小  説

21-秋風に乗せるメッセージ

「あーなーたーといーつーかーみた、ゆーきーげーしきー。はーくーぎーんのーひーかー
りがうれしくてー、はしゃいだー……」

 幻想郷に闇が訪れる。今は全てを朱に染めている太陽も、その顔を半分近く山にうずめ
ていた。鳥の影が夕焼けに映え、人も妖怪も、その影を長く長く地に横たえていた。空の
西側にはもう暗い青が世界を見つめている。
 これから人の眠る時間。そして、妖怪たちの活動の時間だった。
 それほど広いわけではない湖。ここも夕日に照らされ、水は橙に、反射する光は白と黄
に彩られていた。その片隅に1人の少女が座っている。秋も深まった頃だというのにいま
だ半袖で、裸の足を湖につけてかき回している。肌は赤光に当てられ、本来は白いであろ
う部分が同じ色をした空気に溶け込んでいるように見える。反面、夕影は少女を黒く映し
出し、その青い髪も、リボンも、水色の服も、透き通る氷の羽も、自己主張するかのよう
に少女がそこに存在していることを示していた。
 湖上の氷精チルノは、湖にゆらゆらと映る自分の像を見つめながら歌を歌っていた。聴
衆は誰もいない。いつもそばにいる大妖精さえも、今はいなかった。どこか憂鬱さを含ん
だ眼差しを水の奥に向け、小さな声でチルノはその歌を歌っていた。何度も繰り返して歌
っていた。

「……あなたにー、またあえーるー、あーかーしー……」
「……なかなか、いい歌ね」

 チルノが何度目かのその歌を歌い終えると、不意に何者かが後ろから声をかけてきた。
 
「うひゃあっ!」

 まさか誰かがいるなどとは思わず、チルノは思わず飛び上がった。あまりに慌てすぎて、
危うく湖に落下するところだった。波紋が浮かぶ湖の上に停止して、チルノは振り向いた。

「そんなに驚かなくてもいいのに……」

 声の主は、チルノと同じくらいの体つきをした少女だった。ロウズィ・ブラウンのワン
ピースを着ており、羽のようなアクセサリーがそこを斜めに通ってついている。ピンク色
の髪には、これまた同じ色の帽子がかぶさっており、そのてっぺんにはまた同じようなア
クセサリー。ニーソックスに巻きつく黒いアンクルバンドにも、羽に見えてしまうリボン
がついており可愛らしい。
 ニコニコと笑うその少女が人間でないことは、この時間だというのにチルノのような妖
怪の前に姿を現すこと。しかも1人でいること。そして何より、その独特の翼から分かっ
た。
 多分、鳥の妖怪。
 
「あ、あんたにゃいみょ……にゃにもんよ!」

 動揺したせいでかんでしまった。急いで言い直すが、結果は芳しくなかった。くすくす
言いながら目の前の少女は笑う。追加する言葉が見当たらなくて、チルノは詰まったまま
顔を赤くした。

「ごめんごめん。ちょっとこの辺り飛んでたら歌が聞こえてきたから。私、歌声を聴きつ
けるのはうまいんだ」

 笑顔を崩さないまま、少女はチルノに話しかける。とりあえず敵意がないことは分かっ
たが、警戒は解かずチルノは空にとどまった。そんなチルノに少女は少々あきれた風だっ
たが、気にせず話しかける。

「さっきの歌、いい歌ね。ちょっと短いけど」

 どうやら最初から聞かれていたらしい。完全に自分1人だと思っていたため、恥ずかし
くなってチルノはうつむいた。

「あれ、なんて歌なの?なんか誰かを待ってるような歌詞だったけど」
「……クリスタライズシルバー」

 少女の問いに、チルノはそう答えた。
 ようやく会話が成立したことが嬉しかったのか、チルノの言葉に少女はまたにっこりと
笑った。

「そうなんだ。でも、なんでそんな悲しそうだったの?」

 少女は背中の翼を羽ばたかせてチルノと同じ高さまで飛んできた。突然のことで驚いた
が、チルノのほうも既に警戒は解いていた。相手は、ただ単に自分に興味を持って話しか
けているだけなのだから。

「悲しいって……そんなことないよ」

 少女の言葉が少し癪に障り、むっとなってチルノは言い返した。確かに歌っていたのは
どちらかというと物悲しい感じのする歌だが、だからといって心の中まで見られるような
言い方をされる筋合いはない。
 だが、少女はチルノの言葉にふるふると首を振った。
 
「悲しそうだったよ。だって、歌にはその人の気持ちがこもるんだもの。でも、そうね。
さっきのは悲しいっていうか……寂しそうだった」

 「寂しそうだった」。そのセリフが心に刺さる。そんなにも露骨に表れていたのだろう
か。チルノはまたも言葉に詰まった。口で否定しようとしても、チルノの心ははっきりと
その言葉を示している。
 だって、本当に寂しかったんだから。
 何か言おうとして、何も言えなかった。
 
「誰か待ってるの?」

 押し黙るチルノに、少女が問う。チルノははっとして顔を上げた。
 黄昏の中でチルノの顔を覗き込む少女。笑顔のままだったが、全ての言葉が心に染み入
る。その言葉はチルノの耳に的確に響いた。そして、そこまで分かってしまうことに驚い
た。
 少女の言葉通りなのだ。チルノは待っている。
 冬に現れる「彼女」を。
 
「……うん」

 チルノはこくりとうなずいた。
 
「友達を待ってる。この歌、その友達が教えてくれて……歌詞、そのまんまの意味が込め
られてるの」

 歌にはその人の気持ちがこもる。全くもってその通りだった。また会う日を想ってその
歌を歌い続けているチルノの気持ちが、寂しさ以外の何だというのか。
 なんだかおかしくて、チルノは自嘲気味に笑った。
 
「もうそろそろ会えるかも、って思っちゃってさ。そしたら、ずっと歌ってた」

 また会う約束として教えてもらった歌だから。だから歌えば会えるかもしれないと思っ
ていた。
 あの永い冬で出会った親友、レティ・ホワイトロックに。
 そんな馬鹿げた考えに苦笑いするチルノだったが、翼の少女は大真面目で言い放った。
 
「だったら、歌わなきゃ!」
「え?」

 ずいっと顔を近づけて、少女はチルノの肩を掴む。
 
「約束したんでしょ?だったら、もっともっと大きな声で歌わなきゃ!そんな小さな声じ
ゃ駄目!その友達がどんなに遠くにいても聞こえるくらいに大きな声で歌わなきゃ!そう
すれば、絶対会いに来てくれるって!」

 興奮した声で少女は主張する。チルノの肩を持ってがくがくと揺らす。何がなんだか分
からずチルノはされるがままだったが、揺らされるのは嫌なのでなんとか少女を押しとど
めた。だが少女は怒ったような表情を変えなかった。まるで自分自身のことのようにチル
ノに言い張っていた。

「う……うん」

 その気迫に押され、チルノはおざなりながらもうなずいてしまった。
 それを見て、少女はようやくチルノを解放した。最初と同じ、満面の笑顔になる。
 
「うん、そうしよっ!実はさ、私今夜リサイタル開くんだ。だから、そこであなたもその
歌歌ってよ!ゲストで出すからさ!」
「へ!?」

 思いもよらぬ少女の提案に、チルノは困惑した。頭が内容を理解するのに時間がかかっ
た。

「私のリサイタル、たっくさん聴いてくれる人いるからさ、ひょっとしたら友達もその中
にいるかもよ!?今回はあのプリズムリバー三姉妹がバックに入ってくれるし!!」
「え?えーっとえーと……!」

 プリズムリバーというのはよく知らないが、話のスケールがだんだんと大きくなってい
ることだけは分かった。どう答えるべきか、答えるべきかどうかも分からずに、チルノは
しどろもどろになってしまった。
 しかし、少女の次の言葉で目が覚めた。
 
「伝えなきゃ……!約束したことを……待ってることを!」

 春が来たために消えなければならなくなってしまったレティ。また冬になれば会えると
言っていた。それまで待っていてほしいと言っていた。
 ならば、教えたい。自分が待っていることを。この歌を、歌っていることを。
 チルノは力強くうなずいた。
 
「分かった!」

 少女も同じように笑みを浮かべる。
 幻想郷の太陽は既に山の向こう。これから夜。
 妖々跋扈の時間だった。
 
「んじゃ、行こう!アカペラで歌うのは嫌だろうから、あの3人に歌調教えてバックミュ
ージック即興で作ってもらおう!」

 少女は早速とばかりにチルノの手を引っ張って上昇した。そのせいで体勢が崩れるが、
チルノも空を飛べる身。すぐに持ち直した。
 ある程度落ち着いたところで、チルノは大事なことに気づいた。
 
「ねえ、そういえば、あんたの名前って何?あたし、チルノ」

 少女は互いに自己紹介していなかったことに今気づいたらしく、あ、と一言漏らした。
そして、チルノのほうを振り向いて笑顔で答える。

「私ミスティア。ミスティア・ローレライ!」







 ルナサ、メルラン、リリカの騒霊3姉妹とも自己紹介し、ミスティアに理由を説明して
もらった。3人は少しも嫌なそぶりを見せず、快く曲の作成をしてくれた。作ったバック
ミュージックで少し練習し、簡単なリハーサルを行う。それが終わる頃には、もう観客が
集まり始めていた。
 そして、日付けが変わったとき、ミスティアのリサイタルが始まった。
 
「妖怪その他諸々幻想郷のみなさーん!!こーんばーんはー!!」

 ゲストであるチルノは最後に出演ということになり、チルノはステージ裏で待機してい
た。ミスティアの元気な声が響き渡る。観客のほうも始めからボルテージが高く、悲鳴に
も似た歓声が続いてきた。
 チルノはステージの脇に移動した。ミスティアが歌っているところを見てみたかったが、
それ以上にレティがいないかどうか確認したかったのだ。いるはずはないと分かっている
のだが、ミスティアの言葉が気になっていたのだ。

(……いないか)

 森の中にある広場いっぱいに妖怪が集まっていた。想像以上の観客動員数に一瞬めまい
を覚えたが、その中を見てもレティの姿はなかった。立ち見もおり、割と遠くまで観客は
いたが、レティはいれば気配で分かるので、そこまで見る必要はなかった。
 ちょっとだけ期待してしまった自分に、チルノは呆れてしまった。




「よんっひゃくっきゅうっじゅうっごっねんい・き・てるのよなーめないっでね〜!!」

 ミスティアの歌は、暴力的なほどテンションが高かった。そんな中で誰かを待っている
ような歌を、しかも自分が歌っていいのかと不安になってしまう。ミスティアの歌の実力
は、観客の数と興奮ぶりが示していた。特に、今は雰囲気も最高潮に達しており、「U.
N.オーエンは彼女なのか?」という歌がそれをさらに助長している。どうせなら、少し
前の「遠野幻想物語」の頃ほうがよかったような気がする。
 曲目も消化され、徐々に終わりが近づいてくるとチルノは緊張してきた。
 本当は分かっているのだ。ミスティアには話していないが、レティは今現在この幻想郷
にはいないのだ。どれだけ声を張り上げても、レティには聞こえないのだ。
 チルノが歌う意味など、本当はない。
 
「………………」

 ステージの上で元気に跳ね回りながら歌うミスティアを見つめる。一片の迷いもなく、
あれだけの観客の前であれだけがんばれる姿は、正直うらやましかった。みんなに歌を聴
いてもらうために努力する姿が。

「……負けられないよ」

 チルノは呟いた。
 自分と同じくらいの背の少女が、明らかに自分の数倍もいきいきしている。対して自分
はどうか。湖の隅で、寂しさを紛らわすために細々と歌っていただけではないか。
 悔しい。この違いは何なんだ。会って間もないけれど、自分とミスティアとは大した差
なんかないはずだ。チルノはそう思った。

「……このチルノさまが、たかが夜雀に負けるかっつーの!」

 チルノは自分の頬をぱんと張った。そして、もうすぐ自分の立つステージを見据える。
 レティに聞こえなくてもいい。精一杯やりたかった。約束をもっと確かなものにしたか
った。大声で歌えば出来る気がした。
 もう、迷いも寂しい気持ちもなかった。

 そして、リサイタルは佳境に入る。







「……さーって!今日のリサイタルはこれでおっしまーい!と!見せかけてー!!みんな
まだ帰っちゃ駄目だよ〜!きょ・う・は!なんとスペシャルゲストをお呼びしてま〜す!」

 全ての曲目が終わり、鳴り止まぬ拍手の中、ミスティアが宣言する。途端に会場は静ま
り返った。

「実は事情があって、その人にすごく歌ってもらいたい歌があるの。短いけれど、友達と
また会う約束として歌っている歌……。どこにいるのか分からないけれど、また会うこと
だけは約束してる……」

 風が木々を揺らす。会場に、葉擦れの音だけが通っていく。
 そんな観客に、ミスティアはにこっと笑った。
 
「さ!みんなそんなにしんみりしないで!それじゃあ今夜のスペシャルゲスト、湖上の氷
精、チルノー!!」

 ミスティアが名前を叫ぶと同時に、チルノはステージへ飛び出した。
(レティ、今は幻想郷にはいなくても、レティは幻想郷にいるんだよね。だから……)
 チルノはミスティアの譲ったステージの中央に立つ。ぐるっと観客を見渡してて、ミス
ィアからマイクを受け取った。
(だから、あたし思いっきり歌うよ!秋でもレティが出てこられるように!)

「クリスタライズシルバー、いっくよおおおぉぉぉぉぉぉぉー!!!!」

 ミスティアの盛り上げ方を参考にして、息を大きく吸い込むとチルノはマイクに向かっ
て全力で叫んだ。初めは色々と説明するつもりだったが、セリフが全て吹き飛んだのと、
下手に説明するよりも歌ったほうがいいと思ったからだった。
 プリズムリバー3姉妹が前奏を始める。少しだけアップテンポにアレンジしてある。締
めに歌う歌としてふさわしいか分からないが、この際そんなことは考えない。
 チルノの頭にあるのは、もはやレティとの約束だけだった。




     あなたといつか見た 雪景色
     白銀の光が嬉しくて はしゃいだ


     白く染まった世界が好きで
     もう1度ここに来ようと 約束をした


     降り始めた 雪の結晶は
     あなたにまた会える 証


 歌は本当に一瞬だった。時間にしても2分と経っていない。前座のほうがよっぽど似合
いのあっけなさだった。
 けれど、そのほんの少しの歌の終わりにあったのは、割れんばかりの拍手と歓声だった。
 
「………………」

 耳が聞こえなくなるのではないかという騒ぎの中、どうしてこうなっているのか分から
ずにチルノは呆然としていた。

「チルノ」

 そこにミスティアが駆け寄ってくる。チルノは完全に放心状態だったが、ミスティアに肩を叩かれて我に返った。
「あ、えっと……」
「すごかったよ。あんなに心のこもった歌、私聴いたことなかったよ」
 ミスティアはぐっと親指を立てた。3姉妹も集まってきて、めいめいねぎらいの言葉を
かける。そして、この歓声。チルノにも、ようやく状況が分かってきた。
 これが、全て自分に向けられている声援だということに。
 
「さ。最後の締めよ。お客さんに挨拶して、ぱーっと終わらせよっ!」

 ウインクするミスティアを見て、チルノも笑顔になった。
 
「みんなー!ありがとー!今日のリサイタルは私、夜雀の怪、ミスティア・ローレライと!」
「バックミュージック、騒霊ヴァイオリニスト、ルナサ・プリズムリバー」
「同じく騒霊トランペッター、メルラン・プリズムリバー」
「あ〜んど騒霊キーボーディスト、リリカ・プリズムリバー」
「そして……」

 ミスティアがチルノに目配せする。それを見て、チルノはマイクを口元に持っていった。
 
「湖上の氷精、チルノ!」
「ありがとうございましたー!!」
 5人の声が重なる。同時に、さらに怒号のような歓声が会場を包み込んだ。
 夏と間違えてしまいそうな熱気の中を、秋風が吹いていった。
 この歌声たちを、幻想郷中に伝えるように。







「お疲れ、チルノ」
「ん」
 夜明け頃、片付けと打ち上げも終え、3姉妹と別れて2人は家路についていた。ミステ
ィアはこれから眠るといっていたが、いまだに興奮が冷めないチルノは少しも眠くなかっ
た。すっきりした声でミスティアに応える。

「チルノの友達、聞いてくれたかな」
「さあ……よく分かんない」

 チルノは苦笑いした。結局、レティが幻想郷にいないことは確かなのだ。今が冬でない
のだから、それと同じくらい確かである。
 しかし、だからこそ、ある意味で「分からない」というのは自信の表れなのかもしれな
かった。聴けるはずがないのに「分からない」のだから。
 チルノはそれで満足だった。ただ歌うだけよりも、あのときのように思い切り熱唱した
ほうが、約束に対する気持ちが強かった。チルノはレティとの約束を確かなものに出来た
のだ。
 ミスティアもまた満足そうだった。何か吹っ切れたような表情をしている。ミスティア
と同じ気持ちを感じることが出来て嬉しかった。2人の笑顔はごく自然で、屈託がなかった。

「じゃあ、私この辺で行くね」

 湖が近づいたところで、ミスティアがそう告げる。もう少し一緒にいたかったが、チル
ノはうなずいた。

「ミスティア」
「ん?」

 それぞれ挨拶を交わしてからミスティアは去ろうとしたが、チルノがその背中に声をか
けた。

「ありがとう」

 笑顔でチルノは言った。もう寂しさはないから。きっとレティに会えるまでこの気持ち
でいられるから。
 だから、自分をいざなってくれたミスティアにお礼を言いたかった。
 
「……うん、どういたしまして!」

 ミスティアも笑顔だった。なんだか笑いっぱなしのような気もするけど、それだけ2人
は嬉しい気持ちでいっぱいだった。

「リサイタルやるときは、また来てねー!」
「もっちろーん!どこでやっても絶対いくからねー!」
「友達も連れてきてよー!」
「分かったー!」

 だんだんと小さくなっていくミスティアを見送りながら、チルノは湖のほうへと飛んで
いった。新しい友人との出会いを感謝して、そしてこれからやってくる親友を想って。
 もうすぐ冬がやってくる。秋風に乗せた、約束のメッセージへと返事をするために。





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