小  説

53-雪が来る前に

 はーっと、白い吐息が空気に溶けてゆく。
 秋も過ぎ去り、早朝には霜が降りる季節になった。このところはあまり日が差さず、白
く厚い雲が空を覆うばかり。そのため、昼を過ぎてもなかなか気温は上がらなかった。
 もう少し厚着して来ればよかったかもしれない。鈴仙・優曇華院・イナバは両手を首に
押し当てて暖めながらそう思った。上はともかく、脚が寒い。サイ・ハイソックスを履い
てはいるが、丈の短いスカートとの間に空く僅かなスキマに風が当たるのだ。なぜか短い
スカートしか用意してくれない師匠に、ちょっとだけ恨みを覚える。

「雪が降るかもしれませんね」

 空を見上げ、鈴仙は呟く。気温も落ち込んでいるし、雲がやや厚ぼったい。この寒さな
らば雪になる可能性はあった。
 寒いとはいっても、鈴仙は別段冬は嫌いではない。それは、雪が降るからだった。
 どちらかというと雪の白は好きだ。その純白の粒子は穢れを感じさせない。鈴仙は過去
の記憶のせいで度々自分の心が薄汚れていると感じるので、まさに「何もない」景色とい
うものがひどく美しく見えるのだ。憧れに近いかもしれない。降り積もった新雪が日の光
に照らされて輝く様は、直視できないほど美しいから。
 だから冬は嫌いではない。いつかのように呆れるほど降られると美しさも何もあったも
のではないが、例年の降雪は鈴仙にとってはむしろ楽しみなのだ。

「…… 今年も、降るの?」

 柄にもなく心が躍るのに苦笑していると、そばから不安げな声が聞こえてきた。鈴蘭畑
の毒人形、メディスン・メランコリーである。
 鈴仙は師匠の八意永琳と共に鈴蘭の毒の採取をしにきていた。この春に鈴蘭畑の存在を
知り、その毒で動き回る妖怪人形と知り合った。それからというもの、鈴蘭の毒の採取を
通してつき合いがある。鈴仙自身は毒にやられるのが嫌であまり来たくないのだが、毒も
薬も効かない永琳が無理矢理引っ張ってくるのである。それほどの大荷物になることなど
ないのだが。

「降るんじゃないかな。大体毎年降るし。そうですよね、師匠」
「ん、そうね」

 鈴仙はメディスンの方に向き直り答える。確実なことはもちろん言えないが、経験上幻
想郷の冬は雪をもたらしている。去年ほどの異常な降雪は流石にないだろうが、やはり降
ると見ていいと思っていた。

「そっか……やだなあ」

 鈴仙の答えを聞くと、メディスンはしゅんとしょげた。そばを浮遊する小さな人形も一
緒になってうなだれる。

「あら、あなたは雪が嫌いなの?」

 薬瓶をいじくっていた永琳が横から割って入ってきた。メディスンはこくりとうなずく。
 
「うん。雪は嫌い……」
「どうして?」
「だって、スーさんが……」
鈴蘭










 メディスンが自己を手に入れたのは数年前のことである。鈴蘭畑に打ち捨てられていた
人形に毒が染み込み、妖怪化した。既に相当程度の知能を有していたメディスンだったが、
しかし以前は物であったということに変わりはない。当時鈴蘭畑から出ることの叶わなか
ったメディスンには、生き物が知っていて当然のことも知らない場合があった。
 雪も、その一つである。
 四季の変化というものは、周囲の山々の移り変わりによって感覚的に知ることができた
が、降らない雪を知ることはできない。またメディスンが妖怪化してから現在まで、大雪
といえるものは去年の冥界の春強奪事件だけだった。一昨年もその前も、降るには降った
が、地面にうっすら積もる程度だったのだ。だから、メディスンにとって雪というものは
とりわけどうというものでもなかった。

  ――去年までは。

 雪が白く冷たいものである、という程度の認識しかなかったメディスンは、その年の初
雪を見ても特に何を思うわけでもなかった。また今年も降るのね、というくらいものであ
る。
 だが、それは日を追うごとにじわじわと変化していった。
 雪が降る。ひたすらに雪が降る。雨のように地面に辿り着いても何か音を出すでもなく、
しんしんと降り続けた。小雨や大雨の経験もあるから、雪もそういうものなのかもしれな
いとそのときはまだ危機感を持たなかった。油断してると自分が雪だるまになるのがちょ
っと面倒なだけだった。

 メディスンが青ざめるのは、その雪が一向に降り止まなくなってからである。
 朝起きると、自分の体は完全に雪に埋まっている。もぞもぞと這い回ってようやく「地
表」に達すると、まだまだ雪は降っていた。雪の中からぽこっと頭を出して周囲を見回す
と、そこは一面の雪原になっていたのだ。
 鈴蘭は、どこにも見えなかった。
 メディスンは、途端に不安になった。雪が鈴蘭の上に積もるのも見たことがなかったわ
けではない。しかしメディスンの知る雪というのは、地面を薄く白く塗り替える程度のも
のなのだ。自分の背丈ほど降り積もる雪など経験したことがなかった。
 急いで周りの雪をかき分け、地面を露出させる。流されることも溶けることもなく鈴蘭
はそこにあった。
 それを見て、ほっと安心したのを覚えている。
 だがすぐに、そんな場合ではないことに気がついた。鈴蘭畑全体がこうなっているのだ。
今のところ鈴蘭は平気なようだが、積もった雪は結構な高さがある。意外と、重いのだ。
 寒さで枯れることはないかもしれないが、むしろ雪の重みでやられる可能性がある。メ
ディスンはそれに気がつくと、急いで雪かきを始めたのだった。

 だが雪は降る。ひたすらに雪は降る。雨のように地面に辿り着いても何か音を出すでも
なく、こんこんと降り続けた。メディスンがどれだけ頑張っても、雪は降り続けた。全て
を無に帰さんとばかりに降り続けた。
 不安になる。悲しくて、空しくて、悔しくて、寂しくて、辛かった。人形であるメディ
スンは、温感が生き物よりもだいぶ鈍い。そのため素手で長時間雪かきができるのだが、
鈴蘭畑は狭くない。雪を両手で抱え上げ、鈴蘭畑の外に捨てる。それを何度も繰り返すの
だ。百や二百では終わらない大作業。いくら感覚が鈍くても、それはメディスンの体を蝕
んでいた。冷たさは次第に痛みに変わり、雪かきが辛くなってくる。ただでさえ、雪は無
茶苦茶にたくさんあるというのに。
 なのに。なのに雪は容赦なく降り続ける。春などなくなってしまったかのように、長く
永く降り続ける。気温はどんどん下がり、積もった雪は一晩で氷になる。その上からさら
に雪が降る。雪かきができるのはメディスン一人。なのに雪は容赦なく降り続ける。時に
は吹雪となって、鈴蘭畑に襲いかかった。
 どれだけ息を切らせて運んでも、どれだけ体を傷めてどかしても、その上から雪は降り
積もる。鈴蘭は今ほど強力に毒を放出していなかった。だからメディスンの行動能力にも
限界があった。今より鈍い動きで、必死になってメディスンは雪を持ち運び、捨て、また
戻る。何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もそれを繰り返す。意
思を持つ人形が、まるで操り人形のように、何度もそれを繰り返していた。
 しかしどれだけ雪をかいても、まるでメディスンを嘲笑うかのように雪は降る。吹雪は
メディスンを吹き飛ばし、鈴蘭ごと埋め尽くそうとする。抵抗して、また雪を持ち上げて、
メディスンは同じことを繰り返す。広い鈴蘭畑を、たった一人で、緩慢な動作で奔走する。
 どかした先から雪は降り、鈴蘭を隠す。ちっとも作業は進まない。涙に濡れ、嗚咽にま
みれ、体中が傷んでも、全くはかどらなかった。

 そして知る。それが、どうしようもないほど「無駄な努力」であることに。
 
「やめて……」

 ちっぽけな自分一人では、何もできない。
 
「スーさんが……スーさんが死んじゃう……!」

 生まれたばかりのメディスンには、もう泣くことしかできなかった。
 
「もう降らないでよ! もう、来ないでよぉ!!」

 その涙を、悲痛な叫びを、聞く者はいない。
 どれだけわんわん泣き喚いても、全て吹雪にかき消されてしまっていた。
 あの永い冬が終わるまで、メディスンは雪に埋もれながらずっと泣き叫んでいた。









「……だから、雪は嫌い。スーさんが消えちゃいそうで」

 メディスンは悲しそうに語る。去年の大雪は永遠亭も含めいたるところに被害を出して
いたが、メディスンのような何も知らず何も持たず誰もそばにいないような者にはとりわ
け過酷だっただろう。独り雪の中でずっと無駄な努力をし続ける。しかも「子供」が。ど
れほど辛いものだったのかは、鈴仙の想像の範疇になかった。

「……けど、大丈夫よ。あれは人為的なものが原因だったし、そうでなかったらあんな大
雪はそうそう起きやしないもの。今年はそんなに怖がらなくてもいいんじゃない?」
「そう……なんだろうけど」

 今年は例年より冷え込むのが早い。だからやや降雪量が多くなることも考えられが、し
かしそうであっても去年ほどの異常な雪は発生しないはずだ。鈴仙の覚えている限り、家
の出入りが不可能になるような降雪などそのときしかなかった。膝丈まで積もることもあ
ったけれど、それが延々続くこともない。たとえメディスンがまた一人で雪かきをするに
しても、絶望的なほどではないだろう。
 それでもメディスンの表情は晴れない。当然だろう。メディスンにとってあの出来事は
もはやトラウマなのだ。ちょっとやそっとではそう安心させることなどできはしない。

「それに、見た感じその冬も越せたんでしょ? だったら、大丈夫じゃないの?」

 鈴蘭は多年草であるが、あの超寒冷期間を越せるかどうかは分からない。今年の春に起
きた事件で生気を養ったにしても、わずか一年でこれほど元気でいられるものだろうか。
そもそも鈴蘭が咲くのは春から初夏にかけてだ。冬を越すためにほとんどはしぼんでいる
が、それでも立派に花をつけている。季節の変化をものともしないような植物ならば、多
少の雪など敵ではないのではないだろうか。

「まあ、ここの鈴蘭が今も咲いているのは、毒が強すぎるからなんだけどね」

 永琳が口を開く。
 あまりにも毒性が強いため、それが鈴蘭自身に生気を与えているらしい。鈴蘭畑には鈴
蘭による毒が充満しているわけだが、それによって鈴蘭が力を得る。そしてまた毒を作り
出す。そういう、生き物からするとはた迷惑な循環を続けているのだ。だから今でもしぶ
とく花が咲いている。普通の鈴蘭ならばとっくにしおしおだ。

「だってさ。だから……」
「分かってる」

 それならば尚のこと不安要素はない。鈴仙はメディスンに笑いかけた。けれどそれはメ
ディスンによって遮られる。

「スーさんは強いの。私がずっと泣いてたときもじっとしていられたんだから……」

 でも。
 
「でも怖いの。あのとき、本当に、何もかも失ったような気がしたから……」

 声が湿る。スーさんが雪に埋まって消えちゃった気がしたから、と涙声でメディスンは
言う。
 鈴蘭畑で育ったメディスンは、いつも鈴蘭と共にいた。鈴蘭しかいなかった。雪で埋も
れ、メディスンの視界から完全にいなくなった鈴蘭。穢れなき純白の粒子がもたらす「何
もない」世界。それはメディスンからすれば、孤独以外の何物でもないのだ。鈴仙にとっ
ては憧れであっても、メディスンにとっては恐怖なのだ。頭で分かっていても、それを払
拭するのは難しいだろう。

「けど……」
「じゃあ、どうしたいのかしら?」

 鈴仙が元気づけようと言葉を選んでいると、不意に永琳がメディスンに声をかけた。驚
いたのか、メディスンは呆けた顔を上げた。

「えっと……だから、どうにかできない? 雪を全部融かすとか……」

 だから、ということは考えていなかったのだろう。しかしそう問われると自然とそう言
いたくなるものだ。慌てながらも、メディスンは自分の望みを永琳に訴えた。

「……それじゃ駄目ね。下手に熱を持たせると鈴蘭自身もへたってしまうだろうから」
「な、何でもいいの! スーさんが雪に埋まらなければ……」

「それに、ね。私は別にそんなことをする義務はないわ」

「え……」

 冷たく、言い放つ。メディスンの顔から一切の表情が消えた。
 
「師匠……!」
「だって、そうじゃない」
「……い、今まで鈴蘭の毒をもらってたじゃないですか!」

 いくらなんでも、と鈴仙は永琳に食ってかかる。メディスンが可哀想だということもあ
る。だがそれ以上に、永琳の態度が許せなかった。それほど長いつき合いではないかもし
れないが、少しくらい恩を感じてもいいはずだ。それなのに永琳は、自分で聞いておきな
がら完全に突っぱねたのだ。あまりにも冷淡な永琳に鈴仙はうろたえるが、何とか説得し
ようと試みる。

「まあ確かにね。でも別に契約を結んだわけじゃなし、せいぜいが義理でしょう。別に私
はそれに報いようとは思わないわ」
「そんな……!」
「他に何かあれば考えるけどね」

 ふうと永琳はため息をついた。鈴仙は永琳を睨みつける。しかし、何も言うことができ
ない。永琳にその気がない以上、どれだけ言っても無駄なことなのだと悟ってしまった。

「どうすればいいの……?」

 けれど、それは鈴仙が気づいたことであって、メディスンは気がついていないようだっ
た。目を潤ませて永琳を見ている。

「メディスン……」
「だって、スーさんが……」
「そうねぇ……」

 鈴仙が何か言おうとすると、永琳は考え込む仕草をした。ややあって、永琳はぽつりと
一つの条件を出す。

「色々あるけど、例えば……この鈴蘭畑を私に明け渡す、とか」
「えっ……」

 鈴蘭畑を永琳のものにする。それはつまり ――。
 
「師匠!」

 この場所は決してメディスンのものであるわけではない。しかし他の誰かの所有物でも
ないのだし、慣習的にはメディスンのものと見てもいいだろう。
 それを撤回させるということは。
 
「ここを……?」
「あなたにやってもらうのも楽だけど、自分でやってもいいわけだし。……場合によって
は、あなたにここを出て行ってもらうかもしれないわ」

 さっとメディスンが青ざめる。その言葉の意味を瞬時に理解したようだ。
 そう、鈴蘭畑が永琳のものになるのならば、それをどう使おうと永琳の自由であり、メ
ディスンを追い出すことも可能なのだ。鈴蘭畑を離れれば徐々に毒は抜け、メディスンは
またただの人形に戻ってしまうかもしれない。

「その代わり、ここはきちんと管理してあげるわ」

 そんなもの意味はないのだ。メディスンが鈴蘭畑に行けないのならば、管理されようが
されまいがそれを確認することはできない。つき合いもあるし、悪い扱いはしないわよ、
と永琳は言う。だがそれは、鈴仙にはどうしても嘘に聞こえた。元から永琳の波長は読み
にくいが、今だけは違う。その言葉はほとんどが嘘で、他に何かを企んでいるのだ。
 メディスンが考え込む。具体的には分からないが、永琳が何か考えていることを鈴仙は
伝えようとした。だがどう説明すればいいか分からないし、永琳が無言で圧力をかけてく
る。
 メディスンを試そうとでもしているのだろうか。それならばますます許せない。トラウ
マを受けている「子供」に、よくもそんなことができるものだ。けれど結局何も言えず、
鈴仙は歯噛みしながら黙ってメディスンを見守っていた。


「…… お願い」

 かなりの間を置いて、メディスンが答えた。
 
「スーさんを、助けて……」

 それは、肯定の答え。
 メディスンは、自分よりも鈴蘭を優先させたのだ。
 
「そう……私にこの鈴蘭畑を譲る?」
「うん」
「あなたは私の命令に従える?」
「…… うん」
「そう、ありがとう」

 契約は締結された。至極一方的な、不平等すぎる契約。鈴仙は苦々しい表情でその様子
を見つめていた。はらわたが煮えくり返るとはこういうことを言うのかもしれない。
 永琳は満足そうにうなずくと、二、三歩歩いてメディスンの方に向き直った。
 
「じゃあこの鈴蘭畑の所有者として、あなたに三つ、従ってもらうことがあるわ」
「うん……」

 メディスンは泣きそうな表情でうなずく。そんなものを受ける理由などないはずなのだ
が、メディスンは気がついていないようだった。よほど言ってやりたかったのだが、永琳
の目は鈴仙の行動を見抜いていたようで、それを許さなかった。

「まず一つ。あなたにはこの鈴蘭畑を出て行ってもらうわ」

 そして宣告される。メディスンにとってはほとんど死刑のようなものだ。あまりに一方
的。そしてあまりにも容赦がなかった。

「うん……」
「そして二つ目。ここを出て行ったら永遠亭に住んでもらう」
「え?」
「は?」

 しかし。
 その一方的な死刑は、突如として反転した。


 うつむいていたメディスンも、目を伏せていた鈴仙も、同時に永琳を見る。
 今、何と言ったのだろう。鈴蘭畑を出て行って、永遠亭に住めと言ったのだろうか。
 そのとき、鈴仙は永琳の波長が先ほどと変わっていることに気がついた。謎解きの部分
に足を入れたためか、企みが読めなかったのがクリアになっている。まるで、毒気を抜い
たかのように。

「で、三つ目」

 状況をつかみかねていると、永琳が言葉をかぶせてきた。
 
「私が持っているこの鈴蘭畑の所有権を、あなたに返還するわ」
「……え?」

 本当に、何がなんだか分からなかった。
 一瞬抜けかけた意識を引き戻し、鈴仙は焦りつつも状況確認を始めた。鈴蘭畑の所有権
はメディスンから永琳に移り、それによってメディスンの行く先は永遠亭になり、所有権
は戻された。

「あの師匠? それって……」

 要するに、変わった部分はメディスンが永遠亭に住むというところだけである。
 見れば、永琳は満面に笑みを浮かべていた。
 
「こんな子を、寒い雪の中に放っておくわけにはいかないじゃない」

 ぽんぽんと、メディスンの頭を優しく叩きながら永琳は答えた。
 漸く、鈴仙は永琳が何をしたかったのか理解した。
 初めから、メディスンも鈴蘭も助けるつもりだったのだ。

「そんな……それなら、何も試すようなことしなくても」

 しかし、鈴仙は憮然とした表情を崩さない。まさかと思っていたが、本当にメディスン
を試していたのだ。初めから助けるつもりならば、わざわざそんな意地の悪いことをする
理由などあってはならない。鈴仙は言葉にこそしなかったが、目で言いたいことを伝えた。

「さっき言った通りよ。義理は……まあないわけじゃないけど、義務が欲しかったの」

 メディスンの頭を撫でながら、永琳は鈴仙の疑問に答える。
 
「ただ連れて行くだけじゃ、絶対に承知しない子とかいるからね」
「あー……いますね」

 例えば、兎たちのリーダーとか。健康に気を遣うし、気性は荒いし、何よりメディスン
からしこたま毒を喰らった過去がある。メディスンと暮らすことになったらそれはそれは
嫌がることだろう。

「まあ無理矢理言うこと聞かせてもいいんだけどね」
「もう少し穏便に済ませたいと」
「そういうこと」


 つまり。
 永琳とメディスンの間で、鈴蘭畑の管理という契約を正式に締結する。鈴蘭畑の所有権
は永琳に移譲され、その処分は永琳の自由になる。それによってメディスンは鈴蘭畑を出
て行くことになるが、解釈次第ではメディスンも鈴蘭畑にある「物」の一部として扱うこ
とができる。ならばその行き先の決定も永琳の自由だ。鈴蘭畑にあった「物」を永遠亭に
移動させれば、メディスンは永遠亭に住むことが可能になる。
 その上で、メディスンに鈴蘭畑の所有権を返還する。鈴蘭畑は再びメディスンのものと
なる。となればメディスンの居場所の決定権も当然メディスンのものになるのだ。鈴蘭畑
に行こうが永遠亭にとどまろうがそれはメディスンの自由である。少なくとも冬の間は、
わざわざ寒い外にいなくてもよいわけである。
 かなり、屁理屈だ。しかし説得力はある。普段から屁理屈をこねるあの兎を黙らせるに
はちょうどいいかもしれなかった。反論してくるかもしれないが、正式な契約によって発
生した正式な権利だ。メディスンをだまくらかすのは楽でも、より高度な屁理屈をこねる
永琳にはかなうまい。

「……よかったね」

 回りくどいやり方に苦笑い。鈴仙はぽりぽりと頭をかくと、いまだに状況が飲み込めて
いないメディスンに声をかけた。

「え、えと……?」
「要するに、うちに住んでってこと」

 理論的に説明しても分からないかもしれない。鈴仙と永琳は互いに分かりやすく噛み砕
いてメディスンに説明した。「出て行く」という部分に衝撃を受けたらしいが、そこは重
要ではない。それを強調し、且つメディスン自身が雪をしのぐためのものであることをつ
け加えた。

「じゃあ……スーさんは?」
「そんなの雪が降ってる間、場合によっては冬の間中、ここを密室にしてしまえばいいだ
けのことよ。雪はかからないし、むしろ毒がいっそう充満するわ」
「ですよね。師匠なら造作もないことでしたね」

 メディスンが理解できるまで、二度三度と説明を繰り返した。
 
「スーさんは、大丈夫?」
「ええ、もちろん。責任もって守ってみせるわ」
「私もいていいのよね?」
「そうよ」
 そうして、やっと理解したようだった。
 もう誰も、寒い思いをしなくて済むことを。
 メディスンに、笑顔が戻った。



 冷たい空気をすっと吸い込み、永琳と鈴仙はメディスンに手を差し出す。
「ようこそ、永遠亭へ」
 新しい家族を歓迎するために。長かった孤独を癒すために。
「……うんっ!」
 二人の手を握り返し、メディスンは元気いっぱいにうなずいた。
 秋も過ぎ去り、雪も間近な寒い季節。
 でもその手は、温かかった。



■作者からのメッセージ 寒空の下で独り震えていた彼女に、家族という名の屋根を―― (この作品は天馬流星ではなく「にごり酒クリーム」というHNで書かれました。)
■簡易点数評価
無粋ですが気になった点を。鈴蘭は北海道の花のイメージがある通り、高山などに咲く寒さに強い植物です。なので雪が降り積もる程度では、殆ど影響がなかったりします。又、幻想郷は元々雪のよく降る所で、冬には必ず雪が積もる程です。妖々夢マニュアル、バックストーリーの咲夜の項を参照までに フリーレス 名前が無い程度の能力 ■2006-09-29 01:09:48
耐えられる、耐えて来た物であったとしても孤独と言うのは辛いもの。そこに差し伸べられる手と言うのはどれほどあたたかいものでしょう。一時は孤独の中に身を置いた、この先また置く事になるかもしれない蓬莱人は、孤独な人形を放っておけなかった、そんな風に感じました。 70 翔菜 ■2006-09-28 04:39:43
メディの純粋さ加減が良く表現されてる良作でした。GJ! 80 CODEX ■2006-09-27 22:57:20
匿名評価1490点投稿数:33
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