小  説

61-幸せのあるところ

 正直なところ。
 
 現在、紅美鈴は大ピンチだった。
 
「………………」

 自分の持ち場を離れ、美鈴はふらふらと警備隊の詰め所にある自分の部屋に戻ってきた。
目はうつろで焦点が定まっていない。ぶつぶつと何か呟きながら歩くさまはアブない人に
見えなくもなかった。

 美鈴は部屋の扉を開けると、すぐそばにあるベッドに倒れこんだ。
 
「……お腹空いた」


 ベッドにうつぶせになり、そう一言呟く。
 
 そう、今美鈴は、お腹が空いて力が出ないのである。
 
 常人が聞けば笑い飛ばしたくなるような理由だが、美鈴にとっては非常に重要な問題な
のだ。なにしろ、あまり自覚はないのだが美鈴は食事の摂取量が他のメイドたちとは段違
いに多いのである。メイドの食堂でテーブルの上を自分の食べる料理で埋め尽くしている
ときは、大抵周りから怪訝な目で見られている。それだけ美鈴の食べている量が多いとい
うことだった。

 しかも、それだけの量であるにもかかわらず、美鈴の胃は消化能力が極めて高い。また、
その下にある器官も吸収速度が異常なほど早いのだ。何か住んでいるのではないかとさえ
思えてしまう。

 ともかく、量食う割に消化吸収が早いため、美鈴は夕食をとる2時間ほど前からこのよ
うな状態になってしまうのである。朝早めに起きてあらかじめおやつを作っておくという
手段もあるのだが、生憎今日は寝過ごしてしまったのだ。二重の意味で部下に示しがつか
ないだろう。

 主に腹から負のオーラを醸し出しながら、美鈴はベッドの上に倒れていた。早く持ち場
に戻らないと咲夜がやってきて酷いことになるのだが、空腹の過酷さも耐えがたいものな
のだった。


 ――コンコン。


「……?」

 美鈴が脳内であれこれと料理を食べていると、不意に部屋の扉がノックされた。
 
 部下が呼び戻しに来たのだろうか。そう思って美鈴は気だるげに体を起こす。
 
 だが、ノックをした本人の声を聞くなり、美鈴はベッドから飛び降りた。
 
「美鈴、いる?」

「さ、咲夜さん!?」

 1番警戒すべき人物がやってきたようだった。美鈴は一瞬で服とシーツの乱れを直して
帽子をかぶり扉を勢いよく開けた。

「な、何でしょうか!別にサボっているわけじゃないですよ!?」

「いや、こっちこっち」

 扉の先の何もない空間に向かって美鈴はあわあわしながら弁明する。しかし咲夜の声は
部屋の中、美鈴の後ろから聞こえてきた。

「わあっ!び、びっくりさせないでくださいよー……」

 時を止めて入ってきたらしい。部屋の扉は中からは押して開けるようになっているから、
もしも咲夜が時を止めていなかったら今の勢いでドアクラッシュを喰らうことになってい
ただろう。恐らくそれを予測していたために止めたと思われる。つくづく完璧なメイドだ
った。流石である。

「そ、それで何の用でしょうか?」

 慌てて振り向き、美鈴は咲夜に尋ねる。振り向きざま、胃が収縮して音を立てようとし
ていたので自らにボディブローをかましておく。痛かったが我慢した。ここで腹を鳴らし
てナイフを喰らうよりはずっといい。

「うん。アップルパイ作って余ったんだけど、食べる?」











 神。











 降。










 臨。











 光が差し込み天使が舞い降りる。どこからともなく荘厳な鐘の音が聞こえてくる。既に
理想郷という名を持つ幻想郷でさらなる天国とも呼べるアルカディアが存在していること
を、美鈴は今日の今初めて知った。この世にこんなに嬉しいことがあろうとは。

 咲夜に後光が差していた。輝かしくて直視できない。この目から溢れ出る涙はきっと嬉
しいから以外の意味が含まれていることだろう。

「いただきます!喜んで!」

 咲夜がアップルパイという単語を口にしてから美鈴が涙を流して答えるまで、かかった
時間は約2秒。耳から伝えられた電気信号はそのまま口に直で繋がったらしい。

 くるくると妙な踊りを踊りながら、美鈴は据え付けの椅子に腰掛けてテーブルを引き寄
せた。咲夜はそんな美鈴の様子に苦笑しながら、そのテーブルにアップルパイの乗った皿
を置く。フォークを美鈴に渡し、紅茶を入れて皿のそばに置いてくれた。

「ぅああ……。嬉しい〜……」

 食べる前から至福の表情の美鈴。咲夜の作るお菓子とはとどのつまりそれだけおいしい
ということなのだ。しかももらえるときは毎回いい方向に裏切ってくれるおいしさである。

「いただきまーす」

 フォークを横にして、美鈴はアップルパイの先の部分を切る。それを突き刺して口に運
んだ。

「………………!!」

 舌の上で真ん中に入っていたりんごがシロップと共に広がってゆく。芳醇な香りが口の
中を満たしてゆく。1回上下の歯を合わせて離せば、生地がぱらぱらと砕けてその甘みが
りんごと混ざり合う。

 なんともいえない幸せが美鈴を包み込んだ。
 
「おいしーい〜」

 美鈴は感涙にむせぶ。何度か噛み砕いてそれを飲み込む。口の中にはまだその余韻がた
っぷり残っていた。なんだかもうこれ以上食べるのがもったいない気さえした。

 だが食べない理由などない。美鈴は二口目を口に放り込んだ。
 
 先ほどと同等の至福が体中を駆け巡る。もう美味しい以外言えなかった。

「はふぅ〜」
「お嬢様もパチュリー様もそんなに食べないから小さいけどね。円で作るとどうしても余
っちゃうから……」

「はい〜」

 好みの量に砂糖を入れ、紅茶を飲む。これ以上ないくらいにアップルパイと味がマッチ
する。咲夜と談笑しながらアップルパイをかじってゆく。

 全て食べきるには10分もかからない短い時間だが、それは最高に幸福な時間だった。







「ごちそうさまでした〜」

「はい、おそまつさま」

「いえそんな。すごく美味しかったですよ」

「ふふ。ありがと」

 アップルパイを平らげ、美鈴は手を合わせて咲夜に礼をする。美鈴の胃のキャパシティ
から計算すると雀の涙みたいな量だったのだが、それを補ってあり余るほど美味で至福だった。

「じゃ、そろそろ行くわ。がんばってね」

「はい!ごちそうさまでした!」

 咲夜は皿とティーセットをトレイに乗せると、美鈴に声をかけて消えた。また時を止め
て戻って行ったらしい。咲夜には咲夜の仕事があるから、もう少しゆっくりしていっても、
と思うのはただのわがままだった。

「よし!気合十分!」

 一声出して、美鈴は自分の頬を叩いた。物理的に腹は膨れてはいないが、それ以外で十
二分にお腹いっぱいである。

「よーし、がんばるぞー!」

 おー、と美鈴は意気揚々と詰め所を出て行った。







 美鈴は気づいていない。咲夜の料理を、そこまで美味しそうに食べているのが自分以外
にいないことを。オーバーでもなんでもなく、正直に幸せそうな顔をしていることが咲夜
の気もよくしていることを。それが作った者にとって1番嬉しいことであることを。

 だから、咲夜がわざわざ美鈴の笑顔を見に来ていることにも、気づいていなかった。



■作者からのメッセージ プチ創想話初投稿でございます。 ちょっと息抜きのつもりだったのですが、わずか30分で完成した上に同日創想話に投稿 した「一方その頃 〜東方永夜抄Extra」よりも明らかに出来がよくてヘコんでます。本当 にこれ寝る直前に思いついたネタなんだろうか?

しかしよく考えないで書いたために、どことなく咲夜さんがツンデレキャラになっている ような気がしないでもないです。別にいいですけどね。むしろ望むところですし。 これくらいの短さなら、またちょちょっと書いていきたいですね。 2005年05月01日(日) 01時03分08秒 公開


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