小  説

65-紅 後編

 たどり着いた屋敷の周りには、人だかりが出来ていた。農具やその他刃物を持っている
ところを見ると、またしても集団強盗らしい。白昼からよくも堂々と。わざわざ美鈴がい
ないときを狙って。

「どけええええええ!!」

 走りながら美鈴は吼える。焦りと怒りがごちゃ混ぜになって、なんだかよく分からなく
なってきていた。

 男たちが自分に向かって各々武器を構える。ただ家に入りたいだけなのに、邪魔しない
で欲しい。
 
 ああ。
 
「……もういいよ。お前ら全員、殺してやる!!」

 焦りと怒りに、日ごろの恨みとストレスも相まって、美鈴はついに爆発した。
 
 気を高める。そうする間にも、集団に向かって真っ直ぐ突っ込んでいく。
 
「あぁあああああああ!!」

 まずは家に入ることが最優先。そこのドアの前にいる邪魔者だけ蹴散らせばよかった。
右手に十二分の気を集め、逃げ遅れた6人の男をドアごと吹き飛ばした。凄まじい轟音が
響く。近くにある調度品が次々と割れるがそんなことはどうでもよかった。吹き飛んだ男
たちが死んだかどうかも関係ない。

「姉さんっ!」

 家に飛び込むなり、美鈴は叫んだ。
 
 家の中は既に強奪に遭っていた。2階にまで上がっている。自分の部屋のドアも壊され
ていた。そしてまた、鈴花の部屋も。

「姉さん!」

 階段を駆け上がろうとしたところで。
 
「……うるさいわねえ」

 部屋から、鈴花が出てきた。
 
「もう少し静かに入ってこられないの?美鈴」

「ねえ……さん」

 呆れた様子で現れた鈴花は、髪どころか、全身も紅かった。手に持っている丸いものは、
おそらくは人の首。

「全く……やかましすぎるわよ。この人たちも、美鈴が出て行った少しあとに突然入って
きたの。無礼な人たちね」

 静かに、物腰だけは普段とあまり変わらず。
 
 だが、あまりに恐ろしい気をたたえていた。
 
「罰を与えなければね。……ねえ、美鈴」

「……姉さん」

 鈴花がこれからやろうとしていることを理解して。止めようとして。
 
 口から出た言葉は、あまりにも弱々しかった。
 
「人を殺すって……楽しいわ」

 床に足をつけることなく、文字通り宙に浮いて、ゆっくりと鈴花は1階にいる男たちの
前に降り立った。

「さあ……美しく紅い血をぶちまけなさい」


 そこにいたのは人間ではない。
 
 1匹の、化け物。
 

 血飛沫と叫び声が同時に上がる。虹色の気の針、青と藍の気弾、紅の刃が襲い掛かる。
 
「やめて……」

 次々と倒れる人間たち。そこになおも気を撃ち込む鈴花。再び血を噴き出す哀れな死体。
 
「……ふ、ふ、ふはひあはははハははハハハははハ!!!」

「やめてぇー!!」

 美鈴は叫んだ。まだ力を発散し続ける鈴花にタックルをする。
 
 2人はその勢いで転がった。
 
「何するのよ美鈴」

 妹に押し倒されたことだけ理解して、鈴花は問う。
 
「やめてよ姉さん!どうして人殺しなんかするのよ!!」

「どうして……?」

 体を起こしながら、鈴花は眉をひそめる。
 
「決まってるじゃない。人の家に侵入して強盗しようなんて。そんな人間……」

「私が!私がいつも追い払ってるでしょ!殺す必要なんかないってば!」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら美鈴は訴える。だが、その言葉はもはや聞き入れられ
ない。

「駄目よ。おかげで何度も何度も同じ目にあってるんだから。2度とこんなこと起こさな
いために……殺す」

「やめて!」

 鈴花はもう美鈴を見ていなかった。美鈴の背後に1人、男が立っていたからだ。
 
「死ね!化け物!」

 男は鍬を振り上げた。だがそれが振り下ろされる前に、鈴花は気弾を放っていた。
 
「駄目ぇ!!」

 それを美鈴が左手ではじき。
 
「あ……!」

 鍬が、美鈴の肩に突き刺さった。
 
「美鈴……」

 美鈴を抱いた形になっている鈴花は、崩れる美鈴を見つめた。肩から、夥しい血が流れ
出す。

 それは、美しかった。
 
「……ふふふ。化け物、ね」

 最愛の妹をもその場に捨て置き、鈴花は立ち上がった。
 
「許さないわ、あなたたち。1人残らず……殺してあげる」

 卑小な人間どもに向かって、手をかざす。
 
「……やめ、て……姉さん」

 美鈴の声も、もう聞こえない。
 
 鈴花を中心に、紅い針の気が円を描いて放出される。続いて、黄色の針が左右の方向に
円を描く。

 その姿は、さながらセラギネラの花。
 

 10秒もすると、もうそこに立っている人間はいなくなっていた。
 
「大丈夫?美鈴」

 その様子を少しだけ眺めてから、鈴花は振り返った。
 
 美鈴は、既に立ち上がっていた。鍬は床に落ちている。
 
「ああ、大丈夫だったのね。よかったわ」

「やめてよ……」

 鈴花の笑顔は、虚で出来ているようだった。まるで、貼り付けたかのような嘘っぽい笑顔。
 
「どうしたの?」

「……確かに、家に侵入されるのは私も嫌。だから拳法習ったんだもん。でも……でも私、
姉さんが人殺しになるほうがもっと嫌!お願い……もうやめて、姉さん」

「美鈴……」

 ふっと、鈴花は笑った。
 
「そうね……。美鈴がそう言うなら」

「姉さん……」

「でもね、美鈴。家が家である以上、こうした事態はまた起きると思うの。だから……」

 もうそこに、優しい姉はいなかった。
 
「周りにいる人間、全て殺しておきましょう」

 そこにいたのは、人間でもなかった。膨大な気の力を呼び覚ましてしまったばかりに、
まともな思考も、禁忌(タブー)も、倫理(モラル)も、全て飲み込まれてしまったのだ。

 暴走。肉体と心の調節ができていなかったために、力の奔流をとめることができなかった。
 
 まるで、壊れた蛇口のように、勢いよく水が流れ出す。
 
 止まることを知らない水を止めるには。
 
 美鈴は構えた。もう、これしかなかった。
 
 自分が、止めるしかない。
 
 同じ力を持つ自分が。
 
「……何のつもり?」

 先ほどとはうって変わって、冷ややかな言葉が放たれる。
 
「姉さんに人殺しはさせない」

「大事の前の小事ってやつよ」

「人殺しに変わりはないわ。最後のお願い。もうやめて」

 沈黙。巨大な力を持つ2人が相対する。
 
「駄目」

 水は止まらない。誰かがせき止めなければ。
 
「それじゃあ……」

 美鈴は、乱れた気を整え、高める。
 
「私が、姉さんを殺す」

 そして、爆発させる。











 大量の気弾が展開される。申し訳程度の隙間に美鈴は舌打ちする。だが避けられないわ
けではない。美鈴は壁を蹴って疾走する。落ちるより速く駆ける。目標の鈴花まで数メー
トル。近づけば得意の八極拳でどうとでも決められた。

 しかし鈴花の反応はそれより遥かに早い。美鈴のスピードを考え、その数歩先に気弾を
放つ。美鈴は壁を蹴り、鈴花の左に着地する。しかしそこには既に気の針が迫っていた。
慌てて美鈴はさらに後方に飛ぶ。

 そしてまた鈴花は、華が咲いたような、美しくそれでいて危険すぎる気弾を放つ。
 埒があかなかった。どうしても鈴花に近づけない。超接近戦用の八極拳では、一発も当
てることは出来そうになかった。

「……仕方ない」

 美鈴は立ち上がって構えなおす。だが、もう拳法を使う気はなかった。
 
 そう、ここから先の戦いは、もう人間の領域ではないからだ。
 
 気弾の応酬しかなかった。
 
 同心円状に針の気弾を撃ち出す。そこから瞬時に移動して、鈴花の背後を取る。さらに
紅い気弾を円状に撃つ。ついで紅い刃。だがこれらは全てフェイク。鈴花の動きを止める
だけでしかない。

(……ここだっ!)

 鈴花が迫り来る気弾の嵐に気を逸らした瞬間。
 
 美鈴は、ありったけの青い気弾を放った。
 
 逃げ場は、絶対にない。
 
「消えて……姉さん」

 爆音。屋敷が震え、壁が崩れる。鈍い地響きと舞い上がる煙の中、美鈴は鈴花の立って
いた位置を見つめていた。


「…………」

 やがて、煙が収まる。
 
 憧れだった長い紅の髪を持つ姉は、今は地に倒れ臥していた。瓦礫を乗り越え、美鈴は
鈴花に近づく。

「姉さん……ごめん」

 悲しいはずなのに、涙は出なかった。自分で姉を殺しておきながら。
 
 仕方がなかったとも言えない。殺したのは事実。たとえ相手が大量虐殺を行おうとして
いたとしても、家族をこの手にかけるなど。

「姉さ……ん!?」

 気がついたときには、右肩がえぐられていた。刹那、前かがみになった自分の背中に、
何かが大量に突き刺さる。

「あっ!?ぐう!」

 そして美鈴は、倒れている鈴花の目が自分を見ているのを認めた。吐き気がするくらい、
嫌な笑みが浮かんでいた。

「あっはっはっはっ!よくもやってくれたわね、美鈴!殺してやるわ!殺してやる!」

 完全に足が折れているはずなのに、ありえない方向に曲がっているその足で鈴花は立ち
上がった。

「ひっ!?」

「許さない許さない許さない許さない!!私の受けた痛み、何倍にもして返してあげるわ!!」

 鈴花は腕を天に突き上げる。針の気弾がそこから無数に放たれる。先ほど美鈴を襲った
のはこれだったのか。

 もう、鈴花に思考はない。美鈴は悟った。今はただ、目の前にいる憎き相手を殺すこと
しか考えていないのだろう。

 気を消費しすぎたのと、先ほどの鈴花の攻撃で美鈴は動けなかった。力なく、その場に
へたり込む。

「……ごめんね、姉さん」

 死が目前に迫ったところで、口から漏れたのはそれだけだった。
 
 これが、姉さんに届いてくれれば。
 
 鮮やかな気の雨に打たれ、美鈴は倒れた。











 めき、と骨の折れる音がした。
 
 いつも使っている得意技に、気を合わせるとこんなにも威力が増す。
 
 楽しい。もっともっと打ち込みたい。
 
 掌に気を集中させて、頭を狙う。瞬時に、頭蓋骨と脳髄が吹き飛んだ。
 
 楽しい。笑いが止まらない。
 
 気を放つよりも、こっちのほうがずっと面白い。自分が人間を破壊している感触がよく
分かる。もっとこれで殴りたい。もっともっともっともっともっと。

 血だらけの肉の塊が、目の前で踊り続けていた。











「美鈴……?」

 鈴花が気がついたのは、それから数分後だった。
 倒れている美鈴を見て、記憶をたぐり寄せてみる。曖昧な記憶の中から、自分が美鈴を
殺そうとしたことを思い出した。

「美鈴、美鈴!!」

 糸がつながり、鈴花は美鈴に駆け寄る。
 
「美鈴っ!美鈴っ!」

 抱き起こして呼びかける。だが、美鈴の体は動かない。
 
「そんな……!!」

 どうしてこんなことになったのか。鈴花はほとんど思い出せなかった。
 
 予兆はあったような気がする。最近やけに気の放出が激しかった。それを形にして、何
かにぶつけて壊すのが楽しかった。

 それが、人間だったりもした気がする。自分が力を使うと、大抵どこか一部が吹き飛ん
で人間は死ぬのだ。それがなぜか楽しかったような記憶がある。

 恐ろしかった。何故そんなおぞましいことが楽しいと思ったのか。
 
「……狂ってるわ、私」

 ぽろぽろと涙が流れる。こんなものを流す資格もないだろうに。
 
「ごめんなさい、ごめんなさい、美鈴……!」

 鈴花は、美鈴を抱きしめた。
 
 このまま自分も死んでしまいたかった。できることなら、この魂を美鈴にあげたかった。
 
 自分が美鈴ならよかった。
 
「ああ……!」

 天を仰ぐ。
 
 そこにいたのは、化け物ではない。
 
 さりとて、もはや人間でもなかった。
 
「……死んでしまえ、私」
 死を操る者がいてくれたら、迷うことなくこの魂を差し出すのに。そして、それを美鈴
に与えるのに。

 そんな人など、いるわけがない。
 
 だが。
 
 鈴花の口元がゆがむ。
 
「……ふふ。そうよね。私の魂を美鈴にあげればいいんだわ。そう、たった今紅鈴花は死
んだ。ここにいるのは……紅美鈴よ」

 そう、自分は紅美鈴だ。自分こそが、最愛の妹美鈴なのだ。それならば何も問題はない。
鈴花は死んだ。そうなったのだ。

 美鈴という鈴花は立ち上がった。もう、この家にいる必要はない。美鈴がいたのは、家
と鈴花を守るためだったのだから。

 鈴花が死んだ今、もうこんなボロボロの家も守りたくなかった。旅に出よう。どこか、
人間のいない世界へ。この狂った頭は、人の社会では生きていけないから。

 半壊して、自由に光が入り込む家。ここを捨て、外の世界へ歩き出す。心地よい風に任
せ、あてどもなく歩いてゆこう。

「さよなら、めいり……いえ、姉さん……」

 狂った少女に、風が吹きつける。











 極彩の、気の風が。











「……え?」

 体に痛みが走る。あまりの激痛に膝から崩れ落ちる。
 
 これは、一体、何だろう。
 
 考える間もなく、針が突き刺さる。雨のように、風のように。吹き荒れる嵐のように。
 
「駄目だよ、姉さん……」

 唯一鈴花が分かったのは、先ほど自分が殺したはずの美鈴が立っていることだった。
 
「どうして……」

 意識がかすむ。もう、何も見えない。声も、出ない。
 
「……ああ、生きてたのね、美鈴……」

 この言葉も、きっと届かない。
 
「よか……った」

 もともと立つことも出来なかった体が、今、砕ける。
 
 残されたのは、短く紅い髪を持った少女。
 
「ごめんね、姉さん。化け物だったのは……姉さんだけじゃなかったんだよ……」

 美鈴は、鈴花の元に歩み寄った。そして、もう一度だけ心の中で詫びてから、とどめを
さした。

 最後の力で、姉の心臓を貫いたのだ。
 
 返り血が頬を汚す。
 

 同じような血を、美鈴も以前浴びていた。
 鈴花は、自分の気弾を使って人を殺していた。だから、体の一部が消滅していたのだ。
しかし、明らかに外の衝撃によって死んだ者もあった。まるで拳で殴られたかのように。

 そんなことをする人間が美鈴以外に誰がいるというのだ。わずか1ヶ月で気を使えるよ
うになったのはいくらなんでもおかしかった。天才といえばそれだけだったのかもしれな
いが、美鈴もまた、成長途中の子供。体も心も完全に出来ていたとはいえなかったのだ。
たとえ修行で器が出来ていたとしても、それはそのとき限りの器。心身の成長とともに、
気の量も質も変化していく。形作られていたのは古い器。新しく生まれた気に、それは合
致しなかった。

 そのずれは、美鈴自身が知らないうちに影響を与えていた。鈴花同様、美鈴もまた人を
殺していたのだ。ただ、鈴花のように明らかな狂気が常時支配することがなかっただけで。

 気と体とのバランスが崩れたとき、人間は狂う。
 
 それは、化け物と呼ばれていた。その本能が、体の表面に気を纏うことで鈴花の最後の
攻撃から身を守ったのだ。

「ごめんね、姉さん……!」

 完全に息絶えた姉の亡骸を抱きしめる。その髪は紅く、その身は紅く。
 
 夕日に照らされ、その光景は朱く、赤く、紅く染まっていた。
 
 化け物は誰だったのか。
 
 もう、美鈴にそんなことを思考する力はなかった。
















「……その後、師匠に聞いていた幻想郷ってのを探して、こっちに来たんです」

 そう言って美鈴は締めくくった。
 
「……つまらない」

 咲夜は天井を見つめながら、シンプルに感想を述べた。
 
「……最初につまらないって言ったでしょう?」

 うー、と美鈴は不満そうに答えた。それを見て、咲夜は苦笑する。
 
「でも、あなたもずいぶんと辛い過去を背負ってるのね」

「へ?」
 それでも、実は素直に感じていた感想を口にする。
 
 間抜けなところがあると思っていたけれど、姉妹同士で殺しあうような過去だったとは。
 
 だが、美鈴はきょとんとした顔をしている。
 
「どうしたの?」

「え、ええ。まあ、そりゃ私結構辛い過去ですよ。いじめとかじゃなくて、素で無視され
たりしてましたからねえ」

「……なんのこと?」

「え?いや、近所の人とかに」

「ちょっと待って」

 こめかみを押さえながら、咲夜は少し考える。
 
「今の貴女の話と、なんだか関連性のない発言だったような気がするんだけど……」

「……?あ、もしかして」

 ぽん、と美鈴は手を打ち合わせた。
 
「やだなあ咲夜さん、今の私の過去なんかじゃないですよぉ。100年以上昔の話ですよ?
私そんなお婆さんじゃないですって」

 笑いながら美鈴はひらひらと手を振る。
 
 一瞬、咲夜の思考が止まった。
 
「……え?じゃあ、今のは何?」

「私の曾お婆さんの話ですよ。紅家は昔は本当に人間だったんですけど、こっちで妖怪と
一緒になりまして。それから3代。私にもちょっと人間の血は流れてるんですよ?」

 紅家の者として、この辛い過去だけは言い伝えておけと初代、紅明花(ミンファ)が言っ
たそうだ。おかげで美鈴も、この話は耳にタコが出来るほど聞かされていた。

「まあ嘘話にはなっちゃいましたけど、美鈴のところを全部明花に変えてくれれば……。
あ、私の本当の過去は本当につまらないですか……」

 すこーん、と壁にナイフが突き刺さった。壁とナイフの間には、美鈴のお気に入りの帽
子が入っている。

「……さ、咲夜さん?」

 カクカクとした口調で、美鈴はそれだけ搾り出す。寝巻きでもナイフは持ってるんです
ね、とは流石に言えなかった。

「早く仕事に戻りなさい。ここで時間をつぶした代償は大きいわよ?」

 射抜かんばかりの視線で美鈴に去れと命ずる。
 
「そんなあ!話せって言ったの、咲夜さんじゃないですかあ!」

「私が聞きたいのは貴女のつまらない過去。そんなおどろおどろしい話なんか聞きたくな
かったわ」

「あうぅ……。それはそうですけど……」

 涙目で美鈴は立ち上がる。壁から帽子を引き抜いてそれをかぶると、咲夜に一礼した。
 
「それじゃあ戻りますね」

「ん。ありがとうね」

「え……。あ、はいっ!」

 一度落としてから持ち上げると、一言でこの喜びよう。本当に、扱いやすい娘だ。
 
「それじゃ咲夜さん、おだい」

「咲夜ー、生きてるかー!?」

 美鈴が開けようとした扉が勢いよく開け放たれた。はずみで美鈴はドアに顔面パンチを
食らうことになった。

「何しに来たのよ?」

 美鈴以上に遠慮なく入ってきたのは、普通の魔法使い霧雨魔理沙だった。
 
「いやあ、図書館に行ったらお前の風邪薬作ってるって言うんでな。面白いから手伝って
やったんだぜ」

 じゃんっ、と声付きで魔理沙はコップに入った液体を見せる。赤いところが紅茶かそれ
以外の何かに見えなくもなかった。

「さあ飲めやれ飲め今飲め」

 ぐいぐいとコップを咲夜に押し付ける。
 
「……これ、飲んでも平気なの?」

 胡散臭い目つきで、コップと魔理沙を交互に見る。
 
「おお?私の腕を信じられないのか?」

「腕じゃなくて、思考が信じられないの」

「大丈夫ですよ」

 2人の会話に入ってきたのは、パチュリーと小悪魔だった。
 
「作るところを見てたけど、文句のつけようがなかったわ。安心しなさい」

 パチュリーが魔理沙と目配せする。どうやら信じてよさそうだった。
 
「パチュリー様がそうおっしゃるのなら……」

「ひどいぜ」

 咲夜はコップを傾けた。子供のときに飲んだシロップのような感覚だった。
 
「どう?」

「ええ……」

 効果は即効性らしい。体が休まる感じがした。
 
「楽になりましたわ」

「お、結構素直だな」

「今の私は素直よ」

「そーなのか。まあいい。で、何でこいつがこんなところで寝てるんだ?」

 魔理沙は、後ろでダウンしている美鈴を指さす。
 
「さっきまで私に付き合ってくれてたのよ。悪いけど、詰所まで運んでいってくれるかしら?」

「人使いの荒いやつだな」

「そういう立場なのよ」







 魔理沙たちが出て行った後、咲夜は横になって考えていた。
 
 美鈴は自分を妖怪だと言っていたけれど、少しだけ人間の血が流れている。そのせいで
はないだろうが、美鈴はとても人間味がある。どちらかというとパチュリーよりも美鈴の
ほうが親しみやすいのは、そういう理由があるのかもしれなかった。

「……いや、違うわね」

 咲夜が美鈴と親しいのは、美鈴に苛めがいがあるからである。明日は思う存分からかっ
ておこう。

 気がつけばもうすぐ夕焼け。昨日はとても朱かった。今日は、どんな赤だろうか。
 
 彼女の言った、赤い紅い夕焼けかもしれない。
 
 美しく、けれど儚い夕日を見ることなく、咲夜は眠りに落ちていった。


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