小  説

67-一枚の絆(告知)

  青空に、そよ風が一つ現れる。


いい天気だった。紅魔館のような紅い建物は周
囲の風景に比べるとかなりの異彩を放っている
が、その館も幻想郷の一部であることに変わり
はない。緑の木々に囲まれ、青空の下、真夏の
日差しが照りつける。そんな中にある紅の屋敷
は、異様ゆえに幻想的だった。
そのミスマッチささえ、幻想郷は大きく包み込
んでしまう。


 その風景は、一年中大抵館の外にいる紅美鈴にとってごく当たり前のものだった。つい
先ほど黒い魔法使いが紅魔館に到着したとき、ブレーキを誤り箒の先を自分の眉間にぶち
当てたせいで死にかけたりもしたが、今日も概ねいつも通りの一日だといえるだろう。い
つも通りの暑い一日。風がない分余計に暑く感じる。服が汗でひっついて気持ち悪かった。
それでも外にいなければならないのは門番ゆえの悲しさである。嫌なのは嫌だが、しかし
それに慣れている自分がいるのもまた確かだった。こっそりと木陰に隠れ涼をとり、美鈴
はそんなことを考えていた。


 見上げる青空に、白の雲がいくつか浮いているのがそこから見えていた。





 紅魔館内にある魔法図書館。そこの司書をやっている小悪魔は、今日もいつもの仕事を
こなしていた。無限とも思えるような広がりを見せる図書館は、その主でさえ蔵書数を把
握していない。小悪魔の司書としての仕事は、その膨大すぎる本の管理であった。どこま
でいっても端の見えない図書館を掃除するとなると、ひと通り終えるだけでも相当の日数
がかかる。ただでさえ図書館は通気性が悪く、埃がたまりやすいのだ。ひと通り終わった
らすぐにまた一からやり直さないと、埃はどんどんと積もっていってしまう。本は次々に
質が悪くなり、魔道書に至ってはその魔力ゆえに暴れ出してしまうのだ。


 そんな無限地獄の中でも小悪魔が司書でいられるのは、ひとえに本が好きだから、そし
て主が好きだから、で済んでしまうからである。


 本棚にたまっている埃を落とし、本を一冊一冊丁寧に取り扱ってゆく。時たま主のパチ
ュリーに紅茶を入れたりする。それが小悪魔の日常だった。


 つい今しがた紅魔館のお得意様の一人が図書館を訪れていた。普段はそこに入り浸って
魔道書を読み漁ったり本を借りていったりする。今日は別件の用事で、絵本を借りにやっ
てきたらしい。それも決して特別なことではない。


 今日も特に大変なことは起きないだろう。自分以外に動く者のない空間で、小悪魔は昨
日と同じ今日を確認していた。


 足の動きに合わせて、くるくると小さく埃が舞っていた。





 動かない大図書館を自負しているだけに、パチュリー・ノーレッジは変化というものを
望まない。光の入り込めない中にある、気の遠くなるような数の本を相手に日々を過ごし
てきた。昨日と今日読む本が違うだけで、パチュリーの一日の過ごし方は大して変わらな
い。いつからかあの猫度の高い鼠がやってくるようになって、自分も昔と比べればずいぶ
ん変わったと思っている。けれどそれは今、もはや日常。幻想郷に埋め込まれた要素の一
つでしかなかった。


 ぱら、とページをめくる。今までに幾億と繰り返され、その度に起こされてきたわずか
な空気の振動。それが、この図書館と外界を結ぶ扉を開く音でかき消される。


 ああ、今日もまた。その音で、魔力の流れで、彼女の魔力で、誰が来たのかもう分かっ
てしまう。そうなるくらいに、それは当たり前なこと。


 現れた傍若無人な魔術師は、いつもの挨拶といつものどうでもいいような話をしてゆく。
今日は図書館以外に用があるため、これで出て行くらしかった。司書を呼びつけ、絵本を
何冊か持ってくるように言う。


 次第に闇の中に消えてゆくその背中を見つめる。絨毯を踏む足音がフェードアウトして
いった。そして最後にまた、遠くから扉の音。


 しばらくぼうっとしてから、パチュリーはまた本のページに目を落とした。あの魔術師
がどうするのか、どうなるのか、決して気にしていないわけではないが、追いかけてまで
確認するつもりはない。まさか大惨事が起こることもないだろう。槍が降ってくるほどに
珍しいことでもないのだから。


 だから、今日も普段の日常。





 いつものように時を止めてモップがけをしていたメイド長十六夜咲夜は、ふと廊下の先
に見知った背中を見つけた。モノクロームな格好で紅魔館を徘徊している人物など、幻想
郷中を探しても二人といるかどうか。


 時を戻して話しかけようかとも思ったが、白黒少女が手にしている絵本やそのほかの小
道具を見て、咲夜は今日は何の用でここに来たのかを察した。くすりと笑うと、咲夜は何
事もなかったかのようにその隣を通り過ぎる。早く行ってあげたほうがいいだろうし、別
段何か話しかける用もあるわけではなかった。


 廊下の角を曲がり、時の流れを元に戻す。周囲のメイドたちの喧騒が聞こえてきた。今
日も士気は充分。わいわいやりながら掃除をしてゆくその様に軽くうなずき、咲夜はそっ
と陰から先ほどの場所を覗いてみた。


 てくてくと廊下を歩いていく後姿が見える。大きな黒いマジックハットが歩くたびにゆ
らゆらと揺れていた。


 少しの間それを見ると、咲夜はモップを持ち直して掃除を再開することにした。見てい
たところで何になるわけでもない。黒の少女が館の中を歩いていることなど、もう当たり
前のことなのだから。この紅魔館に通いの者がいることなど、以前は考えられないことだ
ったのに。


 窓の外に、木陰で休む門番の姿が見えた。咲夜は再び時を止め、サボり魔を相手にスト
レス解消をすることにした。





 そして、霧雨魔理沙は1つの扉の前に立った。結界ではなく、封印の魔法を施された頑
丈な金属製の扉。この先の地下室にいる、狂気の少女を外に出さないために。


 魔理沙は封印解除の呪文を詠唱する。ほどなくして封印が解かれると、魔理沙は扉を開
けてその中に消えていった。


 その数分後、掃除のためにやってきた一人のメイドが、扉のそばに小さな紙切れが落ち
ているのを見つけた。掃除中であったため、メイドは特に気にすることなくその紙をごみ
として捨てることにした。


 その小さな紙の持つ、とても大きな「力」に気づくことなく。








 過去を振り返る。昔はああだったのに、今はそれとは違う暮らし方をしている。その変
化は一体いつ起き、いつから今の日常に組み込まれたのだろうか。そして、その変化とは
一体何だったのか。


 変化を変化と認識しなければ、それは日常であり日常のままとなる。ごくごく小さな変
化であろうとも、それはイレギュラーと認められることなく過去の中に埋もれていってし
まう。


 しかし。


 そのごくごく小さな変化が、巨大で動かしようもなかった過去を変えることもありうる
のだ。


 あの日からずっと続けられてきたものが、今までずっと忘れようとしてきたものが、ほ
んの小さな変化によって大変革をもたらされる。


 それは変化と認識されないけれど、しかし確かに、今を、未来を、変えてゆく最初の原
因だったのだ。







    夜空に踊る少女


    ―― 一枚の絆 ――



今宵、少女は夜空に踊る。



紹介絵担当 村人。  SS担当 天馬流星 ※写真はflickrから流星の父が。


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