小  説

73-2 Zephyr 第四話 想い、届けて(その2)

「それから三日くらい、絣、家にいるときはテレビ見てたんです。いや、見てたって言う
のかな?話しかけてもうわの空だったし……けどきっと、その時の悲しみを紛らわせてた
んだと思います」

 その気持ちを振り払うように、一生懸命別のことを考えようとして。言葉や気持ちをま
るごと受け止めてしまう絣にとって、それはとても大変なことなのだろう。心を傷つけら
れた絣が自我を取り戻すには、一時的にでもその傷を忘れてしまうしかなかったのだ。
 しかし、何かの拍子でそれを思い出してしまう時、絣はそのことを後悔し、再び傷つく。
自分の意志に反して自分を傷つけてしまうのだ。
 それが怖いから、他人とは話さない。新しい傷も古い傷も、その痛みを感じたくないか
ら。

「……で、それで何で俺が関係してるって思うんだ?」

 絣がテレビを点ける理由は分かったので、結城は次の質問をした。確かに、結城のせい
で絣がその行動に出たのは間違いない。しかし成羽がそれを知っているはずがなかった。

「だって、今絣を悲しませる奴って、川本さん以外にはいませんから」

 すっと立ち上がり、成羽は結城を見下ろした。朱いツインテールが風に揺れている。
 
「最近絣が話題にすることっていえば、川本さんのことですからね」

 どこか嘲笑うような口調で、成羽は言う。
 
「川本さんが外から来た人っていうのもあるんですが、何よりもその人が自分と仲良くし
ている、っていうのが大きいんだと思います。だから絣は川本さんに興味持っているんで
すよ」
「そうなのか?」

 たとえそれが本当だとしても、結城はちっとも気付いていなかった。
 
「……だから、そんな人に何か嫌なことされれば、絣でなくたって傷つきますよ」

 傷つく、という言葉に結城の体は一瞬震えた。
 そう。絣を傷つけたのは、紛れもない結城なのだから。
 
「……答えてください。何があったんですか?」

 確信に満ちた目で、成羽は結城を見据える。ほとんど睨みつけるような目つきだった。
 
「ああ……」

 観念して、結城は話すことにした。絣が滅多に「他人」と話さない理由。そのことで言
い合って、絣を泣かせてしまったことを。

「それで、また……傷つけちまったんだよ」

空が暗くなる頃、俯いて、結城は三日前の出来事を話し終えていた。
 その間成羽は、何も言わず結城の言葉に耳を傾けていた。そして、結城が口を閉じると
同時に溜め息をついた。

「はあ……他人と話すと自分が傷つく、ねえ……バッカじゃないの、あいつ」

 吐き捨てるように成羽は言った。
 
「バカって、成羽……」
「だってそうじゃないですか。傷つくのを怖がってちゃ、何もできませんよ。なんとして
でも現状を変えなきゃ」
「いや、変えようとは思ったらしいんだよ。だけど失敗して……」
「それが間違ってるって言ってるんです」

 成羽は結城の言葉を遮った。そして、結城の隣に座り直す。木造の拝殿が、ぎしぎしと
鳴った。

「弱い心を鍛えて強くするのは、確かに最良の策だし、分かりやすいですよ。でも、その
分リスクが高すぎます。成功する確率の方が低いですよ。まして絣のあの頑固さじゃ不可
能です。できないと決めたら、絶対やりませんからね、あの馬鹿は」

 この場にいない絣に向かって言うように、成羽は話す。
 
「だから、その方法でどうにかしようってのが、そもそもの間違いなんですよ。他の方法、
遠回りでもいいから……。そうでないと、絣は変われません。絶対に」

 足を組んで、成羽は溜め息をついた。
 
「じゃあ、具体的に成羽はどうすればいいと思うんだ?」
「え?ああ……それはですねえ……」

 しかし、成羽はそのまま答えなかった。しばらく空を見上げていたが、やがて結城に頭
を下げる。

「……ごめんなさい。偉そうなこと言っといてあれですけど、思いつかないです。ただ、
それじゃ駄目ってだけで……」
「おいおい」
「でも、どんな方法にしたって、あいつ一人じゃ無理です。誰かが手を差し伸べてやらな
いと…………あたしじゃ駄目でしょうけどね。いつもの通り、喧嘩になるだけだろうなあ」

 成羽はまた溜め息をついた。
 
 しかし、成羽の言うことはもっともだった。弱い心を強くするのは、それが無理だと思
っている人間には、本当に無理なのだ。
(手を差し伸べる、か……)
 結城は考える。弱い心。弱いもの。それにどう接すれば良いか。どう扱えば良いか。
 脆いものを鍛えようとしても、逆に壊れていくなら。
(守る?包む?でもそれじゃ、余計に心を弱くするだけだ)
 脆弱な絣の心。そこに壁を作ってはならない。
 だから、成すべき事は。
 
「……あ」
「あ?」

 結城の動きが止まる。思い浮かんだ考えを急速に整理していく。
 
「そうか……だから……」
「どうしたんですか?何か考えたんですか?」

 横から成羽が顔を覗く。結城は、これが答えとばかりに、にっと笑った。
 
「ああ。うまくいくかは五分五分だけど、成功例があるからな」
「ホントに!?」
「ああ。今から行ってみる。けど、もしこれで駄目なら……」
「いいですよ」

結城は立ち上がりかけたところで迷ったが、成羽はそれを後押しした。

「どっちにしろ、このままじゃ駄目です。行って下さい」

 期待した目で成羽は言う。結城は力強く頷いて歩き出した。
 
「川本さん」
「ん?」

 数歩歩いたところで、結城は成羽に呼び止められた。
 
「何だ?」
「絣って、ここから何を見てると思いますか?」
「……夕焼けだろ?」
「違います……黄昏ですよ」
「黄昏?」

 結城は鳥居の向こうを見た。山の間から、わずかな赤光が漏れている。
 
「絣は、夕焼けよりも黄昏が好きなんです。そんなこと言うと変な人に思われがちだから、
そう言ってるらしいんですけど……寂しいですよね、そんなの」
「ああ……」

 夕陽が沈んでも絣が帰りたがらない理由は、そこにあったのだ。
 
「あいつ、友達いなくていっつも寂しいから、そういう景色に惹かれるんです。あいつの
心も、夕闇だから……」

 成羽は黄昏の空を見つめた。そして、幾分背の高い結城を見上げる。
 
「だから、絣(あいつ)の心、晴らしてあげてください」

 自分じゃ何もできないから、とその目が語っていた。
 結城は、成羽の頭をなでた。
 
「任せとけ」

 そして、階段を降り始める。
 
「ありがとな、成羽」
「……あたしは何もしてませんけどね」

 成羽は笑って肩をすくめる。しかし、結城はいや、と首を振った。
 
「お前がいてくれたからだよ」

 そう言い残して、結城は階段を駆け降りた。足元は危ないが、早く絣に伝えたかった。
自分ができる、精一杯の想いを。

「……頼みますよ、川本さん」


(第四話 その3へ続く)


第四話その2へ戻るHOMEへ戻る