小  説

25-ユメウツツ


 ワタシは図書館の中を歩いている。
 ふと、本棚の角から向こうを覗くと、そこには見知った顔。
 黒い魔法使いがワタシを見下ろしていた。
 魔法使いがワタシの頭を撫でる。
 とても、とても気持ちがいい。
 そこへ何かわめきながら走り寄ってくる我が主。
 魔法使いを押しのけて、ワタシを抱き上げる。
 温かい。
 ワタシは主に抱きついた。

 黒い魔法使いの友達の家。
 紫色の魔女の書斎の机に、ワタシは座る。
 小さな小さなティーカップに、湯気の立つ紅茶が入れられる。
 だけど別に飲むわけじゃない。
 飲めない体じゃないけれど、これはインテリアみたいなものだ。
 3人が談笑している。
 黒が何か言う。
 青がそれに反発する。
 紫もそれに続く。
 黒がまた何か言う。
 青がうろたえる。
 黒が笑う。
 青が怒る。
 紫はただなんとなく、それを見ている。
 ワタシも笑う。
 楽しい、お茶会だった。

 3人はまだお喋りをしている。
 少し、それに飽きてきた。
 楽しいけれど、でもなんとなく。
 ワタシはそっと机から離れた。
 また図書館の中を歩いてみる。
 主の家にはないものがたくさんある。
 ワタシはそれをしげしげと眺める。
 中身は、よく分からない。

 本を見つめていると、視界の隅に何か入った。
 そっちを振り返ると、人形がいた。
 主の作ったものじゃない。
 その姿は、男の子だった。
 男の子が笑う。
 ワタシも笑い返してみた。差し出された手を、なんとなく握ってみる。
 彼は、ワタシを引き寄せた。
 なんだかよく分からなくて驚いたけれど、彼は踊り出した。
 いつの間にか周りにもたくさんの人形がいる。
 みんな、ワタシたちを見ている。
 なんだか恥ずかしい。
 だけど、なんとなく分かる。
 ワタシは今、舞踏会にいる。
 彼はワタシを選んでくれた。
 さあ、踊ろう。
 どこまでも。
 いつまでも。

 何度も何度も繰り返して踊っているうちに、ワタシは疲れてきた。
 ちょっと席を外させてもらって、ワタシは群衆の中に紛れた。
 そこから、舞踏会場を見てみる。
 みんな優雅に踊っている。
 綺麗だった。
 もう1度踊ってみようかな。
 そう思ってさっきの男の子を探してみるけれど、見つからない。
 きょろきょろとあたりを見回すけれど、たくさんの人形たちがいてよく分からない。
 人ごみをかき分けて彼を探す。
 どこだろう。
 どこだろう。
 どこだろう。
 彼を見つけたかった。
 彼に見つけてほしかった。
 何とか彼を見つけ出そうとワタシは走り出す。

『見つけた』

 そのとき、ワタシはワタシにかける声を聞いた。
 彼だろうか。
 期待に満ちてワタシは振り向いた。
 そこにいたのは彼じゃなかった。
 1匹の、悪魔だった。








「見つけた」

 図書館内を奔走して息切れしていたが、ようやく小悪魔は目標にたどり着いた。
 
「やっぱり巻き込まれてたわね。さ、帰ろ」

 小悪魔はしゃがみこむと、目の前で固まっている上海人形に手を差し出した。
 図書館の中いくつもある魔道書の内、意思を持つものがまた動き出していたらしい。幻
影の迷宮を作り出して標的をその世界に誘い込んで魔力を吸収する。図書館の掃除を割り
当てられたばかりのメイドがよく引っかかるが、こうして滅多に来ない客人が捕まること
もある。早く救出しないと魔力切れで死んでしまう。とりわけ、人形などは魔力でできて
いるようなものなのだから真に死活問題なのである。
 手を差し出した小悪魔だったが、しかし上海人形は近寄ってこなかった。じっと小悪魔
を見つめている。
 その瞳には、怒りがこもっていた。
 やっぱり、と小悪魔は舌打ちをする。
 魔道書の作り出す異空間迷宮に捕らわれた者は、大抵こういった反応をするのだ。それ
は迷宮の中が居心地いいからである。魔道書は獲物を逃がさないために獲物に都合のいい
幻影を作り出すのだ。上海人形がどんな幻影を見たかは分からないが、しっかりと幻影に
捕らわれていることだけは分かる。いい夢を見ているのに邪魔されて怒っているのだ。実
際、夢から起こされるのを喜ぶ者などいないのだから。
 小悪魔のように異空間に対する幻視能力が高いならばともかく、こうもばっちりはまり
込まれてしまうと救出するのも大変なのだ。
 小悪魔はため息をついた。
 
「ほら、早くおいで。お楽しみのところ悪いけど、あなたが今いる世界は幻術だから。戻
っておいで」

 元凶である魔道書を先にしてもいいのだが、捕われた本人がそのことを自覚しない限り
それは現れない。幻影の中枢を叩かなければ迷宮を壊すことはできない。現実の世界で魔
道書そのものを破壊すると、内部の被害者に精神的な影響が出る。相手が人形だからとい
ってできることでもない。結局のところ、幻視能力のある者がそのことを自覚させなけれ
ばならないのだ。小悪魔はそのためにわざわざ迷宮に入ってきたのだ。
 上海人形が少し後退する。ますます術にはまり込んでいようとしていた。
 
「ほら、早く来て。これ以上の長居はまずいわよ。魔力を吸われ続けるだけなんだから」

 小悪魔は説得しようとするが、上海人形は意に介さない。
 
「……あのね、あなたが何をしたがってもそれを私に止める権利はないんだけど……。で
も、自分勝手はやめて」
「…………」

 押し黙る上海人形に、小悪魔は続けて言う。
 
「……アリスさんが、心配してるよ」

 ぴく、と上海人形の体が動いた。アリスの名前に反応したらしい。
 
「幻影の世界は楽しいだろうけど、それはあくまであなたの願望にすぎないわ。自分1人
の夢……あなたしかいない。でも現実の世界には、あなたのことを心配している人がいる
のよ」

 上海人形は動かない。表情からは何を考えているのか分からなかった。小悪魔はさらに
説得を試みる。

「あなたがいなくなったから、アリスさん大騒ぎしてるわよ。本当に、心配してるんだか
ら」

 そこまで言って小悪魔は上海人形の反応を見る。しばらく黙って上海人形を見つめてい
た。
 しかしそれでも上海人形は動かなかった。後退はしないものの、前進もしない。
 そこで小悪魔は、ようやく上海人形が何を思っているのか分かった。
 疑念だ。
 目の前にいる者の言葉が正しいのかどうか分からないのだ。幻影の世界は現実のそれと
なんら違和感のないゲートを開けて獲物を誘い込む。現実と迷宮の区別を曖昧にしている
ので自分がどこでどう捕らわれたのかわからない。今自分がいるのは現実なのか、幻なの
か。
 そこへ小悪魔が来たのだ。どう言い繕ったところで小悪魔が魔族であることに変わりは
ない。悪魔といえば惑わす者だ。それがおいでおいでと言っているのであれば、そちらが
幻影の迷宮であってもおかしくはない。今日会ったばかりとはいえ小悪魔と上海人形は一
応面識がある。だが互いにどういう性格をしているのかは知らない。上海人形からすれば、
小悪魔の姿をした別の何かが手招きしているように見えるのかもしれなかった。
 小悪魔は思案する。どうやって上海人形をここから連れ出すか。
 言葉が通用しないのであればどうしようもないように思える。自分1人がはめられたと
きはちゃんと分かっていたからいいが、他人を言葉無しで説得するのは本当に難しい。

「……仕方ないわね」

 小悪魔はため息をついて立ち上がった。あまりやりたくない方法だったが、他に選択肢
はない。
 
「互いに平行線をたどるというのなら……あとは分かるでしょ?」

 小悪魔は上海人形を睨みつけた。
 どんな言語も通用しないならば、幻想郷の言葉で分からせるしかない。
 言葉ではない言葉。
 それすなわち、弾幕。
 
「っわあ!!」

 しかし、立ち上がった小悪魔にいきなりレーザーが飛んできた。撃ち始めに反応できた
からいいものの、一歩遅ければ間違いなく当たっていた。小悪魔はのけぞってそれを回避
した。
 上海人形は既に構えていた。どうやら体言語で話し合うことは承諾してくれたようだが、
それにしても早い攻撃だった。小悪魔は後ろに跳び退って距離を取る。

「不意打ちとは卑怯ね。でもまあいいわ。かかってきなさい」

 魔法陣を展開し、小悪魔も構えた。
 戦闘、開始。



 まずは小悪魔が大玉を放つ。大したスピードもないので、上海人形は楽にその間をすり
抜けてきた。そして、抜け出た瞬間にレーザーを放つ。黄色の線が悪魔を穿たんと襲いか
かる。流石に光が相手ではよけようにもよけられない。だから撃ち始めのわずかなスキを
見極め、あらかじめ体を移動させておくしか方法がなかった。
 じゃっ、と小悪魔の脇をレーザーが突き抜ける。上着の黒いベストが焼け焦げてさらに
黒くなる。身に当たったら火傷では済まない温度だ。しかも上海人形は撃ちっぱなしのま
まそれを移動させてきた。フランドールのレーヴァテインではあるまいし、そんな危ない
ものを振り回さないでほしい。小悪魔は身を屈めて紙一重でそれをかわす。同時に横に飛
び、レーザーから一旦距離を取った。さらに大玉を追加するが、それはことごとく上海人
形によけられる。
 当たり前だ。よけられるように撃っているのだから。
 上海人形はアリスが作ったものである。いくら攻撃を食らいそうになっているとはいえ、
客人の持ち物を壊すわけにはいかないだろう。小悪魔の撃つ弾幕は全て威嚇でしかないの
だ。
 小悪魔が狙っているのは魔道書の魔力切れである。魔道書は自己の迷宮空間を維持する
ためになんとしても上海人形に勝ってもらわねばならないのだ。しかしもし上海人形が魔
力切れになってしまっては何にもならない。だから戦闘中は間違いなく魔道書が上海人形
に魔力を供給するはずだ。だから魔道書の魔力が切れればこの異空間の維持もできなくな
る。
 つまり、上海人形と魔道書両方の魔力がなくなるまで攻撃をよけつづけるのだ。
 
「……なんともきっつい耐久弾幕だこと」

 小悪魔は自嘲気味に笑う。実に困難な選択肢を選んだものだ。フランドールの『そして
誰もいなくなるか?』のように弾速が遅いならばともかく、小悪魔がよけなければならな
いのは全弾レーザーである。しかも本気で倒しにくる高速レーザーだ。おまけに制限時間
不明。
 まずいかも。小悪魔がほんの少し後悔したときには、もう上海人形がレーザーを撃って
いた。よけ際大玉を撃つ。自分からケンカを売っておいて攻撃しないのでは怪しまれる。
ゆるい弾幕を展開しつつ、小悪魔は本棚の陰に隠れた。
 もちろん上海人形はお構いなしにレーザーを撃ってくる。現実の世界だったら本棚に穴
が開いた時点で卒倒しているところだが、幸いここは幻影。いくらでも盾にできる。
 本棚越しからでも光は床を切り裂く。呆れるほどの威力だ。主人のアリスもパワー派な
のだろうか。小悪魔はそこから移動し、本棚の上に出た。
 小悪魔の姿を確認するや、上海人形はレーザーを撃ち出してくる。方向を予測し、間一
髪でそれをかわす。よけきれない髪の毛が嫌な臭いを立てて消し飛んだ。

「つっ!!」

 小悪魔は本棚を蹴った。直後、レーザーが本棚を縦に切り裂く。もともと重量があるか
ら倒れないが、本棚の真ん中は煙になっていた。上海人形はレーザーを振り回した。小悪
魔の首を同じように切り落とそうと、一直線の魔光が横に飛んでくる。小悪魔は翼を羽ば
たかせて上へ逃げる。レーザーがそれを追いかけ角度をつめる。小悪魔は1度天井まで上
がった。蜘蛛の巣がいくつかあった。現実はどうなのかあとで確認しておこう。とそう考
えているうちにレーザーが迫る。息つく暇もないまま、小悪魔は天井を蹴って下降した。
翼を広げ、上海人形へ向かって滑空する。上海人形のそばをすり抜けながら、大玉とクナ
イを乱発する。上海人形は軽い身のこなしでそれをよけていく。赤いドレスがふわりと舞
った。
 小悪魔が後退する。上海人形は右手をかざした。身を屈める。自分の頭があったところ
をレーザーが焼き尽くす。

「!!」

 上海人形の動きを確認すると、既に左手をこちらに向けていた。だんっ、と思い切り床
を蹴り、右へ移動。無機物の焼ける音と臭いが充満する。

「くうっ!!」

 動きのほうでは明らかに小悪魔の分が悪い。上海人形の武器は照準を合わせればいいだ
けのレーザーなのだから。それを右手と左手のそれぞれから自由に発射できるとなると、
当たるのは時間の問題である。照準が合ってから、魔力を溜めて撃ち出すまでの動作の間
に照準から完全に外れないといけないのだ。だが照準は2つ。1つよけるだけでも相当に
神経をすり減らすというのに。


 ――ヴィン。


 身をよじって1発目を避ける。すぐさま2発目を確認して1番安全なところへ逃げる。
 2発目。自分の体のどこを狙っているか分からない以上、全身でよけるしかない。小悪
魔は空中へ飛んだ。上海人形も羽を羽ばたかせて追いかける。
 1発目。右へ。
 2発目。上へ。
 3発目。下。
 4発目、右。
 上海人形を中心に円を描くように小悪魔は逃げる。5発目も右。
 6発目。
 
「っと!!」

 やはり予測されていた。上海人形は小悪魔の退路に向かってもう1発を放っていた。し
かしそう来ることはこちらも予測済み。小悪魔は左へ飛んだ。

「え……?」

 だが。
 上海人形は撃ち終えたばかりのはずの右手を小悪魔に合わせていた。小悪魔のその動き
さえも、予測していたというのか。
 
「しまっ……た!!」


 ――ジュアッ。


「あっ!!つうっ!!」
 目と頭だけは何とかガードしたが、小悪魔の腕に高温のレーザーが直撃した。
 自分の肉が焼けるのが分かる。
 
「くっ……はあ!!」

 よろめきながら小悪魔は移動する。熱すぎる。肌が嫌な色に焼けていた。表皮がぱりぱ
りになってはがれ落ちる。皮下脂肪も燃え尽きており、変な色の筋繊維が覗いていた。も
う1度食らったら間違いなくそのまま焼き落とされるだろう。
 必死になって小悪魔は上海人形から距離を取ろうとする。だが慌てていたために上海人
形に背中を向けて走り出してしまった。

「あぐぁっ!!」

 途端、左足に凄まじい熱と痛みが発生する。体勢を崩し、小悪魔は床を転がった。
 足を撃たれた。それしか分からない。ちらとだけ見やる。なくなってはいないようだが、
指先がもはや使い物にならないのは確かだ。今すぐパチュリーに診せれば何とかなるかも
しれないのだが、しかし。

「……許さないわけね」

 上海人形がこちらに向かってくる。すう、と大きく息を吸い込み、小悪魔は右足だけで
立ち上がった。そして、背後にあった本棚から1冊本を取り出して上海人形に投げつけた。
 突然飛んできた本に上海人形は急ブレーキをかける。しかし所詮は本。レーザーの敵で
はない。上海人形は一瞬で本を焼き払った。
 だが一瞬でも気がそれれば十分なのだ。小悪魔は羽を広げて上海人形から離れた。大玉
とクナイを乱射し、一時的に動きを封じる。そのスキにもう少し離れようとする
 しかし相手はなにぶん光だ。どれだけ離れても瞬時に追いつかれてしまう。振り向いた
矢先、小悪魔の頭の羽をレーザーがかすめていった。
 はっ、はっ、と小悪魔は荒く息をする。腕や足から、気が狂いそうなくらいの痛みが伝
えられる。

「……なんてでたらめな威力なのかしら。いくら魔道書から魔力を供給してるっていって
も、人形があんなに高密度のレーザーを撃てるわけがない」

 それとも、アリスはそれほどまでに性能のいい人形を作れるというのだろうか。
 いずれにしても、このままでは小悪魔の作戦は失敗に終わる。魔力切れの前に小悪魔の
ほうが力尽きてしまうだろう。上海人形のレーザーは想像以上の力を持っていたのだ。

 上海人形がそれだけの力を出せる可能性がもう1つある。もしもここで逆転を狙うなら
ば、それに賭けるしかなかった。
 とんでもない博打である。チップは己の命。だが相手はイカサマし放題なのだ。しかも
それを事前に見破る術は無い。

「…………」

 それでも、やるしかなかった。
 小悪魔は床に下りた。弾幕を抜けきった上海人形が、様子見に1度立ち止まる。
 
「大した能力ね。流石に驚いたわ」

 小悪魔は上海人形に話しかけた。
 
「けど、それじゃあ私は倒せないわよ。明らかに、パワー不足だわ」

 実際は真逆である。数で押してきた攻撃でも信じられない威力を秘めていた。
 しかしハッタリならいくらでも言える。小悪魔は不敵な笑顔を浮かべて続けた。
 
「どうせなら1発狙いに出たら?相当のスピードがあるから、当たれば私もあの世行きか
もしれないわよ?」

 これしか方法が無いのだ。上海人形の力は、魔道書から必要以上の魔力を吸収した結果
なのかもしれない。ならば1発に大量の魔力を集約させれば、それだけで魔力切れを狙う
ことができる。
 確証は無い。小悪魔も全く自信が無いのだ。もしこれが上海人形本来の実力であるなら、
フルパワーのレーザーのうちどれか1つが当たっておしまいである。
 だから、賭けなのだ。
 
「………………」

 す、と。
 上海人形が両手を小悪魔に向けた。
 今すぐに撃つ気配はない。
 賭けに乗ったか、と小悪魔が思っていると、上海人形の掌に凄まじい魔力が集まり始め
た。
 賭けは成立したらしい。
 後は、小悪魔がそれをよけられるかどうかだ。左足は使えないし、体力も精神力もかな
り消耗している。
 えらく不利な賭けに出てしまったものだ。小悪魔の力はもともと大したものではない。
防御に関しても一般のメイドに毛が生えた程度なのだ。だから、霊夢にも魔理沙にもあっ
さり負けてしまったというのに。
 魔力が凝縮され、加速する。
 悲鳴を上げる左足で立ち、背後の本棚に右足をつける。
 
「………………!」
「………………!」


 ――一閃。


 轟音を立てて本棚群が崩れ落ちる。限界まで凝縮されたレーザーが、空間そのものを揺
らして走り抜けていった。いわば、小型のマスタースパーク。それでいて魔力量はほぼ同
じ。
 つまり、単位時間当たりの威力はマスタースパークより上ということだ。
 
「はあ……はあ……」

 床にへたり込んで、小悪魔はそれを見つめていた。当たっていたらと思うとぞっとする。
我ながらよくよけたものだ。

「……!!?」

 しかし安心したのも束の間だった。先ほどと同じ魔力がどこかで作られている。
 
「嘘……!」

 上海人形だった。魔力切れなどないと主張するかのように、両手をかざして魔法の塊を
作っていた。

「そんな……!」

 よろよろと小悪魔は立ち上がる。今のを食らったら完全に自分が消し炭になる。
 まさか、本当にこれが上海人形の実力なのだろうか。だとしたら、賭けは自分の負けと
いうことである。
 
「そんな……!」

 魔力が収束していく。
 と、上海人形は突然楔形の妖弾を発射し始めた。青、黄、橙。しかも大玉まで追加して
くる。今度は逃がさないつもりか。
 
「……くうぅ!」

 ゆっくりと放射状に妖弾が撒き散らされる。同時に、本命が唸り始めた。
 
「う……うああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 爆発音。
 小悪魔はやぶれかぶれで床を蹴る。
 そして、小さな魔砲が放たれた。








「……つ……ぅ」

 もうもうと煙が舞い上がる中、小悪魔は起き上がった。どうやら自分は生きているらし
い。
 体のあちこちが痛む。図書館内を縦横無尽に駆けずり回り、ハイレベルな耐久弾幕をし
て、レーザーと妖弾をしこたま食らったのだ。痛いに決まっている。
 小悪魔は左足をかばって立ち上がった。服はもうボロボロになってしまっていた。レー
ザーを受けた腕の部分はなくなってしまい、まるでノースリーブの服を着ているようだっ
た。上着やスカートにもたくさんの穴が開いている。
 小悪魔はため息をつくと、上海人形を探し始めた。魔力を感じないから、今のところ攻
撃を追加しようとはしていないのだろう。
 足を使うのは嫌なので、翼を使って空に浮く。翼のほうも相当痛んでいるが、足ほど深
刻ではないから大丈夫だろう。壊滅状態の図書館の中を飛ぶ。現実がこうだったら多分今
すぐ首を吊ってしまうかもしれなかった。本棚はほとんど全て倒壊しており、壁にはクレ
ーターができていた。あれだけの威力ならば穴が開くはずだが、空間操作をされている図
書館の壁の向こうがどうなっているのかは誰も知らない。魔道書のほうが穴の中を描き出
すことができず、こうした結果にしたのだろう。

「いた」

 小悪魔は上海人形を見つけた。文字通り床に転がっている。小悪魔がそばに降り立つと、
上海人形は起き上がった。
 そして、すぐさま小悪魔に手をかざした。


 ――グヴウウゥゥゥゥン。


「!!」
「あ、やっぱり」

 そのとき、突然空間が歪み始めた。上海人形は驚いて周りを見回すが、小悪魔のほうは
落ち着いている。

「よかった。魔力切れしたんだ……」

 ほっとした顔で小悪魔は呟く。事態を把握できない上海人形が小悪魔を見上げていた。
 小悪魔は上海人形に笑いかけた。
 
「これで分かったでしょ?この世界が幻のものだっていうことが。魔力でできた世界なん
だもの。あなたが大量の魔力を魔道書から奪ったせいで、この迷宮を維持できなくなった
のよ」

 小悪魔は上海人形の前に片膝をついてしゃがんだ。そして、そっと手を差し伸べる。
 
「さあ、帰ろう。少なくとも、このままここにいると危ないっていうのは分かるでしょ?」

 上海人形は、小悪魔の顔と手を交互に見つめた。その目には、後悔の色が見てとれた。
 上海人形が小悪魔の手に触れる。腕についた痛々しい火傷痕をじっと見ていた。
 小悪魔を信用した上で、自分がつけてしまった傷を悔いているらしい。
 
「……大丈夫よ、多分。パチュリー様なら治せるから。……多分」

 予想外の攻撃力だったので、流石に自信を持って言い切ることはできない。だが主を信
用するくらいならいいだろう。小悪魔は心配ないといった風に上海人形に微笑んだ。
 それを見て安心したのか、上海人形が小悪魔の手に飛び乗った。
 
「……ありがとう」

 小悪魔はそのまま上海人形を抱き上げた。
 歪な世界の中を小悪魔は飛ぶ。あとは中枢である本をたたけばおしまいだ。
 
「夢の世界は確かに楽しいけどね」

 本を探しながら、小悪魔は上海人形に語りかける。
 
「夢というのは、あくまでその人本人が作り出したものに過ぎないの。程度の差こそあれ、
自分に都合のいい世界を展開してしまうわ」

 程度の差こそあれ、誰でも自分の思い通りになってほしいと思う。だから、魔道書はそ
うした心のスキにつけいって、罠を張るのだ。
 
「現実の世界はそうじゃない。思い通りにならないことなんかいっぱいある」

 幻でもなんでもない世界では、後悔を続けて生きていかなければならない。あの時ああ
していればよかったと思うことなど、いくらでもある。それでも、それをそのままにして
おかなければならないのだ。
 
「みんながみんな、自分の我を通そうと躍起になる。だからもしもそれが通ったとき、そ
の瞬間は、ある意味夢の世界の都合と同じということになるわ」

 現実なのに夢がある。それは、己を成功させるギャンブルだ。我を通し、貫いて、夢を
叶える夢がある。
 
「だからね」

 言いかけて、小悪魔は元凶を見つけ出した。自分が捕まったときと同じように、それは
捻じ曲がった空間の中で確かな形を持って浮いていた。
 小悪魔は魔道書を掴み取った。上海人形の攻撃があまりに強力すぎたせいか、弾幕を張
って抵抗することもなかった。
 呪文を呟いて、迷宮にヒビを入れる。周囲がだんだんと暗くなっていく。闇が2人を包
み込んでいく。上海人形が怖がって小悪魔にしがみついてきた。慈しむように小悪魔はそ
れを受け入れる。そっと優しく、小悪魔は上海人形を抱きしめた。
 
「……だからね」

 真っ暗闇の世界で小悪魔は話しかけた。
 闇の世界が晴れていく。現実の世界が、フィルターをはがすように少しずつ見えてきた。







「現実は、夢よりも夢のある世界なの」








「上海人形どこー!!?お願い返事してー!!」

 遠くからアリスの必死な声が聞こえてきた。図書館に初めて来たアリスも魔道書に捕ら
われる可能性があったから小悪魔が探しにいったのだが、辛抱できなかったらしい。時間
にしてもまだ10分と経っていないのだが。

「ね?心配してるでしょ?心配させちゃだめよ」

 小悪魔は上海人形に言う。上海人形はこくこくとうなずいた。
 小悪魔は翼を広げて空中に飛んだ。アリスの声がするほうへと向かっていく。
 
「アリスさーん。見つけましたよー」

 アリスの姿を認めると、小悪魔は上から声をかけた。一瞬で小悪魔のいる位置を把握す
ると、アリスも浮いてきた。
 
「ああ、上海人形!よかったぁ……。心配したのよ。勝手に歩き回っちゃ危ないじゃない。
大丈夫?どこか怪我してない?」
「あ、ちょっと肩のあたりがおかしいかと思いますけど」

 ぎゅっと上海人形を抱きしめるアリスに、小悪魔が答える。
 最後の1発を撃つ際、妙な爆発音がしたのだ。上海人形を抱いたときに気づいたのだが、
上海人形は肩の部分が黒くこげていた。恐らく、大量の魔力を使いすぎたためのオーバー
ワークだと思われる。撃つ寸前にそうなったためにレーザーの軌道が逸れ、結果として小
悪魔は楔形の妖弾を受けるだけで済んだのだった。
 壊すまいとは思っていたのだが、結果的にはちょっとだけ壊れてしまった。お互い無事
なのだから、代償としては小さくてよかったが。
 
「ええっ!ちょっと、なんてことしてくれるのよ!!」

 だが事情を知らないアリスは鬼のような形相で小悪魔に食ってかかった。小悪魔のほう
が100倍酷い怪我をしていることには全く関与しようとはしなかった。
 
「いや、別に私がやったわけじゃ……。あれ?私がやったことになるのかな?」
「うあー!許せない!今ここで消し炭にしてやるー!」

 逆上するアリスだったが、アリスの袖をくいくいと引っ張って上海人形が止める。
 
「ああ、見つかったのか。大丈夫だったか?」
「……ひどい怪我ね。早く治療しないと」

 なんだかんだとアリスが騒いでいると、魔理沙とパチュリーもやってきた。ほっとして、
小悪魔はパチュリーにもたれかかる。
 
「ち……ちょっと疲れました。パチュリー様、あと、お願いできますか?」

 1日に2回も迷宮に迷い込んだのは久しぶりだった。しかも寿命を削るような心臓に悪
い耐久弾幕もプラスして。上海人形から受けたダメージも相まって、小悪魔は意識を保つ
のもやっとだったのだ。
 
「いいわよ。おやすみなさい」

 パチュリーは小悪魔を抱きとめてうなずいた。
 あとは主がなんとかしてくれる。小悪魔は安心して目を閉じた。
 眠りにつく前、小さな手が自分の頭を撫でたような気がした。

 夢と現の境界の中で、小悪魔は静かに思う。










 世界はここにある。

 夢よりも夢のある世界が。



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