小  説

66-光、鮮やかなれ

※作品番号28「虚空の門番」の続編です

 自分の周りに広がった焼け野原を見渡して、藤原妹紅は深くため息をついた。今の状況
を、そしてこんなことになってしまったこの幻想郷を恨めしく思う。草木燃え尽くし土黒
く焼け焦げる中、いくつもの妖怪の死体が累々と転がっていた。肉が焼け、体液がじくじ
くと音を立てて泡立っている。いやな臭いと煙が、辺り一帯を包み込んでいた。

「……はあ」

 妹紅はもう1度息を吐き出した。2、3歩歩き、死体の1つを蹴りつける。ご、と鈍い
音がわずかに聞こえた。

「…………消えろ」

 妹紅はそれを憎々しげに見つめると、一言そう呟いた。そして、妖気を展開させて不死
鳥の炎を作り出す。炎の鳥は高く首を伸ばし、赤く、朱く、紅く燃え盛る。その首を死体
に向け、細い目でそれを見すえる。

 くわ、と鳥が口を開いた。妹紅の背中から飛び立ち、死体めがけて急降下する。瞬間、
ぼご、と耳障りな音を立てて鳥がその形を失った。不死鳥はただの炎となり、妖怪の死体
を焼き尽くす。妹紅は冷たい目でそれをただ見ていた。赤の光が妹紅の顔を照らす。鬱陶
しいほどに伝わる熱は、晩秋も近い今の時期には少しだけありがたいように思えなくもな
かった。ただ、その燃料が妖怪であるとなると、嬉しくも何ともなくなってしまう。

 火の燃える音と赤い光が収まると、そこにはぼろぼろになった炭しか残っていなかった。
原型など既にとどめていない。妹紅はそれを一瞥すると、炎を作り直した。他の死体にも
同じような処置を取るためである。

 しばらく焼け野原の中で不死鳥と戯れた後、妹紅は森の中へ入っていった。残された空
間には灰と煙、そして黒い土が舞っていた。


 森の中、何層にも重なった枯葉の上を歩いてゆく。別段どこかに向かっているわけでは
なかった。ただなんとなく、今の機嫌がよくないから気晴らしに歩いているだけである。
気晴らしなのに鬱蒼とした森を歩くのはまたいろいろな意味で間違っているかもしれない
が、自分以外にその状況を語る者もいないので妹紅は歩き続けた。無駄に嫌悪感が心の中
を支配している。ただ歩いて、何も考えたくなかった。

「……げほ」

 喉の辺りに違和感を覚え、妹紅は咳払いをする。先ほどの灰を吸ってしまったのだろうか。
何度か咳をして喉の引っ掛かりを外に追い出す。そういえば、服も髪も埃っぽかった。気
分もあまりよくないし、水浴びの1つでもしたほうがいいかもしれない。少しの間考えて
から、妹紅は空に向かって飛んだ。このあたりの地理はよく知らないが、川なり何なりが
どこかにあることだろう。昼と夕方の境界。青とも朱ともとれない曖昧な色の空を見上げ
ながら、妹紅は森を十分に見下ろせる高さまで上昇した。

「………………」

 目当てのものは案外簡単に見つかった。左手後方に、大きめの湖がある。時間的、季節
的に考えると水は冷たいだろうが、わざわざ風呂を沸かす時間をとるくらいならば水浴び
でかまわなかった。

 妹紅は湖に向かって飛ぶ。太陽の熱も逃げ、夜のために冷え始めた空気の中を進んでゆく。
夕暮れの風が、自分の体から灰と一緒に嫌な気分を吹き流してくれてるようで心地よかった。

 飛行速度を落とし、妹紅は湖のほとりに降り立った。中央に島が1つあり、風景として
はなかなか良いところだと思った。人間の里からはかなり離れているため住むわけにはい
かないが、たまに避暑がてらに来るには絶好の場所だろう。妹紅は近くの木に移動すると、
灰だらけになった服を脱ぎ始めた。この際洗濯も同時に行っておいたほうがいいかもしれ
ない。妹紅は炎を自在に操れるから、服を乾かすのも容易にできるのだ。乾かしている間、
素っ裸で待たなければならないのはものすごく嫌だったが。


 とりあえず服を全て脱ぎ、リボンもはずすと、妹紅は水の中に足を入れた。
 
「うひゃあ……!」

 冷たい水がくるぶしの辺りまで濡らしていく。やはり冷たかった。しかし水浴びなんて
そんなものである。妹紅は自分の長い髪を一度まとめて抱え、ゆっくりと歩を進めていっ
た。寄せて返す小さな波が、足の下にある泥を湖の奥へと削っていく。

 やがて腰の辺りまでつかると、妹紅は髪を手から離した。ばらばらと髪の毛が水の中に
入り、浮力を利用して放射状に乱れていく。もう少し深くまで進まないと底に髪の毛がつ
いてしまうだろう。それでは水に入る意味が無い。妹紅は水をかき分けより深いところま
で進んでいく。水が胸の辺りまで来たところから、妹紅は泳ぎ始めることにした。
 1度水に入ってしまえばあまり冷たいとも寒いとも感じない。妹紅は水の中に潜ってみた。
 
 水は澄んでおり、橙色に染まりつつある空からの光をカーテンのごとく映し出していた。
何匹かの魚が目に入る。別段食べようとは思っていないのだが、突然の巨大な闖入者に魚
たちは急いで自分たちの隠れ場所に逃げていった。

 妹紅は水の中で止まる。鼻からわずかに漏れた空気が、こぽこぽといいながら水面へと
慌しく昇っていった。上を見上げれば、夕日を反射する鏡のような水面。

 妹紅は適当に髪に手櫛を通すと、息をするために水面へと戻っていった。ちょっとだけ
鼻に入ってしまった水もどうにかしたかった。

「ぷはっ!」

 水面に飛沫と波紋を起こして、妹紅は大気の中に顔を出す。続いて両手を水から取り出
 し、顔の上を伝い流れる水をぬぐった。ついでに鼻をこすって水を追い出しておく。
 
「ふう……」

 時は夕方へと移り変わっていた。そんなに長い時間水の中に入っていたつもりはないの
だが、流石に秋も深まってくれば夜が降りてくるのも早くて当然である。空は、既に黄昏
へと身を変えようと準備していた。

 妹紅は大部分がまだ水の中に潜っているその長い髪を洗い始めた。小さな房に分け、1
つ1つをもみ洗いする。ボリュームがあるとこういうときに面倒だが、気に入っているの
だから背に腹は代えられなかった。もう数え切れないほどの年月の中で繰り返してきた行
為なのだし。

 髪を洗い終えると、妹紅は一度岸に戻ることにした。まだ服を洗っていない。すうと水
の中で両腕をかき、あまり水音を立てないようにして妹紅は足が湖の底につくところまで
やってきた。そこからは足を使って戻っていく。だんだんと水の高さが低くなっていく。
完全に水から上がると、後ろ髪からぼたぼたと水が垂れているのが分かった。かなり重い
ので、妹紅はもう1度髪を持ち上げて腕に抱えた。びしゃびしゃと髪から落ちる水が地面
を濡らしてゆく。妹紅は木の根元においておいた服やリボンを取ると、くるりと背を返し
た。肌に当たる空気はもう随分冷たくなっている。寒いので、早く水に入ってしまいたか
った。

 山々の間に太陽が隠れようとしている。未練がましくそこから発射される光は、湖面で
きらきらと反射されていた。先ほどまで妹紅がそこで暴れまわっていたせいか、えらく乱
反射だ。昼間は白く目に見えることない光の色が、今は朱く染まって世界を照らす。色の
あるものは真横からの強い光によって、ほとんどが真っ黒に見えた。湖の水は黒と光の橙
色しか識別できなかった。

 妹紅は服を持って水の中に入り直す。体が濡れたままなので、今はそれほど寒いと感じ
なかった。肩の辺りまで浸かり、妹紅は服を水の中で広げた。布地をごしごしと洗う。と
りあえず灰が落ちれば問題はないので、一通り終えたら戻ることにした。

「こんなもんかな」

 洗濯物をまとめ、妹紅は湖から飛び立った。水の中を泳ぐよりはこちらのほうがずっと
早い。水面にたくさんの波紋を残し、妹紅は岸辺に戻る。髪と服の吸った水を搾り出し、
近くの木から枝を数本折り取ると、広げた服にそれを通してゆく。それから炎の翼を展開
させ、自分の体とその服を乾かし始めた。炎をまとっていれば寒くはないし、服も数分で
乾くことだろう。ほんの少しだけ西空の隅でぼんやりと輝く光を見つめ、妹紅は体と服が
乾くのを待った。髪も指で梳きながら乾かしていく。

 宵闇の中に、赤い光がぽつんと灯されていた。











 しばらくして妹紅が服を手にとってみると、見事に乾ききっていた。その出来にうん、
とうなずくと、妹紅は翼を消して袖に腕を通した。下着とだぼだぼのズボンをはきなお
してサスペンダーを引っ掛け、最後にリボンをとめていく。これから帰って寝るのだか
ら何もリボンはつけなくてもいいのだが、気持ちの問題だった。

 服を着終えると、妹紅は家に帰ることにした。日の落ちるのが早いせいでだいぶ時間
を食ってしまったような気がする。周囲はすっかり夜になっていた。丸い月が東の空に
顔をのぞかせている。今夜はよく晴れるのか、星も今から元気よく夜空できらめいていた。

 妹紅は空へと飛ぶ。湖を眼下に、人里の近くにある小さな家へ。
 
「……!?」

 だが飛び始めて1分も経っていないところで、妹紅は風がおかしいことに気がついた。
先ほどまで風は全く無かったのに、突然台風でも現れたかのように突風が吹き始めたのだ。
ざざざざ、と湖の周りの木が騒ぎ出す。妹紅は、これが自然現象でないことをすぐに察した。

 左手に、強い妖気をもった何者かが現れたからだった。
 
「誰!?」

 攻撃する気満々なその人物に向かって、妹紅は声をかける。風が邪魔で目が開けにくい。
妹紅は目を細めながら風の中心を見据えた。

 妹紅ほどではないが、その人物も髪が長かった。燃えるように紅いその髪と、服装や体
つきから、それが女性であることに気がつく。

 つやのある長い髪は月に照らされ、本当に燃えているかのような錯覚を起こさせた。反
面、月を背にしているせいでその顔はよく見えない。緑をベースにした服装。特徴的な帽
子をかぶっており、スカートのスリットからは白くてすらっとした脚が見えていた。

 体の輪郭からでも、その女性が相当に美しいことが分かる。ちょっとうらやましかった。
 
 しかし今はそんなことを考えている場合ではなかった。妹紅はきっと女性を睨みつける。
 
「何のつもり?私は家に帰りたいんだけど」

 空中で仁王立ちする女性に言う。一言も喋らずにこちらを見ているのが気に食わなかった。
 
「……ふん、あなたこの辺の人間じゃないわね?」

 せせら笑うように、女性が声を出す。第一声にしては嫌なセリフだった。だが、妹紅は
それ以上にその声が気になった。

 どこか歪で、不整合な声。言葉というにはあまりにも滑らかさがない。文字にしたら、
ひらがなとカタカナが混ざってしまっているような、耳障りな喋り方だった。

「この湖はね……」

 ぞわ、と背筋が寒くなる。女性の口元が歪んだのが妹紅の目に入った。
 
「っぐう!!?」

 そのときには、既に女性の肘が妹紅の腹にめり込んでいた。
 
「立ち入り禁止よ」

 霞のかかる視界に、相手の顔がいっぱいに映し出された。
 
 体のライン同様、バランスの取れた綺麗な顔立ちだった。



 そして、どこまでも歪だった。







「ぅぐ!……はあっ!」

 信じられない速度で繰り出された攻撃に、妹紅は防御姿勢を取ることさえ出来なかった。
攻撃を打ち込まれた衝撃で後ろへと下がる。その惰性を利用して、妹紅は一旦女性と距離
をとった。腹を押さえる。鈍い痛みが掌の向こう側で暴れまわっていた。

「どういうつもりよ。いきなり攻撃をしかけてくるなんて失礼じゃない?」

 腹に残る痛みに耐えながら、妹紅は声を出す。攻撃される筋合いはないはずだった。湖
が立ち入り禁止など冗談ではない。どこにもそんな知らせはないではないか。

 確かに、人間はこの辺りには寄りつかないけれど。
 
「失礼?この湖に立ち入ったあなたのほうが失礼よ。大方また、館を荒らしに来たんでし
ょう?」

「は?」

 妹紅は眉をひそめた。全くもって理論が通っていない。おまけに館とは何のことだろう
か。少なくとも、妹紅の視界に建物はなかった。

 女性が何を言っているのか、全く分からなかった。
 
「あ……」

 とその時。立ち位置が変わったおかげで、女性の顔が月明かりに照らされた。殴られた
ときにも見えていたが、意識してその顔を見るのは初めてだった。

 その顔に、その目に、妹紅は再び戦慄を覚える。
 
「あんた……」

 道化師のように貼りつけられた笑顔。戦闘に入りそうな状況でありながら、彼女は明ら
かにそれを楽しみにしているのが分かった。本来持っているはずの喜怒哀楽といった感情
と表情を捨て去り、そこにあるのはただ1つの、狂気。

 それを、鮮血よりもまだ紅く禍々しい目が如実に物語っていた。
 
 知っている。あの朱い赤い紅い目を、妹紅は知っていた。
 
 満月の影響などでは決してない。あれは彼女自身が自分で手に入れてしまった狂気の瞳
だ。何か、絶望的なことが彼女の身に降りかかったのだろう。それに耐え切れず、狂うこ
とで自己の保身を図ったのだ。

 はるか昔、蓬莱の薬を手に入れたときの妹紅も、あんな目をしていた。だからこそ狂気
の違いがよく分かる。

 他者を受け入れられない、絶望の狂気だった。
 



 くく、と笑い声が聞こえた気がした。
 
 そして、それが合図だった。
 



「ぅがっ!!」

 消えたとしか思えないほどの速度で、女性がまたしても踏み込んで妹紅に打撃を浴びせ
た。間一髪でそれに勘づき、身をよじって急所への一撃を避ける。だが妹紅の反応は攻撃
に対して遅すぎた。図らずもそれは胸に直撃することとなり、一瞬呼吸が止まる。

「ちぃっ!」

 苦痛に顔を歪め、妹紅は再度距離をとる。相手はそれを追いかけてくる。だが意識する
余裕があれば大丈夫だ。妹紅は相手を見る前に妖気を纏う。それは体全体を覆い、さらに
背中に集まってゆく。女性が動きを止めた。突如として目の前に現れた炎に驚いたのだろ
う。それを見て妹紅は正面に向き合う。

 背中に作り出した、自身の象徴でもある炎の翼を見せつけるために。
 
 炎の勢いは怒りに比例。不死鳥は背中でごうごうと鳴いていた。はばたくことなく翼が
夜闇を照らし出す。翼から抜け落ちる羽のように、小さな炎の欠片が空気の中を舞い踊る。

 ポケットに手を入れ、妹紅は不敵な笑みを作り出した。
 
「……驚いたわね。岸辺で感じた妖気からして普通じゃないとは思ってたけど、あなた本
当に人間?」

 ところが、これほどの妖気を見せているにもかかわらず、相手のほうもまた同じように
笑っていた。よほど腕に自信があるのか、あるいは炎が効かない体質なのか。すっと構え
るその姿からは、余裕と真っ直ぐな闘気が感じられた。

「私は藤原妹紅。見えないだろうけど、れっきとした人間よ」

「そう。……私は紅美鈴」

 空中で互いに名乗りあう。美鈴と名乗ったその女性は、本当に何もかもが歪だった。
 
「紅魔館の番人よ、食料さん」








 美鈴は、はなから弾幕の勝負など考えていないようだった。体術が得意らしく、次々と
接近戦をしかけてくる。一方妹紅は、死なない身とはいえ直接体に訴えるような戦い方は
どちらかといえば苦手である。

 風より速い美鈴の攻撃を妹紅はかわしていく。完全によけ切ることはできず、手や足を
何度か折られたが、不死身の体は伊達ではないのだ。やられたのならばすぐに防御と回避
に転じ、回復しだい攻撃へと移る。攻撃するときには十分な距離をとってあるから、弾幕
の勝負に持ち込むことも可能だった。

「藤原『滅罪寺院傷』!」

 スペルカードを1枚放つ。青の呪符が隊列を組んで美鈴に襲いかかる。面を持って飛ぶ
呪符の群れは、棘のような形を成していた。

「あっはは!今時スペルカード宣言する人がいるとは思わなかったわ!あなた、相当昔の
人間ね。何で生きてるのかは知らないけど」

 一見すると空間は隙間なく呪符で埋め尽くされているように見えるが、本来きちんと逃
げ場を作っておくのが幻想郷の弾幕戦である。妹紅はそれを知ってからはずっとそのスタ
イルを貫き通してきた。美鈴はそれを嗤う。

 いつからか弾幕に隙間が設けられることはなくなり、今では弾幕は完全に殺しの道具に
なってしまっているからだった。当然スペルカードも戦いと同時に発動されることが多く、
またその全てが不意打ちで使われるのだ。弾幕をする者たちが妹紅のような戦い方をして
いたのは、もうどのくらい前だったろうか。数えてはいないが、おそらく300年はくだ
らないはずだった。

「そういうことなら私も久々に使ってあげるわ……!虹符『彩虹の風鈴』!!」

 美鈴の妖気が膨れ上がる。取り出したスペルカードから、何色もの気弾が繰り出された。
ぶわっと広がり、妹紅の呪符とぶつかり合う。派手な爆音と光が交錯する。バチバチと火
花が飛び散り、呪符が叩き落され、気弾が消滅していった。なおも気弾は繰り返し放たれ、
やがて妹紅に襲い掛かる。だがそこには狭いながらも通れるだけの隙間が存在していた。
彼女もまた、はるか昔にその命を発する者らしい。

 それが、どうしてこれほどにも凶悪になってしまったのか。推測でしかないが、昔の弾
幕戦ならばこの隙間はもっと広いはずである。時代に沿ってその形態を変えたのだろうか。
だがそれならば何もスペルカード宣言をする必要はない。ただの気まぐれだろうか。

 左右に細かく身を動かしながら、妹紅は美鈴を見据える。気に入らない目だった。こん
なくだらない戦いはさっさとやめて家に帰りたいのだが、かつての自分と同じ目をした人
物を見ているとどうにも気になってしまう。

「くっ……!なめるなっ!」

 虹色の弾幕をよけながら、妹紅は呟く。
 
 真正面から飛ばす呪符はフェイクだ。本当の攻撃は、飛び去っていった青い呪符。
 
 それが気づかぬうちに敵の背後に接近することだった。
 
 だからこそ、妹紅はさらに青の呪符を乱射する。美鈴が後ろから飛んでくる紫の呪符に
感づかないように。

「食らえっ!」

 それは、美鈴が虹の舞を舞い始めてから数秒後のことだった。美鈴の放ったスペルカー
ドは自己不動型のものだった。だから、こちらの発射位置が少しずれれば当然当たる。

「え?」

 一瞬、気づいたようだ。スペルカードを使っておきながらなんと気配の読むのがうまい
 ことか。そこらへんの妖怪であれば当たったことさえ気づかずに落ちていくというのに。
 美鈴は、自分のすぐ後ろまで迫った呪符を視認したのだ。
 
「きゃああああっ!!」

 だがよけるまではいたらなかった。スペルカードを発動させつつ気づいたのは相当にす
ごかったが、やはりその一瞬では体までついていかなかったらしい。急所を避けたことは
妹紅にも分かった。しかし、直撃は免れなかった。

 呪符をまともに食らい、美鈴の体が浮かぶ。そこに、正面からの青。そして背後からの
紫。呪符が前後から連続して美鈴を襲う。

 ばちっと強烈な光が閃く。視界を腕でかばい、妹紅は美鈴の状態をうかがった。腕や胴
体に穴が開いたのがわずかに見てとれた。

 あれをまともに受ければ腕の1本や2本はなくなっても不思議ではない。もともと保身
に加えて輝夜を倒すために作った符だ。美鈴もかなり強い妖怪だが、不死身でもない限り
は五体満足ではいられないはずだった。



 不死身でも、ない限りは。
 


「……………………」

 妹紅は目を疑った。腕が美鈴の肩から外れたのを確かに見たのだ。普通、それだけで戦
闘不能になるものである。

 だがあろうことか、美鈴は空中で立ち、しっかり四肢を保っていたのだ。外れたのは右
腕。その右腕を左手で持ち、肩と腕のつけ根をぴったりとくっつけていた。そこには切れ
目が見えている。そこから赤い血が漏れ出している。

 接着剤があるわけでもなし、そんなことで体がくっついたらまるで手品だ。そんなこと
を地でできるのは、不死人の専売特許である。

「あーびっくりした。やけにゆるい弾幕だとは思ったけど、まさか後ろから来るとはね」

 しばらくそうしてから、美鈴は左手を離した。2、3度首をコキコキと鳴らすと、右腕
をぐるぐる回した。

 腕は、見事なまでに体に戻っていた。
 
 体の調子を確認すると、美鈴はおどけた様子でそう言ってみせた。
 
「まさか……あんたも不死身なの……?」

 妹紅は呆然としてそれを見ていた。蓬莱人が自分と輝夜、それとその従者である永琳だ
けのはずである。蓬莱の薬が量産されたはずはない。

 ということは、例の薬以外にも不老不死になる術があったのだろうか。
 
「そういうことよ。なんでこうなっちゃったのかは私も分からないんだけどね。まあ、便
利だからいいのよ」

 呆けた妹紅の顔を見て、美鈴がニヤニヤと笑う。
 
「もともと体力はあるほうだったけどね。でもこの体のほうが断然いいわ。門を預かる者
として、命はいくつあっても足りないからね」

 あははははははははははははは。美鈴の甲高い笑い声が夜に響く。うるさい。耳障りだ。
そんな狂ったように笑うな。

 背中の炎が力を増す。空気が次々と焼き尽くされる。ぼぼっ、と翼が音を立ててゆっく
り動く。翼を広げ、見せつけるように大きく上下に羽ばたいた。

「ところで、『あんたも』ってことは、あなたも不死身ってことなのね」

 炎が舞い、風が2人の間で吹き荒れる。美鈴の紅い髪がその風に流される。髪質は柔ら
かく、すぐにさらさらと元の位置に戻ってきた。

 髪の毛を整えることなく、美鈴は含み笑いを浮かべていた。
 
「つまり、食べても食べても死なないってことよね。どれだけ食べようと、どれだけ血を
吸おうと、死ぬことはない。便利ね」

 お嬢様も喜ぶわ。あざ笑うような目で美鈴は妹紅を見る。妖怪は人間を食べるもの。無
限に湧き出る食料が目の前にあるのだから、美鈴が喜ぶのも当然だった。

「べん、り……?」

 妹紅は笑わない。眉間に力がたまっていくのがよく分かった。腹の底からふつふつと沸
き立つ怒りが、背中の炎に具現されていく。

「不死身が便利……?冗談じゃないわ」

 妹紅は美鈴を睨みつけた。
 
 もちろん、不老不死にもある程度便利なところはある。怪我をしても治るし、病気にな
っても簡単に健康が戻ってくる。何をされたところで自分が厳然としていられることは、
長所といえなくもなかった。

 しかし、そんな短絡的な理由だけでそれがいいものなどと語れるわけがない。永遠に生
きなければならないこととは、無限の時間を手に入れると同時に有限なものを全て捨てる
ことだからだ。

 この妖怪は、恐らくそれが分かっていない。狂気のせいで気づかないのか。
 
「あんたは私と同じで、昔は不死身じゃなかったみたいね」

 憮然とした表情で妹紅は顔を上げる。そして、スペルカードをもう1枚取り出した。
 
「だったら……」

 カードが輝く。その力を爆発させるために準備をしている。そうして、ぽぅ、と妹紅の前
に3つの光が並んで現れた。

「死という言葉……その身をもって思い出せ!虚人『ウー』!!」

 光が、美鈴に向かって一直線に走り出す。無論使い魔を妖怪である美鈴が攻撃すること
はできない。美鈴は舌打ちをすると大きく横によけ、3つの使い魔をやり過ごす。

 しかしもちろん、弾幕とは一筋縄ではいかないものである。使い魔の軌道には鋭い妖弾
が残されており、それが四方八方へとばらばらに動き出した。

「くっ。面倒ね」

 美鈴はそれをさらによけていく。だが、それもまたフェイクの1つなのだ。
 
 妹紅は既に移動を終え、次の使い魔を放とうとしているところだった。
 
 リン、と大きな音を立て、空気を掻ききりながら使い魔が美鈴を襲う。美鈴はそれには
気づいていたらしく、ひらりと身をかわした。

 しかしそんなもので終わらせるはずもない。妹紅は場所を移動しながら、使い魔を次々
と撃ちだしていく。使い魔の鳴き声が連続して空気の中を飛んでゆく。そしてその光が、
音ごとまとめて切り裂いてゆく。

「くぅっ!」

「3つの爪に引き裂かれろ!」

 美鈴の体を爪と妖弾がかすっていく。服に、肌に、髪に少しずつ切り傷を与えてゆく。
 
「あぁー!!邪魔よ、もう!!」

 それに苛立ったのか、美鈴が叫んだ。激昂した表情をあらわにし、妹紅を睨みつける。
そして同時に、迎撃としてスペルカードを空中に放った。

「消し飛びなさい!彩符『極彩颱風』!!」

 爆音と共に突風が巻き起こる。さらに、がりがりという不協和音をあげながら針のよう
な妖弾が撃ち出されてきた。風に乗り、それは歪な円を描いて空を疾走する。

 だが。
 
「かかったわね」

 美鈴からすれば、信じられないことだったかもしれない。
 
 妹紅は、美鈴がスペルカードを出すのを見て、間合いを一気に詰めたのだ。体術が得意
な美鈴に対してそんなことをするのは、死なないながらも自殺行為である。しかし、その
瞬間が最大のスキだと分かっていたのだ。

 不死身を便利なものだと思っているのなら、それを必死によけるようなことはしない。
すぐに面倒になってスペルカードを取り出すに決まっている。そこが、つけいるところだ
ったのだ。

「いつの間に……!!」

「生きてる証を、もう1度知ることね」



 ――リィン。



 空に、もう1つの紅がまき散らされた。













 もうどのくらい経っただろう。空には薄雲がかかり、ぼんやりとした月の光がわずかに
見える。湖に着いたときからはかなりの時間が流れていた。妹紅は何をするわけでもなく、
地面に座り込み淀んだ夜空をぼうっと見上げていた。

「……気がついた?」

 そうしていると、自分のすぐそばで横たわっていた美鈴がのそりと身を起こした。視線
だけそちらに向けると、不思議そうな表情で妹紅を見ていた。

「上半身と下半身だけ拾って置いといたけど、細かいとこもちゃんと治っているみたいね。
……流石だわ」

 自嘲気味に妹紅は笑う。多少の時間はかかるものの、ある程度体のパーツさえそろえば
どれだけばらばらにされようとも復元されるのだ。不死身というのはそこが便利なところ
でもあり。また最高に恨めしいところであった。

「……どうして?」

 美鈴が口を開く。その言葉が出てくることを、妹紅は予測していた。
 
「どうして助けたのか?どうしてここに残っているのか?」

 無論、それにさまざまな意味が含まれていることも。妹紅はにやついた表情で美鈴を見
た。見透かされていることに気づいたのか、美鈴は憮然とした顔で目をそらしてしまった。

「ほっとけなかったからよ」

 それにかまわず、妹紅は言葉を続ける。美鈴が再び妹紅のほうを向いた。
 
「その前に訊くけど……。ここには館というか、何か建物があったの?」

 説明の前に妹紅は質問を出した。美鈴の体を湖の中央にある島に置いた後、妹紅は島の
中を少しだけ探索してみたのだ。

 そのとき、島のさらに中心に、人為的に作られた建物の礎があるのが分かった。
 
 永い時に朽ち果て、何者かに破壊され、もうそこを利用する価値などどこにもない、た
だの建造物であったことを示すだけの石の集まりだった。その周辺はもともと整備されて
いたのか、雑草が生えてはいるが石畳らしきものも見えていた。

 闇に紛れてよく分からなかったけれど、そこには確かに、何かがあったようだった。
 
「は?何言ってるの?」

 妹紅の質問に、美鈴は首をかしげた。ゆっくりと立ち上がり、美鈴はふんと鼻を鳴らす。
 
 そうして、虚空に向かって手で指し示した。
 
「あなたの目は節穴かしら?ここにある館が……紅魔館が見えないっていうの?」



 ――狂気。
 


 それが、そこにあった。
 
 美鈴は確固たる声で妹紅に言った。本当にそこに館があるかのように。
 
 美鈴は言う。
 
 そこには気高いお嬢様がいると。
 
 そこには瀟洒な侍女長がいると。
 
 そこには最高の知識人がいると。
 
 そこには最強の吸血姫がいると。
 
「…………っ!」

 見るに耐えなかった。聞くに耐えなかった。
 
 その言葉の意味が、その行動の意味が。本当に分かりすぎてしまって、心をかきむしら
れるような気持ちだった。

 ここにあるのは虚無だというのに。
 
 そこにいるのは幻影だというのに。
 
 その紅い瞳が見るものは、きっと。
 
 彼女が持ち映し出す最高の、虚構。
 







 知らないうちに、殴ってしまっていた。気がついたときには、美鈴が頬を押さえて地面
に倒れていた。


 呼吸が荒くなり、心臓が激しく脈打つ。跳ね上がるくらいのうっとうしい動悸が妹紅を支
配する。

 哀しくて、心が痛くて、息をするのも辛かった。
 
「ふっ……ざけんじゃないわよ!!」

 殴り倒された美鈴に、妹紅は思い切り怒鳴りつけた。
 
「現実を認めたくないその気持ちは分かるわよ!痛いほどにね!私も昔そうだったんだから!!」

 蓬莱の薬を手に入れて死ねなくなった。どれだけ悲しいことが起きようともそれを受け
止めなければならなかった。知り合う人たちの死を全て知らなければならなかった。

 気が狂ってしまいそうだったのだ。もしかしたら気が狂っていたこともあったかもしれ
なかった。何度死のうと思ったか分からなかった。


 美鈴のように、何もかもを拒絶したこともあったのだ。
 だから、そんなものは絶対に見たくなかった。
 
「だけど!あの廃墟を見てもまだ認めないって言うの!?誰もいなくなってしまったとい
うのに、まだそこに居続ける気なの!?」

 もう誰も、帰ってくることなどないというのに。
 
 永遠に生きるのだから、それも可能なことだ。何も食べずとも何も飲まずとも、ただそ
こに居続けることは可能なのだ。

 永遠に思い出に浸ることも、可能なのだ。
 
 しかし、それがどれほど辛いことなのか、妹紅は既に知っていた。何百年もの苦悩の後
に、その無意味さを知った。

 美鈴のその姿が昔の自分と重なって、どうしようもないくらいに哀しかった。だから、
放っておけなかった。

 美鈴の襟首を掴み、妹紅はまくし立てる。
 
「気がつきなさいよ!!ちゃんと見なさいよ!!……その眼は、狂うためにあるんじゃな
いでしょうが!!!」

 ぼき。
 
「ぅぁ……!」

 左の膝。折れた。折った。蹴った。蹴られた。
 
「うるさい……」

 いつ体勢を整えたのか、美鈴は掴みかかられながらも妹紅の左膝を蹴りつけていた。嫌
な音とともに激痛が妹紅の体を走る。思わず手を離し、妹紅はうずくまった。骨折くらい
ならばそう時間もかからずに回復するが、今攻撃を追加されると本当にやられる可能性が
あった。

「うるさいっ!!」

 美鈴が妹紅の顔を蹴りつけた。たまらず妹紅は後ろに吹っ飛ぶ。身を小さくして2転3
転し、右足でブレーキをかけて止まる。鼻を押さえながら、妹紅はもう1度戦いの用意を
した。

 しかし、美鈴からの追撃はなかった。美鈴はそこに立って、妹紅を睨みつけていた。体
が少しだけ震えているのが分かった。

「分かってるわよ……分かってるわよ!これが意味のないことだってことくらい!!」

 叫ぶ。哭いているかのように怒りと悲しみが混ざった声だった。
 
「分かってたわよ!!お嬢様も咲夜さんもパチュリー様もフランドール様もとっくの昔に
いなくなってたことくらい!!知ってたわよ!覚えてたわよ!!」

 髪を振り乱して、美鈴は滅茶苦茶に泣き叫ぶ。
 
 それが、とても狂気を携えた者の言葉に思えなくて、妹紅は呆然と見ていた。
 
「認めたくなかった……。あんな、あんな風に終わるなんて考えもしなかった……。毎日
幸せで……苦しいことも悲しいことも全部幸せなことなんだって分かってた……」

「………………」

「どうしてあんなことに……嫌だった……あんな終わり方……認めたくない……」

 何かが流れ出していくかのように、美鈴は滂沱のごとくしゃべり続ける。それは悲哀か、
悔恨か。あるいは、懺悔か。

「でも、これが現実……。分かってた……分かってたわよ……」

「………………」

 口を開くことはできなかった。ただただ、妹紅は美鈴の言葉の奔流を聴いていた。
 
「どうしろっていうのよ!?あんたには分からないわよ!!私が何を見て何を知って何を
思ってきたかなんて!!」

 瞬間、妹紅ははっとした。
 
 ほんの少しだけ月の光が差し、周囲が照らされていた。
 
 そのとき、見えた。
 
 彼女のその眼が、澄んだ水のように青かったのが。
 
 狂気に汚れた紅ではなく、純粋な正気の眼であった。
 
「何もかも忘れなきゃ、生きることなんてできなかったのよ!!!」

 涙でぐちゃぐちゃになった顔で、美鈴は泣き伏した。
 
 妹紅は悟る。美鈴が完全に狂気に染まっていないことを。
 
 全てを否定したわけではなかった。そもそも、否定していなかったのだ。現実を、美鈴
は認めていたのだ。ただ、それは正気な者にとってはとてもとても辛いことなのだ。美鈴
の心は、それに屈した。その悲しみを受けきることはできなかった。正気な者ならば、そ
れが当たり前なのだけれど。

 分かっていたけれど、忘れたことにしていた。知っていたことだけれど、なかったこと
にしていた。それがおかしいことにも気づいていた。

「そっか……」

 だから、青い瞳の上に、狂気の紅が覆われていたのだ。
 
 嗚咽が漏れる。今のその瞳は、紅か、青か。
 
 ここにとどまる美鈴は、強いのだろうか。己の狂気を知りつつもなお、崩れてなくなっ
てしまった館の番人であろうとする。己を保ちながらも狂気に走ることは、弱いことなの
ではないだろうか。

 それとも、彼女にとっての幸せは、それほどまでに強かったのだろうか。
 
「怖かったのね……」

 言葉が、口をついて出てきた。
 
「思い出さえも、失ってしまうことが……」

 過去を、振り返る。
 
 人が、家族が、世が。知り合う人との数十年が。それはとても重いものだった。抱え抱
え抱え抱え続けて、押し潰されそうになった。多くのものを得ては失い、それは果てしな
く重くなり続けた。

 だが妹紅は、それでもその場所を後にすることができた。それは、その場所を離れられ
るだけの勇気があったからだろうか。それとも、その場所にあった思い出が、本当は軽か
ったからなのだろうか。

 彼女がここに居続けるのは、それだけ思い出が彼女の重石になっているから。重い重い
重い、思い出への想い。

 それは弱いからなのか。弱いからそれを抱え上げることができないのか。
 
 それとも。
 
 強いからそれを大事にしているのか。
 
 この場所を離れることで、ほんの少しでも想い出が弱まることが嫌だったのか。
 
 でも。
 
「でも……永遠に生きられるからといって永遠に思い出に浸り続けるのは、絶対……絶対、
間違ってる」

 心の強弱は決められない。美鈴が何を感じ、何を思ってきたかは分からない。だから、
それから心の強弱を理解することなんてできなかった。

 それでも妹紅は言い放つ。それが間違いだと信じているから。
 


 永遠は変わりゆく。
 


 それは、果てなき時間の中で妹紅がたどり着いた、1つの真理だった。
 
 幾千幾万もの月日の中で悩み、苦しみ、数え切れないほどこの世から消え去りたいと思
って。

 それが唐突に終わりを告げたのは、たった1人の少女との出会いだった。
「思い出を反芻するのはいいわよ。誰だってそうすると思う。だけど、あんたは生きて……い
るんだから。永遠に生きる者には、永遠に生きる者なりの生き方があるのよ」

 限りある者だからこそ、限りがあった者だからこそ、思い出にしがみついてしまう。本
当は、それでいつか自分も果てるから。

 だが、不死になった時点でそれは失われる。思い出に浸り続けることはできるが、その
虚構以外は何もかもを失ってしまうことになるのだ。

 知識と歴史の半獣は、そんな妹紅を止めてくれた。
 
 彼女とて、人間よりは長生きできるものの永遠に生きることはできない。だから、知り
合ったその少女の死を見ることは辛かった。それでも彼女は、死ぬまでそばにいてやると
言ったのだ。自分がいつか別れなければならないことを、その悲しみを与えてしまうこと
を知っていながら、そう言ったのだ。

 なぜなら――。
 

「永遠に生きられるなら……また、大切な思い出を作ることができるんだから」


 あなたにとって大切な人は、必ずまた現れる。
 
 それが、今の妹紅の信念だった。
 
 あのときの出会いがなければどうなっていたのだろう。永遠に存在するがゆえに出会い
はいつか必ず来る。だがそれは、何百年に1度あるかどうかのとてもとても少ない出会い。
もしあの時2人が出会わなければ、また何百年も美鈴のように苦しみ続けていたことだろ
う。そう考えると、ぞっとする。

 あの出会いがあったから、あの言葉があったから、妹紅は自己を保っていられるのだ。
だからそこにいる。里を守るという約束も、彼女が死ぬときに託されたものだった。自分
を取り戻させてくれた人への、最後にして永遠の約束。

 必ずまた、彼女のような人と出会えることを信じて。繰り返される無限の死を見つめる
立場にいてもなお、それを信じ続けていた。



 妹紅は左足をさすってみた。どうやら骨折は治癒したらしい。それでもあまり負担をか
けないように気をつけながら、妹紅はゆっくりと立ち上がった。

 美鈴は動かない。うずくまったままだった。眠ってしまったのか、それとも動くことも
できないほどに打ちひしがれているのか。

 しかし、妹紅は続けた。どうしても放っておくことができなかった。
 
「あんたにも、大切な人は必ずまた現れるわ」

 流石に、そろそろ帰ったほうがよいと思った。今の妖怪は見境なく人間たちを襲うよう
になってしまっているのだ。あまり里をあけるわけにはいかない。彼女が生きていたあの
時代から幾ばくもの時が流れて、幻想郷自体も変わり始めているのだった。

「大切な過去は忘れないほうがいいけど、でも……せめて、その人が現れたときにはその
過去を……過去と認めなさい」

 思い出はまた、作られてゆくから。
 
 色褪せぬ幸せのアルバムが、また増えてゆくから。
 
「何百年かけてもかまわない。永遠を生きていればいずれ……分かってくる」

 それはすべてあの人の受け売りでしかないけれど。
 
 しかし自分は、確かにそれを知っているから。









 とん、とつま先を鳴らす。足の調子を確認すると、妹紅は宙に浮いた。美鈴は動かない。
本当に眠ってしまったのだろうか。この声が聞こえていたならいいのだけれど。

 かける言葉も見つからず、妹紅はそのまま島から離れていった。
 
 願わくば、彼女の瞳が戻るように。
 

 東の空が白み始めていた。夕刻から湖に来たのに、結局夜の間そこにとどまっていたら
しい。妹紅は少し呆れてしまった。いくら自分に似すぎた存在がいたからとはいえ、夜を
徹してお説教をしようとは。

 何となく、あのとき自分が世話を焼かれた理由が分かった気がした。
 
 雲の間から、光が漏れ出す。夜の闇を、隅へ隅へと追いやってゆく。妹紅は空中で立ち
止まり、明るくなってゆく空を見つめていた。少しずつ、ゆっくりと、暗闇が払われてゆく。

 まるで、暗き永夜を許さぬかのように。











 ――時は永遠に流れ続けるだろうが、夜が永遠に続くことなどない。







 ――誰でも1度は、必ず日の目を見ることができる。







 ――増して永遠を生きているのなら、何度だって拝むことができるさ。







「そうだよね、慧音……」





















 ああ。彼女の心を覆う闇が、もしもいつか晴れるのならば。
















 どうか。どうか――











































 光、鮮やかなれ。














戻る