小  説

72-2 Zephyr 第三話 縛られた心(その2)

「お待たせしました」

 朝食が完成したらしい。キッチンから三人分の食事を運んでくる。
 
「あ、手伝うよ」

 結城も立ち上がり、居間とキッチンを往復した。
 メニューは、ご飯に豆腐と大根のみそ汁、山菜の炒めものとししゃもを焼いたものとデ
ザートに、さっき採ってきたらしい苺があった。

「ちょっと待っててください。成羽起こしてきます」
「ああ。あ、絣ちゃん。電話どこだ?香子さんに朝食要らないって言っておきたいんだ」

 電話は廊下にあることを教えられ、結城は「みよし」に電話をかけた。朝食は絣の家で
とる旨を伝えておく。香子さんは快く承諾してくれた。
 用件を伝え終え、結城は居間に戻ってきた。座布団に座っていると、廊下の向こうから
絣の声が聞こえてきた。やはり成羽を起こすのは大変なのかもしれない。絣が成羽を起こ
そうとして苦戦している様子を想像して、結城はぷっと吹き出した。
 しかし次の瞬間、その笑いは消え失せた。
 
「早くしてよ!もたもたしてると、チェーンソーで頭虎刈りにしちゃうよ!」

 物騒な叫びに、結城は思わず声の方を振り向いた。
 今のは間違いなく絣の声だった。だが、とても絣の口から発せられた言葉とは思えない。
 結城が唖然としていると、絣が戻ってきた。
 
「もう少し待ってください。今、成羽が来ますから」

 おざなりに頷いて、結城は絣を見つめた。さっきのセリフは何だったのか聞きたかった
が、恐くて聞けなかった。
 しばらくして、成羽が現れた。
 
「あー……おひゃようごじゃいます、かわもとさん……」

 顔は洗ったのだろうが、まだ完璧に眠った頭で、成羽は何とか挨拶をした。
 それから三人で食べ始めた。顎を動かすことで覚醒に成功した成羽はよく喋った。絣は
それにいちいち相づちを打ち、結城は時折口を挟んだ。
 それは、ある一つの「家族」の食卓だった。
 
「……それでですね川本さん。神楽の練習で疲れてたあたしに、絣何て言ったと思います
?」
「さあ……」
「ゴボウとってこいって言ったんですよ!自分がとるの忘れたからって!あれ引っこ抜く
のすんごい大変なのに!死人に鞭打つような真似したんですよ、この女!」
「……そうか」
「ちょっと!あれは成羽の勘違いじゃない!私は掘っておいたのを取って来てって言った
だけだよ!成羽が勝手に掘り出しただけじゃない!」
「説明が足んなかったのよ!あんたってどうしてそう口下手なのよ!」
「関係ないよ!成羽の頭のキレが悪いだけでしょ!」
「あんたに言われたかないわよ!それにあの時あれ、使わなかったしさ!」
「仕方ないじゃない。成羽が戻ってくるの遅かったんだから!」
「あたしは疲れてたのよ!」
「私だって料理の最中だったってば!」
「絣が悪い!」
「私は悪くないよ!」
「いんや、間違いなくあんたが諸悪の根源!」
「人を悪魔みたいに言わないでよ!」
「疲れた人間をこき使うな!」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげるよ!成羽の失敗の後始末、全部私がやってる
んだからね!」
「ちょっと!人を悪魔みたいに言わないでくれる!?」
「その言葉もそのまま返してあげるわ!」

 食後のお茶を飲んでいる間、二人は白熱したバトルトークを繰り広げていた。だんだん
と争いが低レベルになっているが、その分二人はお互い本気になっているようだ。面白い
ので、結城は止めなかった。

「だぁいたい、何だってあんなに土地が広いのよ!」
「知らないよ1昔のことなんか!」
「もっと楽させてよ!機械買う金くらいあるでしょ!」
「あるけど今は使いたくないんだって!私が就職したらって、何度言ったら分かるの!?」

 そこからは、喧嘩の内容がかなりドメスティックになっていった。
 秋月家は、資産は大量にあるものの、収入は少ないらしい。その分支出も少ないので釣
り合いはとれているが、高価な物を買い入れるわけにはいかないようだ。
 しばらくして、二人の騒ぎは何とか沈静化した。成羽が天宮神社にアルバイトに行く時
間になったのだ。
 続きは帰ってからね、と捨てゼリフを残し、成羽は家を出て行った。
 残された結城と絣は食器を洗い、再び居間で向かい合って座った。
 
「はあ……今度は何を言いがかりにするつもりなんだか……」

 心底心配しているように、絣は溜め息をついた。今度は、と言っているということは、
二人の口喧嘩はよくあることなのだろう。

「絣ちゃんてさ」
「はい?」

 結城は、注ぎ足した緑茶を一口すすってから口を開いた。
 
「……最初会った時と、だいぶ印象違うよな」
「え……そう、ですか?」

 自覚がない、といった風に、絣はきょとんとした顔で答える。
 
「いやさ。俺は、絣ちゃんはもっとおとなしい子かと思ってたんだよ」

 世界を朱色に染める大きな夕陽を、遠い眼差しで見つめていた少女。儚さと寂しさを持
ち合わせた表情は、今でもはっきりと覚えている。

「けど、ああして成羽と喧嘩してるとこなんか見てると、普通って言うか、むしろ快活な
方なのかな、って」

 腕組みをして結城は絣を見た。
 ウエーブのかかった長い黒髪も、深い瞳も、線の細い体も、全て同じだ。夕陽の中だっ
たからそう見えただけなのだろうか。

「そうですか……」

 ふっと、絣は目を逸らして俯いた。それがなんとなく初めの頃に似ていたため、結城は
思わず声をかけた。

「どうかしたか?」
「いえ…………川本さん。印象が違うって言いましたけど、それはちょっと違います。最
初に会ったときも、成羽といるときも……どっちも素の私なんですよ」

 かすかに笑って、絣は言った。
 
「……どういう事だ?」

 正反対すぎる雰囲気であるのに、どちらも素であると絣は言う。多重人格なわけはない
のだから、「本当の」自分というのは一つではないだろうか。

「私はね、川本さん。……他人が怖いんです」

 膝を折り曲げ、体育座りのような格好で絣は言った。真っ直ぐな瞳が結城を見つめる。
 
「他人が、怖い?」
「はい。より正確には、他人と話すことが怖いんです」
「……何でだ?」
「……他人と話すと、話した分だけ、自分が傷つくから」

 何かに脅えるような表情で、絣は目を閉じた。
 他人と話すと、話した分だけ自分が傷つく。絣の言葉を結城は反芻した。しかし、どう
にもよく分からない。何か悪口を言われることが多いのだろうか。
 そう思って結城が聞くが、絣は首を横に振った。
 
「別に悪口という訳じゃありません。普通の、はたから聞けば他愛のないお喋りでも……
私は傷つくんです」
「何でだ?普通の話題なら、絣ちゃんが傷つく事なんてないんじゃないか?」

 結城はごく当たり前の疑問を口にした。
 そう。普通ならそんなことで傷つく人間などいる訳がないのだ。
 しかし、絣はふるふると首を振る。
 
「普通の話題……テレビにしても、ちょっとした日常のことでも……私は駄目なんです」

 上目遣いになる形で、絣は、テーブルの向こうにいる結城を見つめた。
 
「例えば……そうですね、自分のちょっとした体験談を話したり、好き嫌いを言ったり…
…そう、自分のことを言うと、傷つくんです」

 絣は一度、座布団の上で座り直した。
 
「ほんの些細なことでも自分のことを話してしまい、それにほんのわずかでも批判された
り、自分の考えと違うことを言われたりすると……私は、そういうときに、すごく傷つく
んです。言わなければよかった、って……」

 そこまで話して、絣は言葉を切った。

 
(第三話 その3へ続く)


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