小  説

72-3 Zephyr 第三話 縛られた心(その3)

 結城は、何も言えずに絣を見つめていた。
 自分のことを言うだけで、そして返答が返ってくるだけで傷つく。だから話さない。繊
細と言えばそうだが、そんな良いものではない。弱い、あまりにも弱い心だ。

「きっと、変にプライドが高いんです、私。自尊心が強すぎて、ちょっとしたことでも傷
ついてしまう……」

 自嘲気味に絣は呟いた。
 分からないでもない。折角の自分の言葉を否定されたら、自覚でもしていない限り、気
分は悪くなるだろう。だが、それは誰かに告白して振られたとか、恥を忍んで言った言葉
を思い切り馬鹿にされたとか、そういったものに近い。絣の言うレベルなら、笑い話にし
て流すことができるものなのだ。

 しかし、絣はそうできない。全て受け止めてしまうのだ。絣のその性格では、自己主張
することは元々少ないのだろう。だから違うと言われれば反論はしない。
 そう。話せば話した分だけ、自分が傷つくことを知っているから。
 口を閉じ、目を逸らした絣を、結城は見つめる。
 他人と話すと、自分が傷つく。ならば絣は、ずっと他人を拒絶してきたのではないだろ
うか。いつ頃からかは分からないが、それに気付いてからは、自分が傷つかないように、
他人との交流を避けてきたのではないか。

 しかし、それでは寂しすぎる。絣は会話の楽しさをほとんど知らないのだ。大勢の人間
と笑い合うこともできないのだ。
 それに。結城は思う。
 人は一人では生きてゆけない。人間的にも、社会的にも。
 そんな心を持ったままで、絣は就職できるのだろうか。面接なんて自分のことを話す代
表的な場だし、その後も交流がないと生活は安定しにくい。
 学校でもきっと苦労しているだろう絣が、このままでいいのだろうか。
 
「……けどさ、絣ちゃん。成羽とは普通に話してるじゃないか。あんなに本心さらけ出し
て大喧嘩して……」
「成羽は友達です。他人なんかじゃありません」

 絣はきっぱりと言い放つ。結城はそれでああ、と先程の矛盾を理解した。
 絣の「他人」の定義は、普通と違うのだ。絣にとって他人とは、知り合い以下のよく知
らない相手なのだ。そしてそれ以上の親しい人間が「友達」なのだ。だから、「他人」と
話す時には控えめに、拒絶気味になり、「友達」と話す時には、おおっぴらに話せる。
「友達」はある程度自分のことを分かってくれるし、成羽のように図々しくても、受け流
すことができるのだろう。しかし、「他人」は自分を分かってくれない。本人にその気が
なくても、自分を傷つける可能性がある。だから拒絶するのだ。分かってくれる訳ないと
分かっているのに、分かって欲しいと願う。むしろ、ほとんどそれを押しつけているのだ。
 そんな、傷つきやすい自尊心。それを傷つけたくないから他人と話さない。他人と話さ
ないから、余計に自尊心が強くなる。そして、肥大化した心を守ろうと、より一層他人を
拒絶する。

 なんて悲しい、悪循環。
 そんなことでは、友達なんてほとんどできないはずだ。友達になるには話さなければな
らない。だが絣は、「友達」でなければ本心で話すことはできない。本心が言えなければ、
友達にはなりえない。どうにもならない話だ。
 恐らく成羽のことだから、一方的に話し、絣が相づちを打つことで、少しずつうち解け
ていったのだろう。しかし、世の中はそんな人間ばかりではない。絣は損をするだけだ。

「自分が傷つくのが怖いからって……そんなんでいいのか?」
「……良くないです」
「じゃあ、何とかしないと」
「何とかできればもうしてます。でも、できない……どうしても、怖くて……」
「だけど、いつまでもそうしてる訳にはいかないだろう?」
「でも怖いんです!」
「ああ。分かるよ。異質なものに拘わるには、必ず恐怖がつきまとうからな。でも、それ
を越えないと……」
「越えられません……」
「はなから諦めるなよ!」
「分かってます!そんなことくらい分かってますよ!何度も挑戦しました。話しかけて、
笑って……一生懸命努力しましたよ!だけど……駄目だったんです!」
「挑戦に挫折はつきもんだ!慣れるんだよ!」
「嫌です!慣れるまでが長いから嫌なんです!」
「絣ちゃん!!」

 テーブルを叩いて立ち上がったところで、結城は自分が何をしていたか気付いた。気持
ちを落ちつけて、座布団に座り直す。
 絣は泣いていた。顔を膝にうずめ、肩を震わせている。嗚咽が漏れているのが聞こえた。
 
「……ごめん、絣ちゃん」

思わずムキになって絣を責めていたのだ。そのことを謝る。

「……いえ。私こそ……」

 顔を上げず、絣はそう答えた。
 
「でも、本当にそうだぞ?大変だけど、頑張らなくちゃ」
「はい…………」

 沈黙が流れる。それに耐えかねて、結城は立ち上がった。
 
「ちょっと、散歩してくるよ。朝ご飯、ごちそうさま」
「はい…………」

 音を立てないようにそっと廊下に出る。その時、うずくまったままの絣の呟きが、かす
かに耳に入った。

「やっぱり……話さなければ良かった……」
「………………」

 聞こえなかったふりをして、結城は長い廊下を歩いた。
 傷つけてしまったのだ。絣は「他人」に自分のことを話してしまった。結城はそれを批
判した。だから絣は傷ついたのだ。

「…………ごめんな」

そう残して、結城は玄関の引き戸を開けた。
 高くなり始めた日の光が、繁った木の葉の間からこぼれていた。

(第四話 その1へ続く)


第四話その1へ戻るHOMEへ戻る