小  説

44-ヒトガタの想い 第2話

 晦日の儀で私が顔を出すのは最後だけ。それまでは長ったらしい演説やお祭りじみたこ
とが行われている。もちろん、私の祝福の言葉だって言ってる側からすれば長いだけの面
倒なもの。でも何度も民衆の前に出ているうちに、そんなものでも彼らは熱心に聴いてい
ることが分かってきた。現人神だしね、本物のカグヤ姫は。
 控えの部屋からそっと外を覗いてみると、既に宮廷は人で溢れ返っていた。地面が見え
ないじゃない。いかに人々がカグヤ姫を信仰しているかが分かるわね。
 といっても、その信仰は本当にカグヤ姫の持つ魅力によるものだというのを、私は理解
していた。私自身はカグヤ姫を見たことはないけれど、周囲の私に対する反応を見ていれ
ば大体察しはつく。
 そう、彼女は、人形じゃ到底持つことのできない何かを持っていたのだ。人々を惹きつ
ける何かを。私は極力カグヤ姫を演じているつもりだけれど、それでも真似ようのないも
のがあったのだ。だからこそ、あれだけの大衆が集まってくる。
 それが何かは分からない。本人には会ってないんだし。でもそれは確かにある。
 永琳と八意思金様以外からの、時折見られる怪訝な表情がその証拠だった。カグヤ姫が
持っているものが、私からは感じられないのだろう。
 限りなく近づけたつもりだった。言動も人前に出るときの表情も、普段の我侭さまで時
には真似た。永琳に術を教えてもらって鍛錬もした。月の小隊くらいだったら簡単に殲滅
することだってできる。
 それでも、人形である私が彼女になることはできなかった。 ――当たり前、なんだけ
どね。

 まだ化粧や装飾が残っているため、私は窓から離れた。ここにいる人たちも私のことを
カグヤ姫として扱っているんだろうけど、実際はどうなのかしら。皆カグヤ姫を崇拝して
いるけれど、目の前にいる私が人形であることには気づいていないのかしら。本当は全て
知っていて、式のためだけに形式的に集まっているだけなんじゃ――。
 ああ、まずい。余計なことばっかり考えちゃうわ。もっと表情に気をつけておかないと
ボロが出るかも。年単位で同じことをやってきたけれど、「私」だけはどうしても変えら
れないんだから。
 時間をかけ、ようやく全ての準備が整った。
 装飾品が重い。この状態で式の最後まで耐えなければならないから結構疲れるのよね。
足の稼動が少し悪くなるわ。
 準備が終わったのでメイクの係たちは皆外に出た。もともとあまり身分の低い人たちと
一緒にいちゃいけないみたいだし、私としてもおかしく思われるのは嫌だから出て行って
もらった。
 一人になる。外のざわめきが少しだけ強くなったような気がした。
 なるべく何も考えないようにしているけれど、何もすることがないとつい考え込んでし
まったりする。自立人形って何か考えてないと自分を保てないのかしら。自己の認識のた
めに考えてるのかしら。

「姫、永琳です」
「ん」

 考えることについて考えていると、扉の向こうから永琳の声が聞こえてきた。外には誰
もいないだろうけど、永琳は公共の立場の方で入ってきた。

「準備は済んだ?」
「うん。私は何もしてないけど」

 でも入って扉を閉めるなり、敬語を使わなくなる永琳。本当はカグヤ姫ともこんな感じ
で話してたんじゃないの?

「今日で最後ね」
「うん……」

 私の隣にある椅子に腰掛け、永琳は言う。私はおざなりに返事をした。ぐるぐる回る思
考がまだ止まっておらず、返事をするのもひと苦労だった。

「どうかした?」

 悩んでいる表情が出ていたのだろう。永琳が私の顔を覗きこむ。こうしてずっと付き合
ってきたから、永琳は人形である私のわずかな違いにも気づいてくれる。一番最初にそば
にいて、一番私のそばにいてくれた人。

「永琳……」
「何?」
「どうして、私は自立人形なの?」

 だから、言うつもりはなかったのに口が滑ってしまった。
 
「なぜ自己が存在しているのか、ということかしら?」

 ぅあ。曖昧な質問だったのに、永琳は全く考える素振りも見せずに私の訊きたいことを
言い直してきた。あんたの思考回路はどうなってるのよ。

「流石ね。その通りよ」

 別に謎かけのつもりはなかったものの、あっさり見破られてしまったので私は苦笑して
うなずいた。

「どうして私には私という自己が作られたの? カグヤ姫に近い思考ができるような人格
にすればよかったのに」

 私はカグヤ姫じゃない。だから、カグヤ姫を演じるには頭で考えて動くしかないのだ。
だから少なからずカグヤ姫としての不自然さが発生する。おかげで何度か窮地に立たされ
たこともあったわ。永琳の天才的詭弁とカグヤ姫的我侭で乗り越えてきたけど。
 だからもし、私がこんな人格でなくよりカグヤ姫の思考に近い考え方ができるなら、も
っと自然に振舞うことができただろう。あるいは、自立人形じゃなくて普通の操り人形だ
ったほうが扱いやすかったんじゃないだろうか。まあ、そうじゃなかったおかげで今の私
があるんだけど。
 私がそのことを言ってみると、永琳はくすっと笑った。
 
「何よ?」
「ううん。随分、面白いことを言うものだと思ってね」

 また馬鹿にしてるわね。私は永琳を楽しませるためにこんなこと訊いてんじゃないの。
拗ねた表情を作って、私は永琳に答えを促す。

「……自立人形の製作がどうして始められたか知っているかしら?」

 そして、返ってきたのは答えじゃなくて質問。しかも私じゃ答えられないものだった。
 
「知るわけないわ」

 自立人形の研究と製作は、カグヤ姫が罰を受ける前から始まっていた、というのは私も
知っている。私を作っている途中でカグヤ姫が地上に落とされたから私を代わりに据えた
らしい。私が知ってるのなんてそれくらい。永琳の問いには答えられなかった。

「そうよね。じゃあ答え。月人はね……生命を作りたがったの」

 くすくすと笑いながら説明する永琳は、なんだか怖かった。自分を含む月の民を馬鹿に
するその笑顔は、どこか憎悪をたたえているように見える。

「最初は、既存の生物を変化させるだけだった。魔力によって魔物と呼ばれる存在にね……」

 その笑顔のまま、永琳は楽しそうに話す。
 
「それは本当は必要なことだったんだけどね。でも、必ず意味を履き違える者が出てくる
……。いつしか月人は、自分たちが生命を自由に扱えると考え始めてしまったの」

 私は黙って聞いていた。流石にこんな話は聞いたことがない。
 
「だから、一から生命を作り出そうと試みたのよ。自分たちと同じように考え、行動し、
生きる存在を」

 聞いているうちに、戦慄を覚える。内容が馬鹿げていることもそうだが、何より永琳の
表情が怖い。その瞳の奥に、深い闇が見えるようで。

「その過程で、もう一つの目標が作られた。それが自立人形。命を持たない生命体よ」

 独り言のように話していた永琳は、急に私の方を向いてそう言った。
 
「実際、生命を変えることはできても作り出すことはまだできてないわ。そこでそのメカ
ニズムの理解を深めるために、貴女のような擬似生命が作られたのよ」

 永琳の話がそこで終わる。
 まとめるとつまり、生命を作るのは難しいから、まずは「命のない生命」を作って思考
や行動の作り方を調べるということか。

「で、なぜ貴女の人格が姫に似せられてないかというと」

 終わったと思ったら続いていた。そういえば確かに私の問いに答えてなかったわね。
 今の話を聞いていると、人格を作り出すのが難しかったからじゃないかと思える。生き
物だって人格がどう形成されていくのか分かってないはずだし。
 でも、私の想像は違っていた。
 
「月人が驕っていたからよ」

 そして、永琳の言っていることは私にはすぐには理解できなかった。
 
「……どういうこと?」

「実は、人格付与は難しくなかったの。基礎を与えればあとは半自動的に形成されること
が分かったから。だから、貴女には姫とは違う人格が与えられた」
「どうして?」

 永琳の笑みが、より一層歪んだ。今思えば、その言葉が私に影響を与えることを知って
いたからだと思う。

「貴女は、支配されなければいけなかったから」

 え――?

「月人は生命を支配しようとしている。だから、生み出される生命は全て忠実に支配され
なければならない。でもね、分かる? 姫は支配する側なのよ? だから貴女に姫の人格
を与えることは許されなかったの。外見は流石に似せなければならなかったけどね」

 私の思考が、止まった。
 
「姫につき従う民衆のように、自分の意思を持っていながら忠実に支配される存在。月人
はそれを望んだ。生命を作り出そうとしていながら、やがて目標をすり替え、自分たちに
都合のいいような生命を作ることに専心し始めた。創造物は全て格下であるべきと考えた
の。驕っているでしょう? 自分たちの手で自由にできる生命を作りたいなんて」
 言葉の奔流が、私を呑み込む。嘲笑うかのような永琳の声が、私の頭の中でこだまする。
 
「分かるかしらイルル? 貴女はたとえ姫と同じような考え方ができなくても、私たちに
とって都合のいい存在でなければならなかったの。自分の意思を持っていても、私たちに
忠実でなければならないの。そう、貴女は……思考することができる操り人形なのよ。誰
かに支配されなければならない。そう設計されているの」
「…………」


「私たちの役に立てばいい。貴女の人格なんて……どうでもよかったのよ」











 気がつけば、永琳の顔が私の視界いっぱいにあった。どうやら思考が止まって放心状態
だったらしい。私の焦点が合ったのを見ると、永琳は顔を離して微笑んだ。さっきみたい
な狂気のこもった怖い笑顔じゃなかった。

「さあ、そろそろ時間よ。祝辞は覚えてるわね?」
「うん……」

 自信ないけど。永琳が私を混乱させるから。でもおさらいするような時間ももうない。
このままいくしかないでしょうね。

 支配された自立人形、か。

 自分の存在が揺らいだような気がして、私はぼんやりしながら式の舞台へと向かってい
った。永琳がそばにいなかったら裾を踏んづけて転ぶところだった。





 「カグヤ姫」が出ると、騒がしかった宮廷内も途端に静まり返る。式典のときは毎回こ
んな感じだけど、その度にカグヤ姫の凄さを感じるわ。彼らも、カグヤ姫の自立的な操り
人形なのね。
 手元にある巻物を広げ、私は祝辞を読み上げた。静寂の中で私の声だけが宮中に響く。
全民衆がここに入れているわけじゃないけど、ほとんど全員が兎なわけだから、その耳と
かで中継してるんでしょうね。っと、思考がずれたわ。意識を集中させてないと、民衆に
カグヤ姫としての雰囲気が伝わらない。私は余計なことを考えないようにして巻物に書か
れた文章を読み上げていった。






 とうとうと読み上げられる祝辞。その言葉に耳を傾け、私に意識を集中させる民衆。
 今までもこうだった。月の姫になれと言われたときは正直焦ったけれど、実際にやって
みればなんてことはない。普段の振る舞いの方が何倍も難しかった。民衆は滅多にカグヤ
姫を見られないから、違いが分からないのね。
 だから、きっとこの最後の式典も滞りなく終えることができると思っていた。
 空を切るその音が聞こえてくるまで。






「っ!?」

 祝辞が折り返しになったところだった。突然、何の前触れもなく私の腕を何かがかすめ
ていったのだ。その直後、背後の壁で爆音。爆風と粉塵が私を包み込む。

「なっ、何!?」

 私は屈んで後ろを向いた。でも何も見えない。周りからは悲鳴が聞こえたり誰かが走り
回る足音が響くだけ。
 何が起こったの!? わけが分からないまま私はへたりこんでしまった。そして、何か
が当たった腕を見てみる。
 腕が、えぐれてた。そんなに大きくはないけれど、はっきりと傷がついている。人形だ
から血は出ないけど、その代わり必要な液体がこぼれ出しそうでまずい。
 でもそれを見て、私は自分が何をされたのか理解した。
 どうやら、私が本当のカグヤ姫かどうか試そうとしたみたいね。どこのどいつか知らな
いけど。

「姫!」

 私が傷口を押さえていると、永琳の声が聞こえてきた。一瞬後に煙の中から永琳が姿を
現す。

(大丈夫!?)

 永琳は私のそばに駆け寄ると、耳元に口を近づけて言った。この状況下で他の家臣に見
られるのを嫌ったのだと思う。

(腕をやられたわ。血が出てないから怪しまれるかも!)

 私も小声で永琳に答える。永琳はそれを聞くと、式典用の正装を破って私の腕に巻きつ
けた。損傷自体は大したことないからそうする必要はないんだけど、傷を隠すためにはや
らなければならない。

(一旦逃げるわよ)
(うん)

 永琳はそう言うと私を抱えあげた。確かに、ここでカグヤ姫が元気に走って逃げちゃま
ずいわね。私はおとなしく永琳の腕の中に収まっていることにした。
 永琳が走り出したのと同時に、私がいたところへ他の家臣たちが集まってきていた。










 宮殿の中に逃げ込むと、永琳は自分の部屋へ私を持っていった。部屋に入り、他の者が
入れないように簡単な結界を張る。私を布団の上に降ろし、それでようやく一息つくこと
ができた。その頃には、私の混乱もだいぶ収まってきていた。

「傷、見せて」
「うん」

 二人して深く息を吐くと、永琳は早速診察に入った。永琳は政治に関わっている人間だ
けど、それ以上に薬の知識が豊富である。もともと八意家が薬の天才家系だったから、そ
の中でも最高の頭脳を持つ永琳は月の医学会の最高峰でもある。でもまあ、私は人形だか
ら永琳の知識、あんまり役に立たないけどね。それでもそれを応用して私の不具合を何度
か直していたんだから侮れない。
 ちなみに、自立人形イルルナーダの製作に関係した研究者や技術者は、全員口封じのた
めに殺されたって永琳から聞いてる。研究が終わってないと家族に偽り、時間をかけて一
人ずつ自然な形で殺していったそうだ。
 それでもこうして私が狙われてたんだから、人の口に戸は立てられないわね。
 私は巻きつけられた服を取り、傷を永琳に見せた。ついでに私自身でも確認しておく。
 
「腕は動かせる?」
「うん。外装をかすっただけみたいだから」

 えぐられてはいたけれど、動きに関しては問題なかった。軽く腕を動かしてみるけど、
いつも通りに動いてくれている。変な音も違和感もない。

「そう、よかった。なら、外装を修復して手当てしておけばそれっぽくなるでしょ」

 永琳は安心したように、表情を緩ませた。
 傷に外装と同じ物質を塗りこみ、上から包帯で巻いて終わり。そういえば、私の体って
何でできてるのかしら。人間と同じ感触を得られるから、少なくとも自然のものじゃない
でしょうね。永琳に訊いてみたら、わけの分からない名称が返ってきた。ちなみに作った
のは永琳らしい。
 あとは数日すれば傷口は消えて塗りこんだ部分も同化する。生き物と違って楽でいいわ。
本当の意味での自然治癒じゃないから不便ではあるけど。

「それにしても、見事に狙われたわね。ある意味で警戒が一番緩む中盤を狙ってくるとは
大したものだわ」

 修復作業を終えると、永琳が道具をしまいながらそう言った。やっぱり狙われてたのよ
ね、あれ。
 民衆は滅多にカグヤ姫の顔を見られないから、家臣の誰かが私に気づいて攻撃を企てた、
と考えるのが妥当よね。現場での確認はさせなかったけど。

「でもそれなら、体に当てた方が確実だったんじゃないの? 死なない程度の魔力で。嫌
だけど」
「仮に本物の姫だったら大事になるからよ。今も十分大事だけど」

 うぅん、なるほど。
 これが最後の式典でよかったわ。まだ後があったら確実にやられる。
 
「永琳様! 姫はどうなさいましたか!?」

 外が騒がしくなってきた。どうやら家臣たちが、永琳が私を運び込んだことに気づいた
らしい。

「じゃ、適当に言い訳してくるからちょっと隠れてて」

 永琳は外に向かって返事をすると、私にそう言った。確かに状況が状況だから、今見ら
れるとまずい。私は他の部屋に引っ込むことにした。
 でも、その前に一言。
 
「永琳」
「何?」

 部屋を開けようとした永琳は、扉に手をかけて振り向いた。
 
「約束は忘れないでよ」

 地上に行くという約束。このドサクサに紛れて置いてかれそうな気がしていたから。
 
「ええ、分かってるわ」

 永琳はそう言って、笑顔を見せた。
 私はそれにうなずくと、他の部屋へと逃げ込んだ。
 後で永琳から聞いたところによると、姫は大した怪我ではなかったものの、ショックで
寝込んでしまったことになっているらしい。だから晦日の儀は中断。さらにこうなるとカ
グヤ姫は引きこもってしまうから、初月の儀まで面会は永琳と八意思金様を除いて禁止と
いうことにしたとのこと。
 ということは、かなり慌しかったけれど、実質私の任務はこれで終了ということね。残
るは明日、地上にてカグヤ姫を迎えに行くことだけ。これは私の意志ですることだけど。
 そう思えば、この傷のことも忘れられる。私は遠慮なくカグヤ姫と会うことを楽しみに
するのだった。



 それにしても――。
 流刑にされたせいかしら、カグヤ姫の扱いも随分と落ちたものね。
 って、私のせいかもね。

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