小  説

62-花咲く丘で妖精たちが

 春の柔らかな光が、地上の生命たちに活気を与えている。冬の間は白い雪と茶色の土に
覆われていたこの丘も、今はカラフルな草花でいっぱいだった。そよ風に緑の草がざわめ
き、花たちが頭をゆらゆらと揺らしている。そこかしこから生えまくった植物たちは、今
日も元気に光を吸い込んでいた。

 さまざまな色の光が咲き乱れるその丘を、1人の少女が半ば跳ねるようにして歩き回っ
ていた。随分機嫌が良いらしく、にこにこと笑顔を浮かべながら鼻歌を歌っていた。

「〜♪」

 2、3歩スキップし、止まった足を軸にくるくるとその場で回転。白いドレスがそれこ
そ花のようにふわりと翻る。少女はぴたりと回転を止めると、自分の背中のほうを振り返
り、草花で埋め尽くされた丘を眺めてみた。

「ん〜っ、気持ちいいなぁ〜」

 群青色の髪が風にはためく。ぐっと背伸びをして、少女は大きく息を吐いた。暖かい日
差しも、春のそよ風も、自分が今いるこの風景も、何もかもが心地よかった。

「……あ、ひまわりだ」

 もう少し散歩をしようと思い、少女はくるりと体を返す。すると、自分の右手側にひま
わりが数本咲いているのが目に留まった。

 春だから花が咲いているのは不思議ではない。
 
 しかし、いくらなんでもひまわりが咲いているのはおかしかった。ひまわりは夏の花で
ある。芽が出るのにも早いというのに、花まで咲いているというのは以上に他ならない。

「わーい!」

 しかし、少女は人間ならばすぐに疑問に思う異常を全く考えることなく、背丈の高いそ
のひまわりを抱きかかえた。花と植物そのものの匂いが鼻腔をくすぐる。

 少女が考えないのも当然である。妖精は、そんな細かいことなどいちいち気にしないの
だから。

「これ何本か持っていこうっと」

 しばらくそうしてから堪能すると、少女は嬉しそうに屈みこんだ。それからひまわりの
根元に指を当てる。指先に少しだけ魔力を溜めると、少女は指を曲げた。ぴっとひまわり
の茎に切れ込みが入る。少女は隣にあったもう1本にも同じことをして、立ち上がると同
時にひまわりを引き上げた。切れ込みを入れたところでひまわりが音を立てて折れる。

「よいしょっと」

 2本を整え、少女はそれを抱え直した。別にひまわりで何かするわけではないのだが、
なんとなく持っていると嬉しい気分になった。


「おやおや、先客がいるじゃない」

 ひまわりを切り取った後、少女は再び鼻歌を歌いながら丘を散歩していた。すると、上
のほうから何者かが少女に声をかけてきた。少女が見上げると、2人の少女が笑顔で降り
てきた。1人は後ろで結った銀色の髪に赤いドレスを、もう1人は少女と同じくらいの長
さで、赤茶色の髪をしていた。若草色のドレスには金色の刺繍が入っている。

 そして、2人の背中にはそれぞれ白い羽がついていた。大きさは少女ほどではないにし
ても、それは2人が妖精の類であることを示していた。羽のついた妖怪は、ほとんどが妖
精である。そうでなければ他に何かしらの特徴があるのだが、目の前の2人にはそれがな
い。立派に妖精だった。

 さらに、銀髪の妖精は白い桔梗の花を、赤茶色の髪の妖精は赤い菊の花を持っていた。
こちらもまた、まるっきり季節を無視した持ち物である。

「こんにちは」

 仲間に会って、少女は笑顔で挨拶をする。2人も笑みを浮かべて返してくる。
 
「こんにちは〜」

「この陽気に誘われて、あんたもウキウキ散歩中かい?」

 銀髪の妖精はのんびりした口調で挨拶を返し、赤茶色の髪の妖精はししし、と笑いながら
話しかけてきた。「ウキウキ散歩ってどんな散歩だろう」と思ったが、多分今の自分の状
態はそれと大して変わらないのだろうから、少女はうなずいておいた。

「いいお天気よね〜。頭がぼぉ〜っとして、体がふわ〜っとして、ほにゃ〜って倒れちゃいそう〜」

「そりゃ日射病って言うのよ。気をつけなさい。あんたトロいんだから」

 桔梗を持った妖精がよく分からない擬音を連発しながら会話する。少女は何を言ってい
るのか分からなかったが、隣にいる妖精は慣れているのか実に的確なツッコミを下してい
た。今のは本当に日射病のことを言っていたのだろうか。そう取れなくもないだけになか
なか解読の難しい発言だった。

「……あっれー?1番乗りだと思ってたのに、誰かいるー」

 気の抜けた、しかし解読のためには気の抜けない会話をしていると、また1つ上空から
声が聞こえてきた。3人が見上げると、今度はロングブロンドの髪に青いドレスを着た妖
精が降りてくるところだった。偶然なのかそれとも流行っているのか、彼女もまた植物を
抱えていた。持っているのは3人と違って花ではなく、蕗の葉だったが。

「や、こんちは」

「こんにちは」

「こんにちは〜」

「ちぇー、せっかく思いっきり遊ぼうと思ってたのに。……って、ああ、こんにちは」

 ぶつぶつと愚痴を垂らしながらブロンドの妖精は丘に降り立つ。しかし3人の連続挨拶
を聞くと、即座に応えてきた。性格は悪くないらしい。小柄な体をぐっと曲げてお辞儀を
する様はなかなかに可愛らしかった。

「この陽気に誘われて、あんたもワクワク散歩中かい?」

「ワクワク散歩?何それ」

 菊を持った妖精が、先ほどとは微妙に違う表現で尋ねる。蕗の葉の妖精は少女ほどに大
雑把な性格ではないらしく、怪訝な表情で訊き返していた。

「あ、つまりごきげんふわふわ?ってことよ〜」

「違う」

「余計わけ分かんないわよ」

 横から桔梗の妖精が助言らしきものを入れる。しかし全く助言になっていないことに本
人だけが気がつけなかった。それを気にしないあたり、その妖精の人柄のよさがうかがえ
る。いきなり成り立たない会話を強制され、蕗の葉の妖精は呆れ気味のようであった。

 しかしせっかく仲間がいるのだ。一緒にいない理由などない。蕗の葉の妖精はすぐに3
人の輪に入り込んだ。

 丘を歩きながら、4人でお喋りをすることになった。
 
「あ、ところでひまわりは何してたの?」

 しばらく天気のことや丘のことについて4人で話していると、不意に菊を持った妖精が
少女に問いかけてきた。

「は?ひまわり?」

 しかし問いかけに普通名詞なのか固有名詞なのか判別のつけがたいものが含まれていた
ため、少女は思わず問い返す。

「うん、あんたひまわり持ってるから。めんどくさいからひまわりって呼んでいいでしょ?」

 にこにこ笑いながら、目の前の妖精が話す。
 
「え、まあ、確かに私名前ないけど……。ま、いっか」

 1秒ほど考え込んで、少女はひまわりと呼ばれることを了承する。呼び名もないのでは
確かに会話はしづらかった。ひまわりは別にそんなこと気にしないのだが。あまりに単純
な理由で自分の名前が決められてしまったことも気にしない。何事もその場の雰囲気で決
めてしまうことが、ひまわりには多々あった。

「じゃあ、私はひまわりってことでよろしく。ちなみに、私も散歩よ」

 改めて呼び名が決まったところで、ひまわりは笑顔を作る。
 
「じゃあ私たちもそれぞれ名前決めちゃおっか〜」

 桔梗を持った妖精が本当はもっと考えるべきことをさらりと口にした。しかし、妖精の
思考は基本的に単純である。名前がなければ作ればいい。それだけを考えて満場一致でみ
んなの名前を決めることになった。

「じゃあ、ひまわりがひまわり持ってたから、って理由でつけたんだし、あんたは『きき
ょう』でいんじゃない?」

 ならば早速、と菊を持った妖精が桔梗を持った妖精の名前を挙げる。理由はやはり単純明快。
 
「あ、うん。それでいいよ〜。私ききょうね〜」

 だが単純だからこそ気に入るというものである。桔梗の妖精はあっさりと自分の名前を
ききょうにしてしまった。

「じゃあ、あなたは菊を持ってるから『きく』でいい?」

「言いにくいわね。いっそ『きくちゃん』て呼んじゃえば?」

「いやいや、私ってちゃん付けされるようなキャラじゃないって」

 すかさず、ひまわりが自分に名をつけた妖精に同じ理由で名前を与える。そこに蕗の葉
を持った妖精が名前というよりはあだ名のほうがしっくりくる呼び名を提案する。恥ずか
しいのか、苦笑しながら菊を持った妖精は慌ててそれを却下し、少し考え込んだ。

「んー、そうね。……『のぎく』、なんてどうかな?」

 野生だし、と菊の妖精は3人の顔を見る。
 
「いんじゃない?」

「可愛いよ〜」

「のぎく、決定ー!」

 3人に異論なし。菊を持った妖精はのぎくと呼ばれることになった。
 
 というわけで、残るは1人。蕗の葉を持った妖精である。
 
「じゃあ私は……」

「はっぱ」

「はっぱね」

「はっぱ〜」

 蕗の葉の妖精が考えようとした矢先、ひまわりたちは速攻同時に同じ呼び名を言った。
 
「えぇー!?ちょ、ちょっと待ってよ!!」

 3人が花の名前できたから自分もそれらしい名前にしようと思ってたようだが、残念な
がら彼女の持っていたのは花ではなく葉である。うろたえながら3人の提案に異議を唱え
ようとするが、3人の団結を破ることはできなかった。

「だって葉っぱ持ってるし」

「うん、持ってるもので名前つけるなら『はっぱ』がいいよね」

「よろしくね、はっぱちゃん〜」

「ま、ま、待ってよ!いくらなんでもストレートすぎるってば!せめて『リーフ』とかそ
の辺をさ!」

 両腕をぶんぶん振り回してはっぱは叫ぶ。あせっているどころかかなりいっぱいっぱいだ。
 
「別にいんじゃない?それでも。もともと名前なんてないんだしさ、私ら」

「でも呼ぶときははっぱで」

「うん、はっぱで〜」

「うわーん!いじめだ〜!!」

 はっぱの申し出は簡単に受け入れられた。しかしそれが使用されることはどうやらなさそうである。
 

 ひまわり、のぎく、ききょう、はっぱの4人で丘を駆け回る。単にキレたはっぱが半泣
きで3人を追いかけ回しているだけだったが。そんな鬼ごっこの中で、互いに互いの名を呼び合う。

 それはとても、気持ちのいいものだった。
 
 たくさんの花が咲くこの春の丘の上のように。
 

「それにしても、ホントたくさん咲いてるねー」

「私、竹の花見たよ〜」

「え、マジで?」

「すごーい。珍しいんでしょ?竹の花って」

「見に行く?」

「行く行くー!」
「ききょう、案内してよ」

「うん、じゃあいこ〜」

「よーし、いくぞはっぱ二等兵!」

「リーフって呼べこの菊野郎!」

「誰が野郎よ!」

「まあまあ、落ち着いてよ。のぎくもはっぱも」

「ひまわり〜。せめてひまわりだけはリーフって呼んでよ〜」

「やだ」

「酷い……」

「こっちだよ〜。のぎくちゃん、ひまわりちゃん、はっぱちゃ〜ん」

「あ、待ってー!」


 花を抱えて飛び立とう。
 
 この、異常で素敵な春の空の中へ。



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