Adventure Library

24-ウツツユメ

 紅魔館の図書館に出入りする人数は、だいたい毎日一定である。図書館からほとんど出
ないパチュリーをはじめ、司書の小悪魔、掃除に来るメイドたち。そして毎日のように入
り浸っている魔理沙である。ときたま館主と妹とその従者が来たりするが、つまりそれ以
上の人数になることは滅多にないのである。
 しかしこの日の図書館は、普段よりも人口密度が高かった。高いといっても1人ほど増
えただけだが、ほぼ毎日のように人数に変動のある紅魔館本館に比べれば珍しいことだっ
た。

「おーい。あんまり奥に行くと迷子になるぞー」
「うるっさいなー。確かに色んな魔力が渦巻いてるけど、これくらいじゃ迷えないわよ」

 本棚に詰められている本を眺めながら、1人の少女が歩いている。そこに声をかけるも
う1人。その言葉に対して少女は憎まれ口で返した。
 最近の図書館は金髪率が高い。フランドールもよく図書館に遊びに来るからだ。その目
的は魔理沙なのだが、静かな図書館に賑わいをもたらしている。しかし今日来た少女は、
金髪ではあるもののフランドールではない。少女はまだ1度も図書館に来たことがなかっ
た。魔理沙に連れられてやって来たのである。

「アリスさん、魔理沙さんの言うとおりです。ここの魔力の渦は、大抵それぞれの魔道書
が打ち消しあってできてるんです。今感じてる魔力は参考にはなりませんよ」

 す、と小悪魔が少女の前に現れる。そして、少女に数冊の本を手渡した。
 事実、新人のメイドたちが何人も迷子になって小悪魔たちに救出されたり、そのままこ
の世から消えてしまったりすることがあるのだ。下手にうろつくのは本当に危ないのであ
る。

「そうなの?まあ、ここの住人が言うなら……」

 少女は納得していないようだが、小悪魔の言葉にうなずくと踵を返した。
 小悪魔の渡した本は、魔力生命に関する本だった。新しい人形を作ろうとしたが、どう
しても資料が足りなかったらしい。それをたまたま家にあがりこんでいた魔理沙に愚痴っ
ぽく話したらここを紹介されたということだった。図書館の新しい訪問者アリス・マーガ
トロイドは、本を抱えて他2人の魔女の元へと向かっていった。

「それに載ってるのか?」
「読んでもないのに分かるわけないでしょ。うるさいからあんたは黙ってて」
「その通りよ。魔理沙はうるさいから黙ってて」
「……2人して酷いな」

 魔術書が大量にある図書館だが、それらのうちのほとんどはパチュリーが読むために置
かれている。それゆえ、パチュリーがあまり興味を持たないジャンルは倉庫のほうにしま
いこんであるので、操術関係の本など図書館の本館には無いも同然だった。小悪魔が記憶
をフル回転させても申し訳程度にしか見つからなかったのである。かといって倉庫は普段
から掃除しないから埃まみれで、入ること自体がためらわれる。しかも小悪魔自身どこに
どう置いたかよく覚えていないのだ。予想される仕事量は通常の10倍では済まないかも
しれない。

(いっぺん、思いっきり整頓したほうがいいかもなあ)

 図書館の利用について規制が緩和されている以上、こうした事態はまた起きる可能性が
ある。パチュリーのためだけ、という整理法はそろそろ改めなければならないかもしれな
い。小悪魔は3人のやり取りを聞きながらそう考えていた。
 小悪魔は仕事を再開することにした。とりあえずアリスが希望している内容の本を探し
ながら、いつものように図書の掃除を始めた。いくら掃除してもすぐに溜まる埃を取り、
くるくるとうろつき飛び回るうっとうしい毛玉を潰し、それぞれの書籍の位置関係を再確
認する。ものによっては魔力を帯びて弾幕を撃ち出す物があるからだ。それらは特に危険
なので、見つけ次第魔力を喪失させる。魔道書程度の魔力をかき消すくらい、小悪魔にと
っては造作も無かった。とはいえ、魔道書の中には力で押してこないトリッキーな物もあ
るのだが。







 図書館内の掃除をし、パチュリーたちの相手をし、そうしているうちに日も傾いてきた。
 
「じゃあ、これとこれ、借りてくわね」
「はい。期限は2週間です」

 アリスは本を借りていくことにした。魔理沙の知り合いということで、必然的にアリス
にも貸し出し許可が与えられる。小悪魔は懐から貸し出し手帳を出した。

「もし過ぎたら、きっつい弾幕ごっこにつきあわされることになるぜ」
「え?そうなの?」

 手帳にメモした小悪魔から本を受け取ったアリスは、魔理沙の意味ありげなセリフに振
り向いた。

「ああ、大丈夫です。それは魔理沙さんだけですから」

 フランドールのことは知らないまでも、無駄に体力を使わされると分かっているのだろ
う。少々たじろいだアリスだったが、しかしそこに小悪魔がしれっと言葉を挟んだ。

「おいこら、何で私だけなんだ」
「あんたの部屋が汚いからでしょ。すぐ物なくなりそうだもん」
「ええ、その通りです」

 小悪魔とアリスは2人揃って笑った。実際、魔理沙が2週間経っても期日の本を返さな
かった場合、強制的にフランドールと遊ばされることになっている。魔理沙の実力ならば
なんとか相手にはなるが、それでも本人はそんなにやりたがらない。以前の魔理沙は本を
持っていっても全く返さなかったので、紅魔館の入館許可が与えられたときにその制約が
付加されたのだ。
 汚いんじゃない、ちらかってるんだ、とわめく魔理沙を引きずり、アリスは小悪魔とパ
チュリーの2人に礼を言って図書館を出た。軋む扉が閉まると外の夕日は図書館から消え
去り、また再び、夜のような闇が戻ってきた。

「いい人ですね、アリスさんは」
「まあね」

 パチュリーと書斎に戻りながら、小悪魔は話しかける。将来きっといいお母さんになる
だろうと小悪魔は踏んでいた。

「第一印象はね。本当の性格はどうだか……」

 しかしパチュリーはアリスをあまり好ましく思っていないようだった。別段、パチュリ
ーに何かしたはずではないのだが。
 どうやらまた、ろくでもない感情を抱いてしまっているらしい。先の会話から、アリス
は魔理沙の家に行ったことがあることが分かる。パチュリーもそれに気づいているのだろ
う。
 小悪魔は気づかれないようにため息をついた。どうしてこうも、我が主は複雑な心を持
っているのか。
 いつものように本を読んで。いつものように魔術の研究をして。いつものように魔理沙
が来て。そしてまたいつものようにお喋りをして。
 退屈な毎日。明日も明後日もきっとまた同じ日々。
 楽しい毎日が続くことは、なんともつまらないものだ。
 だから少しは、こんな変化に戯れればいいのに。機械のように同じ毎日を過ごしてきた
パチュリーは、それを1度魔理沙に壊された。しかし、「魔理沙がいる」という変化を、
パチュリーは日常に組み込んでしまった。呆れるほどに、変化を望まない魔女。
 何故それを望むのか。決まっている。
 変化のあるほうが楽しいけれど、変化の無いほうが楽だからだ。
 何の進展も無い「停滞」という毎日が、パチュリーにとっては過ごしやすいのだ。それ
は小悪魔にもよく分かる。しかし、だからいつまで経っても何もできない。仕事の続きを
するためにパチュリーのそばを離れると、小悪魔はもう1度ため息をついた。
 こんな日々はいつまでも続けたくて、そして明日にでも終わらせてしまいたかった。







「それではパチュリー様、おやすみなさいませ」
「ん、おやすみ」

 夜。
 
 パチュリーの就寝時間になったので小悪魔はパチュリーを寝室に連れて行った。一礼し
て扉を閉める。下手するとまた出てきかねないが、とりあえず小悪魔の仕事はこれでひと
段落した。

「さて……と」

 小悪魔はパチュリーの部屋から離れ、1度大きく伸びをした。屈伸運動、ストレッチと、
今日の疲れをほぐしていく。しばらくそうしてから小悪魔は宙を見つめ、口を開いた。

「幻術とはいえ、主を最優先する私って、従者の鑑かもね」

 くすりと笑う。完全で瀟洒とは言えないが、水準としては高いのではないかと思える。
しかし小悪魔はすぐに真剣な表情になった。

「とぼけても無駄よ。これしきの異次元迷宮空間に、私が気づかないわけないでしょう」

 虚空に向かって小悪魔は言葉をかける。


 ――ヴユン。


 すると突然、図書館の空間が不自然に歪んだ。
 小悪魔はそれで確信する。
 自分が今いるこの空間は、現実のものではない。
 小悪魔は歩き出した。
 いつの間に巻き込まれたのかは分からない。恐らくは仕事中だろうが、小悪魔は魔道書
の作り出す異次元空間に吸い込まれていたのだ。図書館にはよくそういった魔道書が存在
する。思考はないものの意思があり、他の生命から魔力を吸収しようとするものだ。付近
に来た者に気づかれないよう術をかけ、幻の空間を生み出す。それにかかった者は自分で
気づかない限り、死ぬまで魔道書の内包する世界で魔力を吸われ続けるのだ。図書館の魔
力の渦に巻き込まれていなくなるメイドもいるが、このような罠にかかって死んでいくメ
イドも決して少なくはない。
 しかも、今回のはなかなかうまい迷宮だと思った。
 普通このような幻の迷宮は、獲物を逃がさないために作る。そのため、迷宮のほとんど
は獲物にとって快適な空間になっているのだ。生き物の欲を可能な限り満たすことで獲物
をその空間から動きたくないようにする。その結果獲物はずるずるとその快楽にはまって
いき、魔力切れで殺されてしまう。気づかないのはもとより、気づいても出たくない迷宮
に堕とされるのだ。
 だが小悪魔が巻き込まれた迷宮は違う。可能な限り現実に近い迷宮になっていた。快楽
だけで構成するのではない、より現実じみた幻。もしも全く違和感のない「現実の幻」を
生み出せるのなら、獲物はそれが幻だと気づきはしない。その空間を現実のものと思い込
んでしまい、何にも気づかないまま徐々に衰弱して死んでいくのだ。そのような擬似空間
は相当高度に作ることが前提とされるが、この元凶はそれを見事に作り出していた。いつ
もの毎日をいつものように過ごす。当たり前になったスケジュールを機械のように繰り返
す。何の変化もない「停滞」した世界は、何かを求めるよりもずっと楽なのだ。
 だからこそ現実と夢の境界が曖昧な迷宮にはまり込んでしまう。あからさまな異次元よ
りもずっと緻密に作りこまれていた。
 だが、それでも小悪魔には通用しない。
 
「ここで働き始めた頃ならいざ知らず……。今の私を迷い込ませるのは相当難しいわよ?」

 不敵に笑い、小悪魔は前進する。この空間のどこかにある中枢を叩けばこの迷宮は消え
去るのだ。歪み軋む空間の中、小悪魔は元凶を探す。位置は分かりにくいが、幻であるこ
とさえ分かってしまえばあとはこけおどしみたいなものだ。視覚に頼らなければすぐに特
定できる。

「!」

 歩みを止めない小悪魔の近くに、突然魔法陣が現れた。十数個の小さな妖弾をまとって
いる。それが立て続けに6個現れた。妖弾が魔法陣の中心へと収束し、そして放たれる。
 しかし小悪魔は体をひねっただけでそれをやり過ごした。大したスピードもないので誰
でもよけられる。次々と他の魔法陣も発射してくるが、そんな攻撃は毛玉以下だ。かすり
もしない。
 小悪魔がさらに歩いていくと、どんどんと魔法陣が追加されてきた。正面に2つ。左右
後方合わせて7つ。その奥にも魔法陣が構えている。小悪魔は宙に飛び上がった。追いか
けるようにして無数の妖弾が撃たれる。だが距離があるならよけるのもたやすい。おまけ
に全部自分を狙って飛んでくるのだからよけてくれと言っているようなものだ。空を蹴っ
て小悪魔は弾幕をかわす。所詮この程度だ。迷宮空間を展開しながら弾幕を作るのはかな
り魔力を消耗する。小悪魔にはとっくに迷宮のことがばれているのだからもう魔力も吸収
できない。
 翼を羽ばたかせ、小悪魔はスピードを上げた。狂ったように魔法陣が展開されるが、弾
のほうがよけているのではないかと思えるくらいに当たらなかった。
 上。右肩を後ろにねじる。弾は足をかすめて本棚にぶつかった。
 左。翼をたたみ体全体を落とす。弾は頭に生えた羽に風を切る感触を伝えた。
 右前。左下。翼を広げ、左方へと飛ぶ。
 後ろ。上。下。左前。右下。それぞれ2つずつ。撃たれる前に上昇。発射と同時に右。
ほんの少しスカートに当たる。やはりもう少し弾幕の練習はしておいたほうがいいかもし
れない。命を狙われているにもかかわらず、そこまで考える余裕があった。
 前後左右上下、同時に拡散弾幕。自分を狙ったのと同時に網を張る。だが抜けられない
弾幕など存在しない。一瞬の停止の後、小悪魔は下の隙間に目をつけた。首を縮め、腕と
羽もたたんでなるべく小さくなって合間を縫う。髪や服に妖弾が当たるが、1秒もすれば
すぐに抜けられる。結果的に小悪魔は無傷だった。
 弾幕を抜け出ると、空間がさらに軋み始めた。やはり魔力の消費が激しいらしい。ここ
までくれば位置の特定は簡単だった。魔力が変に乱れているところがそうである。
 小悪魔は床とも呼べない床に下りた。しつこく魔法陣が作られるが、もはや攻撃のうち
にも入らない。無視を決め込み、小悪魔は歪んだ本棚の一角を覗き込んだ。

「あった」

 目当ての本は、もはや歪みきってなんだか分からない背景から浮かび上がっていた。自
身を歪みの中に入れるわけにはいかないからこうしているのだろう。

「アイデアはよかったけどね。これくらいじゃ私は捕まえられないわ」

 小悪魔は魔道書に近づいた。そして、まだ抵抗を見せる魔道書をつかみとる。
 
「残念でした」

 執行猶予も与えず、意地悪く笑って小悪魔は魔道書の放つ魔力を消失させた。
 空間が悲鳴を上げて崩れていく。割られたガラスの破片がバラバラと落ちていくように、
迷宮にひびが入り、白い光があふれ出す。小悪魔は魔道書を見つめながら、その光に包ま
れていった。


 ――パァン。


 何かがはじける音が聞こえた気がした。迷宮が完全に消え去った証拠である。
 小悪魔は1冊の本を持ってたたずんでいた。残った片手にハタキが握られているところ
を見ると、やはり仕事中に捕まったらしい。時計を見ると、3人から離れて30分も経っ
ていなかった。

「リアロードレアン……。なるほどね……」

 本を開いてタイトルを見た。近々魔力のフォーマットをしておこうと思っていた本の1
つだった。それほど高度ではないが、ユニークな術を考案した作者の書いたものである。
しかし作者はそのどれもが正統な魔術として認められぬままこの世を去った。恐らく、そ
の未練が本に宿り、意思を持ってしまったのだろう。

「……私を捕まえようとしたのが失敗だったけどね」
 苦笑して、小悪魔は本を抱いた。
 
 古いものには色々なものが宿る。特に本や人形には人の強い念が込められているのだ。
懺悔、傲慢、未練、執着など。小悪魔は今まで何度もそういった魔道書と戦ってきた。初
めのうちはそれに慣れず、何度かパチュリーに救われた事があった。その度に自分の力不
足を思い知らされ。
 そして同時に、本と作者の想いを感じてきたのだった。
 実は、本自体は何もしていない。それらは全て、作者の念によって動かされているのだ。
自動で弾幕を展開するものはともかく、意思を持つものは例外なくそうなっている。それ
らはみな、命を持たない被害者たちなのだ。
 だから、本を救う方法は1つ。
 生みの親の持つしがらみを消去することである。
 ある意味皮肉なことであろう。作者が書いたものを、作者から遠ざけてしまうのだから。
 けれど、それが最良の方法なのである。本に罪はない。何より、図書館の維持には仕方
ないのである。
 小悪魔は翼を広げて飛んだ。そして本棚の上に立つ。
 予想外の早さで本の意思化が始まっていたのだ。他のものがそうでないとは言い切れな
い。とりあえず今持っている本はもう暴れ出さないからいいとして、小悪魔は図書館内の
魔力の渦を見据えた。またどこかに妙な空間が発生しているかもしれない。

「そうなったら、さっさと排除しなきゃね」

 小悪魔は本棚から降りた。見回りも兼ねた掃除を再開する。


 現実よりも現実じみた夢。果たして、今自分がいるこの世界は現実なのだろうか。頬を
つねってもそれは分からない。自己の「認識」が正しいことなど、誰にも認識できないの
だから。
 もし誰にでも認識できることがあるとするならば、それはここが幻想の郷(さと)であ
るということ。それは、「現実」という幻想郷の外の世界と対として使われる言葉。つま
り、幻想郷はその存在そのものが「夢」だということになる。となれば、今のこの現実は
夢なのかもしれない。
 現実のような夢は現実。その現実は夢でできている。無限に続く矛盾の世界に自分はい
る。自分は本当に「現実」なのだろうか。それとも、誰かに作られた「夢」なのか。それ
は、自分じゃ分からない。
 小悪魔に分かることは1つだけ。それはどんな矛盾よりも簡単なこと。

「私はこの世界にいたい」

 パチュリーがいて、魔理沙がいて。当たり前の日常を過ごして生きたい。たまに変化が
あって、一緒に笑って。それだけでいい。
 小悪魔は見回りを始めた。どこかにあるかもしれない異空間を探して。誰か引っかかっ
ていたら、ちゃんと助けなければならない。図書館の司書には、そんな仕事もあるのだ。
魔力の渦を見分けながら、小悪魔は図書館の中を歩いていった。

 夢か現実か分からないこの現実。ならば、そこで過ごしていけばいい。たとえどこであ
っても、その事象だけは確かに存在するのだから。
 それは、ある1つの真理だった。








 世界はここにある。





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