小  説

71-2 Zephyr 第二話 夜桜の舞姫(その2)

「よしっ。じゃあそろそろ行くかな」

 祭りという名の宴会が佳境に入る頃、成羽が両頬をパン、と叩いて立ち上がった。

「お、例の神楽か」
「頑張ってね、成羽」
「まっかせなさい!ちゃんと見ててよ」

 自信満々の足取りで、成羽は一度町長の所へ向かい、何か話していた。神楽の開始を告
げてもらおうとしているのだろう。
 少しすると、町長がマイクを持って、神楽が始まることを告げた。続いて、舞台の周り
にある四つの篝火が焚かれる。その灯火が、舞台とその周辺をぼんやりと赤く照らした。
 一方成羽は、舞台の傍に用意された、カーテンのような仕切りの中に入っていった。鬘
をかぶると言っていたから、そのためだろう。

「川本さん、舞台の正面に行きましょう」

 絣は立ち上がると、結城にそう言った。結城も頷いて、靴を履く。
 周囲の人間もよく見ようと集まって、ごちゃごちゃし始めた。やはり皆、成羽の踊りが
どれほどのものかよく分かっているらしい。

「離れるなよ、絣ちゃん」

 結城は絣の手を握った。

「あ…………」

かすかに、絣が体を震わせる。

「はい…………」

 しかし、絣はすぐに結城に寄り添ってきた。
 二人は強引に人ごみを押し退け、最前列へと出た。パチパチという木の燃える音と、その
匂いが強くなった。
 しばらく待っていると、老婆の神主が笙を持って舞台の脇に座った。
 準備が全て整ったところで、公園内はシンと静まりかえった。
 桜の花びらが焔に飛び込み、消える。
 そして、舞台に成羽が現れた。
 その姿に、結城は息を呑む。
 絣よりも長い、艶やかな黒髪。鬘と分かっていても目が奪われる。その髪には、細かい
細工の施された、冠のような金の髪飾り。宴会のせいで幾分着崩れていた巫女装束をきち
んと直し、その上に、ほとんど透明に近い薄く長い着物を羽織っている。青々とした榊を
携え、成羽は舞台に立っていた。

 だが、結城はそれ以上に、成羽のその目に驚いた。
 神託を告げられているのではないかと思えるような不思議な目つき。憂いにも似た、全
てを見透かすかのような形容し難い眼差し。それは、普段の成羽からは想像もつかないも
のだった。
 成羽は、一歩前に出た。と同時に、シャンと音がする。脚に鈴を結わえ付けているのが
見えたが、とても鈴とは思えない音だった。
 そこから、ごく自然な動きで成羽は踊り始めた。神主が笙を吹く。その音に合わせ、ゆ
るやかに成羽は舞う。髪と服が、小さな旋風の如く揺れる。
 結城は、我を忘れてその動きに見とれていた。成羽の足取りには体重が全く感じられず、
また舞いそのものも、大袈裟な動きでもないのに、どの瞬間も印象的なのだ。成羽の舞う
天宮神楽は、見る者を魅了してやまない力を持っているようだった。
 桜舞い散る中、篝火に照らされて舞う少女の姿は、あまりにも神秘的だった。清らかな
雰囲気をたたえた、神々しいほどの美しさ。

「すごいな……」

 誰もが舞台の少女を見つめる中、結城は呟いた。
 その美麗な雅さに、ただそう言うしかなかった。

 神楽が終わり、結城と絣が元の場所に戻ってしばらくすると、成羽が帰ってきた。

「っかー!つっかれたー!」

 シートに座るなり成羽は猫のように伸びをした。それだけで、先程のイメージが音を立
てて崩れてゆく。加えて成羽は、既に鬘を脱いで、舞台用の正装を解いていた。

「あ、川本さん。ビール貰ってきましたけど、飲めますよね?」

 はい、と成羽は缶ビールの入った袋を差し出す。結城は唖然とした表情のまま、機械的
にそれを受け取った。

「で、どうでした?あたしの踊り」

 ジュースをコップに注ぎながら成羽は聞く。

「すごかったよ、本当に。綺麗だった」

 感慨深げに絣が答える。その眼差しには、どこか羨望が含まれていた。

「ありがと。川本さんは?」

 にっこり笑って、成羽は結城の方を向く。
 結城は、まだ成羽のギャップに対応できないでいた。冷えた缶ビールを握ったままフリ
ーズしている。その目の前で成羽が手を振ったので、ようやく飛んでいた意識が戻ってき
た。

「え?ああ……そうだな、何とも言えないな。言葉で表すのがもったいないくらい、なん
て言うか、まあ……」

 結局結城は言葉を濁した。しかし、嘘ではない。新聞記事を何度も書いているため、人
よりは表現がうまい方だと思っていたが、あの神楽だけはどうしても表現できなかった。
というよりも、表現したくなかった。
 だが、成羽はそれで満足したようだ。褒めてもらったことに変わりはないのだから。
 なんとなく居心地が悪くて、結城はビールを開けた。神楽を見るのに集中していたため
か、妙に喉が渇いていた。一口飲んで潤す。

「……川本さん川本さん。ならご褒美に、お酒一口くださいよ」

 その様子をじっと見ていた成羽が、不意に口を開いた。
 慌てて絣が止めにはいる。

「だ、駄目だよ成羽!」
「……成羽って、20歳過ぎてるのか?」
「失礼な!れっきとした16歳ですよ!」

 むっとした顔で成羽は叫んだ。
 その言葉に、結城は再びフリーズした。危うくビールを落としてしまうところだった。

「じゅうろく……って、ちょっと待て。成羽、お前絣ちゃんより年下だったのか!?」

 結城は目を丸くした。
 絣が今年高校三年生ということは、今現在17歳ということである。つまり成羽は、学
年にすればこれから二年生で、絣より一つ後輩ということになる。

「あれ?言ってませんでしたっけ?」

 絣がきょとんとした顔で言う。結城は景気よく首を横に振った。
 怒ったのは成羽だった。

「ちょっと川本さん!あたしのどこが絣より老けてるっていうんですか!?」
「いや、だって成羽の方がお姉さんぶってるから、てっきり……」
「成羽。老けてるって、それどういう意味?」

 結城が弁解しようとすると、横から絣が刺々しい声で口を挟んだ。

「言葉の通りよ。あんたって、どっか年寄り臭いもん」

 しれっと成羽は返す。

「年寄りって……私だってまだ17だよ!」
「生活臭たっぷりのくせに何言ってるのよ。それにあたしの方が若いのは事実じゃない」
「たった一コだけでしょ!」
「甘いわね。その一コで魅力に差が出るのよ。例えば18と19、それに19と20じゃ
全然印象違うんだから」
「うぐ……でも私高校生だもん。高校生とフリーターとじゃ、フリーターの方が年食って
る響きがあるけど?」
「ほー言ってくれるわね。けどそれだってあと一年限りじゃない。絣が就職して社会人に
なったら、すぐに逆転するわよ!」

 留年なんて格好悪いしね、と成羽は加えた。
 ネタが切れたか、絣は詰まってしまった。

「まあまあ。でもな、成羽。絣ちゃんの言う通りだぞ。16と17の差なんて大したこと
ないさ。どうせすぐ20歳過ぎちまうんだ。今の内にその若さを満喫しとけ」

 論点がずれ始めた気がするので、結城は口を開いた。

「う、説得力ありますね」
「川本さんだって若いじゃないですか。……今、おいくつですか?」

 二人はその言葉に、それぞれ違った反応した。

「21、今年で22になる」
「……なんだ、充分じゃないですか」

 多少非難するような目で、絣がコメントする。結城は頭を掻いて苦笑いをした。

「まあな。けど多忙な生活を送ってると、実年齢以上に老けたりするんだよ。そりゃあ三
好の年齢層に比べれば、相当若いけどさ」

 農業従事者がほとんどの三好町は、老年人口が主である。過疎地の宿命とも言えるだろ
う。

「そうですね。ここで若い人って言ったら、あたし達含めてたったの四人ですから」

 成羽が結城の仕草を真似て答える。

「うん。私と成羽と香子さんとよっちゃんくらいだよね」

 よっちゃんというのは、岸(きし)本(もと)家の孫で、まだ六歳らしい。三好には教育機
関がないので、学校は隣町の塩原まで行っているそうだ。

「でも、香子さんて年齢不詳だよね」
「うん。私が小学校に入る頃には、もう20歳くらいだったはずだけどなあ」

 若いよねー、と二人は声をそろえる。年だけでなく、香子さんは色々と不思議な経歴を
持っているらしい。詳しくはよく分からなかったが。
 何にしても、その四人を除いて全員が60歳を超えているのは、町として由々しき問題
だった。人口ピラミッドは、もはや逆三角形どころか、ほとんどT字だろう。
 三好は、既に衰退した町なのだ。この町で何か寂しく感じるのは、それも理由に入るの
かもしれない。
 今はまだこうして、桜を眺めながら酒を飲み、大騒ぎすることもできる。だが10年も
経てば全て変わってしまうだろう。あたかも息をひきとる直前の老人の呼吸のように、少
しずつ町は衰弱し、そしてある日を境になくなってしまう。昔の風景を残しておきながら、
何もかもが変わってしまうのだ。
 もちろん、それを止めることはできないし、また無意味だ。彼らの多くは、きっとこの
ままでいいと思っているだろう。寂しい思いは当然あるだろうが、彼らは自分達の生活を
大切にしている。外から手を加えて現在を、あるべき未来を変えてしまうのは間違ってい
る気がした。
 結城は二本目のビールを開けた。缶を傾けた時に、散りゆく桜が目に映る。それは灯り
に照らされ、夜空に浮かび上がった。

「あのさ……」

それをぼんやりと眺めていて、結城はなんとなく、呟くように言った。

「絣ちゃんは、就職したら、やっぱり三好を出るのか?」
「え……?」

 絣は、口に運んでいたスナックを止める。それを置くと、俯いて考え込んだ。

「……場所によりますね。近ければ電車か、免許取って車で自宅通勤ですけど、遠いと、
どうしても……」
「でも、遠くなる確率の方が高いよな」
「そうですね……できれば、家からがいいんですけど」

 悲しそうな笑みを浮かべ、絣は小さな希望を口にした。

「そっか……成羽は?」

 結城は、今度は成羽の方を向いた。成羽は聞かれることを予想していたのか、人差し指
を顎に当てて考えていた。

「あたしは現状維持かなー。今やってる天宮神社のバイトと造花の内職、それと畑仕事。
あとは考えてないですね」
「じゃあ、ゆくゆくは神主になったりするのか?」

 結城は神楽を踊る成羽の姿を思い出した。巫女の仕事がどんなものなのか具体的にはよ
く知らないが、髪さえ戻せば充分務まる気がする。

「あはは。それもいいかもしれませんね」
「また踊るようなことがあったら見に来るよ。本当に綺麗だったからな、あれは」
「……ありがとうございます」

 ほんの少し間をあけて、成羽はにっこりと笑った。
 結城は二本目を空にすると、夜空を見上げた。灯りのせいで少ないが、それでも明るい
星はいくつか見える。結城は一度大きく深呼吸した。

「じゃあやっぱり……この時間てのは、大切にしないといけないんだろうな……」

 いつか全て変わってしまうなら。人と話すことも、笑い合うことも、何よりその人に会
えたことも、その一瞬一瞬は、全て大切なもの。限りある時間でできることは、本当に限
られているから。

「……そうですね」

 絣も上を向いて、笑う。

「将来の夢とか考えられるのって、本当に今だけですもんね」

 髪についた桜の花びらを取って、成羽が言う。
 そう、だからきっと。
 未来(さき)を予測することなんて無意味なのだ。
それが寂しいものかどうかなんて、誰にも分からない。たとえ分かっても、もしそうなら。
 現在(いま)という時間を、本当に大事にするべきなのだ。作られる思い出は、その寂し
さだって癒してくれるから。
 夜も更け始め、春祭りが終わろうとする頃、二人の少女と共に、結城はそんなことを考
えていた。
 
(第二話 終わり)


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