小  説

84-7 雪夏塚〜セツゲツカ 姫崎綾華編_第六話 変化(その1)

(締まっていこー!!)


 分かってるでしょう?
 少しは疑問に思ってたでしょう?
 こんなにも思い通りにいくなんて
 そう、あなたは何もしていない
 これがあなたの力でも
 あなた自身に実感はなかった筈
 ただ、願うだけ
 それだけで、全て叶ってた
 成功してた
 努力をしても、それが努力だったかどうかも分からない
 だから、分かってる
 全部、「嘘」だって


「やっほーう!」

ドアを勢いよく開け放ち、綾華は、オレンジ色の光の中へ飛び込んだ。

「お兄ちゃん、早く早くー!」

 飛び石をとんとんと軽いステップで踏んで行き、玄関と門の中間辺りで着地し、体を反転させる。ワンピースの長いスカートがふわっと舞った。

「あんまりはしゃぐな、病み上がり」

 ドアに鍵をかけると、槙人は綾華に追いついた。

「あーん、だってだってー。体動かすの嬉しいんだもーん」

 とうって声を上げて綾華は槙人にダイブする。咄嗟のことだったので驚いたが、綾華をしっかり抱きとめると、槙人は体勢を立て直した。

「あんまりふざけてるとかついでくぞ」
「わぁ、人さらいみたい」

 暫く体をすり寄せてから綾華は槙人から離れた。

「行くか」
「うん」

 綾華の退院はあっという間だった。
 十日間も続いた高熱は、まるで何事もなかったかのようにあっさり引き、ぶり返すこともなかった。後遺症も全く認められず、あれだけ寝たきりだったのに、綾華は何の支障もなく、走ることさえできたのだ。突然発した高熱は、突然消えたのである。
 ただ一つ、倒れる前とは変わった綾華の右眼。眼球の虹彩が銀色になり、瞳は極端に小さくなった。しかし、それだけだった。それ以外で、綾香の目に異常はなかった。何の病気もなく、視力は左右共に二.〇と、素晴らしい検査結果を叩き出していた。
 何も分からなかった病気は、何も分からないまま、何も分からないものを残して消え去ったのだ。
 すこぶる健康だった綾華は、起きてから四日ほどで退院してしまったのだ。暫くの間は通院するのだが、何もない以上すぐに終わることだろう。
 槙人にとってはそれで良かった。
 疑問だらけではあったが、綾華は元気でいる。今、こうして一緒に歩いていられる。
 それだけで、充分だった。
 無事で何より。綾華が目を覚ましたとようやく認識した時には、槙人は思わず綾華を抱き締めていた。
 だから、綾華の病気など、もうどうでもよかったのだ。
 綾華が退院して二日目。夕食は外で食べる事にした。元気になったとはいえ、槙人はまだ綾華の体調に関しては用心していた。なるべく綾華の負担を取り除こうとしたのだ。食事も、今までは全て槙人が作っていた。
 しかし、当の本人は体力が有り余っているらしく、やけに活発だった。外食になったのも、綾香が外に行きたいとだだをこねたせいだった。
 橋を渡って本土に出る。どこで食べるかは、決めていないが、商店街には料理店が大量にあるので、慌てることはなかった。

「・・・あれ、おい、綾華。どこ行くんだ?」

 商店街に入ろうと槙人は道を曲がったのだが、綾華は何故かそのまま直進している。

「綾華?」

 呼びかけても返事がない、綾華はどんどん前進する。

「おい!」

 槙人は綾華に追いつくと、肩をつかんで振り向かせた。

「え・・・?」

 そのまま、槙人は凍りついた。
 射抜くような、冷たい眼差し。
 槙人を槙人として認めない、無機質な瞳が睨みつけていた。

「え?あ、あれ?」

 しかし、それは一瞬のことだった。
 不意に綾華の焦点が戻り、目付きがいつも通りになった。

「お兄ちゃん・・?あれ?ここ、商店街・・・?」

 綾華は戸惑った表情で辺りを見回した。

「見りゃ分かるだろ」
「・・・あ、あはは!そうだよね!ちょっと、記憶が飛んでたみたい」

 綾華は笑顔を作って、明るく笑った。

「おいおい。大丈夫か?」
「ずっと寝てたせいかな、なーんて」

 綾華はぺろっと舌を出す。
 けれど。

「ほら行くぞ」
「うんっ」

 抑えきれないほどの不安を隠しているのは、容易に理解できた。
 槙人はあえてその事には触れなかったが。
 綾華の異変が露呈されたのは、それからすぐのことだった。



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