小  説

82-5 雪夏塚〜セツゲツカ 姫崎綾華編_第三話(その5)

 その昔、屶瀬島には山の神が住んでおり、周りの海には海の神が住んでいた。山の神は陸
を、海の神は海を管理していた。しかし空だけは管理していなかったので、春と夏は海の
神が、秋と冬は山の神が管理することにした。そのため、海の神は秋と冬には、海面に出
られなくなってしまった。ある時海の神が冬にこっそり海の外に出て島を見ると、美しい
娘が目に入った。一目でその娘に魅入られてしまった海の神は、自分の仕事を放り出して
娘と会うようになった。
 しかし、当然その事は山の神に知られてしまう。山の神は娘を殺した上、海の神を厳しく
監視するようになった。
 海の神は嘆き悲しみ、攻めて冬に降らせる雪を夏に降らせてほしいと山の神に頼んだ。
無目は雪女で、娘と会う日はいつも雪が降っていたからだ。雪を見て娘のことを思ってい
たいと泣きながらに頼んだ。山の神は、海の神の誓いの固さを見て、それだけは了承する
ことにした。
 以来、屶瀬島には、夏になると雪が降るという。

「へぇ・・・」
「屶岬の立て札に書いてあるよ、行ってみる?」
「・・・遠いぞ」
「いいじゃない。息抜きだもん、少しは歩こ」

 屶岬は屶瀬島の南端に突き出た形の岬である。遊歩道が設置されているが、階段の昇降
が多いので、歩いて行くしか方法がないのだ。

「まあ、いいか」

 だが、槙人はそのまま屶岬の方へと歩き出した。綾華の言う通り、少しは運動した方が
良いかもしれない。
 車が一台しか通れない細い小路を通った先に、岬へと続く一本道がある。

「気をつけろよ、綾華」
「うん。大丈夫」

 雪が降っていない分には、ただ階段を昇り降りするだけだから良いのだが、雪が降って
いるとそうはいかない。積もった雪で滑ることもあるし、それをどかした雪に足を取られ
て埋まる事もありうるからだ。急ぐ必要もないので、槙人は綾華に気を遣いながらゆっく
り歩いた。

「・・・うへぇ」

 屶岬は、槙人が今まで見た土地の中では最も危険な場所だった。
 軽く三十メートルは高さがありそうな上に、幅は五メートルもない。まさしく屶の刃を
彷彿させる、鋭く切り立った崖なのだ。木で作られた遊歩道は何本もの鉄柱で支えられて
いる。下手に人が落ちたりしないように。柵は網目状に作られていた。

「よく自殺の名所にならなかったよな。ここ」

 柵は丈夫な木でできているが、乗り越えられないわけではない。そこから落ちれば好き
なだけ死ねそうだった。

「そりゃあならないよ」

 不安そうな槙人を見て、綾華は笑う。そして遊歩道の終着点である広場の脇に佇む立て
札を指さした。

「ほら、あれがさっき言った立て札」
「ああ」
「あれには続きがあってね」

 槙人は雪と潮風でボロボロになった立て札を覗き込んだ。しかし、相当に傷んでいるら
しく文字はほとんど読めなかった。
 それを知ってか知らずか、綾華が説明を再び始めた。

「例の海の神と雪女が会ったのが、この屶岬なんだって。それで雪女が死んだのも、海の
神と山の神が話し合ったのもここなんだってさ。だから、ここで願い事をすると夏雪の日
にそれが叶うんだって」
「ほー・・・」

 とてもそんな縁起の良さそうな場所には見えないが、地元民の綾華が言っているという
ことは本当なのだろう。

「しかし、よく覚えてんな、お前」

 槙人は感心の声をあげた。
 地元の人間ならば、そういった類のものは、一度見たらもう見ないような気がしていた。
しかし綾華の説明は、細部もきちんとなされていた。
 相当読み込まない後、そこまでは覚えきれないのではないだろうか。しかし立て札の状
態から考えると随分昔に読んだことになる。

「まあね。何度も読んでいるから・・・」

 頬を軽く掻いて、綾華ははにかむ。
 槙人は崖下を眺めた。波がぶつかり、飛沫となって砕け散っていく。

(落ちたら本当に死にそうだな)

 そんなことが一瞬思い浮かぶ。死ぬ気がなくてもそういう考えが出てくるのは何故だろ
うか。
 槙人は顔を上げた。数十メートル先の海には雪は降っておらず、太陽の光を反射して輝
いていた。雲は、島よりも一回り大きく浮かんでいる。青空を切り取ったように、厚い雲
は雪を降らせる。不自然な自然。この島が嘘でできているのかのような錯覚さえ起こす。
 夏雪は、本当に神が降らせたのかもしれない。他に説明がつかないのだから。

「・・・それにしても寒いな。そろそろ帰ろうか」

 今日まで我慢していたが、海から風がびゅうびゅう吹きつけているのだ。真夏の南風だ
から寒い訳ではないが、雪も一緒に飛んでくるので、顔が当たって痛かった。

「うん、そうだね。行こ」

 綾華もマフラーに顔をうずめている。綾華は素早く槙人の腕を取った。
 離そうかとも思ったが、寒いのでやめておいた。
 二人は来た道を歩き始めた。
 去り際何となく槙人は広場を振り返った。

「え・・・・?」

 その時、見えた。
 見えた、気がした。
 雪の中、うずくまって泣きじゃくる少女の姿。
 前も、そんな光景を思い出していた気がした。だが、はっきりとは思い出せない。
 何かかが抜け落ちている。
 一体どうしてそうなったのか。

「お兄ちゃん?」

 気がつくと、綾香の顔が視界いっぱいに入っていた。

「どうしたの?ボーッとして」」
「あ、ああ・・・スマン、ちょっと考え事してた」

 慌てて綾華から顔を逸らす。
 不覚にも少しドキドキしてしまった。
 そしてそのせいで、何を考えていたか忘れてしまった。

「・・・行くか」

 溜め息をついては気とは歩き出した。何だか胸がモヤモヤする。このままでは勉強に集
中できないかもしれなかった。息抜きの筈だったのに。

「・・・お兄ちゃん」
「ん?」

 帰り途、綾華が口を開く。

「思い出した?」

 腕を抱いたまま、綾華は槙人を見上げた。

「・・・いや」

 槙人は首を振った。

「何か思い出しかけたんだけどな・・・。忘れちまったよ」
「そっか・・・」

 少し残念そうに、綾華は笑った。
 色々考えて頭が混乱していたせいで、槙人は気づかなかった。
 どうして綾華が、槙人が何かを思い出しかけたのに気づいていたのかに。

 
第三話は終わったが、まだまだ続くぜ!!


戻る: 第4話メニューHOME