小  説

51-図書館の雪






 著者が何を求めているか知っていますか?
 お金? 名声? 理解? 真実?
 もちろん、それは人それぞれ。


 では、本が何を求めているか知っていますか?
 それももちろん色々あります。
 だけど、何よりも求めているのは――。








 はーっと手に息をはきかけ、小悪魔は寒い図書館の中を歩く。
 冬がもう間近に来ていた。窓がないゆえに気温の変化に乏しい図書館だが、窓がないゆ
えに空気が温まることはほとんどない。夏は比較的快適な室温であり、冬は外の方がまし
と思えるくらいな温度である。風がない分外よりましだが。
 一年の半分はこのように寒く、本棚の水拭きは本当に手を傷める。小悪魔は小型の簡易
断熱結界を張って毎日をしのいでいた。
 図書館の中は本と本棚だけで構成されている。だから、季節感というものはない。こう
して室温がどんどんと低くなっていくのを感じて初めて季節が夏から冬になっていること
に気づくのである。小悪魔は図書館にこもりっ放しというわけではないので、別段そこで
冬を感じ取っているわけではないが。

 パチュリーに紅茶を出したので、小悪魔は仕事を再開することにした。図書館の魔道書
の持つ魔力は日々変化する。変化の度合いが激しければすぐ移動させなければならない。
さもなくば、魔力が暴走してしかも周囲を誘致させる可能性さえあるのだ。ここ最近はそ
ういったことはないので平和だが、ゆえに気が抜けなかったりする。今のところ大丈夫そ
うなので、小悪魔は中断していた場所に辿り着くと、バケツから雑巾を取って水を絞った。
図書館はメイドが多く配備されているものの、とてつもなく広いのであまり物音は聞こえ
ない。布地から落ちる水がぼちゃぼちゃと音を立てていた。

「うしょ……」

 雑巾を絞り、小悪魔は本棚を丁寧に拭き取ってゆく。一回拭いただけで笑えるくらい雑
巾が黒くなる。早いときは二、三週間で雑巾が駄目になることもある。図書館に積もる埃
の量はそれだけ多いのだった。

「ん?」

 埃の溜まった本棚にすーっと雑巾を走らせて、裏返せば真っ黒な面が顔を覗かせる。そ
んなことを何度か繰り返していた小悪魔だったが、あるときその黒の中に白いものが混じ
っているのが目に入った。

「何かしら、これ……」

 埃の山からそれをつまみ取ってみる。
 
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 感触は、よく分からない。綿のようにも見えるが、物質としては違うようだった。少し
水気がある。何なのだろうか。
 結局、見てても分からなかったので小悪魔は放っておくことにした。ただのゴミかもし
れないのだ。いちいち気にかけることもないだろう。小悪魔は掃除に戻った。











「ああ、見つけた」

 それからしばらくして、小悪魔の元に一人のメイドがやってきた。比較的よく顔を合わ
せる人だった。
 どうしたのかと尋ねると、そのメイドの担当区域に奇妙なものがあると答えが返ってき
た。

「変なもの? どんなですか?」
「ええと、何というか……そこだけ真っ白になってて。そう、雪が積もってるみたいだっ
たんです」
「雪?」

 図書館に割り当てられるメイドは皆ベテランであるため、怪しいものを見つけたらすぐ
に小悪魔かパチュリーに知らせてくる。このメイドもその点はしっかりと心得ていた。
 メイドに連れられ、小悪魔はその場所に行ってみることにした。まさか屋内に雪が降る
わけがないから、毛玉の残骸が局地的に積もったか或いは他の何かが原因だろう。冷たく
埃っぽい空気の中を、小悪魔とメイドは飛んでゆく。
 現場は小悪魔の掃除していた場所からそう遠くなかった。メイドが指差した先を見ると、
確かに何か白いものが床や本棚を覆っていた。

 メイドを下げ、小悪魔はその白いフィールドからやや離れたところに着地した。いきな
り飛び込んで何かの罠が発動するとも限らない。一応周辺を障壁で隔離することにしてお
いた。

「ん〜……」

 小悪魔はゆっくりとフィールドの周りを回ってみた。見たところ、粉だか綿だかのよう
な細かいものが積もっているようだった。埃とは思えない。
 積もっている範囲は意外に広い。確かに上から降ってきたのだろう、床に本棚にと、上
に遮るもののないところにそれは均等に積もっていた。確かに、雪に見えなくもない。
 小悪魔は手を伸ばし、その白いものをひとつまみ取ってみた。綿のようなそうでないよ
うな。少し水気がある。
 小悪魔は先ほど自分が見つけたゴミを思い出した。ここから風か何かで流れてきたのだ
ろうか。とりあえず、これと同じものだったということだけは分かった。となると、やは
りゴミではなく別の何からしい。

 危険はなさそうなので、小悪魔は障壁の内側に入ってみることにした。
 
「あ……」

 入って、小悪魔はわずかに声を漏らす。そして、その違和感で直感した。
 狭い空間に隔離したことで、感じ取ることもできなかった魔力の濃度が上がったのだ。
白いものから、小さな魔力が発せられていた。あまりに小さかったため、図書館全体の魔
力にかき消されてしまっていたのだ。

「なるほど、ね」

 しかし魔力があるからといって危険があるわけではない。小悪魔は本棚を蹴り、空中に
飛び上がる。風圧に巻き込まれ、白いものがふわりと舞い上がる。
 それはまるで、粉雪のように。
 小悪魔は障壁から出て、ゆっくりとその上を飛んだ。おそらく、これは魔道書が原因だ。
魔道書自体の魔力が暴走しているわけではないから、これはどちらかというと自発だろう。
なぜこんなものが発生したのかは分からないが、これは本そのものの主張のようなものだ
った。
 上から見ると、見事なまでに白いものが積もっている。本当に、ここだけ雪が降ったみ
たいだった。
 
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 小悪魔はそのフィールドの中心を目指す。これを作り出した魔道書は、そこにいると見
当をつけたのだ。結構に広いが、普段自分が走り回る面積に比べたら大したことはない。

「えっとー……この辺かしら?」

 それらしい場所に小悪魔は降り立った。ばふっと白いものがけぶる。さして積もってい
るわけではないが、白いものは床を覆いつくしていた。これを全部掃除しなければならな
いのかと思うとうんざりする。危険はなさそうだからメイドたちに任せてもいいのだが。
 掃除のことは後で考えることにして、小悪魔はきょろきょろと周囲を見回した。どこか
にこの現象を作り出した本があるはずだった。

「ん……ちょっと違うかな?」

 しかし目当ての本は見つからない。本の内容と現象は必ずしも一致するわけではないか
ら、タイトルで判断するわけにもいかなかった。魔力を発する本はいくらでもあるが、
世界に影響を与えるほどの魔力を発動させるのはそう毎日出てくるわけでもない。ひと際
大きな魔力を発しているのがそうなのだが、小悪魔の近くにその本はなさそうだった。小
悪魔は本棚の本を見ながら近くを探索してみた。歩いた後にぽすぽすと足跡が残ってゆく。
それはまるで、新雪につけられた生き物の証拠のように。

「おかしいなぁ。この列じゃなかったのかしら」

 小悪魔はごちた。見当違いだったようだ。

 仕方なくもう一度上から捜索してみることにする。ととん、と棚を駆け上がり、小悪魔
は本棚の上に立った。
 無機質な本棚に、白い何かが装飾されている。シンプルな、これより下はないくらいに
シンプルな装飾だった。ただ、白いものを上からかぶせただけ。粉雪のように細かく、そ
して暗闇の中で確かに目に映る白。柔らかく、ただただ柔らかく、名前のない「それ」は
無言のまま存在を主張し続けていた。
 小悪魔は感覚を尖らせる。フィールドの中心に本があると思っていたが、そこにはなか
った。最初に中心に行ったのは、本が出しているであろう魔力がフィールドの端からでは
感じられなかったからだった。特に意思なく魔力を発生すれば、当然発生源が中心になる。
魔力で作られたこの白いものの中心に本があると考えて然るべきだった。
 しかしそれは外れる。そこに、他の本より高い魔力を発している本はなかった。
 
「うーん……」

 腕組みをして小悪魔は考え込む。とりあえず、見つけることが先決だ。見つければ何故
そうなっていたのかも自然と理解できる。しかし、当てはなかった。集中して魔力を感じ
取ろうにも、原因は大した魔力を出していないようなのだ。ひょっとして、これを降らせ
るだけで力尽きてしまったのだろうか。
 悪戯をする本は過去にもあった。これがそうと言えなくもない。
 しかし、一回で魔力が尽きる本は小悪魔は見たことがなかったのだ。いや、何か主張な
り暴走なりを始めた本は、見つけ次第その魔力を消失させていた。二度目を行わせること
がなかったのだ。
 小悪魔は、今まで同じ本に二回以上魔力を発現させることを許さなかった。図書館で働
き続けて自然と身についた本の扱い方が、ずっとそうさせてきた。魔道書の魔力を封印す
るなど、今の小悪魔にとっては日常茶飯事である。力自体はパチュリーたちには遠く及ば
ないが、魔道書に後れを取ることはそれほどない。
 だが、今はそれが仇となっている。本がどこにあるか分からないのだ。魔力が消失した
のなら放っておいてもかまわないが、一度何かやらかした以上確認しておかなければ気が
済まない。休眠状態であることも否定できなかったが、どうあろうと、世界に干渉した本
は見つけなければならない。二度目が惨事にならないなどと言えるわけがないのだ。

 小悪魔は再び宙に飛ぶ。もしかしたら投下型のトラップかもしれない。原因は白いフィ
ールドの外でこれを作っている可能性がある。フィールドの周囲を当たってみようと思っ
た。所詮は本なので、相当強力なものでもない限り距離は取れない。小悪魔は障壁から出
て、近くの本棚に着陸する。靴底についていた白いものがぱらぱらと本棚に落ちた。

「え……っと」

 本棚の間を軽やかに跳び、小悪魔は魔力の高い本を探してゆく。近くまで行かなければ
微弱な魔力は感じ取れないだろう。

「……。うー」

 とん、とん、と本棚を飛び移ってゆく。しかし、小悪魔は途中でそれをやめた。
 ないのだ。この近辺はかなり落ち着いており、揺らぎがほとんどない。こんな中に魔道
書があるとは思えなかった。一応一周して確認してみるも、結局目当てのものは見つけら
れなかった。

「あれー? まさか本当に魔力が消失しているのかしら」

 一周し終え、ぺたんと小悪魔は本棚の上に座り込む。むー、と口を尖らせるが見つから
ないものは見つからない。
 一回で魔力を消失した例を見たことがないから、危険がないかどうかを断定できなかっ
た。原因を見つけ出して処置を施すのが一番分かりやすいのだが、それが見つからないか
ら困るのである。

「しばらく待つしかないのかなあ……」

 はあ、と小悪魔はため息をつく。先ほどと同じように本棚を飛び移りながら考えた。見
つからない以上は様子見しかないかもしれない。しかしそれを渋るのは、この白いものの
積もっている範囲が広すぎるからだった。これだけの範囲をしばらく掃除できないのは痛
い。それに、この白いものを放っておいたらどうなるか分かったものではないのだ。掃除
中に本が暴走でもしたらそれこそ厄介である。
 靴の音を響かせながら、小悪魔は障壁の周りを回っていた。

「……?」

 そして、ふと奇妙なことに気がつく。
 小悪魔は上昇した。障壁のさらに上へ、天井近くまで舞い上がる。
 そうして、白のフィールドを見下ろしてみた。
 
「……ああ、そういうことだったのね」

 そうして、ふっと頬を緩ませる。
 白い円が三つ繋がっているのが小悪魔の視界に入っていた。それは例えるならば、串に
刺さった団子である。障壁はフィールドに合わせて張っていたから、円形でないことに違
和感を感じていたのだ。曲線の具合が場所によって違えば、違和感を覚えて当然である。
 そして同時に、小悪魔は何故中心に本がないのかを悟った。
 犯人の本はおそらく一冊だけである。そして魔力の発生源は大抵中心にある。

 となれば答えは一つ。本は白いものを降らせた後、移動していたのだ。

 空間を移動する本は珍しくない。不意に現れて弾幕を展開した後不意に消えてしまうも
のもある。ともかく、原因の本は移動していたためにフィールド全体の中心にはいなかっ
たのだ。見つけられなかったのも当然だった。
 円は三つ。本は端の二つのどちらかにあるのだろう。小悪魔は高度を下げると、近い方
の円に降り立った。
 ふわふわと空中を漂う白いものを突っ切り、小悪魔は中心近くへ歩く。
 
「……。この辺ね」

 小悪魔は立ち止まった。先ほどより微妙に高い魔力が感じられる。ゆっくりと歩き、小
悪魔は注意深く本棚に納まる本を見極める。一歩足を進めるたび、床に積もっている白い
ものがどふ、と音を立てた。
 静まり返る障壁の中、小悪魔の遅い足音だけが周囲に響く。近づくことで感じられるわ
ずかな魔力の高まりを、小悪魔は逃さないように神経を集中させた。

「あった」

 そして、ついに足が止まる。
 本を前にして、小悪魔はそう呟いた。
 ただ魔力が高いだけなら他のものと間違える可能性がある。しかし小悪魔は、その本が
この現象を作り出した犯人であると確信していた。
 見れば、なんとなく分かるのだ。ただ蓄えている魔力を感じるだけの本と、何かをした
くて魔力を発しているものとの違いが。ほんのわずかな違いでしかないが、後者の魔力に
は「何か」を感じるのである。それは、言葉にするにはあまりに難しいものだけれど、し
かしこの仕事を続けてきた小悪魔は、それを見極める能力を身につけていた。
 あえて言葉にするなら、それはやはり「主張」なのだろう。小悪魔はそう思っていた。
 その本から、「主張」が聞き取れたのだ。本当に目の前に立ち、その本がそこにあるこ
とを認めなければそれは聞こえてこない。だから、小悪魔は一冊一冊を注意深く見ていっ
た。ゆっくりと、確実に、各々を認めていった。
 そうして辿り着いたその本を、本棚から出してみる。そんなに厚くない、魔道書として
はごくありふれた本だった。

「オーリエンズ、か」

 中を開く。小悪魔でも扱えそうな基本魔術が数多く載っていた。一つの分野に絞り、そ
の基礎を与えるためのものであろう。
 しかし内容のことは別段どうでもいい。とりあえず、この本が発している魔力を封印す
るべきだろう。小悪魔は封印の術式を詠唱し始めた。

「?」

 と。
 小悪魔が詠唱を始めると同時に、突如本に魔力が集まった。ぽぅ、と小さな光を纏い、
本が力を集中する。
 抵抗のつもりか。こちらが封印しようとするのを察知し、慌てて攻撃しようとしている
らしい。小悪魔は落ち着いて詠唱を続けた。この程度の魔力なら食らったところでどうと
いうこともない。弾幕を展開する力さえないはずだった。

「……。……。……きゃっ!?」

 だがもう少しで詠唱が終わるというところで、本が強い光を発した。思わず腕でそれを
遮ってしまう。

「くぅっ!」

 うかつだった。これほどの現象を成し遂げられるなら、その力を隠していると気づくべ
きだったのだ。小悪魔は本から手を離し後ろに跳ぶ。攻撃に対処できるように自分の周り
に魔方陣を展開する。
 本は光を放ち、魔力を収束させてゆく。


 ――パン


 そして。
「え?」
 ひと際強い光が放たれた後、本から光と魔力が消え去った。
 小悪魔はおそるおそる目を開ける。
「え、あ……?」
 目に映ったのは。

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 大量の、粉雪。
 
「嘘……」

 呆然として、小悪魔は上を見上げる。ここは屋内だ、雪が降るはずがない。
 しかし、綿のような白いそれは、確かにここに舞い降りていた。ひらひらと、ふわふわ
と、本当の雪のように。
 手を出してみる。掌に雪が落ちてくる。それを顔に寄せ、小悪魔はじっと見てみた。綿
のようなそうでないような。少し水気がある。
 それを見て、理解した。あの本が、これを降らせているのだと。
 攻撃の意思はなかったのだ。ただ初めから、見つけた者に対してこの現象を見せたかっ
ただけなのだ。この白い何かを、雪に見立てて。

「すごい……」

 限りある天を仰ぎ、小悪魔は微笑む。しんしんと、小悪魔の周囲に雪が降っていた。
 冬がもう間近に来ている。窓がないゆえに気温の変化に乏しい図書館だが、窓がないゆ
えに空気が温まることはほとんどない。だから、今はどこよりも冬だった。季節のないと
ころに、どこよりも早く雪が降っていた。無機質な世界に、幻想が与えられていた。

「そうか。そうだったんだ」

 しばらく天を見上げていた小悪魔は、ふと視線を元に戻し、本に目を向ける。本は既に
魔力を失っていて、何の主張さえもしていなかった。
 だが、それは確かに小悪魔に伝わっていた。本が何を言いたかったのか、小悪魔には分
かっていた。
 本を手に取る。小悪魔は、それを抱えてぎゅっと抱きしめた。
 
「あなたは、読んでほしかったのね……」

 この本が求めていたこと。それは、ページを開けてもらうこと。
 狭い分野に限定されていたから、誰も手に取らない。せっかく書かれた本だというのに、
誰も読んでくれない。それは、本として何よりも苦しいこと。
 斜め読みでもいい、この表紙を開けて、中にあるものを読んでほしかったのだ。
 だから、こんなものを降らせてまで自分の存在を主張した。だから、二回も移動して主
張した。
 そして、ようやく小悪魔が手に取ってくれたのだ。この雪は、そのお礼。自分を見つけ
てくれた人への、本が唯一できる方法だったのだ。

「大丈夫。読んであげるから……」

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 慈しむように、小悪魔は本を抱く。まるで舞い降りる冷たい雪から守るように。もうこ
んなことをしなくてもいいように。
 今はまだ仕事中だから読むことはできない。だから、仕事が全て終わったら自分の部屋
で読もう。小悪魔はそう決めて、今一度頭上を見上げた。
 正体は分からない、しかし確かに粉雪に見える「それ」が、ふわりと鼻先にとまる。
 一足早い冬を見つめ、小悪魔ははーっと息を吐いた。
 粉雪に、小さな靄が消えていった。











 著者が何を求めているか知っていますか?
 お金? 名声? 理解? 真実?
 もちろん、それは人それぞれ。


 では、本が何を求めているか知っていますか?
 それももちろん色々あります。
 だけど、何よりも求めているのは――。


 そう、読まれること。








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