小  説

64-紅 中編

 あと少しで決まりそうだった鈴花の婚約が破棄された。
 
 理由は単純。相手の男が殺されたのである。
 
「ころ、された?」

「ええ……」

 鈴花は、まだそれほどベッドから離れられない。事件のショックもあって、今は臥せっ
ていた。

「せっかく、姉さんの体もよくなってきたっていうのに」

「そうね……。でも、正直に言うと、私は結婚しなくてよかったと思ってるわ」

「なんで?」

「あの人……やっぱり家の財産が目的みたいだったからね……」

 先日鈴花は相手の男と街中を歩いたらしいが、そのときに察したのだろう。それを聞い
て、美鈴は天を仰いだ。

「あー、もう!どうして世の中、そんなやつばっかりなのよー!もういいよ姉さん、結婚
なんかしなくて」

「美鈴は、結婚する気はないの?」

「ないっ!」

 潔く断言。
 
「この家があるうちは、私はここから離れないよ」

 そう言って、美鈴はウインクする。この家を守ることが自分の使命といわんばかりに、
胸を張って見せた。

「……美鈴、また胸大きくなった?」

「うわあ!どこ見てるのよ!」

 人が死んだというのに、和んでしまう。いや、だからこそかもしれないが。
 笑っていたい。
 
 この幸せがずっと続けばいいと、美鈴は心から思った。
 

 だが数日後、家のそばで殺人事件が起きた。
 

 最近は人が死ぬのはしょっちゅうだが、今回は毛色が違った。
 
 追いはぎや強盗の類ではない。被害者は頭を完全に破壊されていた。まるで鉄球を高速
で頭に投げつけたかのように、めちゃめちゃだったらしい。ようやく鈴花が外を歩けるよ
うになったというのにこれでは、出ように出られなかった。

「やっぱり、父さんに止められちゃったね」

「ええ……」

「銃持ってたって、私なら勝てるのに」

「危ないってば」

「そんなこと言って、姉さんだって本当は勝てるよ?」

「そんなわけないじゃない」

 鈴花は苦笑する。しかし、美鈴は大真面目で詰め寄った。
 
「いやいやいや。姉さんの気の総量って全然底がないじゃない。場合によっては、放出し
ただけで人を気絶させられるんだよ?」

「そんなこと言ったって……私は、これを暴力に使うつもりはないわよ」

「うーん。ま、そうか」

「ほら、もう寝なさい」

「はーい。おやすみ、姉さん」

 言われて、美鈴は鈴花の部屋を出た。しかし、寝る前に軽く鍛錬しておくのは美鈴の日
課である。上流階級の娘のたしなみとして、舞の練習もやっていた。美鈴も、鈴花に見劣
りしないほどに美少女だった。紅い髪は美鈴にも受け継がれている。紅家生まれの人間は、
なぜか髪が紅かった。長い髪はうっとうしいので、首の辺りでざっくり切りそろえている。
しかし、それが少女らしい面を見せることとなっていた。長いほうが当然踊ったときに見
栄えがいいが、それでも美鈴の舞は立派に見せられる。

 紅家の庭で、美鈴は静かに舞っていた。
 

 物音がしたのは、そろそろ終わりにしようかと思っていたときだった。
 
「……姉さん?」

 暗くてよく分からないが、紅と思われる髪をした人間は、自分と姉くらいしか今はいな
かった。

「どうしたの?私ならすぐ寝るから。姉さ、ん……?」

 姉が、自分に向かって手をかざした理由が、美鈴には分からなかった。
 
「っつ!?」

 瞬間、自分の脚を何かが貫いた。しかし、それを確認する間もなく、前方が光り輝く。
 
「!?」



 ――ザアアァァァァァ
 


 鈴花から、気の渦が現れた。赤と、青と、他に何色か。それは太い針のような形を成し
てゆく。

「……ふふ」

 笑った、気がした。
 
 同時に、色とりどりの気の針が美鈴を襲う。
 
「くっ!」

 美鈴は一気に自分の気を高めた。前方の針の群れに集中する。数はあるが粗い。隙間を
縫ってかわすことはできそうだった。

「……しっ!」

 掛け声とともに、美鈴は駆ける。身をかがめ、さらに左にねじって目の前のをやり過ごす。
しかし一瞬あとにはもう次の針が迫っていた。左手を地面につき、手だけで右前に跳ぶ。
針が服をかすめる。それにひるみながらも美鈴は足から大量の気を放出する。速く、疾く、
地面に足がつく前に美鈴は空中へ跳んだ。

 ダンッ、と盛大に美鈴は着地した。その衝撃で先ほど撃ち抜かれた脚が痛む。だが今は
そんなことにかまけてはいられない。

「姉さん!一体何を……!」

 そこに、鈴花はいなかった。代わりに、背後に圧倒的な気。
 
「……っ!!」

 振り向く前に美鈴は跳んでいた。それとほぼ同時に、先ほどと同じ形の針が足元すれす
れを通っていった。

 鈴花は既に美鈴の後ろに回っていたのだ。
 
 信じられないスピードに、美鈴は背筋が冷たくなった。
 
 壁を蹴ってそばの木に飛び移る。下に、鈴花の紅いつややかな髪が見えた。
 
「姉さん!どうしたっていうのよ!」

 姉の仕打ちが信じられなくて、思わず美鈴は叫んだ。しかしそれは結果的に、自分の正
確な場所を教えることとなってしまった。

 鈴花が見上げる。目が合った。そう思ったときには、鈴花の周囲から青白い球体がいく
つも現れていた。昼間見せた可視の気の塊。まさかこれほど大量に生み出せようとは。

 美鈴は木から飛び降りた。あれが襲い掛かってきたら。気を練り直して足に集める。木
の幹から地面へ、地面から鈴花へ。一陣の風となって美鈴は鈴花に迫った。気の球は既に
撃ち出され、立派な幹と枝を持つ樹木をなぎ倒した。

 つまり、今の鈴花は無防備。
 
「姉さんごめんっ!」

 右手に気を集める。直接のダメージを考え、拳は握らず掌底を狙う。
 
「はあっ!!」

 どず、と。
 
 美鈴は鈴花の腹部に川掌(せんしょう)を打ち込んだ。しかし、理由は分からずとも今の
鈴花は強力な気を使える。これだけでは倒れないかもしれない。念には念を。美鈴は、さ
らに掌底から気を放出した。

「ぐ……!」

 それだけだった。その一発が効いたらしく、鈴花はそのまま崩れ落ちた。美鈴は慌てて
その体を支える。さすがに気を体に打ち込まれては、鈴花も抵抗できないようだった。

 肩で荒く息をして、美鈴は鈴花の様子を見る。
 
 別段、変わったところはない。一体、何があったというのだろうか。
 
 しかし考え込んでも埒が明かない。美鈴は鈴花を部屋のベッドに寝かせることにした。
気絶というのだが、鈴花はよく眠っている。明日になれば起きるだろうから、話はそのと
きにでも聞くことにした。美鈴が今夜寝られるかは別として。











 翌日。
 
 予想通りというか予想外というか、鈴花は昨夜のことは覚えていなかった。庭で倒れた
ままの木を見ても、一体どうしてこうなったのか、としきりに首をかしげていた。

「覚えてないのか……」

 何故鈴花が美鈴を襲ったのか。あれだけの気のコントロールを、いつの間に身につけた
のか。そして何故、鈴花は何も覚えていないのか。

「……こう、だっけか」

 美鈴は掌を上に向けてかざす。そこに気を集中させる。
 
 またたく間に、昨日鈴花が出したような可視の気が出来上がる。この数日間の特訓で、
なんとか形にすることはできるようになっていた。

「だけど姉さんは昨日、針みたいなのも……」

 意識を集中し、気の形を変える。一応それは美鈴にも出来る。色は調節できるし、自身
の象徴だったりして自然と出来る事もある。出来上がったのは虹色の気弾。それを、倒れ
た木に高速でぶつける。

 爆発が起き、木だったものが木の屑になる。
 
 それを何の感慨もなく見つめた後、美鈴は自分の気を収めた。
 
「美鈴?」

 振り向くと、鈴花がいた。
 
「姉さん……」

「どうしたの?破壊活動なんかして。修行かしら?」

 くすくす笑いながら、鈴花は冗談混じりにたずねる。
 
 その笑顔に、美鈴は答えることが出来なかった。
 
「うん。まあ……そんなとこかな」

「まあ」

 鈴花は、1つ大きく伸びをした。そのまま、青空を見つめる。
 
「空が、きれいね」

「……うん」

 美鈴もつられて空を見上げた。
 
「外に出られて、本当に嬉しいわ。こんなに広いなんて」

「そう、だね」

「美鈴のおかげよ」

「そんな……」

「本当だってば」

 姉が妹に微笑みかける。なんとも仲睦まじい光景だ。
 
 しかし。
 
 鈴花の眼が妖しく光っていたのは、美鈴の気のせいだったのだろうか。
 
「ああ、おなかが空いてしまったわ。美鈴、お昼にしない?」

「うん。いいよ」

「お肉が食べたいわね〜」

「姉さん、最近食欲増してきたよね。太るよ?」

「今までやせてたんだから、ちょうどいいわよ」

「そうかなあ……」












 夢を見た。
 
「姉さん……?」

 美鈴の前に佇む1人の少女。長く美しい紅の髪。いつもいつもうらやましいと思ってい
たその美しさは、今はよりいっそう紅く見えた。

 髪だけでなく、全身が紅くて。
 
 鈴花の指先から、雫がたれている。しかし、それは水ではない。
 
 あんなに紅い水は、この世に1つしかない。
 
 鈴花は、美鈴に背中を向けて歩き出した。
 
「姉さん……?姉さん!待って!」

 このまま行かせちゃいけない。直感的に美鈴は思った。鈴花に向かって走り出す。しか
し、何かに足を滑らせて、美鈴はその場に転んだ。びちゃ、と体に液体がつく。

「ねえさ……」

 体を起こしてそれを拭き取ろうとした美鈴は絶句した。
 
 手が、腕が、服が、紅かった。
 
 呆然と、辺りを見回す。
 
「…………」

 そこにあったのは、おびただしい数の人間の死骸。いや、人間かどうかも疑わしい。
むしろそれらは、人間だったものだ。

 ヒトであることを放棄させられた物体。
 
「…………」

 やがて、文字通りの血の海から、笑い声が聞こえてきた。こんな狂った場所では、恐怖
を通り越して楽しくなってくる。

「あ、は!は!は、ははははははははははははは!!」

 聞きなれた笑い声。けたたましく耳に響く笑い声。
 
 狂ってる。あの人は狂ってるんだ。
 
 ああ、何故だかおかしい。
 
 どうしてこんなにも――。











 不安を拭い去ることは出来なかった。
 
 鈴花が美鈴を襲った日を境に、町で殺人事件が多発し始めたのは偶然だろうか。それも、
腕やら内臓やらがちぎれとんでいるのは。

 町に化け物がやってきたと、人々は恐怖した。全身を針のようなもので貫かれている者。
腹から上がなくなっている者。また全身の骨を砕かれている者。内臓が口から飛び出して
いる者。おぞましい死体が毎日のように出た。

 本当に化け物が来たのかもしれない。仮にもし人間だったのなら犯人は。
 
 怖くて、美鈴はそれ以上考えられなかった。
 
「最近、あちこちで人が死んでるわね」

 買い物の帰り、鈴花が呟く。
 
「怖いね……」

「あら、銃持ってても勝てるって言わなかった?美鈴」

「そ、それとこれとは……別、だよ」

 以前なら姉のほうが過度に恐れて、自分に再三注意したものだが、今の鈴花は、殺人を
恐れる様子は微塵もない。

 その屈託のない笑顔が、恐ろしかった。
 


 そして、訪れる破滅。
 
 食い止めることは、できるのだろうか。











「お師様。気とは、人に害をなすものなのですか?」

「どうした、突然来て突然な質問だな」

 久しぶりに師のいる道場へ赴いた美鈴。弟子はいくらでもいるが、直接師と会えるのは
師範代とこの天才、美鈴くらいだった。

「いえその……これだけの力を持った私が、自分を見失ったら、と思いまして……」

 理由が別なところにあるのは明白である。こんな態度では、おそらく見透かされること
であろう。美鈴は根が正直なため、嘘をつくのが下手だった。

 だが訊かねばならない。自分のためにも、鈴花のためにも。
 
「ふむ……」

 師はあごに手を当て、しばしの間考え込んだ。
 
「蛇口を捻れば、水が出る」

「は?」

「その水は、水道管を通って運ばれてくる」

「はあ……」

「水の大元は、川だ……。だが川の水全てが蛇口に送られるわけではない。ちゃんと調節
されている。分かるな?」

「はい」

 師が淡々と話す言葉を、美鈴は1つ1つ理解しながら聞いた。
 
「ではもしその調節が崩れたら?」

「え……?」

「蛇口から水を得るということに対し、その根本である調節がなされていなかったら?」
「……水は、勢いよく、流れ出ます」

 美鈴は師が何を言わんとしているかを察した。師はうなずく。
 
「左様。水の勢いとはとてつもないものだ。人が作ったものなどことごとく破壊してしまう」

 ふう、と一度師は息をついた。
 
「気もそれに同じ。基礎も出来ぬうちから気を操ろうなど、出来るわけがない」

 その言葉で、美鈴は全てを理解した。
 
「まあ、潜在の気が相当多くなければそんなことは……美鈴?」

「帰りますっ!ありがとうございました!!」

 礼をする事もなく、美鈴は疾風のごとく駆け出した。
 
 鈴花が、危ない。
 
 何故気づかなかった。いや気づこうとしなかっただけか。鈴花の気は、人を殺すくらい
なんでもない。肋骨が全て肺と心臓に突き刺さっているような死体もあった。あれだけの
力を集中して殴るなり何なりすれば、簡単に出来てしまうのだ。

「……姉さんっ!」

 不安でしょうがなくて。美鈴はスピードを緩めなかった。心臓が張り裂けそうなくらい
に暴れまわる。それでも走り続けた。一刻も早く鈴花の元へ行かなければならなかった。




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