小  説

46-ヒトガタの想い 第4話

 空気が揺らぐ。木々が吼える。月の光が歪められる。永琳は魔力を集中させ、弓を持っ
た手を天にかざした。そこに一本の光の矢が作られる。強烈な波動が私の体に伝わってき
た。
 嘘だと思いたかった。これが冗談であって欲しいと思った。けれど、それこそが嘘。永
琳の醸し出す魔力は本物。周囲に散らばる死体の山が現実。いつだって私で遊んできた永
琳だけど、こればかりは本気だった。
 矢が天へと放たれる。私の目はそれに向けられた。矢は空中で止まると、強い光ととも
に爆散した。
 ザンッ、と大きな音が耳に届く。直後、粉々になった魔力塊が左右に円軌道を描きなが
ら私へと迫ってきた。そのスピードは決して速くない。でもその青い光の一つ一つに、激
しい魔力を感じた。

「くぅっ!」

 私はその軌道を見極めると、体を小さくして永琳のほうに突っ込んだ。真正面から反撃
される可能性もあったけど、どっちにしろ私の力じゃ永琳に敵うはずもない。服が切り裂
かれるのを肌で感じながら、私は光の渦を通り抜けた。
 その私の前に、永琳が立ちはだかる。圧倒的な魔力が私を押しつぶそうとしていた。

「さあ、穢れたこの地に消えなさい……イルル」

 永琳の頭上が輝いていた。ちらっとだけ見上げると、そこにあったのは今にも爆散しよ
うとするもう一本の光の矢。


 ――ザンッ


 いつの間に、と思ったときにはそれは既に爆発していた。私が咄嗟にできたのは人間と
同じように腕で頭を庇うことだけだった。

「ぅああっ!」

 痛覚は生き物よりも小さいはずなのに。そう設計されているはずなのに、頭が狂いそう
になるような痛みが私の体に突き刺さる。永琳の放った魔力の光が、貫通までには至らな
くても無数の針のように私を痛めつけた。

 少し後退して、私は距離を稼ぐ。もとより私に攻撃する意思はない。なんとか、永琳と
一緒にいようと思っただけ。

「……じゃあ、一つだけ答えてほしいことがあるわ。それだけは教えてほしい」

 でも、それも叶いそうにない。永琳はカグヤ姫とだけで行くつもりらしいから。だから、
私ができるのはせめて、あがくことだけだった。痛みに顔を歪め、私は永琳に話しかける。

「何?」
「どうして、私を連れてきたの? 私は本当は昨日破壊される予定だったんでしょ? ど
うしてそれを見逃して、今ここで壊そうなんて思ったの?」

 いや、それも正しくない。永琳はカグヤ姫が帰りたくないって言ったからこんな行動に
出た。なら、私を壊すことも予定外だったんじゃないの? だからそれだけは聞いておき
たかった。

「ああ、それね。簡単よ。貴女は私じゃなくて、姫に壊してもらおうと思ってたの」
「な……?」

 カグヤ姫に?
 どっちにしろ壊すつもりだったってわけ? そんなことのために、わざわざ――。
 
「どうしてカグヤ姫に……?」
「姫の立場を穢した人形は、姫が壊してこそ合理的だと思ってね」

 永琳の顔に笑みが浮かぶ。いまだ牛車から出てこない、彼女の母親と同じような黒い笑
顔。
 そんなことを考えてたの? 私を選んだのはあんたたちでしょうに。自分たちで選んで
おきながら穢しただなんて。こいつらは、本当にどこまでも――!

「まあ、姫が帰りたくないと言ってしまったからには私が壊しても問題ないからね」
「私は……それでもあの生活が気に入っていたのに……」

「生憎ね。私は姫の真似事をする貴女のことが、大嫌いだったわ」


 ――ガキン


 音が鳴る。永琳のその台詞が私をえぐる。
 だから、それが合図になった。
 
「このおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 私は手に魔力を集中させる。もう私の周りには絶望しかない。いや、こうなることは予
定されていたんだから、初めから私の周りには絶望しかなかったんだ。
 できれば泣きたかった。声に悲しみがこもっているのが分かった。でも、人じゃない私
にそれはできない。私の目に水分なんてないんだから。
 魔弾を放つ。青い力が、永琳へと飛んでゆく。
 
「無駄よ」

 だけど。
 永琳が腕を振り上げる。刹那、私の視界に強い光が飛び込んできた。
 突然私を囲んだ光線に、魔弾はあっさりを弾き飛ばされてしまった。
 赤い光線が、まるで蜂の巣のような形を作って私を囲い込む。その交点は、永琳がさっ
き撃った光が着弾した位置と同じ。あの攻撃は、そのまま次のこの攻撃へとつながってい
た。弓を構え、永琳が矢を私に向ける。私の行動を計算して、これを用意していたという
の?
 ――これが、月の頭脳の力。
 いかに私が一般兵士よりも力を持っているといっても、永琳の言った通り格の違いをま
ざまざと見せつけられた気がした。
 でも、あきらめられない。私は再び魔力を練り出して苦し紛れとも見える体勢で永琳に
投げつけた。姿勢をなるべく崩して、そのまま地面に倒れこむくらいに。
 私の真上を、光の矢が疾走していった。魔弾をぶつけたために辛うじて軌道がそれたの
が分かった。私はすぐに起き上がると思い切り地面を蹴って空中に飛び上がる。今の体勢
を、永琳が逃すはずがない。案の定、私がいたところに矢が突き刺さり爆発した。
 これでも空は飛べる。私は光の網目の範囲外に逃げ、そこに着地した。すぐさま横っ飛
びで永琳の矢をかわす。矢を撃つのに本当はいちいち番える必要なんてないから、永琳は
平気で矢を連射してくる。あんなの、一発もらったら完璧に機能停止するわ。私は永琳の
動きに注意して、必死で矢をかわしていった。
 かわしながら、私は魔弾を作り出す。永琳は矢をすぐに当てようとはしていない。また、
私で遊んでるのね。いつでも壊せるから、私が逃げ惑う様子を楽しもうっての?
 ――その傲慢さ、打ち砕いてやる!
 私はもう一度永琳に突進した。永琳はすぐに矢で攻撃するのをやめ、魔弾を自身の周り
で生み出し始めた。状況を瞬時に判断する能力は流石ね。こんなにあっさりと対応される
と、簡単にやられそうで怖い。
 でも、一矢報いなきゃ気が済まない。私は飛び交う永琳の魔弾を紙一重でかわしつつ、
永琳に接近した。

「そこぉっ!」

 一発。できる限り魔力をこめた攻撃。当たれば永琳にだって通じる威力のはず。
 ――当たれば、ね。
 永琳はそれを予測していたらしく、顔に来た魔弾を身をそらすことでかわした。至近距
離から撃ったからもしかしたら当たるかもしれないと思ってたけど、やっぱり月の頭脳は
一筋縄じゃいかなかった。永琳のように大量に発射すれば逃げ場を失わせることも可能な
んだけど、それだと一発の威力が低くなる。一撃に賭けなければ渡り合うことさえ出来な
いから。

 だからこそ、そこに合わせた二発目がある。

 永琳がかわせるのなんて私だって分かる。だから、至近距離で撃って逃げられない姿勢
にするのが目的だった。運よく上体をそらしてくれたから、これなら絶対避けられない!
 私はさらに距離を縮め、もう一発を放った。
 
「貫けぇぇぇぇ!!」

 永琳の表情が歪んだのが見えた。私が今まで一度も見たことがない表情だった。











「な……」

 私の攻撃は永琳の肩に当たった。あの状況から体を捻って顔への直撃を避けたのは流石
だけど、それでも魔弾は永琳の肩を貫いたのだ。永琳の肩がえぐれ、血と肉が飛び散るの
を確かに見た。
 なのに、じくじくと音を立てて、その傷は徐々に治癒していっていた。
 
「そんな……なんで?」

 私は愕然とする。永琳は何をしたの? 何をすればあんなありえない現象が起こるの?
 
「別に驚くようなことでもないでしょう?」

 目を疑い、確認のためにもう一発撃とうとした私に、永琳はくすくす笑いながら言う。
その笑顔は、私と初めて会ったときと変わっていなかった。私が作られる前、カグヤ姫が
地上に落とされたときから、誰にも自分の策を悟られないように作り上げてきた笑顔。

「致命傷も、死さえも無効化できる薬が存在するんだから」

 全てを隠してきた、本当の狂気を携えた笑み。
 
「まさか……」
「そう、蓬莱の薬よ」

 傷は、完治していた。
 そんな馬鹿な! そんなことがあるわけない! 八意思金様の言葉が正しければ――。
 
「蓬莱の薬は完全に破棄したはずよ!?」

 ここに、それが存在するわけがない! 
 叫ぶ私の足元に、永琳は何かを投げつけた。咄嗟にそれをかわすが、武器じゃないみた
いだった。陶器らしきそれは、地面に当たって砕け散った。
 小瓶? 透明な液体みたいなのが少し付着して――。
 
「!!」

 ガバ、と顔を上げる。視線の先には、可笑しくてたまらないといった表情の永琳がいた。
 
「あっはははははは! 破棄した、ねえ。でもそれはここに存在してるわ。そして私が、
その何よりの証拠」

 そんな。そんな! そんな――!
 
「姫の処刑後、もう一つ作っておいたのよ」
「どうして……!?」

 どうして作れたというの? まさか資料のコピーがあった? ほんの一滴でも残されて
いた? 永琳なら、そこから複製するのは不可能じゃないかもしれないけど。

「どうして? 決まってるじゃない。姫は永遠に生きるのだから、私も永遠にならなけれ
ば守り続けられないでしょう?」

 永琳は饒舌に語る。私が聞きたいのはそこじゃなかった。けど、この際もうそんなの関
係ない。
 そこまでして、こんなものを作る必要があるの!?

「……あんたは。あんたは、命を何だと思ってるのよ!!」

 私を作った人たちを殺して、私を殺すために雇った人を殺して、月の使者や関係ない地
上人まで殺して!
 その上で、自分は永遠になる!? なんて、傲慢なやつ――!
 月人が驕ってる? あんたほど驕ったやつなんかいないわよ!
 怒りを露にする私に対し、永琳は笑いをこらえながら対応する。私が怒っているのがそ
んなにも可笑しいようだった。たかが人形が、それしきのことで怒るなんて。まるで、そ
う言っているような表情。

「命? そんなもの私にとって……玩具でしかないわ」

 その顔が答える。歪な笑みが歪な言葉を投げかける。
 
「全ての生命は私の研究のための実験材料よ。どんな毒なら証拠が残らないか、どんな薬
なら不治と呼ばれる病も治せるか……。それらを試すためにも命は必要だわ。蓬莱の薬は
流石に実験できなかったけどね」

 月夜に浮かぶ、血濡れの顔。狂気にまみれた、月の天才。生命を自由に出来ると思い込
んだ、しかし本当に生命を自由に出来る唯一の月人。

「全ての生命は、私の掌の上にあるのよ。私だけができる、生命遊戯(ライフゲーム)のた
めにね……」

 狂ってる! どいつも、こいつも――!


 ――ガギン


 音が鳴る。
 こんなときに。何なのよ、もう!
 
「さあそろそろお喋りはおしまい。消えなさい、命なき人形……」

 再び、永琳に魔力が集まってゆく。今度は遊びじゃなかった。さっきよりも遥かに密度
の高い魔力。光が形を変え、永琳の弓に矢として集中していった。


 ――ガキン


 くぅ。かするだけでも危ないっていうのに、触れることが許されない攻撃だって分かっ
てるのに。なのに、私の頭で、正体の分からない音が鳴り響いていた。


 ――ガギギン


 ああ、うるさい! 目の前の永琳は今にも私を射抜こうとしているのに、音は全然鳴り
止まない。こんなときに、なんで間隔が短くなるのよ!
 こんな狂人にやられるなんてまっぴらだわ! 私は何のためにここにいるの!? 絶対
に、絶対に破壊(ころ)されるためじゃない!

「生きてやる……! あんたに殺されてたまるもんですか!」

 ガチャガチャを鳴る音を無視して私は叫ぶ。本心からの言葉だった。月の都合で作られ
て、月の都合で壊されたくなんかない。たとえ月の操り人形だと言われても、私には私と
いう意思がある! 生きるも死ぬも、私自身が決めてみせる!


 ――ガキン


 ああ、もう! うるさいっ! 鳴り止めっ!

「人形ごときが『生きる』ですって? 『殺される』ですって? 命もないくせに、さも
人間のように話さないでほしいわね」

 永琳の蔑む言葉と、謎の音が交錯する。
 うるさい。本当にうるさかった。音も、永琳の声も。
 
「無駄よ。貴女の運命も、既に私の手中にあるんだから」

 黙れ、狂人。私は生きる。必ず自分の存在意義を見つけてみせる。
 そうよ、私は確かにあんたたちのために作られたわ。でも、私の意思はそのために作ら
れたわけじゃない。イルルナーダはあんたたちから解放されて生きるべきなのよ。
 絶対に、私は生きる。カグヤ姫の代理なんかじゃない、私として生きてやる!


 ――ガキン、ガキンガキンガギン


 でも、それを阻むかのごとく音は鳴り続ける。もう間隔さえなかった。あんまりにもう
るさくて、永琳の声も耳に入らなかった。永琳は何か言ったようだけれど、でもそんなの
どうでもいい。どうせろくでもないことなんだから。
 今はただ、この音をどうにかして、永琳から逃れなきゃならなかった。
 永琳の口が開く。何か言っている。でも私にはもう聞こえなかった。でもそれが攻撃の
合図なのは分かった。

 巨大な魔力の矢が、私に狙いを定める。


 ――ガキン


 力が、私を追い詰めようとしてる。



 ――ガギギン



 そして、死が永琳から放たれた。



 でも、私が考えていたのはただ一つ、この音のことだけ。




 力が、空気を押し分けて飛んできて。






 ――ガギン







 ただ、その音だけが聞こえていて。







 私は、必死に音から逃れようとしたんだ――。




















 うるさい!!
「止まれえぇっ!!!」



 ――ガキィン









































 そして、世界は停止した。













































 なに――コレ。

 永琳の攻撃も忘れて叫んだ私が目を開くと、文字通り目と鼻の先に光の矢が浮いていた。
いや、浮いていたっていうのはおかしいかもしれない。浮遊している感じが全くない。そ
れどころか、今にも私に突き刺さりそうな勢いが感じられる。
 そう、まるで、放たれた矢がそのまま動きを止められたかのような。
 とりあえず、鏃を突きつけられたままでいるのは気分が悪いから、私は矢の軌道上から
離れることした。
 そして気づく。矢だけじゃなくて、それを撃った永琳も、吹いていたはずの風も、ざわ
めいていたはずの木も、何もかもが止まっていることに。さっきまで鳴り響いていた音も
聞こえない。私を除いた全てのものが、その場で停止していた。

「なんなの……?」

 目に見える全てが止まっている。動いているのは私だけ。
 わけが分からない。これじゃあ、まるで――。

 そのとき、全てが動き出した。
 矢が飛び、私の後ろにあった木をなぎ倒した。爆発が起き、木の葉が舞い上がる。私は
光を目に入れないように腕で視界を庇った。

「何を、したの……?」

 永琳の声が聞こえた。永琳も動けているようだった。私が矢に当たらなかったどころか、
そこからだいぶ離れた場所にいることに驚いているみたい。

「あの距離で、あのスピードで……避けられるはずがないわ。一体何をしたの? イルル」

 そんなこと言われても私だって分からない。距離はともかく、スピードは私の目の前で
ゼロになっていた。だから避けられただけ。
 でも、永琳にはどうもそう見えなかったみたいだった。現実的に考えればそうよね。飛
んだ矢が空中で止まるわけがない。止めれば別だけど、私を貫くための攻撃だったんだか
ら、そんなことをする必要もない。

「私にも分からないわ。ただ、何もかもが止まってた」

 止まって見えた、じゃない。私はあの中で動くことが出来たんだから。相対速度が限り
なく広がったわけじゃない。私には加速する機能なんてないんだから。
 ないはず、だから。
 永琳の問いに、私はそう答えることしか出来なかった。あの音が急に止まり、もう聞こ
えないのも気になったけど、これはどうしたって関係を探ることなんて出来ないんだろう
し。

「ふ…………ふふ、あはははははははははははははは!!」
「!?」

 突然、永琳が笑い出した。何? 私そんなに面白いこと言ったかしら?
 
「なるほど、なるほどねえ。まさかそんな能力を得ることになるなんて」

 能力? 何のこと? 私には特殊な力なんてないけど――。
 
「どういうことなの? 私には、何が何だか……」

 たまらず私は永琳に尋ねた。今のわけの分からない現象を、私の供述だけで理解した永
琳の頭脳はこの場合は頼れる。永琳は能力って言った。もし、それが今のことを表す、私
自身が生み出したものなら――。

「ふふ、初めは瞬間移動でも使えるようになったのかと思ったけど、違うわ。偶然でしか
ないけれど、貴女の機能がその力を使えるようにしてしまったのね」
「私の、機能?」

 あまりに大笑いしたため、永琳の目じりには涙が浮かんでいた。

「教えてあげるわ、イルル。何もかもが止まる。それはつまり……貴女が時間を止めてし
まったのよ」

 時間――?
 突拍子もないことに、時間じゃなくて私の思考が止まりそうだった。
 時間を、止める? そんなことが可能なの?
 しかし、言われてみればそんな気もする。私以外の全てが止まった現象。たとえ時間を
止めたわけでなくても、その現象からはそれを考え出すことが出来る。時間が止まったと
考えるのは確かに妥当なものだと思った。
 でも、どうして急にそんなことが?
 
「貴女の時間処理が偶然引き起こした副産物ね。イルル、自分の時間処理が何を基準にし
て行われてるか知ってるかしら?」
「知ってるわけないじゃない」

 私の時間処理? 時間について考えたことなんてないわよ。作られたときから当たり前
に時間の測り方は知ってたんだから。

「ふふ。貴女の時間処理は生き物とは少し違うのよ。貴女の時間処理は、月の周期……つ
まり月の時刻を元にして作られてるの」

 永琳が説明し始める。私は話の途中で攻撃が来ないか注意しながら、それに耳を傾ける
ことにした。

「月の一日や一年などに合わせているから、当然周期の違うこの地上に来れば、時間処理
にズレが生じるわ。恐らくはそのズレによって、貴女は無意識に時間を止めてしまった……」
「……そうなの?」

 原理は分かるけど理解に苦しむ解釈だった。
 
「そう考えるのが一番妥当なのよ。この状況で時間を止められるのは貴女しかいないわ。
そして人形であること、特に時間に関する機能を考えていけばおのずとそこに行き当た
る。時間感覚は私たちとほとんど一緒だから、自覚はないと思うけどね」

 つまり、私は月の定めた時刻を基準にして時間の感覚と処理を行ってる。だけど月の一
日の長さと地上のそれとは当然差があるから、地上に来たとき、厳密には月を離れたとき
私の処理にズレが出たことになる。あの音は、その不具合が具現化したものかもしれない。
 でも時を止める能力が、そのズレによる副産物? そんなものが、こんなに大層な力を
与えてしまうものなの? 大体、「時刻」のズレが「時間」に影響を及ぼすことなんて出
来るの?
 だけど、それは起きてしまった。時刻は、時間に影響を与えることでそのズレを調整し
ようとしてしまったのだ。私は、時を止めた。

「ふふ、たかがいち人形ごときのエラーが、世界に干渉する力を得てしまうとはね。皮肉
なものだわ。永遠と須臾を操る姫の代わりをした人形が、それに限りなく近い力を使えて
しまうんだから」

 くっくっと永琳は嗤う。本当に私が時間を止めることができるのなら、この場から逃げ
出すことは容易になるわ。その笑いが開き直りによるものなのか、それともまだ余裕があ
るのか、私には分からなかった。

「だけど」

 不意に、永琳から力が噴き出す。
 
「見逃すわけにはいかないわ」

 瞬間、永琳は弓を構え光の矢を作り出した。間違いない、永琳にはまだ策が残ってる。
月の頭脳だもの、いくらでも方法は考えつくはずだわ。
 私は死ねない。自分の存在意義を見つけるまでは、絶対に。
 光が飛び出す。それはすぐさま弾け、破片が私を中心に球を作って取り囲んだ。隙間は
ある程度あるものの、無傷で通るには少し狭い。私は自分を囲む光の破片を見回した。

「!」

 そしてすぐにそれが何を意味するか悟る。
 
「止まれっ!」


 ――ガキン


 時が止まる。私がその能力を得た証拠が、私だけに証明される。
 私の予測通り、囲んだ光の一つ一つが、今まさに魔弾を発射しようとしているところだ
った。逃げ場を失わせて集中砲火。永琳らしい攻撃だわ。
 私は魔力を発現させて光の一つに叩きつけた。バチッと光が弾けて球に穴が空く。私は
その隙間から抜け出した。
 直後、時が動き出す。球体の中心で凄まじい爆音が轟いていた。流石に強烈ね。土壇場
とはいえ、この能力が手に入れられなかったらとっくに死んでたわ。まだコントロールは
完全じゃないけど。

「永琳。悪いけど私はここじゃ死ねない。あんたたちの都合に振り回されて終わるなんて
ごめんだからね」

 攻撃を避けたことで、私は自分でも驚くほど冷静になっていた。さっきまでは永琳の力
や自分の能力のせいで混乱していたけれど、もうそれも収まってる。
 私は、生きる理由を見つけた。その答えを手に入れるために生きる。こんなところで永
琳に殺されるわけにはいかないわ。

「私は、カグヤ姫の代理じゃない私の存在意義を、必ず見つけてみせる。必ず証明してや
るわ。私があんたたちの操り人形なんかじゃないってことをね」

 宣言する。果たしてそれを見つけるのにどれほどの時間がかかるのか分からない。私が
起動できる時間は、どんなに消費を抑えたとしてもせいぜい1500年。それだけあれば十分
かもしれないけれど、自分を見つけることがどれだけ難しいか、私でも分かる。そもそも、
私は今まで自分の存在に疑問を抱いたことなんてないんだから。
 だけど生きて、生きて、いつか必ずそれを見つけてみせる。永琳の言葉を、絶対に覆し
てみせる!
 
「私があんたに生きる者の姿を教えてあげるわ。蓬莱の薬を使って生きることを放棄した
あんたに、必ずね」

 私に命はない。そして永琳も、不死となった今生命体の定義に当てはまるかどうか怪し
い。そいつに叩きつけてやる。命のない者が、命を捨てた者にその意味を。

「無理よ。人形は人形のまま。決してそこから出ることは出来ない」
「無理かどうかは私が決める。あんたはここで立ち止まって、前に進む者の背中を見てれ
ばいいわ」

 私は永琳を睨みつけた。もうそろそろここから逃げたほうがいいだろう。だから、最後
に永琳の顔を覚えておきたいと思った。
 あの顔を、いつか悔しさに染められるように。
 永琳がまたしても弓を構える。もう無駄だっていうのに。
 
「逃げるなら逃げなさい。でも宣言してあげるわ。貴女は絶対に自己を見つけられないっ
てね。どれだけ時間が経とうとも、支配された自分以外は見つけられないってね……」

 キリリ、と永琳が弓を引く。光の矢が私に鏃を向けていた。
 
「待ってなさい。必ず見つけて帰ってきてみせる」
「無駄なことはやめておくべきだと思うんだけどね。だからここで壊れてしまえばいいの
に……」

 そうはさせない。これから、なんだから。
 力をつけて、自分を見つけて、そして永琳の前に帰ってくる。誰に言うわけでもなく、
私はそう誓った。
 矢が、放たれる。でもそれはもう、怖くはなかった。


 ――時よ。
「止まれぇっ!!」


 ――ガキィン


 全てを止め、私は永琳を見る。その目に今の私は映っていないんだろう。私は少しの間、
ずっとそばにいてくれた人の顔を見つめていた。

「……じゃあね」

 そして、それに背中を向けて飛び去る。最初に会った最高の人だったけれど、別れの言
葉は私にしか聞こえなくて。そしてとても簡素なものだった。
 でもそれでいい。また、絶対に彼女の前に戻ってくるから。
 あの顔を忘れない。私に色々なものを見せつけた、あの狂気の顔を。





















 あなたと過ごしたのは、たかだか数年間。

 でもね、それでもそれは。

 私にとって、とてもとても大切で、楽しい時間だったのよ。

 ――ねえ、永琳。











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