小  説

43-ヒトガタの想い 第1話










※オリキャラが主役です























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 あなたと過ごしたのは、たかだか数年間。

 でもね、それでもそれは。

 私にとって、とてもとても大切で、楽しい時間だったのよ。


 ――ねえ、永琳。














 今日の祭祀はつつがなく終えることができた。全民衆を代表して太古の神に祈りを捧げ
るなんて面倒この上ない。私の体は体力的に疲れることはないけれど、精神的には参って
しまっていた。その精神だってあるかどうか不明確だけど。

「はー……」
「お疲れ様ですわ、姫」

 自分に与えられた部屋に戻り、布団の上に体を投げ出す。柔らかい布の感触を楽しんで
いると、後ろからもう聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。

「二人のときは姫って呼ばなくてもいいって言ったじゃない」
「あら、それは失礼しましたわ、姫」

 そう言ってそいつはくすくすと笑う。くそう、楽しまれてる。もちろん、こんなやり取
りにだって慣れたけど。

「でもこれで、あなたがするべきことは残り一つよ」

 そばにある椅子に座り、彼女はそう言う。
 うん、分かってる。同じことを何年か繰り返して、次がようやく最後の仕事。
 それを終えて、ようやく私は晴れて自由になれるのだ。自由といっても私に人権がある
とは思えないけどね。身分的には優遇されていたんだけど、きっとあの方も私のことを快
く思っていなかっただろうな。


 だって、命なき人形が月の姫君をやってるんだものね。








「……どう?」
「とりあえず、起動はできたわ。理論上は動くはずよ」

 私が意識を得て、最初に見たものは。
 
「あっ! 目を開けたわ!」
「どう? 私たちが分かる!?」

 それは、2本の細長いものを頭から生やした、なんだかよく分からない人たちだった。









「昔を思い返すほど長く起動しているわけじゃないでしょうに」
「うるさいわね。私は限りなく生き物に近づけて作られてるんだから、それくらいいいで
しょ」

 いくらものを見てきた時間が少ないからといって、区切りが見えれば最初を思い返すも
のよ。
 初めの頃。そう、私が作られたとき。
 私は戯れに腕を可動範囲内で捻ってみた。手首や肘、肩といった関節がきゅいきゅいと
小さな音を立てる。うん、いつも通りだわ。何の違和感もない。私が私を得たときからず
っと付き合ってきたこの体は、今も私の思い通りに動いていた。
 私は体を反転させ、布団の上に仰向けになった。顔を横に向け、彼女の背中を見つめる。
相変わらず、机の上には大量の書類が積まれていた。見ているだけで嫌気がさしてくる。
 けれどそれを全く苦にせず、しかも一日で終わらせるたび、彼女は本当の天才なのだと
認識する。あんな量私はやれと言われたら一年くらいかかりそうだわ。私の処理機能はそ
こまで高くない。
 そう、彼女は天才。初めて会ったときからその雰囲気をたたえていたが、こうしてずっ
と一緒に暮らしてきて、ますますそれは実感を帯びてきていた。まだ何も知らなかった私
にとって、彼女は――八意永琳は本当に凄い人だったのだ。




















 全身を隠され私が案内された先は、簡素な装飾のされた扉だった。てっきりその隣にあ
る巨大な扉の向こう側かと思っていただけに、少しだけ拍子抜け、少しだけ安心だった。
 頭から細長いもの――兎の耳を生やした案内人は、扉を開けると私を中に押し込んだ。
どうも彼女はこの中には入れないらしい。仕方なしに私が中に入ると、彼女は扉を閉めて
しまった。そしてすぐにそこを離れる足音が聞こえてくる。ああ、去ってしまったのね。
用件だけ済ませたら後はおしまいなんて、ちょっと冷たいと思うわ。
 兎って皆こうなのかしら。この月の人口は、ほぼ全て兎で構成されている。兎といって
も人型で、知性もありちゃんと文化的な暮らしをしているけど。
 愚痴っても仕方ないわね。私は放り込まれた中を見てみた。
 そこは廊下。普段人が使っているところに比べると狭いけれど、それなりに装飾されて
上品な感じがした。でも人はいない。お呼びがかかったとは聞いていたけど、まさか私は
廊下に呼び出されたというの? 呼び出しってこういうこと?
 ――なんて馬鹿なことがあるはずもないわね。よく見れば向こう側にもう一つ扉があっ
た。多分呼び出した本人というのがその向こうにいるのだろう。私は行ってみることにし
た。いずれにしろ行かなきゃならないんだし。
 扉をノックする。返事が聞こえてきたので開けてみた。
 
「来たわね」

 中は、存外に暗かった。カーテンを閉めていたからだと後で気づく。
 会議室のようなものなのだろうか。厳粛な雰囲気を、広いテーブルが強調している。そ
のいくつもある椅子のうち、二つが陣取られ、あとは空いていた。
 私の目は、自然と手前にいた人にいった。
 長い銀髪を大きな一本の三つ編みにし、肩から胸の前にたらしている。その優しげな笑
みが印象的だった。
 けれど、それ以上に私の目を引いたのが、その頭だった。

 耳が、ない。

 いや、聴覚器官としての耳はあるんだろうけど。兎の耳がないのだ。この月において1
%にも満たない、兎でない種族。彼らが何者で、ルーツがどこなのかはほとんど分かって
いなかった。
 それが、私の目の前にいる。吸い込まれそうな瞳で、私のことを見つめていた。
 
「座りなさい」

 不意に、彼女が私に声をかける。そういえば立ちっぱなしだったことに気がつき、私は
慌てて目の前にいる椅子を引いて腰掛けた。声を聞くまで我を忘れるほど、その人は神秘
的に見えたのだ。

「ふうん……。座れと言っただけなのに、その椅子だと分かるのね」

 私が座ったのを見て、彼女が楽しそうに呟いた。何か間違えただろうかと思ったけれど、
単に感心しているのとからかっているのと半々であったことに気づく。
 そう、初めて会ったときも彼女は私をからかった。
 
「それじゃあ自己紹介から入りましょうか。私は八意永琳。月の執行総括補佐官よ」

 それが、私と永琳の出会いだったのだ。









 正面にいた人は八意思金(やごころおもいかね)様。月の執行総括、つまりは政治などに
おける最高権力者。本当はその上に月の姫がいるけど、姫は政治などにかかわらない決ま
りになっている。月は実質この人が取り仕切っているのだ。作られたばかりとはいえ、私
の中にはある程度の知識がインプットされている。この二人がどれほどの権力を持ってい
るのかは知っているつもりだ。
 月の最高権力者とその補佐官。そんな二人が私を呼んだというのだから、ひょっとした
らとんでもない用なのかもしれない。それを意識すると途端に緊張する。限りなく知的生
命体に近づけて作られている私はそれを感じることだってできるのだ。わぁ、凄いぞ私。
って思考がずれるずれるずれる。

「あなたのことは私たちのほうがよく知っているからいいとして……」

 ずれた思考を戻したのは、八意思金様の声だった。言葉一つで意識を掴むとは流石ね。
 
「詳細は後にして、あなたの任務を教えましょう」
「は、はいっ!」

 その言葉に、私は再び体を強張らせる。八意思金様が直々に告げるのだ。これは間違い
なく重要な任務に違いなかった。作られたばかりの私にそんな大それたことをやらせるの
はどうかと思う。
 あ、また思考がそれ始めた。わけの分からない言葉の奔流が私の頭をぐるぐると駆け巡
る。ああまずい、これを止めなきゃ話を理解できないかもー。
 私が座ったままうだうだしていると、八意思金様が口を開いた。ああちょっと待って、
まだ落ち着いて――。



「それでは……。あなたには、月の姫になってもらいます」
「はい?」
 思考が止まった。ものの見事に。











「これが……カグヤ姫ですか」
「そうよ」

 止まった思考がそう簡単に再起動するはずもなく。
 結局例の会議が終わり、永琳と八意思金様に部屋から連れ出されるまで私はフリーズし
たままだった。
 だって、いきなり姫の代わりになれなんて、ねえ。
 八意思金様はまだ公務が残っているからということで、永琳が詳細を教えてくれること
となった。部屋を出て、私は永琳の部屋に案内された。
 中は異常に広い上に、話によるとまだいくつも持っているらしい。流石最高権力者の補
佐官。というか、永琳は八意思金様の娘らしい。部屋に案内されてから永琳は自分の簡単
なプロフィールを教えてくれた。何でも月の頭脳と呼ばれているらしく、補佐官でありな
がら政策には非常に深く関わっているとのことだった。八意思金様よりも頭がいいどころ
か、八意家でも史上最高の天才だという。自分で言うことじゃないと思うんだけど、それ
について言及するのはやめておいた。

「あの……永琳さん?」
「ああ、呼び捨てでいいわよ。貴女はこれから姫の真似事をするんだから、誰かにさん付
けすると怪しまれるかもしれないわ」
「は、はあ……」

 永琳の言うことももっともだった。月の姫は執行総括である八意思金様のさらに上にあ
る、現人神同様の扱いである。月で神聖視されている人物がそうではいけないということ
だろう。さん付けすれば人柄はよく思われるかもしれないのに。

「姫はそういう性格じゃなかったから」

 私がそう言うと、永琳は苦笑してそう返してきた。相当の我侭娘だったらしい。知識と
して月の政治システムは知っているけれど、その役を担う人がどんな人物かなんてのは知
らないしね。だから私は永琳の言うことに従った。敬語も使わなくていいということらし
い。

「それで、何?」
「あ、うん。カグヤ姫って、私に凄く似てると思うんだけど」

 私は月の姫の肖像画を眺めて言った。顔立ちも似ているし、この長い銀髪は色艶まで一
緒に見える。服はないから仕方ないが、もしかしたら体格も近いんじゃないだろうか。

「逆よ。姫が貴女に似てるんじゃなくて、貴女が姫に似せて作られたの」

 私の問いに、永琳はしれっと答える。
 うん、考えてみればそうか。私のほうが後からできたんだし、そもそも人形なんだから
顔や体型を似せるなんてのは造作もないことだろう。私が等身大で作られたのは、初めか
ら月の姫と同じように設計されていたからなのね。ちなみにカグヤ姫は月兎なのだが、兎
の耳はない。本当はあったのだが、あれは通信手段にもなってしまうため、生まれたとき
に切り落としたそうだ。だから私には初めから耳が設計されていない。
 カグヤ姫の肖像を見ながら、私は自己確認をしてみた。カグヤ姫に似せて作られたから
には、それなりの理由があるんだろう。でも、私はカグヤ姫じゃない。

 私は人形。生命を持たない、モノなのだ。

 人形とはいわば式。ただのモノとして扱われるものと、命令の元に動くものがある。大
まかに分類すれば私は後者なのだろうけど、厳密には違う。
 私は命令がなくても、こうして自分でものを考え行動することができるのだ。ときたま
言われたことが理解できなくてフリーズするけど、それはおいといて。自己を持つ人形と
いうのは、月の歴史の中でも初めてのはずだった。それどころか感情や閃きなんて、生き
物としか思えない行動だって取れる。普通の人形って、つまりは操り人形なのだから。


 誰かの手によって操られない私。名称で表すとしたら、そう――自立人形。


「ねえ、それで私は何をすればいいの?」

 ある程度納得して、私は本題に入った。永琳は机の上にあった書類に目を通していたが、
私がそう言うと紙の束を机の上に置いて振り向いた。

「月の姫が何をするかは知っているかしら?」
「ええ。主に国事行為でしょ? 政治に関わることはほとんどないと思ったけど……」
「その通り。よく知ってるわね」

 そう、月の姫は月の最高位人物であるにもかかわらず、国のことには一切ノータッチな
のだ。ただし儀礼式典などには必ず出向き、また予言に近いことも行っているらしい。前
者はともかく、後者を私ができるとは思えないのだが、代理だからその辺りの計らいはあ
るだろう。なかったら困る。

「少し大変よ。覚えることがたくさんあるからね。貴女の機能なら何とかなると思うけど」
「多分、ね」

 その後は主にカグヤ姫のことについて聞くことになった。カグヤ姫の代理、というか影
武者としてこれから暮らすことになるのだから、特に公衆の面前での振舞い方を注意しな
ければならない。カグヤ姫が戻ってくるのは数年後の予定。今は病気で臥せっていること
になっているからしばらく民衆の前に顔を出す予定はないらしい。が、流石にそれまで式
典などを放っておくわけにはいかない。つまりはその間にカグヤ姫そっくりに振舞えるよ
うに特訓しろということだった。
 ちなみに人形がカグヤ姫の代理をするということは完全な極秘事項。永琳と八意思金様
しか知らないことなのだ。
 カグヤ姫のお目付け役が永琳だったらしい。カグヤ姫を一番知っているのはこの人って
ことね。

「姫が帰ってくるまでは、私と一緒に暮らしてもらうわ。まあ、姫の部屋は私の部屋の隣
なんだけど、多分使わせてもらえないでしょ」

 そりゃそうだ。仮にも現人神と称えられている人の部屋を、作られて半日経ってない人
形に使わせるなんて、誰も承知しないだろう。私は少しだけ安心した。

「とりあえず、本格的なことは明日からだから。身の回りを整理して今日は休みなさい」
「うん、分かったわ。よろしくね、永琳」
「ええ、よろしくね、イルルナーダ」

 永琳と握手をして、そこでようやく私は大事なことを忘れていたのに気づいた。永琳も
八意思金様も知っていたから言えなかったけれど。


 そうだ、「イルルナーダ」。
 それが私の名前だった。









 永琳の持つ部屋のうちの一つを割り当てられることになり、月の姫のことについてや式
典に関する書物などが大量に運び込まれてきた。服や何かはカグヤ姫の部屋からは移動さ
せていない。必要に応じて永琳が持ってくることになった。
 永琳の言葉にうなずいた私だったが、一つだけ疑問が残っていたので永琳に訊いてみる
ことにした。

「何?」
「カグヤ姫って、今何してるの?」

 影武者として起動させられた私だが、肝心のカグヤ姫本人を見ていない。本人見たほう
が振舞い方とか分かると思うんだけど。
 永琳は私の問いには答えなかった。というより、どう言うべきかを考えているように見
えた。
 そうして、永琳は抑揚のない声で私に言った。さっきまであった柔らかい笑みなんて忘
れてしまったかのような、凍りつくような冷たい表情だった。

「姫は……月(ここ)にはいないわ」



















 人形として作られ、永琳と出会い、カグヤ姫として過ごして数年間。次の式典に出て私
はカグヤ姫としての任務を終えることになっている。
 カグヤ姫は「ある罪」によって流刑地に送られているそうだ。その罪が今年で晴れる。
カグヤ姫を連れ帰り、本当の姫として私が今いるところに戻すのだろう。そうすることで、
私の任務は終わる。終わったら用済みなわけだから自由ということ。まず永琳たちと別れ
ることになるんだろうけど、それは仕方がないから諦めている。
 うん、仕方がないわよね。
 
「イルル、次の式典が何だか分かってる?」
「当たり前でしょ。初めてじゃないんだから」

 私が少しアンニュイになっていると、永琳が現実を投げかけてきた。
 次は晦日(つごもり)の儀だ。名前だけだと仰々しいけど、実際は民衆の前に顔を出して
祝辞を述べるだけのこと。月の姫はこれをもって宮殿の中に引っ込み、新年まで人前に姿
を現さないということだった。
 つまり、晦日の儀を終えたらすぐにカグヤ姫を迎えに行き、新年の初月の儀から始める
という寸法ね。ついでに言うなら、カグヤ姫が罪を犯して流刑されたことも永琳と八意思
金様しか知らない。他にも何人か使者を連れて行く予定だけど、彼らはどうして流刑人を
月に連れ戻すのかは知らないそうだ。
 挨拶の文句は毎年似たようなものだから、今更慌てるようなことは何もない。そりゃ最
初は相当戸惑ったものだけど。
 ちなみに永琳は私のことをイルルと略して呼んでいる。正直長ったらしいから私もその
呼び名は気に入っていた。今じゃ本名も忘れるくらいそれは私に定着している。
 それがもうすぐ終わりと思うと、やっぱり少し寂しかった。
 
「……ねえ、永琳」
「ん?」

 だから、私はこの任務を始めたときからずっと考えていたことを永琳に言ってみること
にした。

「カグヤ姫を迎えにいくとき、私も連れて行ってくれない?」

 書類に目を通していた永琳は、それを聞いて顔を上げた。少しばかりの驚きが見て取れ
る。
 私は本物のカグヤ姫を見たことがない。だから、流刑されている本人に会ってみたかっ
た。自分そっくりの人形を見たら何と思うだろうか。どんな反応をしてくれるだろうか。
それが、想像するだけで楽しかったから。

「……駄目だと言ったら?」
「じゃあ命令。連れていきなさい」

 永琳はやんわりと拒否しようとしたけど、私は引き下がらなかった。引き下がってもよ
かったのだけど、どっちにしろ晦日の儀が終わったら永琳とは分かれる。だから、もう少
しだけ一緒にいたいという私の我侭だった。

「……我侭ね」

 永琳は苦笑して、私の心でも読んだかのような感想を述べる。私はにっと笑って返した。
 
「そりゃね。カグヤ姫に似るように訓練されてきたんだから」

 渋々、けれど嬉しそうに、永琳は承諾してくれた。その笑みは私が始めて永琳と会った
ときのものと変わっておらず。

「さ、そろそろ休みなさい。私は今年用の祝辞を考えるけど」
「はーい」

 だから私は、それを表面的な意味でしか捉えられなかった。
 その笑みが、私が生まれるより以前に作られ、別の意味を持っていることに気づかなか
った。
 私は無邪気にも、永琳が喜んでくれてるんだと思い、素直に永琳の言葉に従った。
 カグヤ姫に会えるのを楽しみにして、私は晦日の儀を迎えることとなったのだった。
 
「おやすみ、永琳」
「おやすみ、イルル」





























 そして。

 人形劇(グランギニョル)の、幕が開く――。



















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