小  説

23-おにごっこの鬼

 外の様子を伺おうと窓を開ければ、そこからは竹の葉擦れしか聞こえない。竹林の奥深
くにたたずむ永遠亭は、そういうところにあった。しん、と無音になることなど日常茶飯
事である。
 しかしいつも静かというわけでもない。この日は、広々とした屋敷の中のこれまた長々
とした廊下を1人の少女が駆け回っていた。何かに追いかけられているのか、はたまた何
かを追いかけているのか、その赤い瞳を前後左右にせわしなく動かしながら走り回ってい
た。くるぶしまでかかる長い藤色の髪と、奇妙に折れ曲がった白い兎の耳が揺れている。
鈴仙・優曇華院・イナバは廊下の真ん中で1度立ち止まると、あたりをきょろきょろと見
回した。

「ああもう……!」

 鈴仙は苛立たしげに呟く。家が広いというのも考えものだと思った。
 
「何してるのウドンゲ?騒がしいわね」

 鈴仙から少し離れたところにある扉が開いた。顔を覗かせたのは八意永琳である。夕飯
の支度をしているらしく、普段着ている服の上にエプロンを着用していた。その柄が真ん
中から左右に色が分かれているところを見ると、これは永琳のこだわりみたいなものなの
だろう。

「あ、師匠……。あの、てゐを見ませんでしたか?」

 肩で息をしながら、鈴仙は永琳のそばに寄った。その間も黒兎がどこかにいないかと周
囲を伺っている。
 
「てゐ?見てないけど……あの子がどうかした?」
「……ああもう!思い出すだけでも嫌になる!あの子私の部屋で本読み散らかした上に片
付けないで……!しかもおせんべ食べながら読んでたからくずがあちこちに!その上本棚
にネズミ捕り設置していったんですよ!?もう少しで手はさまれるところでしたよ!」

 鈴仙は憤慨して被害を報告する。夕飯前にお菓子は食べるなという言いつけを破った事
も追加しておいた。
 永遠亭に住む者のうち、実力のある者は4人。屋敷の主人である蓬莱山輝夜、その付き
人の永琳、月の兎である鈴仙。そして地上の兎因幡てゐである。幼い少女の外見をしてい
るてゐは、出身は違えど同じ兎である鈴仙によくなついている。永遠亭に住む他の兎のリ
ーダーをやっているてゐは、その激しい気性も鈴仙他2人の前では引っ込めていた。実年
齢は決して低くはないのだが、その見た目と言動は純真無垢な女の子を思わせる。
 しかし、それが計算の上に成り立っていることはみんな知っていた。
 
「ウドンゲ」
「はい?」
「あそこにいるじゃない」

 永琳は廊下の奥を指差した。鈴仙がそこに目を向けると、廊下の角から黒髪の兎少女が
覗いているのが見えた。

「てゐー!」

 その姿を見るやいなや、鈴仙は駆け出した。
 
「夕飯までには捕まえておいてね」
「お任せください!」

 鈴仙が走り始めたのを見ると、てゐは顔を引っ込めた。鈴仙はスピードを上げた。てゐ
の足は速いが、性格からしてこちらをなめて逃げると思われた。互いの姿が見えない機を
生かして、一気にてゐに近づこうと思った。
 てゐの消えた廊下を鈴仙はドリフト走行で曲がる。てゐは10メートル先をとことこと
歩いてた。まさか走ってもいないとは思わなかったが、それはそれでチャンス。鈴仙は床
を蹴った。

「!!?」

 その途端、ごん、と盛大な衝突音が廊下に響いた。気がついたときには鈴仙は床に頭か
らダイブした後だった。一瞬後に、鈴仙は自分が何かに足をとられて転んだことに気がつ
いた。床が抜けたのだろうか。永遠亭は何百年も昔に建てられたので、相当に古い作りを
している。板張りを総取り返したことなど幾度となくあるのだ。鈴仙は額を押さえながら
涙目で振り向いた。蹴り足を動かすことが出来ず、不器用に体をゆっくりと起こしてから
でないと振り向けなかったが。

「………………」

 床が抜けていたほうがいくらかマシだったかもしれない。鈴仙の足は廊下いっぱいに塗
りたくられた糊に貼り付けられてたのだ。しかも永琳の開発した速乾性強力水糊。先日天
井の梁のほぞが外れそうだったのをこれで直したのだ。1度ついたら最後、滅多なことで
ははがれない。どうやら、今はいている靴は見捨てたほうがよいようだった。お気に入り
だったのに。
 いつもこうなのだ。無邪気に見えて、実はてゐはとてつもない策士なのである。
 長生きをしてきたその生き物としてのキャリアは伊達ではなく、毎度毎度奇天烈な「遊
び」を考えつくのだ。その被害を被るのは主に鈴仙。トラップを配置してはめることはも
ちろん、言葉のトリックも得意だった。それで怒ったり困ったりする鈴仙を見て楽しむの
である。捕まりそうになったら永琳たちに助けを求めるか、或いは泣き落としを使うかだ。
外見が子供だから泣かれると強く怒れない。てゐはそれも計算してやっているのだ。げに
恐ろしきはその可愛さを自覚していること。何度遊ばれても同じ結果に行き着いてしまう。
てゐは、どこまでも緻密に網を張り巡らした詐欺師なのだ。いい顔して近づいて、相手を
散々に利用するのである。
 今日という今日はお仕置きしてやらなければ気がすまない。毎回注意くらいで終わって
しまっているものの、今回はお気に入りの靴まで被害に遭ったのだ。流石に鈴仙も許せな
かった。

「……てゐ?」
「ん?」

 ようやく起き上がることの出来た鈴仙を、てゐはくつくつ笑って見ていた。鈴仙はゆっ
くりとした動作で立ち上がる。てゐは可愛げに小首を傾げて鈴仙の反応を楽しんでいた。

「……もう許さない。師匠の道具まで勝手に使って。尻叩きくらいじゃ済まないわよ!」

 鈴仙は靴を脱ぎ捨てると宙に浮いた。床にトラップがあるのならそこを踏まなければい
い。タメを作って、鈴仙はてゐに迫ろうとした。

「!!いっだだだだだだ!!」

 しかし刹那、鈴仙は涙目になってその場にうずくまってしまった。鈴仙は何が起こった
のか分からず、己に痛みを伝えた頭を抑えるだけだった。
 そんな鈴仙に、てゐはぷふー、とこれ見よがしに吹き出した。見ていて腹が立つ。鈴仙
は再び後ろ振り返り、自分の身に起きたことを理解した。
 糊の効果は、鈴仙の足をひっつけるだけにはとどまらなかったのだ。鈴仙の長髪が災い
して、一緒にくっついてしまっていたのだ。スピードを出して飛んだため、それが一気に
引き抜かれて床に散らばっていた。

「て〜ゐ〜!」

 鈴仙はてゐを睨みつけた。もう鈴仙をその場に貼り付けるものはないので、てゐはさっ
と鈴仙から離れていった。けたけたと嫌な笑い声が聞こえてくる。自分の身の回りを確認
して、鈴仙はてゐを追いかけた。これ以上てゐに遊ばれるのはこりごりだ。今日こそはお
仕置きをしてやると鈴仙は心に誓った。
 もう1度空中に浮かび、鈴仙はてゐを追いかけた。ぎゅんと空気に音を立て、怒りのま
まにてゐへと突進する。てゐは鈴仙が相当怒っているのに気づいているらしく、追いつか
れないようにスピードを上げた。永遠亭の長い廊下を2人の兎が飛び回る。途中で何人か
の兎がてゐに轢かれていたが、2人ともそれには気づかなかった。
 しばらくの追いかけっこの後、てゐは1つの部屋へと逃げ込んだ。律儀にもしっかりと
ふすまを閉めている。
 鈴仙は開ける時間も惜しくふすまを蹴破って入ろうかと思ったが、あと数センチという
ところで急に止まった。そしてふすまから飛びのく。

「………………」

 鈴仙は廊下にかがむとふすまの脇に移動した。てゐのことだ。本も片付けないようなや
つがわざわざふすまを閉めるわけがない。てゐが何かするときは大抵裏があるものだ。
 つまり、てゐはこの部屋に何かしらのトラップを用意していると考えられた。それはふ
すまとて例外ではない。開けた瞬間に何か飛んでくる可能性もあるのだ。
 実は鈴仙にそう思わせるだけでただの時間稼ぎなのかもしれない。しかし念には念を入
れたほうがいい。鈴仙は神経を集中し、たん、と勢いよくふすまを開け放った。
 途端、ふすまの反対側にある廊下の壁に、10本もの矢が飛んで刺さっていった。矢じ
りは実に鋭利に磨かれている。
 殺す気だろうか。本気なのか悪戯なのか判断しづらくなってきた。
 トラップがあるということはてゐは恐らく部屋の中にいるだろう。かがんだ姿勢から鈴
仙はさらに腹ばいになって部屋の中を覗いてみた。

「げ」

 その瞬間、鈴仙は青ざめた。てゐは鈴仙の目の前にいたのだ。てゐも鈴仙同様、ふすま
に身を潜める形で待機していた。にんまりと頬をゆがめて鈴仙を見下ろしている。なんと
も邪悪な顔だ。その右手には何かが握られており、今にも鈴仙に叩きつけようと待ってい
るところだった。
 最初のトラップをやり過ごすまではよかった。しかしてゐはそれも計算の上で、しかも
鈴仙がもう1つのトラップを考えて突入してこないことまでも予測していたのだ。
 てゐが右手を振り下ろす。鈴仙は完全に虚をつかれたため、身構える事も出来なかった。
何が飛んでくるか分からず、とっさに目をつぶる。


 ぼふん。


「へ?」

 覚悟を決めた鈴仙の頭に、何か布製の柔らかいものがぶつかった。それは弾力のままに
廊下へ飛んでいった。
 思わず鈴仙が振り返ると、そこには1つの枕。それもふかふかの羽枕だった。
 
「……ぷ」

 鈴仙が呆然としていると、後ろからてゐの吹き出す声が聞こえてきた。そして、鈴仙の
大きな耳には届かなかったが、そこからぱたぱたと離れていく足音。
 たっぷり5秒はかかった後、ようやく鈴仙は状況を理解した。
 またしてもてゐに遊ばれたのだ。思い切り馬鹿にされた。
 
「………………」

 鈴仙は怒りを抑えられず、ぷるぷると震えている。毎度のことながら、なんと神経を逆
なですることの上手なことか。


 おかげで、遠慮なく張っ倒せるというものだ。


 心に物騒な誓いを立て、鈴仙は再度部屋の中を覗いた。今度こそ何かしらのトラップを
仕掛けてくるはずだ。用心にこしたことはない。
 見たところ、明らかに怪しいものはない。だから逆に怖いのだが、何かが飛んでくるに
しても、視界の外にあるのなら距離もあるということ。見てからよけることなど鈴仙の能
力からすれば造作もないことだった。
 鈴仙は部屋に飛び込んだ。トラップを警戒しながらてゐを探す。てゐがこの部屋から出
ていないことは確かだ。部屋の中央にとどまって鈴仙は周囲の気配を探る。

「!」

 すると、風を切って羽枕が飛んできた。とっさによけ、鈴仙は枕が飛んできた方向を見
た。
 
「てゐ〜!」

 永遠亭の部屋は大抵部屋同士がつながっている。ふすまを取り外せば何十畳という部屋
がいくつもあるのだ。てゐはふすまを開け放ち、隣の部屋から鈴仙に枕を投げつけていた。
てゐは両手にたくさんの枕を持っており、さらに足元にも大量の枕を置いている。間髪い
れずにてゐは枕を投げつけてきた。弾切れすると足元から補給する。
 しかし所詮は枕。軽いからスピードがない。そもそも枕ごとき、いくら当たろうとちっ
とも痛くはない。飛んでくる枕弾幕を両手で弾き飛ばしながら、鈴仙はずんずんとてゐに
近寄った。
 もうすぐ手が届く、と鈴仙は思ったが、しかしほんの少し躊躇した。
 この部屋は他の廊下とはつながっていない。てゐにはもう逃げ道がないのだ。しかして
ゐは枕を投げながらその不敵な表情を崩さなかった。
 何か裏がある。鈴仙は直感した。
 と思ったら、てゐは急に枕を投げるのをやめてしまった。突然抵抗が終わり鈴仙は不思
議に思ったが、しかし考えないほうがいい。ここはさっさと捕らえてしまったほうがいい。
鈴仙は手を伸ばした。

「れいせんれいせん」
「何?」

 肩に手が触れたとき、てゐが話しかける。耳を貸す必要はなかったが、とりあえず返事
だけはしておく。

「上」

 てゐは天井を指差して上を向いた。鈴仙もつられて上を向く。その間約1秒。そこから
鈴仙が自分の置かれた状況を理解するのにさらに1秒。計2秒。
 だが2秒あればてゐが逃げ出すには十分だった。鈴仙の手を払い、文字通り脱兎になっ
ててゐはその場から逃げ出した。しっかりと天井の「それ」につながれた糸を切って。

「あああああああああああああ!!」



「……?ししおどしかしら?」

 永遠亭の別の部屋で輝夜が呟く。
 だがししおどしにしてはやけに元気だった。
 かこんかこんかこんかこんかこんかこん、と連続で鳴り響く。
 この屋敷にはそんなにししおどしがあっただろうか。輝夜がそう思っていると音は鳴り
止み、代わりに輝夜のおなかがぐうと鳴ったのだった。




 からから、と短く刻まれた竹が自身を構成する山から崩れ落ちる。鈴仙は竹山から這い
出してきた。
 致命傷はないものの、竹がしこたま頭にぶつかったためかなり頭部がずきずきする。
 てゐは鈴仙の死角をついてきた。天井にこれでもかというくらいの竹をセットし、糸を
切って落とす仕掛けを作っていたのだ。ご丁寧に金ダライつきで。いつ作ったのかは知ら
ないが、てゐは悪戯に関してはとんでもなく仕事が早い。あらかじめそういった計画をし
てあればすぐに実行に移すことが出来るだろう。なんだかものすごくコケにされた気がす
る。竹を落とすために鈴仙を十分引き寄せ、それを悟られないために枕を投げてきた。
「飛んでくる物が痛くない」という意識を植え付けたところで竹の大量落下だ。1本1本
が斜めに切られているため、そこが直撃するととても痛い。よくもここまで凶悪な物を考
えつくものだ。頭を抱えて鈴仙は部屋を出た。
 てゐはどこへ行ったのだろうか。廊下を見渡してみるがてゐはいない。どうやら完全に
逃げ出したようだ。鈴仙に追わせないところを見るとタネ切れか。仕方なく鈴仙はてゐを
探しに飛ぶことにした。
 永遠亭は無駄に広い。途中すれ違った兎たちにてゐの行方を訊きながら、鈴仙はそう思
った。いつか来た自称考古学者が廊下掃除が大変だと言っていたが、まさしくそのとおり
なのである。掃除は当主である輝夜を除いて全員総出でやるが、鈴仙はそれでも大変だと
思っている。
 掃除をした矢先に泥だらけのてゐが走り回ったりするからだ。
 
「………………」

 思い出したらまた腹が立ってきた。何がなんでも見つけてやる。
 そう考えながら鈴仙が廊下の角を曲がると、目標は目の前にいた。
 やけにあっさり見つかったが、てゐは何もしていないわけではない。
 ふすまに墨で何やらでかでかと落書きをしていた。
 鈴仙が近づいて見てみると、人の顔らしい。かなりひん曲がっていて分かりにくいが、
その頭から2本の何かが出ている。おそらくは兎の耳だ。そして真っ直ぐに伸びた長い髪。
 てゐは、間違いなく鈴仙を描いていた。
 しかも絵の隣には達筆な字で「きつねそば」と書いてある。
 鈴仙の怒りゲージは一瞬で振り切った。
 
「何してんのよてゐ!!つか、誰がきつねそばよ!!」

 何ゆえそんな字を書いたかわからないが、とにかく馬鹿にしていることだけは間違って
いないだろう。もしかしたらただ食べたかっただけなのかもしれない。だがそんなことま
で頭は回らず、鈴仙は目の前の小娘に飛びかかった。
 するとてゐは少しも慌てず、横目で鈴仙を見ながら手に持っていた墨汁を鈴仙にぶちま
けた。ちょうど下手なナンパ師にコップの水をかけてあしらうように。
 そして見事な黒兎の出来上がり。
 ぽたぽたと墨汁が垂れる。幽雅に咲かせ、墨染めの優曇華。そんな冗談はどこぞの死人
嬢くらいしか思いつかないだろう。しかも語呂が悪い。
 髪も耳も顔も真っ黒になった。服はもともと黒いが、墨のそれを許していいわけでもな
い。スカートには見事なまだら模様が出来てしまった。
 じわ、と鈴仙の目に涙が浮かぶ。なにも、ここまでしなくてもいいのに。
 そんな鈴仙に追い討ちをかけるかのようにてゐが嗤う。呆然とする鈴仙にかかった墨を
使い、さらに落書きを広げていく。
 だが幸か不幸か、その行為が鈴仙の心に再び火をつけた。
 
「うっがーっ!!」

 兎とは思えない雄叫びを上げ、鈴仙はてゐに平手を放つ。しかしそれをしっかり予測し
ていたのか、てゐはひらりと鈴仙の攻撃をかわす。そのまま筆を放り投げて廊下を走り出
した。

「逃がすかあ!!狂視『狂視調律(イリュージョンシーカー)!!』」

 鈴仙は使い魔を呼び出し、弾幕の網を張らせた。自身の赤眼を操り、それを格子状に
「調律」していく。鈴仙がスペルカードを使ったのを見て急いで逃げ出そうとしたてゐだ
ったが、使い魔のスピードのほうが速かった。てゐは弾幕の格子の中に閉じ込められてし
まった。おろおろと周りを見てもそこには弾しかない。たとえスペルカードを使われたと
しても、このスペルは弾を消せないことをてゐは知っているはずだ。
 廊下の床や壁、ふすまが削られていく。鈴仙は使い魔を増やしながらてゐに近づいた。
 
「……捕まえた」

 何とか逃げ出そうと考えているてゐの肩を掴む。恐る恐る振り向くてゐを、狂った瞳で
見下ろした。墨をかぶったせいで全身が黒く、それが逆に怖いことに鈴仙は気づかない。

「てゐ……?」

 鈴仙はてゐの両腕をがっしりと掴んだ。絶対に逃がさない。怒りのオーラを全身にまと
いながら、鈴仙はてゐに顔を近づけた。

「よくも……やってくれたわね」

 鬼のような形相であるのが自分でも分かる。だがそんなことにかまけている場合ではな
い。どうやってこのチビ兎をいたぶってやろうか、鈴仙は思案した。
 新スペルの実験台にしてやろうか。いや、それでは生ぬるい。逆さ磔にして頭ぎりぎり
のところで火をたいてやろうか。それとも超高度の上空から紐なしバンジーでもやらせよ
うか。鈴仙は実に嫌な笑い声を上げていた。

「……うぇ」

 鈴仙が考えていると、てゐの目に涙が浮かんだ。だが今の鈴仙は泣き落とし程度ではぐ
らつかない。怒りの意思はとんでもなく固いのだ。
 しかしてゐの頭はその上を行く。
「うえええぇぇぇぇ〜ん!れーせんがいじめる〜!!」
「んなっ!?」
 泣き落とし戦法で来るかと思ったら、なんとてゐは大声で泣き出してしまった。これが
フェイクである可能性は捨てきれないが、驚きに鈴仙は一瞬固まる。

「い……いじめるって、てゐが悪いんじゃないの!どっちかっていうと、私のほうがいじ
められてるわよ!」
「うええぇぇ〜ん!えーり〜ん!たすけて〜!!」
「……ってそこで師匠に助けを求めるな!」

 どさくさにまぎれて永琳のところへ行こうとするてゐを、鈴仙は慌てて捕まえた。泣き
喚く子供を羽交い絞めにして怒る姿は、確かにいじめていると見られるかもしれない。だ
が事実は断然逆だ。どこまでも往生際が悪いので、鈴仙はてゐを抱え上げるとそのまま歩
き出した。
 何をおいてもまずてゐのお仕置きだ。散々人を走り回らせた上に絶妙なトラップを連発
してくれたのだ。これで心置きなく仕返しが出来る。鈴仙は墨まみれになりながらもほく
そ笑む。

「ウドンゲ?」

 鈴仙がにやにやしながら廊下を歩いていると、エプロン姿の永琳が反対側から現れた。
手にはおたまを持っている。

「あ、師匠。見てください、てゐ捕まえましたよ」
「えーり〜ん!たすけて〜!」

 永琳の姿を見ててゐはじたばたと暴れる。だが鈴仙は腕の力をますます強めた。
 
「……なんだか愉快なことになってるけど」
「ええ、ですけどこれからもっともっと愉快になりますからね。ふふふふ……」
「えーり〜ん!」
「……まあ、それはいいんだけど」

 いつになく悪人顔の鈴仙に苦笑して、永琳は2人から目をそらした。鈴仙のさらに後ろ
のほうを見つめている。

「ウドンゲ。あれは何?」
「は?」

 永琳に言われて鈴仙は振り向いた。
 そこには、見るも無残な廃墟が広がっていた。先ほど鈴仙が逆上してスペルカードを放
った結果である。
 床には穴がいくつも開き、壁板には弾が削り取った跡が生々しく残っている。部屋との
仕切りになっているふすまは粉々に砕かれており、部屋の畳にも被害が出ていた。天井も
弾幕で削られて少しばかり外の光が差し込んでいる。
 鈴仙は固まった。永琳が何を言わんとしているかが分かったからだった。
 
「ウ〜ド〜ン〜ゲ〜」

 鈴仙の背後から強烈な殺気が放たれる。鈴仙の顔から汗が吹き出る。それは顔の墨と混
ざって黒くなり、床に新たな染みを作り出した。

「……し、師匠。これはその……。てゐを捕まえるためには仕方のなかったことでして……。
ていうか聞いてくださいよ!てゐのほうがよっぽどひどいですって!師匠の道具勝手に持
ち出すわふすまに落書きするわで……!!」

 振り返った先には永琳の笑顔。だが知っている。それこそが永琳が怒っている証拠だと
いうことを。
 鈴仙は必死になって言い訳するが、その鉄壁の笑顔は崩れない。放つ殺気をさらに強め、
永琳は鈴仙の耳を鷲掴みにした。兎の耳は持たないでほしい。痛いので鈴仙はもがくが、
片腕はてゐでふさがっているし、永琳が怖くて残っている手も言うことを聞かない。
 永琳は、とても恐ろしい笑顔で鈴仙の言葉をさえぎった。
 
「問答無用よ?ウドンゲ?」

 小脇に抱えたてゐがぶるぶると震えている。てゐ自身も助けててもらえないことは分か
っているのだろう。

「し、師匠。何する気か知りませんけど、私はこのとおりてゐのせいで色々疲れているの
で……」
「問答無用、よ?」

 弁解許されず。鈴仙とてゐの耳は情けないほどに垂れ下がっていた。
 
「2人にはお仕置きが必要ね」
「うえええぇぇぇ〜ん!」
「泣いても無駄よ」
「私のせいじゃないのに……」
「言い訳しても無駄よ」

 永琳はおたまを顎に当て、考える仕草をした。多分夕食抜きということはないだろう。
それ以上の罰に決まっているからだ。
 今なら逃げられるかも、と鈴仙は走り出そうとしたが、しかし永琳には極意『天網蜘網
捕蝶の法』がある。永琳の視界にいる時点で2人は既に網にかかった虫なのだ。逃げ出す
ことはかなわない。
 決定、と永琳が呟く。
 そして、地獄の判決が下された。







「向こう3ヶ月、2人とも人参食べるの禁止」







 軽く伝えられたその言葉。
 世界中の全ての物を背中に乗せられるよりも重かった。
 
「師匠ー!どうかそれだけはあああぁぁぁ!!」
「えーりんの鬼ー!!」

 兎2人は悲鳴をあげた。まるでこの世の終わりのような悲痛な表情になる。
 
「あら、それじゃあ新薬の実験台になる?」
「それも嫌です!」
「大丈夫よ。死んだら天文密葬法にしてあげるから」
「大丈夫じゃないですよ!」

 廊下の一端で3人の無駄な言い争い。それは、輝夜が夕飯を求めて永琳を探しにくるま
で続けられた。


 静寂の永遠亭で起こる日常茶飯事は、いつもいつも騒がしいことこの上なかった。
 それを止めることはきっと、どんな難題よりも難しいのだろう。
 今日も永遠亭は、いつもと同じ空間にあるのだった。


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