小  説

13-素直になれないビター味

 雨の日は誰でもアンニュイになりがちである。
 蛙はやかましく鳴くし、カタツムリは動きが活発になったりするが、そういうのはごく
一部の例外に過ぎない。人間や妖怪といった知的生命にとっては、動きにくい天気に他な
らないのだ。洗濯物も乾かないし、外出もままならない。まして秋に降られると必要以上
に寒くなる。
 しとしとと降る雨の日に、元気になるような輩など存在しない。そのはずだ。
 しかし、こんな日に限って紅魔館はやたらと賑やかだった。
 雨だと言ってるのに当主が神社に行こうとしてメイド長に止められ、ぶーたれてフテ寝
をしたと思ったら今度は妹が外に行きたがる。メイドが総出で止めにいっても、そこはわ
がままの塊悪魔の妹。得意のレーヴァテインで屋根に大穴を開け、紅魔館に豪勢な雨漏り
をもたらした。姉も姉なら妹も妹だ。壁にも開けたために雨が降り込み、結果的には妹は
地下室に引っ込まざるをえなかった。後始末のことを考えないところが上位にいる者らし
い。
 こういう日にこそおとなしくしていてほしいものだ。蛙じゃあるまいし。どうも周囲に
被害と迷惑をかけることだけは上手なようだ。ハリケーンヴァンパイア、スカーレット姉
妹。

 騒動もひと段落し、修復はメイドたちに任せ、パチュリーと小悪魔は図書館に戻ってき
た。

「あー……疲れた」
 椅子に座るなり机に突っ伏すパチュリーを見て、小悪魔は苦笑しながら紅茶をそっと出
す。

「お疲れ様です」
 対フランドール戦ではパチュリーは主戦力である。小悪魔は他のメイド同様後方支援し
か出来ない。疲れ具合としてはパチュリーのほうがずっと高いのだ。

「ありがと……」

 気だるげに体を起こし、パチュリーは紅茶を一口含んだ。

「大変でしたね」
「今に始まったことじゃないけど……やっぱり、妹様の相手は疲れるわ」

 パチュリーは、深くため息をついた。小悪魔もそれに同意する。

「今日はいきなりレーヴァテインとカタディオプトリックでしたもんね。よけきった自分
をほめたいですよ……」

 お互いに苦笑い。今日の人的被害はいかほどだったのか。フランドールが暴れたあとは
大抵メイドの数が減っている。よけきれなかった者、爆発に巻き込まれた者、咲夜やパチ
ュリーの流れ弾が当たってしまった者。最終的には強い者しか残れない、まさしく実力社
会。フランドールの行為は、ある意味ふるいと言える。紅魔館のメイドはこうやって成長
していくことになるのだろう。

「あーもー。魔理沙が来ないから……」

 仏頂面でパチュリーは愚痴る。ここ数日魔理沙は紅魔館に来ていなかった。長雨で外に
出にくいのだろう。秋雨が幻想郷を覆っている。それこそ愚痴の1つも言いたくなるくら
いに。

「……別に、魔理沙さんのせいというわけじゃないでしょう。フランドール様は、ただ外
に遊びに行きたいとおっしゃっていただけで魔理沙さんと遊びたいとは……」
「妹様がそういう行動に出たのは魔理沙が来てからじゃない。元はといえば魔理沙のせい」

 小悪魔の意見に、不満げな目つきのパチュリー。
 フランドールがそういう行動に出たのはレミリアがしょっちゅう神社に遊びに行くから
で、本来の原因は霊夢のほうにあるといえる。しかしフランドールが暴れるのは事実なの
で小悪魔は黙っておいた。

「来ててもいいじゃない。肝心なときにいないんだから……」

 ため息が漏れる。パチュリーは、机に臥して壁の向こうを見つめていた。そのもっと向
こうにいる人間を、いつもの迷惑顔で睨んでいるのだろう。

「……来てほしいなら、そう言えばいいじゃないですか」

 その様子を見て、つい小悪魔はそう漏らしてしまった。途端にパチュリーがガタガタと
椅子から立ち上がる。

「べっ別に来てほしいわけじゃないわよ!ただ戦力になるからであって、本当はいないほ
うがいいんだから。そのほうが平和だし。うん」

 口ではそう否定しているが、図星なのがありありと分かる。これだけ慌てて赤面しなが
ら必死に弁明していては、その通りですと言っているようなものだ。しかも最後は自分に
言い聞かせるように。
 あまりの分かりやすさに呆れてしまう。顔に出るのを必死に抑え、小悪魔はパチュリー
に微笑んだ。

「でも、そのうち来ると思いますよ。返却期限が近い本、いくつかありますから」
「あ、そうなの?」

 その言葉を聞き、パチュリーは何やら考え込み始めた。そしておもむろに立ち上がると、
自室に戻った。
 しばらく小悪魔がその扉を見ていると、パチュリーはすぐにそこから出てきた。扉を閉
める動作が少々ぎこちない気がするのは何故だろうか。
 パチュリーは無言で小悪魔の横を通り過ぎた。

「どちらへ?」
「……レミィのとこ」

 小悪魔の質問に、パチュリーは一言そう返す。微妙に返答に間があったのは気のせいだ
ろうか。しかしそれを問いただすわけにもいかず、小悪魔はそのままパチュリーを見送った。

 残された小悪魔は仕事を再開することにした。まずは紅茶のセットを片付けておく。あ
とで洗うから、とりあえず自分の部屋に。

「さて……と」

 本棚の掃除がまだ残っていた。掃除の最中にフランドールが暴れ出し、住人全員に緊急
出撃がかかったからだ。掃除の終わっていない本棚へ小悪魔は移動した。

「……あれ?」

 その途中、小悪魔は奇妙な現象に出会った。
 その本棚の本が1冊なくなっているのだ。
 図書館の司書。その仕事内容は、書籍の整理、保存、および貸し出しである。だが整理
と保存はともかく、この図書館では貸し出しは行っていない。少なくとも、外部の人間に
貸し出し許可は与えられない。紅魔館の住人のごく一部がときたま借りにくるくらいだ。
つい最近魔理沙という特例が現れその規制もだいぶ緩和されたが、しかしそれにしても、
小悪魔にとってはずいぶんと不可解なことだった。

「……魔理沙さんが借りるわけないよねえ」

 図書館内のほとんどの本は魔道書である。そこらへんの三流魔道書から幻と謳われるも
の、いわくがついてるもの、自動排除機能がついているものとさまざま。無限のごとき広
がりを持つ図書館にある本棚はそういった類のもので占められており、霧雨魔理沙や主パ
チュリー・ノーレッジはそこにしか用を持たない。
 ゆえに魔道書ではない、いわゆる一般書のあるこの区画の本が知らないうちになくなる
ことなどありえないのだ。

「おかしいなあ。咲夜様かなあ。けど、貸し出しのときにはちゃんと許可取りに来る人だし……」

 眉根を寄せて考え込むが、分からないものは分からない。周辺の本棚をしらみつぶしに
探してみるが、結局見つからなかった。

「……誰が持っていったんだろ、あんな本」

 魔理沙だったら手当たり次第に持っていくから、もしかしたらその中に紛れ込んで気づ
かなかったのかもしれない。
(確か魔理沙さんが最後に借りたのは5日前……。あったかなあ)
 考えても埒が明かないので、小悪魔は探すのをあきらめた。貸し出し期限を破ると魔理
沙にはフランドールと遊ぶ権利が与えられるから、魔理沙の仕業ならそのうち帰ってくる
に違いない。魔理沙がその本の存在を忘れてなければ、だが。
 改めて掃除を再開し、ついでに行方不明の本をもう一度探してみる。しかし、掃除が終
わっても見つけることは出来なかった。

「あ、毛玉」

 掃除用具を片付けて戻ってきた小悪魔の横を、10くらいの毛玉が列を作って飛んでい
った。毛玉退治も小悪魔の仕事である。放っておくと弾幕を展開する生意気な毛玉が現れ
るので、発見次第撲滅である。

「待てー!」

 大玉で追い詰め、クナイで一掃。魔理沙に入館許可が与えられてから弾幕ごっこはあま
りしていないので、毛玉は小悪魔の唯一の相手である。部屋が埃っぽいから発生し放題。
発生の原理はよく分からないが、運動にはちょうどいい相手だ。
 毛玉の毛をまとめて捨ててくる。それから小悪魔は本の手入れを始めた。この仕事は本
の数が多いので、1冊1冊丁寧に手入れをしていると時間どころか日数がかかる。そのた
め、毎日行っているが全て終わらせるには1ヶ月くらいかかる。古いものもあるため、さ
らに1ページ1ページ丁寧にめくり、紙同士がくっつかないようにする。その上で埃や細
かいゴミを払い落とす。あまりにぼろぼろになってしまったものは保管庫にしまい、場合
によっては写本して保存する。その保管庫も月イチで手入れしていた。こんなことを毎日
毎日繰り返している。
 他人から見れば、あきれるほどの執着ぶりだろう。

「本が好きだから、いいけどね」

 なんとなく自嘲的に、小悪魔は呟いた。

 手入れを続け、6冊目に手を出したとき、扉の開く音がした。

「うー。ひどい目にあったぜ」
(……魔理沙さんだ)

 今ではもう声や気配だけでも分かるが、何よりその特徴的過ぎる喋り方が、来訪者の素
性を知らせる。小悪魔は手に取った本を戻し、入り口のほうへ飛び立った。

「魔理沙さん」
「おう、久しぶり」

 小悪魔の姿を認めると、ごく自然に魔理沙は返事をした。

「いやー、すごい雨だな。びしょびしょだ」
「待っててくださいね。今タオル持ってきます」

 自分の部屋からタオルを数枚取り出し、小悪魔は魔理沙に渡した。言葉通り、魔理沙は
全身びしょ濡れだった。トレードマークの帽子もなんだかふやけて気合が入っていない。
「そんな天気で、何しに来たんですか?」
「ああ、今日が期限の本があるだろ。返しに来た」

 あっさりと返し、魔理沙は懐から本を取り出した。大雨の中飛んできたら台無しじゃな
いだろうかと思ったが、出てきたものは小悪魔の知らないものだった。

「……?何ですか?これ」

 目に見えるものが本であるのは分かる。しかし、それを包んでいるこの透明な物体は何
だろうか。紙のような包み方をしているが紙ではない。透明の紙なんて聞いた事もない。
とりあえず端を持ってみるとぺりぺりとはがれた。しかし粘着物があるわけではない。中
の本には何の影響もなかった。感触も形容しがたかった。全部はがしてみたが分からない
。妙にしわくちゃになってしまっている。

「ラップっていうらしいぞ。香霖のとこで見つけてきたんだ。色々包めて、水も空気も通
さないらしい」
「へえー」

 小悪魔はラップとやらをまじまじと見つめる。何で出来ているのかさっぱりわからない
。魔理沙の言葉から察するに、幻想郷の外の物なのだろう。

「それより、本」
「あ、はい」

 魔理沙から本を受け取り、確認する。

「あれ?」
「ん、どうした?」

 本のタイトルはアイテオーグ。それはさして問題ではない。確かに図書館の本だ。
 しかし、これの期限は来週のはずである。魔理沙のことだから素で間違えた可能性はあ
るだろう。だがそれにしてもおかしい。貸し出し期限がついてから、魔理沙は今までのよ
うに読みきれないほど持っていったりはしない。今だってこのアイテオーグを合わせても
全部で8冊だ。しかも今までのパターンでは、絶対に期限ギリギリまで返しに来なかった
。今回に限って間違えるだろうか。

「ああ、ついでにそれまだ読み終わってないから、また貸し出しさせてくれ」
「あ、はあ……」

 貸し出しの期間を書き換えて、小悪魔は本を魔理沙に返した。
 どうも腑に落ちない。魔理沙は一体何を考えているのだろう。

「ところで、パチュリーは?」

 きょろきょろと辺りを見回しながら、魔理沙はたずねる。

「レミリア様のところに行きましたけど」
「ん、そうか」
「寒いでしょう?お茶飲みます?」
「そうだな」

 普段パチュリーの使っている書斎に行き、小悪魔は魔理沙に紅茶を出す。

「お、うまい」
「ありがとうございます」

 しばらくの間談笑。魔理沙は雨で出られなかったのと、丹の精製をやってみようかとい
うことで来なかったらしい。

「で、魔理沙さん」
「ん?」
「本当は何の用で来たんですか?」

 椅子にふんぞり返っていた魔理沙は、そのまま転げ落ちそうになった。

「お前、脳みそあるのか?本返しに来たんだろうが」
「アイテオーグの期限は来週ですよ。ついでに言うと、今日期限の本はありません」
「う……」

 魔理沙は何ともいえない表情をしていた。まるで悪戯がバレたときのような、バツの悪
い顔。やはり、本はフェイクだったのだ。

「……いや、言いたくないならいいですけど」

 個人的に訊きたいだけであって、問い詰める気はない。少々語感が強かったかも知れな
いので、柔らかくして小悪魔は言った。

「……まあ、最近来てなかったからな。ちょっと様子見に来たんだよ」
「それにしたって……」

 それ以上言うのはやめた。なんとなく、魔理沙の意図が見えた気がした。
 つまり魔理沙は、こんな雨の中わざわざパチュリーに会いに来たのだ。それがパチュリ
ーのことを想ってなのか、魔理沙自身のためなのかは分からなかったけれど。
 魔理沙の照れくさそうな表情がおかしくて、小悪魔はくすくすと笑った。

「あ……」

 そのとき、後ろから声。

「パチュリー様」
「よう、パチュリー」

 振り向いた先にいたのはパチュリーだった。
 その一瞬、パチュリーが何かを後ろに隠したのを、小悪魔は見逃さなかった。

「何よ、来てたの?」
「来てたぜ」
「……まあいいわ。別に追い返す理由もないし。あなたは仕事に戻りなさい」
「はい」

 ため息混じりに呟いて、パチュリーは小悪魔に指示した。普段、そんなことは絶対に言
わないはずなのに。
 まるで、小悪魔にいられては都合が悪いかのように。

「ごゆっくり」

 そう言って、小悪魔はパチュリーの横を通り抜けた。
(……?)

 そのとき、わずかながら小悪魔の嗅覚が感じ取った。
 何かを焼いたような香ばしい匂い。
 無意識に小悪魔は振り返っていた。椅子に座ったままの魔理沙。そしてその魔理沙に話
しかけながら近づくパチュリー。
 その手に、何か乗っていた。
 後ろ手に、魔理沙に見えないように。
 その匂いでそれが何か分かった。
 その指に巻かれた包帯で、パチュリーが何をしていたのか分かった。
 パチュリーが自分に指示した理由も分かった。
 行方不明になっていた本も、パチュリーがこっそり持っていったのだと分かった。

「ふふっ」

 仕事を再開するふりをして、小悪魔は近くの本棚に身を潜めた。図書館は暗いから、か
くれんぼには好都合である。
 悪いとは思いながらも、耳をそばだてて2人の会話を聞く。

「へえ……。クッキーか」
「食べたくないなら別にいいわよ。私が食べるつもりだったんだし」
「お前が1人で食うにしちゃ多いと思うぞ」
「そ、それは……あ、あの子と食べようと思っただけよ」
「だったら仕事に行かすなよ」
「仕方ないじゃない!仕事なんだから」

 我が主ながら、なんと嘘の下手くそなことか。そんなしどろもどろでは誰のために作っ
たのか一目瞭然だ。

「ん、うまいぜ」

 サク、と小さな音が聞こえる。

「そ、そりゃあ咲夜が作ったんだしね」
「嘘つけ、あいつのクッキーはこんなんじゃない」
「……違いが分かるの?」
「分かるさ。こっちのほうが……ずっと、うまい」
「…………」

 魔理沙がにっと笑いかける。パチュリーは照れてそっぽ向いている。
 見たわけじゃないが、今の2人はそうしてるんじゃないかと思った。

「しかしパチュリーがお菓子作りとはね」
「……なんとなくよ。なんとなく」
「なんとなくで作った割には随分凝ってるよな。このアイスボックスクッキーなんて、そ
んな簡単に作れるか?」
「……な、なんとなくよ」

 それだけ指を火傷だらけにして、どこがなんとなくだろう。今のパチュリーは、夕日も
顔負けのまっかっかに違いない。
 パチュリーは魔理沙と話しているときは大抵からかわれている。しかし魔理沙も魔理沙
だ。来た理由はあまりにも単純で、あまりにもストレート。それをちゃんと隠しきれてい
ない。嘘の下手くそさは五分五分だ。多分、会いたかった人のことだからだろうけど。

 会いたいならそう言えばいいのに。嬉しいならそう言えばいいのに。
 その気持ちを表したければ、もっと素直になればいいのに。
 思わず笑みがこぼれる。2人のしていることの、なんと滑稽なことか。それが、それぞ
れの精一杯の気持ちなのだろうけど。
 2人の言葉はひねくれてる。本当に言いたいことはとがった口で隠される。それはまる
で、お菓子なのに甘くないビターチョコのよう。
 だけど一生懸命作ったから、それはとてもおいしくて。
 むしろちょっと苦いほうが、お互いの想いを分かり合えるかもしれなかった。

「……とりあえず、パチュリー様に貸し出し1、と」

 小悪魔はメモ帳に新しく書き込んだ。
 タイトルは『誰でも簡単 おいしいお菓子の作り方』。
 書き込んでから、小悪魔はもう一度苦笑した。

「パチュリー様、バレバレですよ」