小  説

38-宿敵の背中

 今夜も、妖しい月が幻想郷を照らしていた。昼間からすがすがしく晴れ渡っていた空は、
夜になっても雲の欠片さえ見せることはなかった。月も星も、煌々とした光を大地に浴び
せていた。
 空気も光で彩られ、夜だというのに昼間のように景色を見通せそうだった。夜の闇は、
森の奥へと逃げ込んでいる。
 そこへ逃げ込むしかできないから。
 そこでしか、人を怯えさせることができないからだった。


 森や林の中に、ぽっかりと箱庭のような場所があったりすると違和感を覚えることがあ
る。うっそうと生い茂る植物群にふと、光が差し込む風景。日の光でも月の光でも、それ
はどことなく神秘的な雰囲気をたたえている。
 無論、「ぽっかり」などというのどかな単語も消し飛ぶほど竹林を焼け野原にしてしま
っている2人に、神秘のしの字もないわけなのだが。
 地べたに座り込み、藤原妹紅は目の前にいる憎き敵を睨みつけていた。腕や足が何回か
吹き飛んでいたが、今はこうして五体満足でいられている。決して無事とはいえないのだが。

「う〜……」

 妹紅の向かいで、やはり憮然とした表情で妹紅を睨みつけている蓬莱山輝夜は、不満げ
な唸り声を上げていた。
 相手が相手だけに今すぐ飛びかかって攻撃してやりたいのだが、生憎先ほどから激戦を
続けていたせいで体がまともに動いてくれないのだ。

「……ったく、また家壊してくれちゃって。建てるのも直すのもめんどくさいんだから、
家に上がりこんでいきなりスペルカードぶっ放すな!」

 体が動かないので口を動かす妹紅。家はもはや半壊どころか全壊を通り越して消し炭の
先の灰になってどこぞへと飛んでいってしまっていた。家のあったところを背に、妹紅は
輝夜に文句を言う。

「あら、それはごめんなさいねって別に謝ることでもなかったわね。いっそのこと鳥の巣
みたいなの作ってそこに住めば?簡単でいいじゃない」

 不死鳥だけに、と輝夜は冬を目前にして凍死しそうな寒い洒落までぶつけてくる。ちっ
とも反省の心がないのはその態度、および今までの経験から妹紅は分かっていた。
 相も変わらず、輝夜と妹紅は殺し合っている。お互い死ぬような体ではないから殺し合
いといえるかどうかは甚だ疑問だが、ともかく毎日のように戦っているのは事実だった。
先日、輝夜は4組の人妖をけしかけて妹紅と相対させた。輝夜を打ち負かせるコンビはも
のの見事に妹紅も倒したのだ。それ以前にも輝夜は色々な妖怪などを使って妹紅を始末し
ようとしていた。今こうして、輝夜自身が妹紅のところまで来ることはない。
 輝夜が来るときの理由は、せいぜい「暇つぶし」くらいだった。
 
「るっさい。あんたと違って私は自活してるんだから、家のことには気を遣ってんの」

 服もまとめてなくなってしまったことにも腹が立つ。妹紅は膨れっ面を作って言い返し
た。輝夜のように力の強い人妖と戦えば、体は再生しても、服が千切れ飛んでなくなって
しまう事は少なくないのだ。また慧音辺りに服を借りるか、布の生地をもらうかしなけれ
ばならない。雑巾にしかならないようなこの服で今後過ごすなど、考えたくもなかった。

「やーねえ、気を遣わなければならないような家に住むなんて。どうせ住むなら、スペル
カードの百発や二百発に耐えられるような豪邸にすればいいのに」
「……もっかい消し炭にしてやるから、ちょっとこっち来い」

 人差し指をくいくいと動かして、来いとジェスチャーする妹紅。ころころと貴族らしく
笑う輝夜の顔が、無性に気に障った。考え方が根本から違うと、こうも相手のことが憎た
らしくなるものなのだろうか。今度慧音にでも訊いてみようと思った。

 妹紅はふん、と鼻を鳴らした。
 
「大体、こんなときに来るなんて、タイミング悪いったらありゃしないわ」

 ようやくまともに動くようになった腕を組んで、妹紅はため息をつく
 。
「全くね。泥のように生き続ける妹紅はともかく、こんな夜に月が見えないなんてなんと
も趣味が悪いことだわ」

 輝夜はゆっくりと首を振った。
 妹紅が輝夜を、輝夜が妹紅を睨む。
 
「……いつまで隠れてるつもり?用がないなら、うっとうしいから消えて」
「……そんな妖気振りまいて、隠れてるつもりなのかしら?」

 そのまま、妹紅と輝夜の目線がある一点に向けられた。先ほどまでくだらない言い合い
をしていたとは思えないくらい、2人の眼光は鋭かった。一瞬にして体に妖気が集められ
る。
 2人はまだ戦い足りないのだ。それを、どこの馬の骨とも知れない妖怪ごときに邪魔を
されるなどたまったものではない。殺気の込められた雰囲気がそこに漂い始めていた。
 しばしの沈黙が流れる。
 月の光も遮るような、うっそうとした竹林。その中に開いた、無残な焼け野原。
 だが、2人に月の光が浴びせられることはない。
 雲1つない夜空だというのに、月はどこにも見えなかった。
 
「……ふふふ」

 2人がじっと黙っていると、竹林の向こうから声が聞こえてきた。
 
「こんばんは、お2人とも」

 だが姿は見えない。しかも、よく聞くと2人が見ている方向とは反対側から声は聞こえ
ていた。しかし、妹紅も輝夜も目線を動かそうとはしなかった。それがまやかしであるこ
とが分かっているのだ。
 光差し込まぬ竹林の闇、敵はそこにいる。2人は、その「闇」を見つめていた。
 
「とっとと出てきたら?」

 妹紅が口を開いた。実に凄みのある声である。間をおかれるのも嫌だが、とにかくうっ
とうしいのだ。比較的短気な妹紅は、今にも攻撃を開始せんばかりに妖気を集めていた。
 輝夜のほうは平然として見えるが、妹紅に負けず劣らずの妖気を発している。
 威嚇になればそれでいいのだが、実力があるのか、ただの阿呆なのか、相手はそこから
去ろうとはしなかった。
 なお2人がじっとしていると、不意に周りの竹がざわめきだした。さらに、急速に周囲
の闇が妖気を放ち始めた。

「!」
「!」

 闇の中から、突然黒い何かが2人に飛び掛ってきた。地面に座り込んでいた妹紅と輝夜
は、それを見ると瞬時にそこから飛び退り、妹紅は呪符を、輝夜は妖弾を放ってそれを撃
ち落とした。一瞬だけ眩しい爆発が起きる。何が飛んできたのかは分からなかった。爆発
がおさまった後には、地面が焼け焦げた痕しか残っていなかったからだった。
 背中合わせに2人は立つ。肘を曲げれば届くような位置だ。体力もだいぶ回復してきた
ので、今すぐ背後にいる少女の頭を吹き飛ばすことができる。
 だが、今は2人ともそんなことをする気はなかった。唐突に現れ、いきなり攻撃してき
た無礼者のほうが気に食わなかった。

「あの状態から攻撃を避けて、一瞬で迎撃するなんて、なかなか大したものね」

 刹那の間の攻防。声は余裕の表れた口調で2人をほめた。
 別段嬉しくはない。むしろ余計腹が立ってきた。
 
「生憎、気絶でもしない限り動くことはできるんでね」
「そうそう。手負いの獣は強いわよ?私の後ろにいるやつみたいに」
「同感だわ。獣にあたるのはあんただけどね」

 周囲の闇に気を配りつつ、妹紅を輝夜は互いに憎まれ口を叩いた。それは強がりでもな
んでもなく、2人の余裕だった。相手の力がいかほどなのかは分からないが、それでもそ
こらの妖怪に負ける気はしない。ふん、と2人は笑った。
 そんな2人の態度が気に障ったのだろうか。周りの闇がざわめきだした。
 
「ふふふ。けれど、元気な状態よりはしとめやすいと思うわ」

 じゃり、と土を踏む音が2人の耳に入った。
 そして、2人を囲む闇の中から、声の主が姿を現した。

 その大人びた口調とは裏腹に、声の主は背の低い少女だった。肩にかかるかかからない
か、という辺りで切られたブロンドの髪。闇の中にいながら、それはまるで輝いているか
のように目に留まる。しかし、ベストやスカートは闇に溶け込むほどに真っ黒で、その下
に着ている白いブラウスがなければ、体がないのではないかという錯覚にさえ陥ってしま
う。それでいて、背中に浮かび上がる漆黒の翼は闇よりもずっと黒く、目で見ることがで
きた。
 そして、月の狂気をたたえたかのような紅い瞳。くりくりした可愛らしい目からは想像
もつかないような禍々しさを放っていた。

「何の用かしら?」

 警戒のために体の向きは変えず、輝夜の肩越しに妹紅はその少女を見た。
 
「事と次第によっては、ただじゃおかないわよ」

 頭にきているのは輝夜も同じらしく、その少女の負けないくらい気持ちの悪い妖気を発
していた。
 だが、2人の脅しなど全く気にしていないように、少女は薄笑いを浮かべたままだった。
 
「そんなの決まってるじゃない。おいしそうな肉があるから、食べようと思っているだけ
よ」

 少女の言葉と同時に、周りの闇が一斉に蠢きだした。のっぺりとしたそれには質量も体
積も感じられないのだが、しかし今にも食いつくさんばかりにのたうち回っているのが分
かる。凹凸などそこには見えないが、大きく口を開いているような気がした。

「まあ、妖怪の食べ物は人間だからね。でも生憎私は人間じゃないから、この後ろにいる
のを食べなさい」

 少女の言葉を聞くと、輝夜はあっさりと後ろにいる妹紅を指差した。
 
「私も普通の人間とは違うから。むしろコイツは月人だから、人間とは味が違っていいか
もよ?」

 不味いとは思うけどね、と妹紅もやり返した。
 
「いやいや、コイツは食べても食べてもなくならないから食料としては最高よ?」

 不味いとは思うけど。
 
「るっさいなあ。私としてはコイツ食べてくれたほうが幻想郷のためになると思うわ」

 まあ、不味いんだろうけど。
 
「あら。未練たらしくいつまでも生きてるあなたこそ、妖怪の胃の中で消化されるべきだ
と思うわ」
「未練たらしく生きてんじゃなくて死ねないだけ。むしろ消化されるべきなのはあんたの
ほうよ」
「薬漬けで不味そうな肝臓のくせにそんなこと言うわけ?」
「誰が肝臓よ。あんたこそ灰色通り越して真っ黒な脳でしょうに」
「なーに?やるっての?」
「望むところよ。受けて立つわ」
「別にそんな勧め合わなくたっていいわよ。両方もらうから」

 いつの間にか言い合いがヒートアップし、妖怪そっちのけで2人は再び戦いを始めよう
としてしまっていた。闇の輪の中心で睨み合う2人の会話に、妖怪の少女は呆れた声で割
って入った。
 少女が入ったことで、2人の気はそちらにそれた。妹紅と輝夜は揃って少女を睨みつけ
る。

「つまり、私たちを食べようってつもりなのね?」
「つまりも何も、最初から2番目くらいにそう言ったじゃない」

 輝夜の音速が遅い問いに、少女は呆れ返ってしまった。
 しかし、一時その場に流れていた雰囲気は、その瞬間に全て吹き飛んだ。その少女が、
輝夜が、妹紅が、同時に己の妖気を開放させたからだった。
 ぶつかり合う強大な妖気の塊に竹は震え、風は生暖かくなる。決して張り詰めることな
く、妖気の流れによって空気が揺らぐ。3人ともまだ構えてはいないが、いつでも戦える
状況にあった。

「……この周りの闇は、あんたの使い魔かしら?」

 再び輝夜と背中を合わせ、妹紅は周囲の闇を見据えながら少女に尋ねた。
「そうよ」
 少女の答えはそれだけだった。その返答は正しいといえよう。これから捕食する獲物に、
わざわざ自分の力を詳しく述べる必要などないのだから。

「……さて」

 竹の葉がざわざわと哭く中、輝夜はごく落ち着いた声を出した。
 
「この子は私たちを食べるらしいんだけど……。どうする?妹紅」

 妹紅からは輝夜の顔は見えなかったが、輝夜が笑っているのは分かった。もちろん、こ
の妖気に中てられたわけでも怖気づいてひきつっているわけでもない。先ほどのように、
余裕があるから笑っているのだ。
 どうすると言っても、負けるつもりなどないのがよく分かった。
 妹紅も不敵な笑みを浮かべて、輝夜に応えた。
 
「食べるって言われて、はいそうですかって食べられる阿呆がどこにいるのよ」
「……でも、あいつ1人ならともかく、この周りの使い魔の数は」
「そうね、ちょっと多いかな?」

 先ほどからじっと見ていたが、この闇が一なのか多なのかよく分からない。ひと塊にも
見えるのだが、最初の攻撃で2人をまとめて狙ってきたところを考えるとそうとも思えな
い。
 恐らくは、闇がいくつかに分割されて飛んでくるのだろう。確かに、「ちょっと」覆い
ように思えた。
 いずれにしろ、この妖気は認めなければならない。体力を消耗している2人がこの状況
を打破するには、共同戦線しかなかった。

「呉越同舟、ってやつね」
「あんたが食われる分には、私は一向に構わないんだけどね」

 闇が動く。じりじりとその輪を縮めてきた。どうやらもう、戦うしかないようだった。
 輝夜が少女と、妹紅が闇と対峙する。
 
「それじゃあ……いただくわね」

 薄笑いのまま、少女はそう宣言した。凶悪な妖気が、一気に膨れ上がる。
 そして闇が襲いかかってきた。
 
「……いくわよ」
「オーケイ」

 はたから見れば2人は圧倒的に不利な状況だったかもしれない。相手は恐らく闇を操る
妖怪。いつの間にか月も闇の中に消えてしまい、2人に力を貸すものはなかった。闇の中
なら、その少女の1人舞台のようなものだ。
 だが妹紅も輝夜も、攻撃の瞬間まで笑みが消えることはなかった。
 不本意ながらも、この世で1番憎たらしいやつと組むことになってしまった。そんなこ
とは夢にも思わなかったし、考えただけでも鳥肌が立ちそうだった。こうして、互いの体
温が背中越しに伝わるなんて、なんとも奇妙なことだった。仕方がない、と理由づけても、
2人にとってはなかなか出来ないことだった。
 ひょっとしたら、次の瞬間には相手に裏切られて自分が攻撃されてしまうかもしれない。
妹紅と輝夜の関係はそういうものだった。本来なら、相手を疑って当然なのである。
 しかし2人ともそんなことはしなかった。単純に敵が迫っているのもあるが、それ以上
に背後にいる存在が信頼できたからだった。
 殺したいほどに憎くて、毎日のように殺し合って、コイツほどこの世で信じられないや
つはいない、と思っている。
 けれど、今は信じていた。この世で1番憎いから、この世で1番殺したいから、だから
信用することができる。遠慮会釈なく長く殺し合ってきたから、相手がどう動くか分かる。
この世で最悪のライバルだからこそ、信頼できるのだ。
 そこに、悪意などあるはずがなかった。



「背中は任せたわよ、天上の悠久!!」
「後ろは頼んだわよ、地上の永遠!!」



 歩を踏み出すスペースさえなかった。周囲の闇はそこまで2人に迫っていた。
 だが腕を動かせる空間さえあればいい。肘が後ろに当たる心配などはなから考えていな
かった。どうせ当たらないのだから。
 赤、青、紫。その狭い隙間の中で、妹紅は襲いくる闇に大量の3色の呪符を投げつけた。
呪符はつぶてのごとく飛散し、2人に触れる前に闇を消滅させてゆく。いささか闇の数が
多いとは思ったが、呪符のストックとて少なくはない。輝夜に対してだいぶ使ってはいた
ものの、使い魔を蹴散らす程度で数が尽きるわけがなかった。
 足を踏ん張り、そこから1歩も動かずに妹紅は闇を撃退していった。闇はまだまだ迫っ
てくるが、神速の速さで繰り出される呪符の嵐に、攻撃することは困難のようだった。
 一方、輝夜のほうも既に激戦を繰り広げていた。こちらは闇の少女との一騎打ちである。
否、少女は惜しげもなく使い魔を使ってきているから、厳密に一騎打ちとは言えなかった。
妹紅が相手にしているほどの数がないとはいえ、闇の少女がいる分総合の戦闘能力は高い。
少女が直接指揮しているために使い魔の動きもよかった。妹紅と違って使い魔を攻撃でき
ないところも痛い。
 だが所詮使い魔は使い魔である。量で圧倒する他ないそれに量がなかったら避けられて
しかるべきなのだ。少女が展開する弾幕に集中していても、使い魔の攻撃は撹乱にさえな
らなかった。
 つまり、要は少女自身の弾幕である。先ほどから漂っていた妖気は当然参考にはならず、
それよりも遥かに大きな力で弾幕を展開してくる。使い魔そのものの攻撃は大したことな
いもの、やはり強力な本体の攻撃に輝夜は舌打ちをした。自分と少女の間に盾になるよう
に使い魔を展開させ、攻撃と防御を両立させる。しかし当然それでは決め手にはならない。
スペルカードを使えば別だが、先ほどまでの妹紅との戦いで消費してしまったため、カー
ド自体はあと2枚しか残っていない。
 青の妖弾と、自分自身も楕円球弾を撃ち出して応戦するが、このままではジリ貧であっ
た。闇は無限に湧いてくるから、妹紅のほうもいつまでも戦っているわけにはいかない。

「蝕符……『トータルエクリプス』」
「なっ!」

 いちかばちか、と輝夜がスペルカードを使おうとした瞬間、まるで狙っていたかのよう
に少女が先手をとって宣言をした。完全に出遅れた輝夜はそのまま硬直する。今ここでス
ペルカードを使っても、相殺になるかどうかが怪しいからだ。相手のスペルカードの威力
が上ならば、こちらは撃つだけ無駄になるのだ。様子見は重要な戦略である。
 輝夜が構えるうちに、少女の放ったスペルカードが形を成してきた。金色にも見えるよ
うな輝く楔形の弾が、渦を巻いて蠢いている。それが少しずつ前進してきた。ただし一直
線に向かって来るのではなく、ぐにゃぐにゃと曲がりながら輝夜へと迫るものだった。輝
夜は神経を集中させてそれを見つめた。軌道が読みにくい分避けにくい。しかもお決まり
のようにその弾幕の隙間は狭かった。

「……そこっ!」

 だがその一瞬の隙を突いて、輝夜は弾幕の中に飛び込んだ。すぐ後ろで妹紅も避けた気
配がする。たん、と地面を蹴り、着地する寸前に輝夜はカウンターとばかりに使い魔を発
射する。軌道に大小さまざまな妖弾を配置させ、それをゆっくりと動かしてゆく。少女の
スペルカードほどではないが、それも軌道が読みづらいのだ。少女が顔をしかめるのが見
えた。おまけとでもいうように、輝夜はさらに使い魔を呼び出そうとする。

「輝夜っ!!」
「え?」

 だがそのとき、輝夜は不意に後ろから名前を呼ばれた。刹那、顔に何かが飛んできて衝
突する。かなりの勢いを持っていたそれは不意打ちとなって、輝夜を地面に倒してしまっ
た。
 何事かと輝夜が混乱していると、その直後に輝夜の上を大きな紫色の妖弾が通過してい
った。さらに、焦点の定まらない視界の中で、誰かに裏拳を放ったような妹紅の姿が映っ
た。

「……ったく!」

 仏頂面の妹紅がスペルカードを取り出した。輝夜を踏みそうになるくらいの位置に着地
して、一気に妖気を高める。

「不滅『フェニックスの尾』!!」

 大型弾をかわすと、妹紅はスペルカードを1つ発動させた。妖気が渦巻き、紅く燃え、
妹紅の背中に集まってゆく。それは見る見るうちに翼を形作っていった。

 ただの人間であれば、例え不死であろうとも輝夜は苦戦しない。しかし、輝夜と互角に
渡り合う妹紅の最大の武器が、この炎の翼なのだ。長い年月を生きた故に手に入れた強大
な妖気をただ力として使うのではなく、別な形にしてより強力な攻撃方法を作り出したの
だ。この竹林全てを燃やし尽くさんばかりに猛る翼は、不死鳥の象徴。
 翼はさらに燃え上がり、多数の火の玉を生み出した。
 火の玉と魔弾がぶつかり合い、火花を散らす。2人の魔力が弾け、竹林に閃光をもたら
した。その火花が頬に触れ、とっさに輝夜は顔をかばった。その刺激が鈍っていた思考を
回復させ、妹紅が自分を殴って大弾の攻撃を回避させたことに気がついた。

「……ふん、あなたに助けられるとはね」

 輝夜は苦笑した。多分、人生最大の汚点の1つではないかと思われる。永遠を生きたと
しても、きっとこのことは忘れないと思った。
 しかし、かばわれてしまったことは事実である。今更なかったことにできるわけでもな
い。ならばどうすればよいか。答えは簡単だ。自分がそれ以上のことをすればいい。
 にやりと不敵に笑うと、輝夜は勢いよく立ち上がった。少女を相手にしている妹紅を背
にし、闇に目を向ける。

「さあ、今度は私が相手よ」

 輝夜は使い魔を攻撃できないが、その攻撃を全て相殺するくらいはできる。妹紅に華を
持たせるのは癪だが、自分がいなければ妹紅だって何もできはしない。時間稼ぎでしかな
いものの、必要なことであるのは分かっていた。

「……うっとうしいわね」

 不死であるが故に2人の傷はほとんどふさがっている。体力は全快していないものの、
外見的に回復しているように見える2人は、少女にとって苛立たしいものなのだろう。そ
れに、おそらく思いのほか抵抗が強いのもあるのかもしれなかった。

「影閃『ストゥームブリンガー』!」

 火の玉を相手にしていた少女は、やがて痺れを切らしたのか新たなスペルカードを放っ
た。少女の右手に黒い魔力が集まってゆく。水平に伸ばされた右腕から、さらに延長する
ようにその魔力は棒状の形を成していった。
 少女がそれに左手を添えたとき、それが何かしらの武器であると輝夜は気づいた。
 
「ほっ!」
「のわっ!?」

 周囲の闇の攻撃をあしらいながら輝夜は沈み込む。そして、警戒して構えている妹紅に
足払いを食らわせた。妹紅は完全に不意をつかれ、間抜けな声を出して体勢を崩す。
 そのまま後頭部を強打させ、おまけとして無防備な顔面に膝蹴りの1つでも入れてやっ
てもよかったが、とりあえず妹紅の力は今のところ必要なので、輝夜は背中から倒れこん
できた妹紅をそっと受け止めた。

「かぐ……?」
「ちぃっ!!」

 膝をついている輝夜と、その輝夜に抱えられている妹紅のすぐ上を、少女の大きな剣が
切り裂いていった。少女の構えから、その武器を横に薙ぐことは分かっていた。あらかじ
め予測していたから避けられたものの、あのまま何もしていなかったら首が胴体と生き別
れになっていた。少女の一閃はそれほど速かったのだ。
 その少女も、よもや背を向けていたほうが攻撃を回避するなどと思っていなかっただろ
う。それもこれで2回目だ。空振りした剣気からいくつもの妖弾が放たれていたが、それ
でも少女の表情は驚愕に満ちていた。
 少女が2人の姿を確認したときには、既に輝夜がスペルカードを使っていたからだった。
 
「神宝、『ブリリアントドラゴンバレッタ』!!」

 スペルカードが爆発し、そこから5色の妖弾と鋭い光線が現れた。まばゆく光る光線は
少女の妖弾を弾き飛ばし、囲い込むように少女に迫る。少し遅れて同じ色をした妖弾がば
らばらと少女に向かって行った。

「くっ……ああぁぁぁぁ!!」

 その弾幕に圧倒され、少女が後退する。だが逃走までには至らなかった。少女は己の不
安を振り払うかのように雄叫びを上げ、黒い刃を振り回して弾丸を叩き落とした。
 距離を取り、少女はかっと目を見開く。すると周囲の闇が一斉に2人に向かって飛びか
かってきた。闇は弾幕を張りながら突っ込み、またそれ自体が魔力の塊なので、自爆も兼
ねて攻撃してきた。

「させるか!虚人『ウー』!!」

 しかし闇が2人に届くより先に、輝夜に抱えられてた妹紅がスペルカードを撃った。い
つまでも輝夜なんかに抱えられていたくはないので、妹紅はさっと飛び起きる。
 妹紅の右手にあったスペルカードが光を発して消滅する。そしてそこから3つの使い魔
が現れ、闇を貫いていった。穴の開いた闇はすぐに塞がるが、このスペルの本領はそんな
ところではない。使い魔が通った後にはさながら線のように先の尖った妖弾が残されてい
た。それらは音もなく動き始め、妹紅たちに迫ろうとしていた闇にぶつかっていく。
 闇が動きを止めた瞬間を狙い、妹紅はまるで爪のごとく空間を引っ掻いてゆく使い魔を
連射した。瞬く間に闇は引き裂かれ、消えていった。

「……さっきので借りは返したと思ったのに」
「冗談。ああいう借りならこんなとこで返させやしないわよ」

 不満そうに呟く輝夜に、妹紅は鼻で笑って返しておいた。そのうち何かの権利に代えて
行使させてもらおうと思っていた。数日以内に使わないと輝夜は忘れそうだったが。
 妹紅が闇をさらに攻撃する。その間にも、輝夜は輝夜で弾丸を乱射していた。
 2人の少女を中心に凄まじい弾幕が展開される。闇も、少女も2人に近づくことさえで
きなかった。2人の耳に、少女の舌打ちが聞こえてきた。
 少女はようやく気づいたらしい。この2人に勝つのは容易ではないことに。
 
「くうぅっ!」

 劣勢になり始めた少女に、輝夜は構うことなく弾丸を追加してゆく。妖弾同士が弾け合
い、耳障りな衝突音が闇の空間に響き渡る。少女は必死になって弾丸を叩き落とす。しか
し輝夜のスペルカードのほうが威力が上回っていた。

「くっ……そ!調子に乗るな!」

 少女が叫ぶ。闇が輪を狭め、一気に2人へと襲いかかる。だがそれも、妹紅のスペルに
よってことごとく返り討ちにされていた。

 1匹がなんとかそれをすり抜け、輝夜に背後から飛びかかる。だがそれも妹紅自身の呪
符によって消滅させられてしまった。その隙を突いて少女が剣を振り下ろす。しかし今度
は輝夜が後ろも向かず、正確に少女に向かって弾丸を放った。少女は慌ててそこから飛び
退る。
 完璧に息の合ったコンビネーションであった。
 それもそのはずである。
 憎み合っているから、相手の動き方を体感的に研究してきた。それが今見事に生かされ
ているのだ。憎んでいるからこそ、相方がどうしているかなど目をつむっていても分かる。

「宵符、『ナイトレイヴン』!!」
「不死、『火の鳥 ―鳳翼展翔―』!!」

 ぴったりと息の合った2人に死角はなかった。2人は円を描くようにその場を回って移
動しながら攻防を続けていたが、少女がスペルカードを出した瞬間に2人とも同時にそこ
で立ち止まった。そして、たまたま少女の前に立った妹紅が迎撃にスペルを放つ。後ろに
いる輝夜は使い魔の攻撃を相殺した。

「ぅあっ……!」

 少女の紅い光線などものともせず、妹紅の不死鳥をあしらった炎の塊が少女を襲う。
 
「きゃあああっ!!」

 そして、不死鳥が少女に直撃した。少女は防御する事もできず、高温の炎によってその
身を焼かれていた。使い魔の動きが止まったので、輝夜が肩越しに後ろを振り返る。
 少女が地面に落ちていくのが、その目に映った。
 
「やったの?」
「いや、まだ生きてるわ」

 どさり、と派手に地面に落ちた少女に、妹紅は歩み寄る。輝夜もその後についていった。
 
「う……うぐ……!」

 妹紅と輝夜が並んで少女の前に立つ。少女は服もほとんど焼け落ち、体も火傷で済まな
いくらいに焼かれていた。体の一部が炭になっていても生きているのは、やはり妖怪だか
らだろう。

「驚いたわね。あれをまともに喰らって生きてるやつなんて、輝夜くらいだと思ってたわ」

 だぶついたズボンのポケットに手を入れ、見下すように妹紅が言う。
 
「ぐ……」

 地面にはいつくばって、少女が2人を睨みつける。悔しさがその目いっぱいに浮かんで
いた。正直相手が悪かったのだが、少女の力もかなりのものであり、もう少し2人の戦い
が長引いていれば勝てたのかもしれなかった。
 だが仮定を持ち出したところで何にもならない。少女は現状を知った上で、まともに動
かない体で必死に抵抗しようとしていた。
 そこへ、無情にも輝夜が最後の一撃のために前へ出た。
 
「まあ、やっといたほうがいいわよね」
「そうね」

 2人に交わされた会話はそれだけだった。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ単に邪
魔なゴミを捨てるかのように。
 それでも、少女の目に恐怖は浮かばなかった。ある意味で賞賛されるべきものである。
 しかし放っておけばまた同じようなことが起きるのも事実。輝夜は自身の魔力を集中さ
せていった。妹紅はその邪魔にならないように一歩下がる。

「私に当てないでよ」
 輝夜が何を使おうとしているか悟り、妹紅は一応釘を刺しておいた。
「嫌よ。巻き添え食ってね」

 しかし輝夜が肯定しないのは分かっていた。輝夜は妹紅の言葉をあっさりと退けてしま
った。

「さて、と……」

 本当に消耗していたのか疑わしくなるくらいの魔力が集められる。
 
「月の光も差し込まないようなこんなくだらない夜、さっさと終わりにしなければね」



 ――永夜返し。



「星符『ミッドナイトレヴァ……!!」



 ――世明け。












「……あー。ほんとに日が昇ってきた」

 地べたに座り込んで、妹紅がぼんやりと呟く。
 互いの殺し合いに加えて、闇の少女とのエキストラマッチを越えた2人は完全に体力を
消耗してしまっていた。体力の回復を図っていたら、東の空が白んできてしまったのであ
る。日付が変わるころに輝夜は妹紅のところに来たが、少女が闇によって月を隠してしま
っていたため、2人がどれだけ戦っていたのかは分からない。少なくとも、休憩をしてか
ら割とすぐに日が昇ってきたため、夜明け近くまでは戦っていたものと思われた。

「あったく……。人間は夜寝るもんなんだから、こんな時間まで運動させないでほしいわ
ね。しかも寝る家ないし」

 ぷうと頬を膨らませて、妹紅がむくれる。
 
「うるさいわね。あなたがとっとと食べられちゃえばそんなこともなかったっていうのに」

 かなり間違った方向へ、輝夜が呆れ顔で話を進める。
 2人とも、焼け野原になった竹林の真ん中で、お互いにもたれあっていた。
 こんな風に憎まれ口を叩いても、その背中は温かかった。
 
「……ま、いいや。慧音の家で寝ようっと。で、それどうするの?」

 ため息を1つ吐くと、妹紅は輝夜のそばに転がっているスマキを指差した。中身は先ほ
どの闇の少女である。

「妹紅以外はむやみに殺す必要はないからね。永琳に力を封じてもらおうかと思っている
わ」

 むにー、と輝夜は少女のほっぺたを引っ張る。相当に威力ある攻撃を浴びせたため、恐
らく2、3日は目が覚めないことだろう。

「あっそ。じゃあとっとと帰ってくんない?今日は見逃したげるから」
「そうね。あなたの顔なんて今日は見飽きたからね」

 意見一致、とばかりに輝夜と妹紅は同時に立ち上がった。互いに背中を合わせていたに
もかかわらずバランスを崩さなかったのは、やはり2人の息が合っているからだろう。
 そんなこと、死ぬまで認めたくはないが。
 
「それじゃあ、またそのうち殺しに来るわねー」
「るっさい。二度と来んなー」

 輝夜は少女を引きずり、竹林の奥へと入ってゆく。
 妹紅はボロボロの服を気にしながら、竹林の出口へと向かっていった。






 互いの姿が見えなくなったところで、2人はふと、今来た方向を振り向いた。
 永遠に続く生の中、この世で最も憎い人妖と組むことなど、もうないと思う。もう組み
たくないとも思っている。
 だが2人で少女と戦っていたとき、少なからず楽しい気持ちが心にあった。
 あんなに安心して背中を預けられるのは、この世に2人といないだろう。
 そう思うと、ちょっとだけ寂しかった。
 
「……ふん」

 竹林で、もう聞こえない2人の声が重なった。


「じゃあまたね」

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