの部屋や地下室の掃除
などは咲夜が担当しているので、結局2人のやるべきことは大量にあるのだった。

「あの、ちなみにいつ頃出られるんですか?」

 その中で、ふと小悪魔が質問した。
 
「明後日」

 即答。シンプルで素敵なくらい分かりやすい。
 だが、その内容には無数の突っ込みどころがあった。
 
「春は私が取り返しに行きますから、咲夜さんは残ってください!!」
「いや、私が行ったほうが早いから」
「今日と明日でそれだけの内容をマスターできるわけないじゃないですか!!」

 ずがん。

 回を増すたび、壁にナイフの刺さる音が痛そうになってくる。
 
「……出来る出来ないの問題じゃないの。……やる、のよ」

 容赦なし十六夜咲夜。目を細め、にやりと嫌な笑みを浮かべる。先ほどの女神のような
微笑はいずこへ。
 冷淡な笑み。冷酷な言葉。冷徹なナイフ。
 館外以上の寒冷地が発見された。
 皮肉にも、それは暖かい館内に存在していたのだった。


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