小  説

86-4 雪夏塚〜セツゲツカ 姫崎綾華編_第七話 もう一度約束を(その4)

「はな・・・して!」

 腕の中で綾華がもがくが、槙人は一層きつく抱き締めた。
 雪の冷たさと、綾華の体温が伝わる。

「死なせない・・・絶対死なせないぞ」

 抱き締めたまま、槙人は呟く。

「綾華。お前の言う事は信じるよ。確証はないけど、多分本当だと思う。けど・・・それ
で死ぬのは間違ってるぞ」
「どうして・・・?」
「綾華・・・俺は、本当にお前の事が好きだ」

 一度体を離し、綾華の肩を持ったまま、槙人は言った。

「・・・それが、嘘だって言ってるでしょ?」

 だが綾香は、皮肉めいた口調で冷たく返す。

「お兄ちゃん。あの時の約束、思い出してた?」
「え?ああ・・・」
「私ね、あの日から、一度も泣いてないんだお。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、
泣かなかった。事実上、約束はとっくに果たしてたの」

 可笑しそうに、綾華は笑う。

「それでも今までお兄ちゃんを呼ばなかったのは、私の計画。お兄ちゃんに私を妹だと認
識させないための計画だったんだ」

 早くからそばにいては異姓として見られなくなるから。
 あの日から槙人の事が好きだったから、離ればなれでいた。

「私はお兄ちゃんに、私の事を好きになるようにさせたかったんだ・・・。ほら、また成
功してる。こんな女、好きになる訳ないじゃない・・・」

 力を利用した計略。まさしく、強制の愛。
 しかし、槙人はゆっくりと首を振った。

「お前にそんな能力がなくたって、俺はお前を好きでいたよ」
「・・・どうして?」
「俺を呼ばなかった事と、計算高かった事に、力は関係ない。条件は一緒だ。一緒に住ん
でれば、そりゃあ欠点だって見つかるけど、でも、だから・・・愛していけた筈だ」
「この顔も、この体も・・・全て偽りであっても?」
「ああ」

 槙人は力強く頷いた。
 どんなに違っていても、それは「姫崎綾華」だから。

「綾華、お前を・・・この世で一番、愛してる」

 この想いだけは、絶対に真実だと信じて、槙人はもう一度、「綾華」に告白した。
 そして、再び綾華を抱き締める。

「だから・・・逃げないでくれ。俺を置いていかないでくれ」

 自然と、涙が流れる。
 綾華を抱き締めたまま、槙人は声も上げずに泣いた。顔を伝う愛は熱く、そして冷たか
った。

「・・・・バカぁ」

 不意に綾華は呟いた。
 そして槙人の背中に手を回して、大声で泣き叫ぶ。

「バカバカバカバカバカ!!どうしてそれが嘘だって分からないのよお!!」

 子供のように綾華は泣きじゃくる。大粒の涙がこぼれているのが肩越しに分かった。

「お兄ちゃんの、大バカッ!!」

 しゃくり上げながら、綾華は腕に力を込める。

「ああ、そうだな」

 優しい声で、槙人は頷いた。

「でも、信じてくれ・・・。この世界にどれだけ嘘があっても、俺はお前を愛してる。こ
れだけは、信じてくれ」

 槙人は、そっと綾華の涙を拭った。

「だから・・・やり直そう。現実に戻ろう」

 嘘を全部捨てて。飾りたてられた虚構を無に戻して、−から。
 「死」という愛ではなく。

「・・・どうやって?」

 目を真っ赤に腫らして、綾華が尋ねる。

「簡単だ。本当にお前に願いを叶える能力があるのなら・・・願えばいい。願いを叶える
能力を、今まで叶えた願いを・・・消してくれって」

 願いを叶える能力が嘘でないなら、それが作り出した嘘は消せる筈だ。そしてそこから
「真実」が姿を現せる。
 しかし、綾華は頷かなかった。

「できない・・・できないよ、そんなのっ!!」

 力いっぱい首を横に振る。

「だって、今まで叶えてきたものが全部なくなるんだよ!?どんな影響が出るか分からな
いよ!友達もきっといなくなる!お兄ちゃんもそんな事言ってるけど、絶対変わっちゃう
よ!」

 綾華がぎゅっと槙人の服を握り締める。


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