小  説

16-一方その頃 〜東方妖々夢 第3話

 夕刻。
 図書館の掃除を終えた小悪魔は、美鈴とともにレミリアたちの夕食を作っていた。ちな
みに美鈴は、『過去を刻む時計』までボムなしの無傷でクリアしたそうだ。恐るべし紅魔
館の門番。そのあとボコボコにされたのは言うまでもないが。
 ほうほうの体で地下室から出てきた美鈴は、小悪魔を叱る気力もないようだった。一度
詰め所に戻って手当て及び休息をとってから夕食の支度を始めた。このあたりは尊敬すべ
きだろう。
 それはそれとして夕食である。骨の髄までフランドールの恐ろしさを再認識した美鈴の
サポートは大変だった。何を言っても何を訊いてもうわの空。小悪魔は中華料理を作った
ことはないからどこがどう間違っているのか分からない。にんにくを使ったり、スープに
トリカブトを入れそうになったときは流石に止めたが、果たして正しい料理を作れている
のか不安で仕方がなかった。それ以上に、どうして咲夜の使うキッチンにトリカブトがあ
るのか疑問だが。
 そして、料理も佳境に入った頃、またしても事件が起こる。
 既にかなりいっぱいいっぱいな2人。幻覚を見てもおかしくない。だが精神的に追い詰
められているせいか認識するものが真か偽かはともかく、感覚だけは研ぎ澄まされている
ようで、普段は気づかない音や注意しない物にも反応できた。
 だが、それが逆に災いしてしまったのだ。

 小悪魔の視界を、何か黒いものが動いていった。
 瞬間的にそれが何だったかを直感で理解し、その方向を向く。だが、そこには既に動く
ものなどなかった。

「隊長……」
「何……?」
「今、見ました……?」
「……見たわ」

 美鈴の動きも止まっていたからなんとなく分かってはいたが、小悪魔は一応確認を取っ
た。返ってきた言葉は、今小悪魔が見たものが現実に存在していたということを表してい
た。

「アレですよね……」
「アレ、よね」

 そう、アレだ。カサカサと素早く動き回ってはこちらを翻弄し、その上で的確すぎる攻
撃を放ってくる。病気の媒介という副作用までも併せ持つ強力な攻撃。倒しても倒しても
そいつは何度だってやってくる。無限に現れる。そしてまた、数々の被害を拡大していく。
主にキッチンなどに出没する、衛生上食品最大の黒い敵。

「マリサだー!!」

 小悪魔と美鈴の叫びがかぶる。
 一般的な呼び名は「ジェニー」などが定番だが、紅魔館では「マリサ」あるいは「キリ
サメ」と呼ばれている。由来があの霧雨魔理沙にあるのは明白だった。
 実は、出没すること自体は驚くことではないのだ。いかに掃除を徹底させているとはい
え、大量の食料や狭いスペースのある紅魔館では隅々まで完璧にすることは出来ない。広
大な館である以上どうしてもそこだけは妥協せねばならず、その上で最良の防衛術を施行
するしかない。今までも食堂のほうでは何度か出ているのだ。被害を出していないだけで
ある。
 だが、今は出没したところが問題なのだ。ここは咲夜専用のキッチンである。咲夜はこ
 こで自分を含む4人の食事を作っているのだ。衛生面では紅魔館最高の場所である。こ
こで「マリサ」が出没したという事実が、2人を際限なく驚かせた。
 咲夜が実は掃除をサボっていたのだろうか。ありえない。どこをどう見ても立派なまで
にぴかぴかなキッチンだ。隅のほうにも埃1つ落ちていない。
 どこかから紛れ込んできた可能性はある。たとえば排水溝など。難しい推理だが、決し
てゼロであるとは言えない。とにかく、「マリサ」は出た。
 そこで2人が取らなければならない行動は何か。決まっている。駆除だ。
 
「流石にこんなこと、お嬢様方に知られるわけにはいきませんよね」
「いや、それ以上に咲夜さんに知られるわけには……。咲夜さんは自分が完璧なのを知っ
てるから、出るなんて言ったら多分私たちのせいにするわよ」

 美鈴の言葉はもっともである。間違いなく今退治しておいたほうがいいだろう。鬼の居
ぬ間の洗濯だ。小悪魔と美鈴は、対マリサ用の策を考え始めた。
 1匹見つけたら30匹はいると考えろ、というのが食を司る者の格言であり、また掟で
もある。すなわち、1匹1匹探して潰していくのは非常に効率が悪いということだ。何と
かして同時殲滅を謀らなくてはならない。
 しばらく考え込んでから、小悪魔と美鈴は同じ結論にたどり着いた。
 それすなわち、弾幕。
 キッチンの隅という隅まで弾幕を張りめぐらし、一気に片付けてしまおうという考えだ
った。だが小悪魔の大玉とクナイでは備品に甚大な被害が発生する。したがって、美鈴が
使うことになった。

「慎重にお願いしますね。お皿1枚でも割るとまずいですよ」
「そんなことは百も承知よ。集中するから黙ってて」

 この部屋のどこかにいるであろう害虫を殲滅せんがため、美鈴は気を練った。やがて、
ごくゆっくりとした弾幕を展開し始める。弾の1つ1つは手の届かないところへと滑り込
んでいく。
 無音の時間が過ぎてゆく。息詰まる沈黙。


 突如、2人の後ろで小さな爆発音がした。

「やった!」

 意外にもそれは物陰に隠れておらず、床の真ん中ではじけ飛んで死んでいた。
 
「成功ですね」
「とりあえずはね。あとで時間ができたらもう一度やっとこう」
「はい」

 なんとか大事には至らず、2人は再び夕食を作り始めた。今日、初めて安堵という感情
を得たような気がした。

「お嬢様、夕食をお持ちしました」

 小悪魔と美鈴は夕食を台車に乗せ、レミリアの部屋へと入った。同じものを、あとでパ
チュリーとフランドールにも持っていくことになっている。咲夜と違ってその全てができ
たてとは言えないのが悔やまれるところだ。

「ご苦労様。早速いただくわ」

 レミリアの食事は主に人間の血なのだが、それさえ入っていれば普通の料理であっても
構わない。むしろその他色々に味わうことができるから、レミリアはたびたびそういった
注文をしていた。

「咲夜が貴女の中華は美味しいと言っていたから、期待はしているわ」
「ありがとうございます。腕によりをかけましたから、びっくりするほど美味しい……と、
思います」

 断言できないところに美鈴の気弱さが現れている。苦笑しながら、レミリアは食べ始め
た。
 食べ終わるまではそばにいろとの咲夜の命令だ。2人はレミリアから少し離れたところ
でに立つことにした。

(マリサが見つかったときはどうしようかと思いましたけどね)
(とりあえずは問題なしね。フランドール様もこの調子ならいいんだけど……)

 ぼそぼそと話す。警戒すべきはやはりフランドールだ。食事そっちのけで弾幕ごっこを
やりたがらないか、不安で仕方がない。

「美味しいわね」

 少々気の滅入っていた2人に、レミリアが声をかける。
 
「あ、はい。ありがとうございます」
「けど面白いわね。中華って、こういうものも使うんだ」
「は?」

 レミリアは、レンゲの上にそれを乗せて2人に見せた。
 
「………………」
「どういうことかしら?」

 それは、あえて一言で表すならば、「マリサ」だった。
 
「………………」
「………………」

 息詰まる沈黙再び。メイド長代理は、明らかに部屋の時間を止めていた。



 隊長。
 何かしら。
 どうしてこんな摩訶不思議な現象が起こったんでしょうね。
 さあ。でも、ここは幻想郷だもの。不思議なことが起きても不思議じゃないわ。



 そう。ここは幻想郷だ。それは2人の前に確実に広がっている。
 紅よりも紅い、紅色の幻想郷だった。







「………………」
「………………」

 紅魔館の使用人食堂。そこに、2つの死体が転がっていた。正確にはきちんと生きてい
るのだが、何か大事なものを色々と失くしているように見えた。
 紅髪の2人はもはや真っ白だった。メイド長はまだ帰ってこない。
 どうして自分たちはこんな仕打ちばかり受けるのだろう。ばちか。ばちなのか。特に悪
いことはしていないのにばちを受けているのだろうか。
 こんなにもメイド長が恋しいと思ったことはなかった。春なんかどうでもいい。早く紅
魔館に帰ってきてほしかった。

「……ああ、そろそろ行かないと……」

 よろよろと小悪魔が立ち上がる。もうすぐレミリアの夜のティータイムだった。
「がんばってね……」
囁きのように小さな声で美鈴に送り出される。小悪魔のほうもまともに答えることができ
ず、なんとか右手を挙げるだけだった。
 広い廊下をふらふらになりながら小悪魔はレミリアの部屋へ向かう。なぜ自分はここに
いるんだろうとか、哲学的な考えが浮かぶ。現実逃避もいいところだった。それくらい嫌
になっていた。
 少し歪んで見える廊下を飛んでいると、奥のほうから足音が聞こえてきた。
 
「?」

 紅魔館にメイドはいくらでもいるが、夜になるとそのほとんどが仕事を終えて詰め所に
戻るので、廊下を行く者は数えるほどにしかいなくなる。まして、飛ばずに歩くなどと。
 さらに奇妙なのは、その足取りがやけにおぼつかないところだ。ぱたぱた、ぽてぽて。
立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩きを繰り返しているようだった。何かを探してい
るようにも思える。
 小悪魔はその場に着地して、足音の方向をじっと見つめた。明かりが小さくてよく見え
ない。こういうときは無闇に動かず、相手が近づくのを待っていたほうがよい。
 目をこらし、闇の中を歩く人物を見据える。
 
「……お嬢様?」

 果たして、そこから出てきたのはレミリアであった。しかし一体何をしているのだろう。
レミリアはきょろきょろとあたりを見回しながら小悪魔に近づいてきた。

「あ……」

 そこでようやく、レミリアは小悪魔に気が付いたようだ。
 
「どうなさったんですか?これからお茶ですからお部屋に行こうとしていたんですけど……」
「……さくやは?」
「は?」
「さくやは……どこ?」

 レミリアは小悪魔を見上げる。その瞳は涙で潤んでいた。
 
「お、お嬢様?」
「どうして、さくやはいないの……?」
「い、いないも何も、咲夜様なら春を取り返しに……」

 様子がおかしい。レミリアは咲夜を確かに見送っていた。いくら500年生きているとはいえ、そのことを半日で忘れるようなボケた頭は持ち合わせていないはずだ。レミリアに脳は必要ないらしいが、この際それはどうでもよかった。
 
「さくや……さくやぁ……」

 今にも泣き出しそうな顔になるレミリア。それを見て、小悪魔は違和感の正体に気づいた。しばらく見ていなかったから忘れていた。
 
「…………た」
「うええぇぇ……さくやぁ……」
「た、た、た、たたたた隊長ー!!レミリア様が『れみりゃ』化してますー!!」

 今のレミリアはレミリアであってレミリアではない。通称『れみりゃ』だ。とはいえ、これは同一人物である。れみりゃとは人物を指すのではなく、レミリアの状態のことを指す。
 どういうわけか、レミリアはときたま幼児退行を起こし、本来の外見的年齢か、それ以下の精神年齢になってしまうのだ。呂律もうまく回らず、ゆえに『れみりゃ』と呼ばれる。
 突然のことで小悪魔は混乱した。美鈴を呼べたのは奇跡に近かった。食堂のほうから驚いた声が聞こえ、ばたばたと美鈴が走ってきた。
 
「さくや、なんでいないの?れみりゃのこと、きらいになったの?」
「うわほんとだ!」
「ど、どうしましょう!」
「ちょっと待ってよ!今日は新月じゃないはずよ!何で……」

 美鈴の言うとおりだ。れみりゃは新月の日に出現する可能性が高いとも言われているが、今日は新月ではない。既に過ぎてしまっている。
 
「さくやあ〜」
「……ひょっとして、咲夜様がいないから……?」
「あ、ありうるかも……」

 れみりゃは常に咲夜にべったりだった。もしかしたら、咲夜がいないことがれみりゃを引き出してしまったのかもしれない。
 しかし、今は原因などどうでもよかった。目の前の事態をなんとしてでも迅速かつ的確に処理しなければならない。
 
「おじょ……じゃなくて、れみりゃ様!咲夜さんなら春を取り返しに行ったじゃないですか!」
「でも、もうよるだよ……?」
「そ、それは……ちょっと遠いんですよ!春を奪った犯人が遠くにいるからでして!」

 どうせ真相など分かりはしない。とにかくれみりゃを泣かせてはいけない。泣く子と地頭には勝てないというが、そういう問題でもなかった。あわあわしながら小悪魔と美鈴はれみりゃを泣きやませようとする。
 
「さくや、とおくにいっちゃったの……?」

 2人の言葉に何か甚だしい勘違いをしているれみりゃ。思考回路も幼児化しているため、会話が噛み合っているようで全く噛み合っていない。
 
「さくや……さくや……さ、く……うぇ」

 危ない。この状態は非常に危ない。もうすぐ臨界点だ。ああ、今突破した。もはや限界。エネルギー充填120%。
 
「うわああぁぁぁぁぁん!!さくやぁ〜!!」
「ああ!れみりゃ様落ち着いてくださ……だからスカーレットシュートのゼロ距離射撃はー!!!」







 一方その頃。
 悪魔に仕えるメイドさんは、色々なことを心配していた。

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