小  説

84-6 雪夏塚〜セツゲツカ 姫崎綾華編_第五話 病(その6)

 綾華が言い切らない内に、槙人は綾華の頭の上から怒鳴りつけた。ひくっと綾華の体が
震えた。

「そんなわけないだろうっ!俺が親父に殴られるのなんかいつものことだよ!もう効かね
ーよ、あんなの!そんなので心配かけんなよっ!」

 じっさいにはとても痛いのだが、今はそんなことは問題ではなかった。槙人もいつの間
にか泣きそうになっていた。

「心配・・・?」
「そうだよ。あんなの書いてあったら、ぜった心配するよ」
「ほんと・・・?」
「本当だよ」
「・・・うええぇ」

 暫く無表情だった綾華はそれを訊いてまだ顔をくしゃくしゃにした。

「あーもう!だから泣くなよ!」
「・・・ごめんなさい。ごめんなさい、私、泣き虫で・・・」
「・・・そうだよ、早く泣き止めよ」

 しばし槙人はそのままでいた。綾華の嗚咽が止まるまで立っていた。

「だいたい、それだったらお前じゃなくて俺がいなくなればいいだろ?」
「え?」

 綾華が涙を拭いたのを確認してから槙人は口を開いた。驚いて綾華が顔を上げる。

「俺が怒られるのが嫌なんだろ?じゃあ、俺が家出ていけばいいんじゃないか」
「だ、だめだよそんなの!」

 慌てて綾華が止める。

「だって私のせいだもん!だから・・・」
「お前がいなくなると皆心配するだろ」
「やだ・・・!お兄ちゃん、行っちゃやだぁ!!」

 真っ赤になった目からまた綾華は大粒の涙をこぼす。先程よりも、きつく槙人に抱きつく。

「だってその方がいいじゃんか」
「やだよぉ!行っちゃだめ!」

 よほど責任を感じているのだろうか。自分が何かするまでは行かないでほしいとでも言
うように綾香は首を振り続ける。

「・・大丈夫だよ。・・・いつか帰って来る」

 諭すように槙人はそう口にした。

「ほんと?帰ってくる?」
「ああ、帰って来る」
「本当に本当?」
「本当に本当!ただし、お前が泣き虫じゃなくなったらだろ?」
「わたし、が?」
「そう。帰って来ても泣き虫のまんまだったら、今度は絶対帰って来ないで」
「・・・うんっ。分かった。私、泣かないよ」

 泣き笑いだったが、精いっぱい元気な声で綾華は答えた。

「約束だぞ」
「うん。ゆびきり・・・」

 槙人と綾華は、雪の中で互いの小指を絡めた。

「約束するから。絶対帰って来るから。その時はお前ももう泣くなよ」
「・・・うんっ」
「よし、指切った!行くぞ」

 小指を離すと、槙人は立ち上がった。

「どこに・・・?」

だが、しゃがみ込んだままの綾華は呆けたままだ。

「ばか、帰るんだよ、お前の家に」

 槙人は綾華の腕を引っ張って立ち上がらせた。しかし、綾華はすぐに脚を折ってへたり
込んでしまった。

「早く立てよ」
「・・・歩けない」

 ずっと雪の中座っていたせいだろうか。綾香の脚は動かなかった。

「・・・ばか」

 仕方なく、槙人は綾華をおぶった。まだそれ程体格の良くなかった槙人にとって、綾華
の体は少々重かった。
 多少よろけながらも、槙人は屶岬を出た。

「約束だよ、お兄ちゃん・・・」

 家に帰る途中、綾華が小さく呟く。

「お前もな」

 槙人も小さく返した。
 二人が捜索隊に保護されたのは、それから数分後だった。
 それは夢。
 幼いことの、槙人と綾華の想い出だった。
 夢に出てきた約束の想い出。
 槙人がそれを見たのは綾華の入院から十日目の朝だった。


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