小  説

15-一方その頃 〜東方妖々夢 第2話

「それでは、いってきますわ」
「咲夜、頼んだわよ」
「いい加減、自分の部屋にこもるのも飽きてきたわ」
「よく分からないけど、春を見せてねー」
「お任せください。必ずや、春を取り返してきますわ」
「…………気をつけて」
「…………がんばって」

 紅魔館の入り口。レミリアたち5人に見送られ、咲夜は吹雪の中へと飛び立っていった。
 
「さむー。早く戻りましょう」
「そうね。貴女たちが代理だったわね。早速だけどお茶を用意してくれるかしら?」
「……あ?あ、はひゃいっ!」

 初っ端からぐったりしていた小悪魔と美鈴だったが、早くも指名を受け慌てて立ち上が
った。お茶は小悪魔の仕事である。パチュリーとフランドールも一緒に行くということに
なり、紅魔館に残った5人は中へと戻った。

 小悪魔と美鈴にとって、この2日間は地獄としか言いようがなかった。
 常に完璧を求める咲夜の教育のおかげで、紅魔館のメイドのレベルは非常に高い。しか
し、そこに到達するまでにも相当の修練と能力が必要になる。いつの間にか死んでいても
気づかれない。弱者に情けはかけられないのだ。
 だが2人はその長く過酷な教育を、たったの2日間に詰め込まれたのだ。1度で全てを
成功させ、2度目にはそれ以上の完璧さを実践しなければならない。少しでも質が悪いと
容赦なくナイフと弾幕。しかも時を止めるから逃げられない。体が資本なのは咲夜も分か
っているからダメージは少ないが、痛いものは痛いのだ。2日間それを続けさせられ、そ
して今日が本番。
 分かっている。これが地獄の本番だということは。
 美鈴は副メイド長に仕事の確認をするため集団から離れることになった。つまり小悪魔
1人でこの3人を相手するわけである。想像するだけで胃が痛くなりそうだった。
 応接室で3人が座る。小悪魔は、咲夜に教えてもらったとおりにお茶を淹れた。自分が
パチュリーに淹れているのと大して変わりはないが、相手が相手だ。そそうのないように
と考えるとやっぱり緊張して手が震える。

「……お、お持ちしました〜」

 3人にそれぞれ紅茶と、咲夜の残しておいたクッキーを出す。後は3人の邪魔にならな
い位置に立つ。

「……おいしい。温まるわね」

 紅茶をひと口含み、レミリアが言う。
 
「あ。あ、ありがとうございます」
「パチェの言うとおりだわ。貴女も紅茶を淹れるのは上手ね」

 肩越しにレミリアは小悪魔を見つめる。それだけでなぜか、その瞳に吸い込まれそうに
なった。慌てて小悪魔は気を持ち直す。やはりレミリアは、魔力のような魅力を携えてい
る。危うい美しさに、これからも付き合わなければならないのだ。

(……もつかなあ、私)

 とても心配で、そして不安だった。今自分は地獄の1歩目を踏み出したのだろう。どこ
までいけるか、どこで終わるか、先はあるのか。
 3人に聞こえないように、小悪魔はそっとため息を漏らした。
 とりあえず、これからやらなければならない仕事を頭の中でリストアップしておく。
 メイド長の仕事を教わって知ったことは、仕事量が格段に増えたということだった。美
鈴は侵入者が来たら相変わらず出撃しなければならないし、たとえ1日といえど、小悪魔
も図書館の掃除をやらないわけにはいかない。つまり、普段の仕事に加えてメイド長の仕
事もこなさなければならないのだ。
 本来ならこんなところで突っ立っている暇もないのである。しかしこれも仕事の1つ。
図書館の掃除をしたいのは山々だが、今はじっと耐えるしかない。これは想像以上に辛い
ことだった。

 しばらくの談笑の後、フランドールが地下の部屋に戻ることになった。その付き添いと
して、小悪魔が同行する。

「春って、どんななの?」

 その途中、フランドールが小悪魔にたずねる。
 
「う〜ん。どう言えばいいんでしょうか……。そうですね、とても暖かいですよ」

 目線を中に漂わせ、しばし思案した後、とりあえず思いついたことを言ってみる。
 
「あったかいの?館の中はいつもあったかいけど?」

 『暖かい』の意味合いが違うことに気づかず、フランドールは首をかしげた。
 495年間一度も紅魔館の外に出なかった通称妹様。地下から出ることはあっても、外
の風景を見ることはほとんどなかった。ずっと館の中で過ごしてきたのだから、季節とい
う概念そのものがよく分かっていないのだろう。
 
「そうですね……。百聞は一見にしかずと言いますし、直接見たほうが早いと思いますよ」
「え〜。今知りたい」

 フランドールが口を尖らせる。小悪魔は苦笑した。
 
「まあそうおっしゃらずに。明日になれば満開の桜を見ることができますよ」
「魔理沙も来るかな?」
「もちろん来ますよ。春になって、魔理沙さんが外に出ないわけはありませんからね」

 春はみんなが外に出たくなるような季節です。そう付け加えて、小悪魔とフランドール
は地下へと下った。

「でも、それまでヒマだなあ……」

 部屋に戻って、フランドールが口を開いた。
 
「少しの間我慢してください。全ては明日からですよ」

 小悪魔はフランドールに微笑んだ。
 しかしフランドールは、もうそんなことはとっくに忘れてしまったらしい。何を思った
か、じっと小悪魔を見つめる。
 あ、まずい。本能が理性に働きかける前に小悪魔は理解した。
 
「それじゃフランドール様、ごゆっく」
「弾幕ごっこしよ」

 無邪気なまでに満面の笑顔。フランドールは逃げようとした小悪魔の袖を掴んで離さな
かった。振りほどこうにもしっかりと握られていて逃げられない。

「だって、明日までヒマなんだもん」
「………………!!!」





 すごい悲鳴が地下から聞こえてきた。





 2分後。
 紅魔館の廊下を、ボロ雑巾が這いずり回っていた。よく見なくてもそれは小悪魔なのだ
が、ゴミと間違えられるくらいにひどいありさまだった。散々な2分間だったことは、小
悪魔のその容姿が語っていた。

「ああっ!いた!」

 瀕死の小悪魔を見つけ、美鈴が駆け寄る。
 
「……た、隊長」

 辛うじて意識があるようだ。美鈴は小悪魔を抱き上げた。
 
「な、なんか絹を裂くような悲鳴が聞こえてきたから探してたんだけど、何があったの?」
「た、隊長。私……」
「え?」
「……よけきりましたよ。『そしてだれもいなくなるか?』……」

 にやりと笑って、小悪魔は親指を立てた。そして、何かを遂げたような満足そうな笑顔
を浮かべ、がくりと墜ちた。
 それだけのパフォーマンスがあれば、もう何が起こったのか美鈴には察しがついた。
 
「そっか……よくがんばったね。お疲れ様」

 慈しむように美鈴は小悪魔を抱きしめた。自分よりも確実に弱い少女が、紅魔館最強の
吸血鬼と弾幕り合ってきたのだ。心身ともに極限状態なのだろう。
 今はただ、おやすみなさいと言ってあげたかった。
 
「でもね!私たちこれから仕事だから!お願い起きて!寝たらなんかそのまま死にそうだ
しさ!」

 ぺしぺしと美鈴は小悪魔の頬をひっぱたく。おやすみなさいと言ってあげたいのは山々
だが、今小悪魔に休まれるとそのしわ寄せが全て美鈴に行く。それだけは避けたい。避け
なければならない。
 無理矢理に小悪魔を叩き起こし、美鈴はレミリアたちのお茶を片付けにいった。





 一方その頃。
 十六夜咲夜は、自称黒幕に頭がおかしいと言われていた。





 早くもボロボロになってしまった小悪魔に、あろうことかレミリアは大笑いしてくれた。
鬱になりながらも2人はレミリアの部屋の掃除を終わらせた。

「さてと、次は……」
「……フランドール様のお部屋、ですね」

 2日間の研修中、フランドールの部屋の掃除だけは2人はやらなかった。本番前にフラ
ンドールに壊されては元も子もなかったからだった。

「そ、それじゃあ隊長、がんばってください」
「うわ!そこで私見捨てる気!?」
「だって私さっき行ってきたばっかりですよ!?」
「だからって逃げないでよ!私だってすごい不安なんだから!」

 地下へと通じる階段の前で、2人は言い争っていた。たとえ研修であってもフランドー
ルの部屋など行きたくはなかったというのに、今はどうしても行かなければならないのだ。
普段は咲夜がフランドールの部屋の掃除をしているというが、一体どうやっているのだろ
う。訊くのを忘れていた。

「2人で行こうよ!」
「ヤですよ!死にたくないです!」
「ここまできたら一蓮托生よ!」
「いやー!隊長の人でなしー!」
「そのとおりよ!私妖怪だもん!」

 美鈴が自慢の腕力で小悪魔を引きずっていく。小悪魔はなんとしてでも逃れようと必死
だったが、美鈴から逃れることは出来なかった。結局、階段に打ちつけられる尻が痛いの
で、小悪魔は自分の足でフランドールの部屋へと向かうことになったのだった。
 2人はびくびくしながらフランドールの部屋まできた。どちらがドアを開けるかでまた
 もめたが、ノックをした後美鈴が恐る恐る開けた。
 
「……フランドール様〜。お部屋のお掃除に来ました〜」

 猫なで声で美鈴が中に入る。小悪魔もそれに続いた。
 
「んー」

 レミリアと比べると、フランドールの部屋は割合質素である。物を入れてもすぐに壊し
てしまうからなのだが。
 フランドールは壊れかけたベッドの上に寝そべっていた。別段何をするわけでもなく、
おどおどと掃除を始める2人を見つめていた。
 掃除中は始終空気が重かった。フランドールが何もしてこない分、爆弾を抱えているよ
うで怖い。刻一刻と神経がすり減ってゆく。1分が1年にも感じられる。
 こんなところにいつまでもいるのは嫌だ。多少雑でもいいから手早く終わらせて逃げ出
そう。小悪魔は美鈴に目でそう伝える。美鈴も同じような視線を送っていた。2人は黙っ
てうなずく。アイコンタクト成立だ。今のが一番他人と共感できた瞬間だと思った。

「……ねえねえ」
「はいぃぃっ!!?」

 そろそろ終わりというところで、ベッドの上のフランドールが不意に声をかけた。突然
のことで2人とも飛び上がる。2人はずしゃっと足音をそろえ、フランドールのほうに向
き直った。

「な、何でしょうか?フランドール様」
「……んーとね」

 フランドールは顎に指を当てて考え込んだ。言おうとしたことを忘れたのか。
 待つこと数秒。思い出したらしい。フランドールの顔が輝いた。

 ばたん。

「遊んで」
 その笑顔は、もうトラウマ以上の何かだ。見た瞬間、その輝きが網膜に達した瞬間、信
じられない瞬発力を発揮して小悪魔はフランドールの部屋を出た。フランドールが用件を
伝える前に。
 今の自分は二百由旬も一瞬で駆け抜けることができるかもしれない。根拠もなく小悪魔
はそう思った。
 ドアを閉め、自分の全体重をそこにかける。中の悪魔が出てこないように。自分は番人
 だ。災いを外に出さないための番人なのだ。
 その扉を何者かがどんどんと叩く。そういえば美鈴はどこだろうか。姿が見えないが、
案外自分より早く外に出ているかもしれなかった。
 けれど、それが現実逃避だということくらい、小悪魔も十分理解していた。
 
「開けてー!出してー!」
「ちょっとー、さっきのはすぐ逃げちゃったからつまんないの!遊んでよー!」
「ぎゃあちょっと待って開けて開けて開けて開けて開けて!!!」
「隊長っ……!」

 ああ、番人というのはこういう気持ちなのか。小悪魔は美鈴が携わっている仕事の心構
えを理解した。
 何があってもそこを通してはいけないのだ。どんな用だろうと、誰が来ようと、通して
はいけない。その人の事情がどれだけ哀れであってもだ。
 それが番人の使命であり、存在意義であるのだ。
 
「隊長…………グッドラック!!」

 だからせめて自分にできるのは、次は通れたらいいねと皮肉な言葉をかけることだけだ
った。

「人でなしいいぃぃぃぃぃぃぃぃ……!!」

 いいもん。私人間じゃないもん。お互い様だもん。ぎゅっと目を瞑って、小悪魔は良心
の呵責に耐えた。
 一際大きな叫びが聞こえてから、フランドールの楽しそうな笑い声と弾幕が撒き散らさ
れる音が響いてきた。それを聞くのは辛すぎて、小悪魔は必死になって階段を駆け上がっ
た。どうか美鈴が無事であることを祈って。
 とりあえず、図書館の掃除をしに行こう。あくまで現実逃避を続ける小悪魔だった。





 一方その頃。
 紅魔館のメイドは、猫が炬燵で丸くなるのは迷信だと教えられていた。

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