小  説

18-一方その頃 〜東方妖々夢 第5話

 メイドの言った内容は無視できるものではなく、小悪魔は飛び起きた。途端に立ちくら
みが起こるが何とか踏みとどまる。

「侵入者ですか!?」
「いえ、図書館から発生しているようです!」
「……何やってるんですか、パチュリー様」

 本来の主の行動を嘆く。
 
「どうしましょう」
「どうしましょうも何も、人を集めて迎撃してください!」
「いえそれが、ほとんどが館の修復にまわっていまして……」
「ああもうお嬢様……」

 今度は館の主の行動を嘆く。
 
「分かりました!私が行きます!美鈴隊長は!?」
「既に向かいました!」
「じゃあすいませんけど、オーブン見といてください」

 メイドをキッチンに残し、小悪魔は図書館へと向かった。近づくにつれ騒ぎ声が大きく
なる。
 
「パチュリー様!」

 いつものように薄暗い図書館の中を主のいるところへ飛んでいく。その途中、横から妖
怪が飛び出してきた。
 
「……っこの!」
「水符『ベリーインレイク』!!」

 迎撃に構えた小悪魔だったが、妖怪は背後から攻撃を受けてそこに倒れた。巻き込まれ
た本棚が大量の本と埃を散らす。

「あ」
「大丈夫?」

 そこにいたのはパチュリーだった。隣には美鈴もいた。今の今までパチュリーとともに
戦っていたのだろう。

「…………」
「ごめんなさいね。ちょっと魔法陣の展開を間違って……」
「パチュリー様、後ろ!」

 会話の途中だというのに、不躾な魔物たちが襲い掛かる。美鈴の声に振り向き、パチュ
リーは突っ込んできた魔物をかわした。

「土&金符『エメラルドメガリス』!!」

 その動作と同時にスペルカードを取り出し、魔物を一掃する。緑色に輝く魔弾が魔物た
ちを打ちのめしていった。魔物はまたも本棚を巻き込んで倒れ、消えていった。
 舞い上がる埃に辟易しながら、パチュリーと美鈴は小悪魔に合流した。
 
「何やってたんですか?」

 美鈴があきれた声でパチュリーに訊く。
 
「えっと、ちょっと魔力が必要だったから適当に大地のエネルギーを引こうとしたんだけ
ど、別のもの引っ張ってきたみたいでね」
「もう。怪我がなくて良かったですけど、そういうことには注意してください」

 後ろの本棚がどれほど倒れたのか分からない。掃除が大変そうだ。美鈴は素直にそう思
った。


「パチュリー様……」

 とそのとき、今まで黙っていた小悪魔が口を開いた。押し殺した声が2人の耳に届く。
そこには、小悪魔が普段使わない感情が含まれていた。
 まだ図書館の掃除はしていない。それどころかレミリアの部屋もフランドールの部屋も
だ。特にレミリアの部屋の掃除は妥協を許されない。早めにとりかかってれみりゃが起き
たときのケーキ作りのための時間を取っておきたかった。
 だというのに、どうしてこう次から次へと面倒ごとがなだれ込んでくるのだろう。ああ
もう、これではまるで嫌がらせだ。

「…………」
「どうしたの?」

 その違和感に気づき、美鈴が声をかける。しかし、小悪魔はそれには反応しない。
 小悪魔の拳が堅く握られていることに、2人は気づかなかった。


「……っ!誰が整理すると思ってるんですかっ!!!」


「ひっ!?」

 突然、小悪魔が激昂した表情で叫んだ。その勢いに、思わず美鈴は飛びすさった。
 一瞬、図書館内が静まり返る。迎撃や片付けに来たメイドたちの動く音も聞こえない。
 小悪魔が怒声で叫ぶことなど今までなかった。それも主パチュリーに対して。そのあり
えない出来事に、小悪魔を知る者は呆然としていた。

「本は無造作に並べてるわけじゃないんですよ!!?魔道書自体に魔力を持ってしまって
いるのが多いから、魔力反応を起こさないように整理しているんです!!整理法は私しか
知らないんですよ!!?」

 小悪魔の怒りは頂点にまで達して爆発していた。美鈴もパチュリーも何も言えなかった。
 全員が全員、頭の中が真っ白だった。
 
「こんなっ……こんなめちゃくちゃにしてっ……!この忙しいときに、余計なことしない
でくださいっ!!!」

 荒い呼吸をしながら小悪魔はパチュリーを睨みつける。まだ怒り足りないといった風だ
った。再び、館内に静寂が訪れる。

「……ち、ちょっと!何もそこまで言わなくたって……!」

 沈黙を破ったのは美鈴だった。しかし怒った小悪魔にどう対応してよいか分からず、狼
狽した声色だった。
 だがそれだけで十分だった。小悪魔は無意識に美鈴のほうを振り向いたが、その顔には
もう怒りの色は見られなかった。
 むしろ、自分が何をして、何を言ったかが分かってないようだった。
 
「え……」

 小悪魔は、美鈴とパチュリーの顔を交互に見る。表情はとっくに消え去っていた。
 今自分は、誰に対して何を言ったのだろう。
 もしかして、決して口に出してはならない言葉だったのでは。
 小悪魔の思考が止まる。それ以上は考えてはいけないことだった。しかし頭のどこかで
それを理解しようとしている。自分の言った言葉と、その相手と、そして今の状況と。

「あ……あ!」

 小悪魔の表情が崩れる。
 
「パ、パチュリー様!申し訳ありません!違うんです!私……こんな……!ちが……う
……ちがうんです……」

 謝ろうとするが言葉が出ない。もう何を言ってよいか分からない。取り繕うことなど出
来なかった。謝りながらも小悪魔はますます混乱していく。

「すみませ……う、うわああああああああああああ!!ああ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 言葉さえもつむげない。小悪魔はその場にうずくまって泣き出した。堰を切ったように
涙があふれる。混乱した頭は思考能力を奪い、ただただ後悔だけを小悪魔に与え続けた。

「ああああああああ!!ちがう!ちがうんです……!うああぁぁぁぁ……!!」
「ちょっ……」
「どいて」

 美鈴を抑えて、パチュリーが前へ出た。そして、泣き叫ぶ小悪魔の頭に手をかざし、呪
文を唱え始めた。

「……しばらく眠ってなさい」

 詠唱が終わると、急に小悪魔の体が墜ちた。その体をパチュリーが抱きかかえる。
 
「あの、何を……」
「眠らせただけよ。収拾がつかないしね」

 美鈴に手伝ってもらい、パチュリーは小悪魔を自室のベッドに寝かせた。濡れたタオル
を作り、涙でぐしゃぐしゃになった顔を優しく拭いてやる。

「……この子は、本当はすごく弱いのよ。魔力とかそういうのじゃなくて……心、という
か精神がね」

 美鈴とともに、パチュリーはきつく締められた小悪魔のメイド服を緩めてやる。
 
「魔理沙みたいな切り替えが出来ないからね。まあ、魔理沙ほど切り替えのいいやつなん
かそうはいないだろうけど、とにかくこの子は、仕事やら何やらで溜まったストレスを発
散させる方法を知らないのよ。全部受け止めて、我慢するだけ。咲夜の仕事を受け持って、
レミィや妹様の相手して……そりゃ、ストレスも溜まるわよね」
「けど、何もパチュリー様に対して怒鳴らなくても……」
「いや、私だから出来たのよ。あの2人とか、咲夜に対して怒鳴りつけること、出来る?」
「……無理ですね」

 ちょっと想像してみたようだ。しかし美鈴の脳は、それを想像することさえ出来なかっ
たらしい。仕方のない苦笑を浮かべていた。

「体力的にも精神的にも限界で……それで私がこの子本来の仕事を増やすようなことをし
てしまったんだもの。怒って当然よ。むしろ、今までよく耐えてきてくれたわ」

 パチュリーはしばらく小悪魔の顔を見つめてから、美鈴のほうを向いた。
 
「この子の面倒は私が見ておく。悪いけど、あなた1人で残りの仕事やってもらえる?」
「いいですよ」

 その頼みを美鈴は迷うことなく承諾した。
 
「なんとかきばってみせますから、しっかり休ませてください」

 にこっと笑って、美鈴は部屋を出た。
 美鈴も当然フラフラなのだが、気を扱える以上回復力は伊達ではない。咲夜が帰ってく
るまで1人で乗り切ろうと思った。

「……そうよ。忍耐力なら誰にも負けないわ!」

 頬を叩いて喝を入れる。次の仕事も、その次の仕事もこなしてみせよう。
 
「頑張れ私ー!!」






 一方その頃。
 犬肉は、話の聞かない庭師に刀の切れ味を教えられていた。






 最初に見えたのは天井。次に、天井まで届く本の塔だった。
 自分が寝ているということに小悪魔が気づくまで、少々の時間がかかった。
 
「!」

 がば、と飛び起きる。その途端にめまい。再びベッドに倒れる小悪魔の目に、あまり会
いたくない人が映った。

「パチュリー様……」
「おはよう」

 いつもは小悪魔のほうが先に言う挨拶。それが違うだけで、パチュリーの表情も、口調
も、普段と何も変わっていなかった。

「ごめんね……」

 何を言ってよいか分からず目を逸らしていた小悪魔に、パチュリーが声をかける。
 
「あなたの言うとおりよね。本当に、余計なことだったわ」
「そんな!」

 パチュリーからの謝罪など受けていい立場ではない。体を起こして、小悪魔は一生懸命
首を振った。

「パチュリー様のせいじゃないです!私が……私が……」
「いいの」

 またも泣き崩れそうな小悪魔をパチュリーが制する。
 
「あなたが疲れていることを気にもとめなかった。完全に私のせい。……主、失格よね」
「やめてください!本当に、本当にパチュリー様のせいじゃないんですから……!」
「ごめんなさい」

 パチュリーは小悪魔に深く頭を下げた。小悪魔は言葉を失ってしまった。謝らなければ
ならないのは自分のほうなのだ。主に頭を下げられる理由などない。そもそも、頭を下げ
られていい立場ではない。
 また視界が滲む。情けなくて、ふがいなくて、自分の力不足を嫌というほど思い知らさ
れた。

「私は……」
「そんなに自分を責めないで。怒るっていうことは、ときにはとても大事なことなんだから」
「え?」

 パチュリーは、そばにあったポットから紅茶を注いだ。その1つを小悪魔に渡す。葉に
カモミールを使っているのが分かった。以前、小悪魔が気分転換にとパチュリーに出した
ことがあった。
 パチュリーがそれを覚えてて出したのかはともかく、小悪魔を落ち着かせるにはちょう
 どよかった。
 
「ときには誰かに怒られないと、自分が間違っていることに気づけないわ。誰でも、反省
は必要なのよ」

 パチュリーは紅茶をひと口含んだ。
 
「反省……」

 パチュリーの言葉を繰り返す。反省すべき点はいくつもあった。今も、今までも、そし
てきっと、これからも。
 そういえば、小悪魔はパチュリーに怒られたことはなかった。掃除に関しては咲夜が受
け持っていたし、本の整理は小悪魔自身がその方法を作り出したのだから、仕事のことで
パチュリーの介入するところはなかった。
 考えてみれば、「怒る」ということは相手のことを本当に想っているから出来ることな
のである。咲夜のように事務的なものはともかく、相手のことを想って怒ることは2人に
はなかった。主は主、従者は従者なのだから、その距離を縮めてはいけない。従者が主に
近づいてはならないし、主もまた従者と極端に馴れ合ってはならない。相手を思っていて
も、相手を想うことはなかった。

 けれど、これだけの時間一緒にいながらそんなこともできなかったというのは寂しすぎ
た。どちらが距離をとっていたのかは分からない。しかし、互いに互いを避けていた事は
事実だ。不可侵であることが2人の関係を成り立たせていた。
 だから、怒るという行為は図書館には存在しなかった。
 パチュリーの行為を怒った者はいない。当主であるレミリアの友人なのだから怒れるは
ずがない。
 だが、つまりそれは、誰もパチュリーのためになることをしなかったということなのだ。
もちろんパチュリーにある程度親しくなければそんなことを思うはずがない。候補として
はレミリアか咲夜しかいなかった。しかしこの2人がパチュリーのことを怒るわけがない。
 誰にも怒られることがないというのは、ある意味で孤独である。怒られて初めて分かる
事もあるのだから。

「ごめんね」
「いえ、私こそ……」

 今まで自分は何をしていたのか。ただ主の言いなりになって、相槌を打って。それも楽
しかったけれど、本当に分かってあげたかったのなら。
 もっともっと、主に注意しておくべきではなかったのではないだろうか。
 
「……パチュリー様、反省しましたか?」
「もちろん」

 小悪魔の問いかけに、パチュリーは微笑んでうなずく。それを見て、小悪魔もようやく
笑顔を見せた。

「なら、許してあげます」
「……ひどい言い草ね。どっちが主だか分からないわ」
 苦笑して、パチュリーはため息をついた。
「たまには、怒らないといけませんね」
「……そうね」

 そうすれば、相手が想っていることがよく分かるから。もっとよく互いを分かり合える
から。
 小悪魔はベッドから降りた。
 
「そういえば、私どのくらい眠ってました?」
「5分くらいよ。まさかこんなに早く起きるとは思わなかったわ」
「そうですか……」

 緩められた服を締め直す。パチュリーは驚いた顔でそれを見た。
 
「ちょっと、何する気?」
「当然、仕事に戻ります」
「全然休んでないでしょう。無理しすぎよ」

 パチュリーは無理矢理小悪魔をベッドに押し戻そうとした。実際小悪魔の体力は少しも
回復してないから、パチュリーに押された程度でもふらついてしまう。
 それでも小悪魔は立ち上がった。
「美鈴隊長、きっと苦労してますから、助けなきゃ。行かせてください」
 しっかりした口調で、小悪魔はパチュリーに言った。目は、決意に満ちていた。
 そこまでされれば、パチュリーに止める手段はなかった。パチュリーは無言でうなずい
た。

「ありがとうございます。ついでに、もう一度増幅魔法かけてもらえると嬉しいんですが」
「……やる気満々だからあえて止めないけどね。今の状態でもう1回使ったら、終わった
ときに下半身に影響出るかもしれないわよ」
「かまわないです」

 もう何も言うことはない。パチュリーは言われたとおり小悪魔の体力を増幅して、送り
出してやった。

「それじゃあ行ってきますね、パチュリー様」
「ん、いってらっしゃい」

 2つの笑顔が交差する。お互いに気持ちのいい挨拶だった。くるりと踵を返して、小悪
魔は図書館の出口へと向かった。
 少しだけ、理想の主従関係に近づけた気がした。






 一方その頃。
 悪魔の犬は、姫の亡骸と最後の戦いに臨んでいた。


次へ→ 戻る